『はじまりのエトランジェ』

 そう、物語るのに手頃な奴が居る。彼をちょいと物語ってみようか。
 彼は今丁度「終わり」に辿り着いたようだ。彼の辿る道筋に、もはや不定はなくなった。物語るには丁度良いだろう。
 物語を始める前に、少し彼の現在を記述しておこうか。彼はいま「終わりの場所」に辿り着いた。そこは常に晴れで、暑くなく寒くなく、動植物が多種多様な生態系を築いている。彼が望めば欲しいものが現れ、それは尽きることがない。そこは楽園。そして、楽園の名は「停滞」。
 もはやここに至った者は、誰であろうと新しい物語など生み出せはしない。だからこそ、此処は彼らエトランジェにとっての終わりの地なのさ。
 彼がどうして旅人になったのかって? そうだな。そこから語ることにしようか……。

 彼は、日本という国の一地方都市に生を受けた。東北地方の生まれだ。冬ともなれば雪が全てを覆い隠してしまうような、そんな所だ。
 そんな所だから、彼が十七才になった年の酷暑は、ニュースになるほどの異常事態だった。気温が四十度をあっさりと超えて、五十に手が届きそうだった。
 揺らぐ街並み。立ち上る陽炎。滴る汗──は落ちる前に気化する。異常な気温は、彼から現実感を奪ってしまった。
 ──それが奈落への第一歩。

 聞いたことがあるかもしれない? こりゃ、参ったな。もしかしたら話をする順序を間違えたかもしれない。え? それでもいいから続きを言えだって? わかったわかった。そんなに言うならそうしよう。

 彼は暑いのが得意ではなかった。できる限り薄着をしてるったって、まさか全裸になるわけにゃいかん。彼は相当参っていた。もちろん、そんな日に外に出るというのが彼にとってどれほどの自殺行為かを認識しているのは、もちろん当の彼自身だった。……それでも彼は外出したわけだね。まあ、なんだ。人の世には忽せにはできない柵と言う物がある訳なんだね。うん。
 さて、有り体に言って彼はぶっ倒れる直前だった。死を恐れる本能は水分の補給と避暑を彼に命ずる。しかし、不運なことに、そのころまでには道にあるアイスボックスや自動販売機は無残にも略奪されつくしていた。ま、当然の帰結だね。
 そうなればすこしでも過ごしやすい所にいかなきゃならん。彼は必死に探したね。必死か必至か。いやむしろこのままだと必死が必至と言うべきか? え? 言葉じゃ何が違うのかわからないって? そりゃそうだ。
 彼は路地を見つけた。暗く、影になっていて、いかにも涼しそうだった。全力でそこに飛び込み、一息つく。予想通り、そこは涼しかった。
 彼はその意味をもっともっとよく考えるべきだった。とはいえ、無駄だったろうけどね。運命からは誰も逃れられない。それでも、足掻いてみることは大事だと思うわけさ。私はね。
 彼がその路地の奥まで行ってみようなんて気紛れを起こしたのは、暑さで頭がおかしくなってたか、この涼しい路地から立ち去る気になれなかったからだろう。
 路地の奥には、何の変哲も無い塀と、扉があった。
 塀に扉がついていること自体は、それほどおかしくは無い。しかし、それが重厚そうな鋼鉄製ともなればちょっと事情が違ってくる。現代日本にそんなものがあるというのはおかしい。
 彼がそこまで考えたかどうかはまったく定かじゃないね。なにしろずいぶん前のことだから、彼自身記憶があやふやになってしまってるんだ。暑さでちょっとアレな気分だったかもしれないし、見慣れないものを見て好奇心が疼いたのかもしれないね。そこらへんは妄想で補うしかないわけで。
 とにかく、彼は扉へと近づいていった。
 近くで見れば見るほど、ヘンな扉だった。いくら路地の奥、どん詰まりにあるって言ったって、冷機が立ち上っているのが目で見えるくらいに冷えているのは明らかにおかしい。
 正直な話、彼はここで引き返すべきだったんだ。え? そうするとお話が終わってしまうじゃないかって? 違うよ。それは違う。お話は終わらないよ。ただ、変わるだけだ。君の知ってるお話と違ってつまらないかもしれないけど、彼の日常。それもまたひとつのお話ではあるんだから。
 ──まあ、とにかく彼は引き返さなかった。扉に触れ、冷えた鉄の冷たさを存分に味わった。ここまで来ればもうどうしようもない。すっかり術中に嵌ってしまったも同然だ。
 案の定、彼はこの扉の向こうがどうなっているのかを知りたくなった。
周囲にまったく物音はせず、まるで世界に自分しかいないかのような感覚に襲われる。ただ、扉を開けようとするだけなのに何かとてつもない重罪を犯そうとしているかのような気分になる。そんな弱気を振り払うために頭を大きく振るい──それでも振り払いきれずにゆっくりと、ごくごく少しづつ扉を押し開けた。

