『FOR THE SACRIFICES FOR THE PLAYERS』

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EGOISTIC IMAGINATION CASE.4

 非合法でもないのに、殺されてもその存在が無視される職業が存在する。非合法でもないのに、その職務をまっとうしただけなのに。ただ、言われて派遣されていた、その雇い主がたまたま、「敵」であっただけなのに。
 私の彼氏は、警備員として働いている途中に殺された。
 殺人者は、英雄になった。

 彼氏――ツキノ・ユートは作家を目指していた。そのへんにいくらでもいる作家志望よりは一応、少しは高いレベルにいて、編集者とも定期的に連絡をとっており、若手作家の作品を集めたアンソロジーにも参加したこともある。そうはいってもとても食えるような状態ではなく、また同棲していた私の稼ぎも二人分養えるものではなかったので、必然的に彼は原稿書きの合間にアルバイトをすることになった。昼間原稿を書くユートにぴったりのアルバイト、それは夜間警備員。ある日警備会社はある会社の警備をユートに命じた。
 その会社が「迅駆」だった。

 自動車部品の下請け業者として出発した「迅駆」は、創業者であるカヅキ・アツシの経営手腕によって瞬く間に業績を伸ばし、彼が不惑を迎える頃には電子部品メーカーとして並ぶものがいない大企業となっていた。
 本社のある首都第三階層A-3ブロック一帯は迅駆――つまりアツシの勢力下とされるようになっていた。持て余した資金は私用の軍隊に充てられるようになった。軍隊で住民を押さえつけることに快感を覚え始めたアツシはやがてその装備を増強すべく自社で兵器の開発を始める。その頃には、それを止めようとするものは、政府も含め一切存在しなくなっていた。
 その後始まる大企業による兵器開発と武力統治の時代――カンパニー・タウン・エイジの先駆けがここにあるわけだが、アツシの死後、二代目総帥となったカヅキ・カツヤは一転して、地元住民との融和を図り、現在に至る。

 ここまでが私たちの知っていた物語だ。あの事件が起こるまで、あの地域の住民以外はここまでしか知らなかった。もちろん、ユートも。ここから先のことは、私も、ユートも知らなかった。

 カツヤはA-3ブロックの外には融和を図っていると情報操作をしておきながら、内部では以前にも勝る恐怖政治を実行していた。内部の人間は外部との接触手段を絶たれていた。もちろん私たちはそんなことは知らない。呑気なことにただ自主的にそうしていると最後まで勘違いしていたのだ。たまに視察に政府の役人が向かう時はメッキを塗って楽園のふりをしていた。父親が作った社の軍――「迅軍」をもっぱらブロック内の統治に使用し、少しでも反抗の動きがあると虐殺という形でそれを清算した。
 だがそれは計画があればという話で、まったく突発的に起こり、またそれが迅軍をもってしてでも阻止できない場合はまったく意味をなさない。そんなことはもちろん多くないが、しかし可能性はゼロではない。
 A-3ブロックの片隅、ジャンク・ストリートのさらにうらぶれた地域に一人の少年が住んでいた。歳は十八。その名をトオノ・サトルという。彼はこのジャンク・ストリートで生まれ、スリで暮らしてきたという、この地域には珍しくもない経歴の持ち主だった。彼はある時、反抗グループが迅軍の摘発を受けているところを目撃した。摘発といってもその場で銃殺し、死体をその場で放置するだけのことだ。特に珍しくもない光景である。だが彼はその時見てしまった。グループのなかにいた幼馴染の少女――オトナシ・ミカを。彼女の腕を迅軍の一人が掴んでいた。掴んでいないほうの手には銃があった。銃は、彼女に突きつけられていた。もう一人の迅軍が、ミカの胸元に手をやっていた。サトルは死んでもいいと思った。死んでもいいから殺してやると思った。
 拳を握って、彼は迅軍のほうに向かった。即座に銃が彼に向けられた。それは怖くなかった。ただ、銃弾が自分を貫く前に兵士を殺せばいいと思った。その瞬間、彼は自分が浮くのを感じた。――意識が途切れ、気がつくと、迅軍の兵士が倒れていた。肉を千切り、骨を折った感触が腕に残っていた。その感触が薄れるとともに、彼は抜け落ちていた幼い頃の記憶を取り戻した。父親が教え込んだ、人を殺すための武術と、それに付随する剣術。そして、父親の剣の場所、そして父親がカヅキ・アツシの手によって殺されたこと――。
 サトルはミカとともに、抵抗グループの残党に合流し、迅駆への復讐を誓った。

