◆ 編集後記 ◆

 さて、困りました。特に書くことがありません。なので、秋山について書いてみようと思います。秋山は看板に偽りのある男です。何故なら、暇人を名乗っているのに渠は暇ではありません。むしろ多忙です。忙殺されています。だから、暇人ちゃんの言うことを信じてはいけません。特に、「暇人です」と言い出したら、「うそつき!」と罵るべきです。みんなもそうしてください。  校正班長として、校正人間になる。頑張る。だから、みんなも初校頑張ってください。僕が言えるのはそれだけです。みなさま、おつかれさまでした。これからもよろしくね。

『回廊』校正班長 もにょ 拝

 それは、読者の方々から寄せられたメッセージが全ての発端でした……。 「回廊がWEB上でも読めるようになればいいのに、てかダウンロードするのめどい」  その言葉にしたたかに反応した人物がいました。かの秋山真琴であります。 「踝さん、こーなったらデザイン全取っ替えしませんか?」  ……え?  気がつくと、以前のデザインを踏襲しつつも、また新たな可能性を生み出したような気もなきにしもあらず、という奴です。WEBデザインの難しさを改めて感じました。  さて、新フォーマットが出来たからといってこのまま安穏としているわけにも行きません。なぜなら『回廊』は進化し続けているからです。自分でもどのような方向に転がっていくのか、楽しみでなりません。

『回廊』編集班HTML版部門長・コラム部門長 踝 祐吾 拝

 というわけで(どういうわけだ?)読切短篇担当をやらせていただきましたキセンです。小説書きとしての能力もろくすっぽないままに編集という立場で小説を読むことになって、自分がもっとも気を付けたのは、『作者の意図をできるだけクリアに読者に伝える』ようにする、ということでした。このような形態で作品を読者に届けるうえで、もっとも不幸な事態は、作者の意図が読者へと伝わらず、誤解されてしまうことだと自分は考えます。「わかってくれる人だけわかってくれればいい」という余裕は現在の「回廊」では残念ながら持ちえないものだと思います。ひとりでも多くの人に「わかってくれる」ように書き、書き手と雑誌の実力を読者に「わかってくれる」ようにすることが、現在の「回廊」にとって必要だと思います。そのために自分は微力ながら力を尽くしました。自分の行動が少しでも作品の出来に寄与できたのなら、それに勝る喜びはありません。あ、あとTXT部門長でもありますんで、こう、いいように活用してください。

『回廊』編集班TEXT 版部門長・読切短編部門長 キセン 拝

 未だに『雲上』編集長が『回廊』編集後記を書くのが不思議です。  あと、最近は次の『雲上』編集長を探しています。  それと最近、自分は『雲上』の編集長なんだという気がなんとなくしてきました。  まあそんな気のせいな日常の中に、第五号では眼鏡という峻烈を突きつけられ、ようやくここへ至り、実は編集後記を書くことは編集したという過去の事実を作っていることで、書き進めれば自在にその記憶を書けるわけで、全て私がやったとも『回廊』なんて知らんとも書けるが、全か無かというのはデジタルという断絶であるためアナログ的な連続を求めるならば、まず認知器官の精度を極限に高めなければならないが、極限とはいつまでも目標に近付こうとすることで、到達できない隔絶に悲しみ眼鏡を濡らすことに気付いたとき、果たしてデータのままで第五号の眼鏡は眼鏡たるのかといえば否と答えざるをえず、すなわち印刷して楽しんでは如何かと思う次第です。

『回廊』メールマガジン『雲上』編集長 言村律広 拝


 感想宣言を経て、激的な変化を遂げたのは、実は他の誰でもない、この秋山ではないだろうか。ふと、そんな幻想をコンクリートに焼けた、蝉の亡骸を見やりながら思った。  『回廊』を始めてから、秋山は大学に入り、自分専用のパソコンを手に入れて、新しい家に引っ越して。様々な変化があったように記憶している。しかし、そのいずれも第四号から第五号に至るまでの変化に比べれば些細なものだろう。具体的に端的にその変化を述べると、秋山の心中に情熱が再燃し、しかもそれが以前よりも激しく燃え盛っているのだ。  『回廊』とは何の関係のないオフ会に行っても『回廊』の話をして、秋山の参加していないオフ会でも『回廊』の話がされ、初対面の人が『回廊』を知っていて、共通の話題で話が出来る。この変化は大きい、とても大きい。どうやら予想以上に秋山という存在が周囲の注目を受けているようだ。想像以上の知名度があるらしい。あるいは、思春期の少年少女が自らの特殊性を盲信するのではなく、現実に秋山は特殊なのかもしれない。こんな雑誌を一年以上も続けてしまえるぐらい。  また、最近になって参加者が増えてきたように感じる。公式サイトに設置してあるメールフォームから「『回廊』に参加したいです」という旨のメールが、以前に比べれば考えられないぐらい届くのだ。一番驚いているのは、他の誰でもない秋山だと、不思議な自信を持って断言できる。 「君が光れば、全てが輝く」  この言葉は秋山が好んで誰かに贈るものだ。色紙やギフトカードに何らかのメッセージを書くときは、この言葉を用いる。  或いは、今。秋山は光っているのかもしれない。そして、『回廊』は輝いているのかもしれない。


 自分の雑誌に自分の作品を載せるのは、あまり好ましいことではないと思っていたが、少し考えが変わった。次号は載せてもいいかもしれない。


『回廊』編集長 秋山 真琴 拝

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