 ここで彼の運命は決まった。

 彼が見たのは、塀の向こうの路地ではなく、無骨な灰色のトンネルだった。アーチ型の天井、一定間隔で置かれた黄色の照明。まさにトンネルそのものだった。
 目の前に広がった光景に呆然とする彼。しかし体は勝手に動いて彼を扉の中へと引きづり込んでゆく。
 ……世界の扉を開けてしまったものに、逃れる術などありはしない。それがたとえ私だろうと、君だろうとだ。
 
 背後で扉の閉まる音も聞こえぬまま、彼はおぼつかぬ足どりでトンネルの奥へと入ってゆく。


 彼が意識を取り戻したのは、トンネルに入って暫くしてからだった。

 ……うん? 正確な時間はわからないのかって? 勿論わからないけど、そう長くはないと思うよ。せいぜい三十分程度じゃないかな。どっちにしろ、時間がわかったところでこの物語には何の関係も無いんだからさ。
 意識は戻ったけれど、体の制御は少しも戻らない。頭もまるではっきりしない。この行く先に何が待ち構えているか不安はあったけれど、現実感はカケラも無かった。彼は心のどこかで「これは夢だ」と思っていたんだ。もちろん、夢なわけがない。

 彼の意識が目覚めてから、どれくらいの時が経っただろうか。一定間隔で置かれる照明と、変わり映えのしない景色に彼は軽い催眠状態にかかっていたから、そこのところがよくわからなかった。
 彼の催眠を吹き飛ばしたのは、彼の進行方向から響いてくる乾いた音だった。靴の踵か杖かは判らないが、なにか硬いものを打ちつけている音がする。その音はみるみるうちに近づいてきた。どうやら向こうもこちらに向かって移動しているらしい。
 ほどなくして、その音源が視界に入る。それとともに彼は、これはやっぱり夢なのだと確信した。

 そこにいたのは老人だった。少なくとも彼にはそう見えた。
 濃い紫のフードに隠れ、容貌は伺えない。ただ白い髭だけが見えていた。右手には杖が握られているが、奇妙に捻じ曲がっておりこの上なく扱いにくそうだった。
 老人は慎重に杖を操って一歩一歩近づいてくる。顔を俯けているせいかいまだ彼の接近には気づいていないようだった。
 彼がもうすぐぶつかってしまうのではないかと心配し始めたころ、老人はやおら歩みを止めた。彼も同様だ。
 老人は自分がなぜ止まったか解らないといったように、下を向いたまま幾度も首を振った。

 彼は声をかける「こんにちは」
 老人は驚いて前を見、そして答える「やれくそ、こいつは驚いた!」

 彼はごく自然に手のひらを前に突き出す。
 老人もまた、なんの躊躇いもなく己の手のひらを合わせる。
 すると、彼の中に無数の情報が流れ込んできた。それらはあまりに膨大すぎて映像としても音声としても──おおよそ人が感覚できるものとしては捉えることができなかった。あまりの多さに体が軋む。痛みを感じることもなく彼の肉体は追い詰められていった。とにかくこの負荷を一刻も早く取り払わないと自分がどうにかなってしまう──。
 彼がそう思った瞬間、すべては終わった。