 粗筋はここまででいいだろう。あとは手短に済ましてしまう。サトルとミカは抵抗グループの犠牲のかわりに――つまり陽動作戦を実行したのだ――迅駆本社ビルへ到達した。サトルの行動を目障りに感じていたカヅキ・カツヤは抵抗グループの掃討に相当数の兵士を送っていた。ただそれで警備が薄手になってしまう。――彼も鈍っていたのだろう、こともあろうに、民間の警備会社に会社の警護を頼んだのだ。
 そしてツキノ・ユートほか数名がA-3ブロックに向かった。ユートは向かう前、私に、普段立ち入れないA-3ブロックはどういうところだか見てくるのが楽しみだ、と笑いながら言った。私はそれに笑い返した。それで、口付けをして、彼を送った。
 二日後、ツキノ・ユートは、トオノ・サトルの剣で胸を一閃されて死んだ。他の警備員もオトナシ・ミカのナイフや、他の仲間の武器で、同様に、殺された。その直後の迅駆本社ビルの大爆発により、死体も骨も帰ってこなかった。法律によって、民間の警備会社のアルバイトであるユートは、小銃しか武器を持つことを許されていなかったという。警備会社もユートたちの存在を闇に葬った。
 もちろん、民間の警備会社の制服と迅軍の装備が同じだったとは思えない。サトルたちに知識がなかったためかもしれないが――抵抗グループに混ざっていたのに? ――。

「迅駆事件」の後、その詳細を綴ったノンフィクションが大量に出版された。私はユートと付き合いのあった出版社から発行された「四〇時間――迅駆事件のすべて」というものを買った。私が迅駆事件の詳細を知っているのもこの本のおかげだ。ただ……そこに、ユートの存在は塵ほどもなかった。憎むべき存在ですらなかった。迅駆突入時の描写にはこうある――「本社ビルの敵の手つきを見て、雑魚だな、とサトルは心中で呟いた。実際それまでの迅軍と比べても、彼らの力量は著しく劣っていた。数分でサトルたちは一階を血の海にした」
 ユートは、殺されて当然の存在になっていた。

 しょうがなかったのかもしれない。
 平和には犠牲がつきものだという、例の言葉で処理されるべき事例なのかもしれない。
 でも。
 何故、ひとことの謝罪もないのか。
 少なくとも迅駆のこれまでの犯罪には、ユートは何も関与していない。殺されるときも、ろくに抵抗したとは思えない。おそらく、それは戦闘と呼べるものでは、到底なかっただろう。
 何故、謝ってくれないのか。ひとことでいいから、何か声をかけてくれないのか。
 ユートの声を、唇を、身体を、指先を、視線を、息を、言葉を、小説を、詩を、愛を、恋を、感情を、未来を、過去をすべて、たとえそれがどういう理由付けをされるものであったとしても、奪ったというのに。

