『眼鏡っ子を生み出す日本語』

著/言村律広

 眼鏡について、何かコラムを書くというのが、どだい無理な話である。
 無理だけども、何か書こうと思ったら、それはもう、藁にもすがる思いで、よくあるネタ探しの方法というヤツを試してみるしかない。例えば、外に出て歩き回るとか、ネットで検索してみるとか。あとはまあ、漫画やアニメの眼鏡な人を見てみるとか、とりあえず世界の中心あたりで「眼鏡っ子萌えー」とか叫んでみようとしてやめるとか。
 そんなことをしても何も思い浮かぶはずもなく、とりあえず私の知りうる限りの言語の辞書を引いてみた。
 まずは英語だ。glassという項の中に、複数形の訳語として眼鏡とあった。ここで注目しておきたいのは、単数形でのガラスや望遠鏡や鏡といった意味の延長に眼鏡が位置するということだ。
 次はフランス語だ。大学一年のときに講義を聞いた縁で辞書を持っていたので引いてみたところ、眼鏡はlunettesと出てきた。読み方は無理にカタカナで書くとすればリュネットとでもなるか。フランス語では複数形のsは発音しないそうだ。で、この単語の単数形はsをとればできるわけだが、意味は望遠鏡や丸い穴だそうだ。ガラスやら鏡やらはどこにいったかというと、それぞれverreとglaceとなる。前者はヴェールとでも読むのだろうが、ガラスやレンズといった意味をもつ。後者はグラスというような読みで、鏡のほかに氷やアイスクリームまで表すそうだ。ここでも注目すべきは、眼鏡が覗くための穴のようなものの複数形として位置する点だ。
 次にいってみよう。エスペラント語だ。これは趣味で始めたばかりなのだが、非常に規則がはっきりと作られており、分かりやすい言語だ。というのも、ご存知の方も多いことだろうが、ヨーロッパの複数の言語を元にして一八八七年にポーランドの眼科医ザメンホフ氏によって作成された人工の言語だからだ。ヨーロッパにある言語のエッセンスが詰まっているといっても良いだろう。それで、このエスペラント語で眼鏡を表すのはokulvitrojという単語だ。読みはオキュルヴィトロイとでもなるか。この単語は複数形で、単数形は私の調べた辞書には載っていなかった。
 ここで簡単にエスペラント語の規則を紹介しよう。okulvitrojの最後のjは複数形を作るときに付けられる。この読みはイなのだ。そして名詞はoで終わることになっている。ほかにも形容詞か動詞かが語尾で分かるようになっている。
 ではエスペラント語においてガラスを表す単語は何かというとvitroと出てきた。もう一度、眼鏡を表すエスペラント語を見てほしい。後半にガラスと同じスペルがあることが分かる。では、前半部分が何を表すのか調べてみようではないか。okuloが目を表すそうだ。目とガラスの組み合わせでエスペラント語の眼鏡はできていたのだ。
 最後だ。日本語の辞書を引こう。眼鏡の項には、物としての眼鏡の説明のあとに、俗語として「物を見分ける力。目利き。鑑定」という意味が記してあった。その辞書の用例に出ていたように「眼鏡違い」や「眼鏡が狂う」という使われ方をする。
 そう。ここへきて、いよいよ眼鏡は、ただのガラスから、人間を表すに到った。
 人間を表すというのは正確ではないかもしれない。物を見分ける力なのだから、人間の能力や技能を表すことになろうか。しかし、では「眼鏡にかなう」では如何だろうか。この語にはもう既に眼鏡を通り抜けたその先の人間を表し、その人に認められることを意味する力しかない。換言すると、日本語の眼鏡には、人間を表す表現力があるのだ。
 おっと。そうそう日本語だって眼鏡は眼と鏡の組み合わせじゃないか、という反論もあるだろうから、和英辞典を引いてみよう。研究社のライトハウス第三版では、眼鏡の項に「彼は社長のめがねにかなったらしい」という例文があり、これを「He seems to have found favor with the president.」と翻訳している。ここにglassesは存在しない。眼鏡という一つの単語をみても、外国語と日本語では、これほど意味に開きがあるということを、読者諸氏には是非とも知っておいてほしい。単語同士が一対一に意味を対応させているはずがないのだ。外国語を勉強する際には留意すべき点である。
 日本語において眼鏡はきわめて人間に近いところにある。髪型や目鼻立ちと同じく、眼鏡を掛けているかどうかで人の特徴を示すこともある。そういえば、眼鏡を掛けていると知的に見えるなんてのは、眼鏡という単語が人間の能力をも表すからではなかろうか。
 こうした、ほかの言語とは異なる、人間と眼鏡の意味的な重なりから、「眼鏡キャラ」「眼鏡っ子」は生み出されたと言えるのではと私は考える。つまり、日本文化を支えてきた日本語において既に、眼鏡キャラは息づいているのだ。
 結論を述べよう。眼鏡キャラ、ひいては眼鏡っ子には、日本文化の粋がある。世界で他に眼鏡キャラという分類が存在する場所があるとしたら、その文化圏で使用されている言語の意味する眼鏡も、人間をも表す力を持った単語に違いない。

| トラックバック (0) | コメント (0)

この作品をはてなブックマークに追加はてなブックマークで感想を書く