「え……?」
 呟いた自分の声が反響し、思いの外大きく響いた。意識ははっきりしすぎるくらいにはっきりしている。これが夢だとは到底信じられない。
 だが、これが本当ならば──この状況は一体、何だ?
「やれくそ! こいつは本当に驚きだ! ──お前さん。ここにはいつ来なさった?」
 老人の甲高い声に気後れしながらも、彼は答える。
「え、ええっと……。いつからなのかは……正直ちょっとわかりません」
「判らないって!?」
 老人は、先ほどの質問の時よりもさらに一オクターブほど高い声を上げた。
 彼は自分の答えが老人の不興をかったのではないかと冷や冷やしたが、老人は純粋に驚いているようだった。頭を小刻みに振るいながら彼を見やる。
 しばしの後、何かに疲れたようなゆっくりとした力のない声で言った。
「やれやれ……。お前さん、よっぽど悪運が良いに違いないな。どうだい? わしと一緒に来ないかね? お前さんが疑問に思っとることは全部説明してやろうじゃないか」
 そう言われては、彼に否があろうはずはなかった。

「お前さんはな。世界から放り出されたんじゃよ」
 老人はそう言って説明を始めた。
「お前さんがどんな考えの持ち主かはわからんが、世界ってのはいくつもいくつもあるんじゃ。それこそ数え切れん位にな。そして各々の世界は、他の世界を知りたがってるらしい」
 老人の表情はほとんど動かず、老人が嘘をついているのかどうかは彼には読み取れなかった。
「世界は一人の──これはわしと同じ世界の住人にいまだ会ってないから言えることで、はっきりそうなのかはわからないが──人間を送り出して、他の世界を探らせる。それがわしやお前さんじゃ」
 何か喚こうとする彼を制し、老人は説明を続ける。
「お前さんにここがどういう風に映っとるのかは解らないが、世界から世界への移動はここのような長い一本道の通路を伝って行われる。その途上でほかの人間にあったなら、先程のように手のひらを合わせて情報を交換する。わしが初めてあった他者はお前さんだから断言はできないが、もしかしたら人間以外のものもいるのかもしれないがな」
 彼はそこで疑問を覚えた。他者と会うのが初めてならば、なぜそんなことが解るのか? 一体誰に教えてもらったのか? 彼はその疑問を老人にぶつけたが、老人は。
「そのうち解るよ」
 と言って笑うばかりだった。

「他の世界では、わし達は邪魔者になる。その世界に住んでいる生物の目からは見えなくなるんだ。まあ、時折気配を感じたりすることもあるようだがな。同様に、その世界の生物の手が入った食べ物や器物なんかは触ることができない。食べたり飲んだりできるのはあくまで天然の自然物に限られてしまうんだ。一応、例外はある。その世界の生き物に許しを貰った物ならば、手が入っていても食べたり飲んだり扱ったりすることが可能だ。……わし達を感じることができる人間がほとんどいない以上、役に立たない例外だがな」

 疑いの目で見る彼に向かって、老人は笑いかける。
「なあに、すぐに判るさ。……こっちはお前さんがやってきたほうだろう?」
 彼は頷く。
「もしわしの話が全部与太だとしたら、そちらに向かえばお前さんは無事に自分の世界に戻れるはずだ。この道は一本しかないんだから。そうじゃろ?」
 彼は、老人の言っていることに矛盾がないと考え、老人と供に元来たほうを進み始めた……って、なんだい? お話に意外性がなくてつまらない? 意外性って言われてもね……。君、もしかしてRPGなんかで意味もなく岩を調べたりとか、三択だって言うのに四つ目の選択肢を選んだりとかするタイプ? 嫌われるよ?
 あ、ああ、ゴメン。泣かせるつもりじゃなかったんだけど……。話、続けるよ?