                       *

 ある日曜日の昼、私は首都第二階層C-1ブロックの「東十字路南」と呼ばれる地域に向かっていた。私の住む第三階層B-6ブロックからは二時間ほどかかる場所にあるが、私はもうそこへの行き方を覚えてしまった。毎週のように通っていることに気付く。
 空には雲ひとつない。その明朗さが、私を苛立たせる。不条理だとわかっている。ウェザー・シミュレータには罪はない。それにしても、もはや第一階層の住人のみのものとなった天然の気候の気まぐれさが、ふとうらやましくなる。「首都分離」からもう四半世紀が過ぎた。その時、まだ私は生まれていなかった。
 小さなビルの三階に、「迅駆事件遺族の会」の事務所がある。「遺族の会」は直接迅駆の犯罪にかかわることのなかった社員で、サトルたちによって殺された者たちの遺族が中心となって構成されている。
 この名前では迅駆による死者の遺族の集まりと紛らわしいし、実際間違われることも多い。しかしはじめ「迅駆事件迅駆側遺族の会」という名前だったときにはひっきりなしに嫌がらせの電話がかかってきたのだそうだ。
 狭い部屋にはいくつもの机があり、書類が大量に載っている。「遺族の会」が要求していることは、きわめて単純だ。謝ってほしい、と言っているのだ。何も賠償を求めたりしているのではない。謝罪――いっそ、罪でなくてもいいくらいだ――欲しい。しかし、その要求が受け入れられることはない。せめて「仕方がなかった」でいいのだ。彼ら――今では私もその一員だが――は、自分たちの家族が、ただ殺されて当然とされることが耐えられないのだ。
 ユートは迅駆の社員ではなかったし、私と結婚しているわけではなかったから、私の立場は「遺族の会」のコンセプトとはずれている。それでも私は会の人たちに懇意にさせてもらっていた。ふと線が切れてしまいそうになる時に励ましてもらうことも多かった。私はそれに感謝している。しかし私自身は彼らに何もしてこれなかった。だからこそ――この作戦というか、行動の実行者になることを自ら志願したのだ。直接、サトルのもとへ向かうという行動の。
 迅駆事件ののち、トオノ・サトルは数ヶ月ほどオトナシ・ミカと一緒に首都を離れ、郊外で暮らしていた。それはとても穏やかな生活であったというが、なぜかサトルはミカをつれてまた首都第三階層A-3ブロックへと帰ってきたのだった。
 そこからの彼の生活は混乱していた。愚にもつかない小説を書いたかと思うと歌手としてデビュー、宗教まがいのことを始めたと思うとすぐに止めて悔い、自殺を図り失敗、その数日後に芸能プロダクションを立ち上げる。それらのことをすべてA-3ブロックで行った。メディアは彼の奇矯な行動を報道し続けた。英雄の行動をたたえるふりをしながら嘲笑っていた。
 若き英雄――なにせ十代だ――の混迷の、現時点での最新作は「エンジェル・パレス」と呼ばれる宮殿の建設だった。迅駆事件後にさまざまな方面で得た金は、すべてそこに費やされたという。彼はそこにミカとふたりで暮らし、さらに大量の警備員――皮肉だ――を配置し、出てこようともしないらしい。今日の時点で、すでに最後にメディアで彼を見てから、数ヶ月が経っていた。
「遺族の会」は危機感を強めた。どれほど戯画化されてその権威が失墜しようと、サトルが自分たちの家族を殺したのは間違いのない事実だ。サトル自身も戯画化と嘲笑を疎み、残り資金のすべてを費やし、「エンジェル・パレス」を建てて、ずっとそこにとどまろうとしているのだろう。そうなれば、やがてサトルの存在、はては迅駆事件そのものが忘れ去られる。「遺族の会」で行っているような活動には、根本的に民衆の支持が必須だ。「遺族の会」はその性質上民衆から支持されにくいが、それでもわずかにだが支持してくれている人々がいる。迅駆事件が忘れられていけば、それらの人々も離れていくだろう。そうなれば活動の継続は不可能。
 やがて彼らは思いつめていくようになった。風化するまでにサトルの謝罪を受けるチャンスは、もう今しかない、できるだけ早く、今彼が住む、エンジェル・パレスに乗り込んで(事前に交渉して会ってもらえる可能性はほぼゼロに等しい)、謝罪を表明させなければいけない。それでしか自分たちの空白は、満たされないのだから――。
 私には彼らが良くない方向に突き進もうとしているのが手に取るようにわかった。それも、私がやはり、ある程度外の方にいるからなのだろう。すでに彼らは周りが見えなくなっている。交渉なしに乗り込めばそれは不法侵入であり、そんなことをして支持を得られるわけがない。虐殺者の手先の家族が起こした身勝手な暴走、と受け取られるのが関の山である。
 私は自分を励ましてくれた会が崩壊に向かうのを是認できなかった。だから私はエンジェル・パレスへの侵入(彼らはこの単語を使わなかったが、それ以外のなにものでもない)を志願した。
 死ぬために。
 先ほど、線が切れそうな時に「遺族の会」の人たちが私を励ましてくれた、と記した。それに感謝しているとも。確かに彼らは切れそうな線を取り繕ってくれた。その思いやりも嬉しい。だが、線は切れてしまう。限界以上に伸ばせば、あるいは、鋏を入れれば。たとえ取り繕ろうと、それはどうしようもない。今、私の手の中には小さな拳銃がある。もしもの時の為に、と会の人たちから実弾と一緒に渡された。できればそれを使うような事態にはなってほしくないけど、と渡してくれた白髪の老人が言った。大丈夫ですよ、と私は微笑んでみる。だが、私は、すぐに拳銃に実弾を込めて、そしてこめかみに当て引き金を引いてしまいたかった。わずかに手が震えている。緊張しているのかな、と老人が眉根を寄せて呟く。武者震いですかね、と私は言った。笑い声が上がった。その声もかすかに震えていたことに、老人は気付いただろうか。なぜかそのことが、ずっと気になり続けた。
 私の描いた筋書きはこうだ。会の人々に話しているそれとは違う。彼らにはもっと穏当なことを話している。はっきりいってその方法では無理なことは明らかだが、焦燥している彼らにはそれもわからない。
 私はマイクロ・ハードディスク・レコーダを持ってエンジェル・パレスに侵入し、リモコンの録音ボタンを押して一通りもめてから自殺する。レコーダの内容をマスコミに流してもらい、世論の流れを操作する。
 重要なのはもめる内容だ。とにかく向こうに高圧的な態度をとらせ、世論の同情を得るようにしなければいけない。そのためにこちらも挑発的な態度をとる必要があるかもしれないが、私の発言の時にレコーダを切っておけばいい。レコーダは、イヤリングとして仕込んでおく。そのくらい小さいものもあるのだ。こうすれば、向こうに奪われる可能性は、ゼロではないが、かなり低くなるだろう。すでに、万が一のときはすぐ開封してくれと会の一人に渡した手紙には、レコーダの場所と筋書きの意図を記してある。ある意味で、遺書のようなものだ。

