書評 『ホテル・カクタス 評/江國香織』

 ホテル・カクタスは町外れの古びたアパート。三階の一角には古びた帽子が、二階の一角にはきゅうりが、一階の一角には数字の2が住んでいます。彼らはとても仲が良く、毎晩のようにきゅうりの部屋に集まっては、お酒を飲んだり、語り合ったり、ラジオを聞いたりしながら過ごしていました――。このような導入で始まる、『ホテル・カクタス』。帽子ときゅうりと数字の2の、何という事もない日常のエピソードが、江國香織特有のやわらかな筆致で描かれています。
 帽子、きゅうり、数字の2。私はこの組み合わせが、初めのうちは不思議に思えて仕方がありませんでした。その上どうやら彼らは人間ではなく、正真正銘の帽子ときゅうりと数字の2、らしいのです。一体、何故?
 読み進めていくうちに少しずつ、この意味は判るようになっていきます。昔気質な性格で「あとは野となれ山となれ」が口癖の帽子は、ウイスキィと博打が大好きで、沢山の思い出と亀とを飼っています。身も心もぱきっとしている体育会系青年のきゅうりは、爽やかで礼儀正しい青年ですが、あまり深く考えずに物を言うので、2から時々ひんしゅくを買います。内向的で屈折気味の2は、役所に勤めています。割り切れないことが嫌いなくせに、たいていの物事がうまく割り切れないので、よく悩んでいます。
 どうやら彼らは皆それぞれ、自分たちの内面を象徴する姿をしているようなのです。ぱきっとして爽やかなきゅうり、長い時間を過ごしてきた古い帽子。屈折気味の2はくねくね曲がった格好の「2」でなくてはならず、真っ直ぐな漢数字の「二」ではいけないわけです。
 ひとつひとつのエピソードは二、三ページほどの短いもので、書かれているのは(先ほども書きましたが)ささやかな日常のひとこまです。事件らしい事件は終盤まで一つも起こりません。しかしその日常の風景が、本当はとても貴重で大切なものであったことに、私は最後になって気付かされました。
 また、本書を飾る、佐々木敦子のイラストも必見です。静けさと不思議な暖かさに満ちたひとつひとつの絵は、ホテル・カクタスの「ひんやりとしていて、とても気持ちがいい」空気を届けてくれるようです。

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