 彼と老人は歩み続ける。  
 特に話すこともなく、重苦しい沈黙が二人を覆っていた。いや、正確には浮かない表情で沈黙しているのは彼だけであって、老人はどことなく愉快げに彼を観察していたが。
 どれほどの時が経ったのかは判らないが、彼らは扉の前に立っていた。入ってきたときと変わらない鋼鉄製のがっしりとした扉である。
「ほれ、開けんのかね?」
 老人が声を掛ける。彼は意を決して扉を押し開いた。

 そこは、廃墟だった。
 彼の世界ではなかった。

 見渡す限りに残骸が打ち捨てられている。無残にも折り砕かれたビル郡が、お互いを支えあって奇妙なオブジェを形成していた。
 そして、その残骸の間を蠢く異様な化け物の群れ。その中をはしっこく駆けずり回る影。

 ──遠い昔に隆盛を極めた一族の文明はすでになく、残ったのは異形の落とし子のみ。
 ──生き残りは少なく、知識も力も忘れ果て、異形に狩られ、それでもなお力強く生きる。

 そこは、そういう世界だった。

 老人は感慨深げに髭を扱きながら呟く。
「これはまた……難儀そうな世界じゃないか。初回からこれとは、お前さんつくづく悪運が冴え渡っとるの」
 そんな老人の軽口など、彼には聞こえてはいない。目の前の事象を否定しようと自身の中の常識にすがりつく。
 だが、それがなんの役に立つだろうか?
「信じるものは自分のみじゃよ。……そら、行ってくるがいい」
 老人は彼の体を押した。たいした力を篭めたとも思えぬのに、彼の姿は割合あっさり前へと倒れていく。
「えっ……うわっ!」
 彼の体が全て扉の外に出たと思った瞬間。目の前の風景は扉ごと掻き消えてしまった。後に残ったのは、先ほどのとはまた趣の違う扉だった。まるで血管のように木の根が絡みついた翡翠色の扉。
「それで、わしはこんなイロモノばかりかね。まったく……」
 溜息をつきながら、老人は扉をくぐる。

「まあ、縁があったらまた会おう、若人よ」

 一方、扉をくぐった彼はというと、瓦礫の上に寝転がったまま微動だにしていなかった。
 そのそばを異形たちが次々と通り過ぎてゆくが、彼には気づかない。
 ……別に、現実感のない光景に惚けていたとかそういうことではない。

 自分の頭の中で、老人の言ったことが真実になってゆくのが、ただ恐ろしかった。

 あの通路の中ではたんなる知識だったものが、確かな実感を伴って頭の中に染み込んでいく。
 それが恐ろしい。どんなに心が否定しようとも、この非現実な光景は全て本当のこととして記録されてしまっている。
 壊れることなく、受け入れられる。
 何よりもそれを信じたくなくて、彼はそこを動けずにいた。動かないでいれば夢に変わるんじゃないか? そんな希望を捨てきれぬまま。

「しかし、腹は減る……」
 そんなことを呟きながら、割合あっさりと起き上がる彼。
 自然物でなくば食べることができない彼にとってここは地獄のようなところだ。彼は瓦礫を乗り越えながら、食べ物を求めて放浪を始めた……。

「とまあ、これが彼が放浪を始めたきっかけだ」
 膝に開いていた本を両手で閉じながら、男は言った。
「それがあそこにいる人?」
 男の前で物語を聞いていた少女は、部屋の窓を指差して訊いた。
「そう、彼さ。彼がたどった道筋は既にこの本の中に納められているよ」
「ここはお終いの地なのよね?」
「そう、ここはお終いの地。放浪者達が旅の終わりに流れてくるところ。彼らがたどった軌跡は皆ここに納められるのさ。そしてそれは、僕が全て記憶している」
 その言葉に、少女は首を傾げて問う。

「ここでおしまいで、ここより先には何にもなくて、それなのになんで憶えていなくちゃならないの?」
 男は瞬間、答えに詰まる。
 君に聞かせるためだ……。と答えようとしてやめる。

「誰かが憶えていなくちゃ、可哀相じゃないか。そうだろう?」

「うん……。そうかもしれないね」

 彼の物語はまだまだ在るが、それはそれで、また別のお話──。


                                       了

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