 私は最後の打ち合わせを終えた。決行は三日後。その日が、迅駆事件からちょうど二年が経つ日であり、また同時にユートの命日である。……だからといって、なにもないけど。

 私は家に戻って、仕事を再開した。仕事といっても、それ自体で生活していけるようなものではやはりなく、現実にはユートの遺した金銭を細々と消費しているというのが現状だ。ちょうど私がずっとイラストを担当していたジュヴナイル小説のシリーズが最終巻を迎えていて、漫画化や次シリーズのイラストの話なども来ていたのだがすべて断った。どうせ三日後にはすべての生命活動が終了するのだから。
 あらかじめ編集者や作家と相談して決めた場面にイラストを挿入するのだが、一枚一枚描いていき、終わりに向かっていくにつれて憂鬱な気分が増していった。あらかじめ本文はすべて読んでいる。よって私はこの物語がどう終わるかをすべて知っている。――はっきりいって、どうしようもない終わり方だ。出来の問題ではなく、単にバッドエンドであるという意味で。ここまでやるのはちょっとあまりなかったのではないだろうかと私は思う。キャラクタの仮面を剥がしていくように――そのくせ伏線は張ってある――真実を明らかにしていく。そして作家が読者を裏切るその瞬間に、私のイラストが挿入されるのだ。まるで私が詐欺に加担するかのようだ。あらかじめ知っていれば、まだこれまでのイラストに伏線を仕込んだりして、加担を楽しむこともできるのだが、私も読者と同じく最終巻の終盤ですべてを知らされたのだ。――実のところ、まだショックを受けている。とにかく仕事なのだからこちらも悪意をこめて描かなければいけないのだが、どうにもキャラクタに同情的に描いてしまっているような気
がする。気分が重い。私はタブレットを置いて、ぬるくなったココアを飲んだ。
 飲み干して、一度深呼吸してから、最後の陰影を描いた。ヒロインの歪んだ笑みに被さる陰影。その身体は返り血を浴びている。絵の視点は床はそれを見上げている。倒れている人影は正確には描写されない。本文でもはっきりとは明かされない。しかしきちんと読んでいればそれが十数巻、三年にわたって読者とともにあった主人公であったことは明らかで、実際それを知っている私は影のほうぼうに主人公の描きなれた輪郭を仕込んでいた。
 あと、残っているのは表紙と口絵だ、とりあえず構図だけでも考えないと――そう思ってぼんやりと形作ろうとするが、……できない。どうにかしようとしても最後には、自分の描いた最後のシーンが脳裏に蘇ってくる。亡霊のように、うすらぼんやりとして。
 翌日、なんとか苦し紛れに表紙と口絵を描いたが、とても充分な出来とはいえなかった。
 そうして私の最後の仕事は終わった。

                   *

 A-3ブロックは現在、もちろん解放されているが、しかし迅駆統治下にあった時の痕跡はまだ色濃く残っている。階層エレベータを降りた、そのすぐ目前に広がる「大障壁」もその一つだ。落書きで埋め尽くされているが誰も消そうとしない。なぜか物理的に困難な場所にあるというのも理由の一つだが、落書きひとつない「大障壁」はかつての迅駆統治の時代を想起させてしまうのだろう。なら壊せばいいのだが、皮肉なことに、迅駆が崩壊した現在、効率的にこのレベルの大きさの壁を壊せる重機を製造できる技術は、どこの企業も持っていないのだ。
 ブロックの中心に、エンジェル・パレスはある。この名前のゆえんは、その形と色にある。真白に塗装され、ちょうど、翼のように建物の両側が広がっている。それだけならよくある形の豪邸だが、そのうえ、庭に円形の池が作られている。それが天使の輪というわけだ。
 実は、ここに来るのは初めてではない。当然といえば当然だが、何度も下見に訪れている。侵入経路を確かめるためだ。なぜか、エンジェル・パレスには充分な警備システムがない。はっきり言って、誰でも侵入可能だということが何度も訪れてわかった。ならば侵入者が多発しそうなものだが、この事実はまったく知られていない。知られていない限り、エンジェル・パレスに入ろうとするものはいないというわけだ。先入観が警備システムとなっていた。
 私は門扉に手をかけた。予想通り、鍵すらかかっていなかった。黒い鉄製の扉は、軋んだ音を立てながら開いた。
 いやに人気がなく、不気味に思えるが、サトルたちがいるのは間違いない。過去何度も訪れた時にもこのような状態だったので、これが通常ということなのだろう。池の周りを歩いてから、邸宅の扉へと向かった。庭には花が咲いているが、白いものしかない。黒と白しかない、モノトーンの世界。善と悪しかなく、ユートがその時いた場所で悪に振り分けられてしまう世界。
 邸宅の扉にも鍵がかかっていなかった。これは予想外で、窓でも壊してしまえと思っていたのだが。――実際ここまで来てから考えると、ずいぶん無茶な話だ。多少は破滅的になっているのかもしれなかったな、と思って自分の思考に苦笑した。これから死のうと考えている人間が破滅的でないなんて話があるだろうか?
 しかし、ここまで無防備になっていると逆に不安になってくる。本当は引き払っているのではないだろうか? しかし毎朝郵便物はなくなっているし、サトルの姿を見た、近隣の住人もわずかにだがいる。
 私は半分自棄になって扉を開けた。その瞬間に、わずかに溜息を漏らしてしまう。まさしく豪邸というようなオブジェクトが並んでいる。目の前には螺旋階段。悪趣味なまでに羅列された剥製。見上げるとシャンデリア。そのシャンデリアが落下してきて――。
 落下?
 私はとっさに右手で取っ手を握ったままだった扉を戻して、身体を庭に滑り込ませた。硝子が割れる音が耳をつんざいた。それこそ、取っ手から手を離していたら、どうなっていたかわからない。再びおそるおそる扉を開けると、その奥には床一面に色とりどりの硝子の破片が散らばっていた。私が今履いている靴は薄手のものだ。もっと分厚いのを履いてくればよかったと私は思った。
 破片を避けるようにしてとりあえず螺旋階段のほうへ向かおうとするが、とにかく慎重に歩かねばならない。いきおい歩みも遅くなる。やっとのことで螺旋階段の一段目に着いたときには疲れ始めていた。馬鹿げた話だ。
 そこで突然、上の階のほうから声がした。
「ようこそ――エンジェル・パレスへ」
 手荒い歓迎ね、という台詞を思いついたが恥ずかしくて言えなかった。私が黙っていると、声の主――トオノ・サトルは苛立ったような声をあげた。
「おいおい、君は何をしに来たんだ? 憤怒は? 主張は? イデオロギーはどこだ?」
 考えてみればサトルはかつてジャンク・ストリートでスリをやっていたのである。それがこうなってしまうのだから名声というものは恐ろしい。相手にしないでさっさと済ましてしまおうと思うが、どう切り出したら良いかいまひとつ思いつかない。
 とにかく始めてしまうことにした。階段を昇る。ポケットに隠し持ったレコーダのリモート・コントローラの録音スイッチに指を乗せる。
 螺旋階段をしばらく昇ると、唐突に眼の前にサトルの姿が現れた。ああ、テレビで見た顔だ、と思った。その瞬間、視界が別の人間でふさがれた。それが誰か認めて、ああ、わずかに思いだす。
 ユートがアルバイトしていた警備会社の制服だった。普通は邸宅の前に配置するものだろう、と思う。
 静寂が、降りた。……サトルは知っているのだろうか。これは偶然か、そうでないのか? 身体に汗が浮き出すのを感じる。それでも、まず、コントローラのボタンを押してから、
「私は」
 用意していた台詞を吐き出そうとしたが、間違えた上に、わずかに声が裏返ってしまった。
「……私の彼氏は、あなたに殺された」
 サトルの表情が変わった。明らかに退屈そうな表情になっている。――憎い。
「だから何?」
「謝って」
「どうして」
「悲しいから、迅駆の社員でもないのに、――何も悪いことしてないのに」
 数瞬の間。
「お話にならない」
 そういいたいのは私だ。――叫び出したくなる。こんな、お仕着せの会話をしに来たんじゃ――いや、しに来たのか。サトルからはできるだけ挑発的な言葉を引き出さなければいけないことを私は思いだす。
「どういうこと?」
「だってそうだろう――奴らは屑だ。 掃除してやってみんな大喜び。誰が困るっていうんだ――」
 私はおかしい、と考え始めていた。確かに挑発的である。理想的なまでに。しかしこの台詞はあまりにも常軌を逸していないだろうか。怒りを通り越して不自然さ、空恐ろしさのようなものを覚える。
 やがて、勢いの良かったサトルの口調が段々途切れ途切れになり、ノイズのようになっていく。それ自体での意味を言語が放棄し始めていた。
「困るっていうんだ…………困るっていうんだ…………困るって…………、」
 言葉が止まった。私は恐怖に侵蝕されつつあった。逃げようと思う。しかし気がつくとユートが着ていた制服の男たちが邪魔をする。どうして。眼の前で雇用者が異常な状態にあるというのに。
「欠陥品が壊れちゃったみたい」
 唐突にまた声がした。女の声――オトナシ・ミカ。状況の整理に手間取っていると、上から何か降ってくる――身体。トオノ・サトルの身体。反射的に避けようとするが、避けきれずに少しだけ接触してしまい、私は身体を強張らせた。
「やっぱり、ケミカルじゃあんまり延命できないみたい」
 状況が――飲み込めない。断片だけ与えられても解釈のしようがない。ただ、混乱するだけ。
「そこにあるの――銃でしょ」
 そういってミカは私のアウターのポケットのふくらみを指差した。私は思わずそのなかに手を突っ込んでしまう――逆効果だ。
「迅駆の社員じゃなかったって――どういうこと?」
「え……」
「だから、」
「あ、え、その、アルバイトの警備員で」
「そう、いや知ってたけど」
「どういうこと、何が言いた……」
「つまりね、すべては仕組まれていたってこと」

「最初に言っておくとね、あなたの恋人は前科者だから、多分」
 私は黙っていた。
「――なんで何も言わないわけ」
「何か言うことがありますか」
「……カヅキ・カツヤは迅駆事件の一年ほど前から正常な判断能力を失っていた。そのことを調べた政府が調べてみると、経営状態は最悪になっていて、指で触れると崩れ落ちる砂の城みたいになっていた。政府は即座に潰してしまおうと思っていたけれど、あることを思いついた。……刑務所が足りないというニュースは知ってる?」
「――ええ」
「そこに転がってるのも前科者、罪状は確か――窃盗だったかしら」
 トオノ・サトルはジャンク・ストリートにいた時スリを生業にしていたという。迅駆事件の時に自らインタビューで公表していた。それなのに不問になっている。スリだからといって犯罪は犯罪だ。ジャンク・ストリートの犯罪が見逃されがちなのは犯人を特定しにくいからだ。決して許されているわけではない。そこには損害が発生しているのである。彼に財布を盗まれたせいでクリティカルなダメージを負った者だっていたかもしれないのだ。
 ミカは壁を指差した。
「その辺に、今は犯罪者が溢れてる――探知機つきで。空きが出来次第刑務所とか拘置所送りだけどね。とにかくそういう膿をいっせいに除去するために迅駆事件は仕組まれた。あとはその問題から眼をそらすために」
 私は何も言わない。何も考えない。
「溢れてる犯罪者は就職できないことになってる。就職しようとしても探知機でばれるし。で、なぜか就職できる、就職しても探知されない場所があると犯罪者たちの間で噂になる――それが迅駆。迅駆がいっぱいになると、今度は警備会社。で、犯罪者から身体能力の優れたものを選び出し、強力な武器を与える――迅軍の持ってるものなんて玩具になってしまうくらいのね。武器さえあればどうにかなるのよ、今の戦闘は。迅駆に入り込んだスパイに警備会社を呼び出させるのを忘れずにしておいてから、勇者が悪役をやっつける。で、最後はビル爆破で証拠隠滅、わたしたちは宙吊り。あ、ちなみに私は犯罪者じゃなくてヒロイン役を与えられた孤児だから」
 一息にそこまでしゃべると、ミカは肩をすくめた。
「意味ないよ、そのレコーダ」
 私は少し動揺する。そして――表面上の計画は全て知られていると悟る。
「スパイ、行ってるから」
 ほら、やっぱり。今度は動揺しない。
「誰?」
 礼儀として、一応訊いておく。彼女が言った名前には心当たりがあった。私が拳銃を受け取ったあの老人だ。
「関係ないような気がするけど。ここから帰れば強請れるよ」
 私は強がってみたが、もうわかっていた。私をここから帰す気が、彼女にはもうないのだと。だからこそ、意味がないと言ったのだ。でも足掻いてみる。どうせ死ぬのだ、もうどうでもいいはずなのに――従うことへの嫌悪が私のなかを走る。
 唐突に、ミカは言った。
「従順じゃないね――死ぬ気なんでしょ?」
 私は今度こそ動揺する。反射的に顔を上げ、驚きの表情を浮かべてしまう。それを見てミカは微笑した。私は失敗したと思う。失敗? 私がこれまで積み重ねてきた失敗に比べればたいしたことはない、と思う。思うが。
「あなた自分では自殺願望を押し隠してたつもり? 彼には完全に見破れてたわね、少なくとも」
 私は無表情を通して――ふと疑問に思う。何故自分は、冷静であろうとしているのだろう? 歪んで、叫んで、狂ってしまっても良いのに。
「喉が渇いた」
 呟いてから、オトナシ・ミカは言った。
「ところで、奇遇みたい」
「――え?」
「私も、ちょうど死にたいと思ってて」
「それで?」
「賭けをしましょう……いや、賭けともいえないかな」

「どちらかがだけが死ねる。私かあなた。凶器はそれ。あ、銃弾はひとつしか入ってないから」
 当たり前のように私のアウターを指差す。
「で、殺すのはあなた」
「私を殺すに決まっているじゃない」
「本当に? ――[私が彼を殺したとしても]?」
 静寂が、一瞬その場を支配した。私は支配を打ち崩す。
「なんで、そんなこと判るわけ」
「いや、あの階は全員私が殺したから」
「――どうやって、……ナイフひとつで」
 確か、ミカの武器はナイフだったはずだ。
「別に、サトルの銃貸してもらってたし、それなりに練習もしてたから」
 こともなげに言う。嘘だ。自分に言い聞かせる――息が詰まる。
「あなたを殺してから、そこから飛び降りるなりして死ねば良い」
「それは無理だから。そこにいるでしょ」
 ミカは警備員を指差した。
「死ななかった方を徹底的に保護し続けるようにしといたから」
「しといたって――」
 私は警備員を見た。眼に光が宿っていない。私は――それ以上考えるのを止める。周りを見回す。警備員たちが取り囲んでいる。どこにも逃げられそうにない。
「さあ」
 歌うような声。
「さあ」
 私は

          <a>


 銃口を――眼の前に向ける。息を吸う。
 頭の中で銃を撃つ手順を思い出す――安全装置は、確かここだったはず。押し上げると、軽い音。
「本当にいいわけ? あなた、死ねなくなるけど」
「命乞い?」
 笑いながら命乞いをする者などいるものか、と思いながら言った。少し恥ずかしいなと思った。
「別に」
 あとは、引くだけ。ただそれだけで、殺せる。
 自分の指が、限りなく重くなったような気がした。
 不意にミカが口を開いた。微笑して、その鮮やかな色の唇を動かして。
「ねえ」
 その声に、身体、それから何かが反応する。
「黙って――!」
 引き金を引いていた。重かった。耳をつんざく爆発音が静かな部屋に響いた。反動で逆側に身体が動く。バランスを崩した。世界が反転した。ここは――螺旋階段の上。スピードがついて止まらない。転ぶ。段差が身体を打った。おそらく連続するだろう痛みに身体が覚悟を決めた瞬間、不意に身体が掬われた。閉じていた眼を開ける――
 表情のない瞳。そして、警備員の制服。
 息を呑み込んだ。手探りで銃を探していた――取り落としていた。
 また静寂が戻った。
 立ち上がろうとして、視界の隅に、横たわる身体を捉える。痛む身体をなんとか動かして階段を昇った。警備員の気配が周囲にまとわりつく。ミカのもとに近づく。動かない――当たったらしい。鮮血が飛散して、場が赤く染まっている。距離が遠いわけではなかったが、一度も撃ったことにないのに当たるというのは、――少しずつ身体の熱が引いていく――希少なケースではないだろうか? 私は首を振った。わからない。
 立ち尽くしていた。空気中に幾多もの小さな針が渦巻いていて、私を少しずつ蝕んでいるような気がしていた。引き金を引いた指先はまだ痺れていた。心臓が跳ねていた。硝煙の匂いが鼻腔を痛めつけていた。
 私は人を殺した。
 どうしてこうなってしまったのだろう? 自分が死ぬつもりで来たのに、どうして殺しているのだろう?
 何も、音がしない。

          <b>


 銃口を――こめかみに当てる。息を吸う。
「憎くない?」
 私は何も答えない。
 頭の中で銃を撃つ手順を思い出す――安全装置は、確かここだったはず。押し上げると、軽い音。
 今まで生きてきたなかで、自分が遺せたものは何だっただろうか。
 ――読者への裏切りに加担するイラストと、出来の悪い口絵――考えるのを、止める。
 ヒールが硬い床を打つ軽い音がよく響いていた。ミカが、階段を下っている。
「そんなに、死にたいわけ」
 私は頷こうかと思う。でも、何故か癪に思えてくる。
「死んじゃえば、全部終わるから」
 切れた線も、私のなかの焦げ痕も、すべて終わって、後には抜け殻だけが残る。本当は抜け殻も消せたら、もっといいけれど、残留するものが何ひとつとしてなくなってしまえば、いいのにと思う。
 ミカの気配が、近づく。
「憎くない?」
 質問が繰り返される。少しだけ声色が変わって、挑発するような感じになっている気がするが、どうでもいい。
「――別に」
 そう答えると(嘘だ)、
「私は憎かった、あなたのことが」続けて彼女は私の名前を言った。「ここでの生活、どんなだったかわかる?」
「わからない」
「何もすることがなかった」
「で?」
「あなたは仕事をしていた」
「それだけ? そんなのほかにもたくさん……」
「それだけ」
「本当に?」
「本当に、――それだけだけど、どうしようもなく憎かった」
 腹部に痛みが走る。――蹴られたとわかったのは、二発目が襲ってきてからだった。銃を奪う気だとわかって、必死で握り締める。しばらく揉み合いになった――といっても、こちらに残されたのは左腕だけで、ろくに抵抗も出来ない。ただ一方的に攻撃的だ。やがて銃を奪われる。何をしているのだろう、という思いが頭をよぎる。
 今度はミカが、銃を自分のこめかみに当てる。奪い返そうと手を伸ばすが、みぞおちに蹴りが入り、全身から力が抜けて、その場に膝から崩れ落ちた。頭痛がする。
 荒い息遣いが響く。
「<クロノス・エンド>とか、結構好きだったけど」
 どこかで聞いた名だ、と思いながら、黒へ落ちた。同時に、何かが降りかかってくる感触を覚えた。

 <クロノス・エンド>は私が最初にイラストをつけた、ジュニア向けの小説のシリーズタイトルだった。結局売れずに、三巻で打ち切りになった。それからそこそこ売れるようになってきて、このシリーズのことは忘れかけていた。
 そのことに気付きながら目覚めると、鮮血と死体がそこにあった。警備員の双眸が何の意志も含有せずに私のほうを見ている。
 音はしない。

          <収束>

 一人の女性が赤に染まった屋敷から、警備員の制服を纏った男とともに出て行く。そして、一体の死体が残される。しばらくして、階上から、一人の少女が死体に近づく。おかあさん、と少女は言った。
 少女は死体に触れる。血が、彼女の手にこびりつく。彼女はそれを舐めた。それから、未だに流れ出る血を手で掬って、胸元にこすりつけた。垂れて、身体を滑る。そして、自分を抱き締める。
 少女は扉の方を見た。散乱する硝子の向こう。母親と女性が向かい合い、そして銃声がして、母親が倒れこむところを、彼女はしっかりと見た。女は、硝子の向こうに消えた。それも、少女は見ていた。
 少女は歩き出した。喪失を身体に刻み込んで、
 復讐の為に。
 
 終わらない。

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