『ミサイル・ライブ』

『ミサイル・ライブ』

著/恵久地健一

原稿用紙換算70枚


 目標、悪魔。
 目標、敵国。
 目標、敵軍本部。
 五、四、三、二、一、発射。

 宇宙と惑星を分ける境界、成層圏上空の衛星軌道を単独で回遊する巨大な鉄の魚。黒く長い艇型からモンストロ(黒クジラ)と通称される──ミサイル艇『M―ルナルド号』。
 たった今、その船尾から射出された白い魚のフン。否、白いミサイルは巨大なマッチ棒に似ていた。先端は楕円形の弾頭。そこに推進部となる細長い胴体が繋がる。ただし、炎が出ているのは最後尾についた皿状の噴射ノズルからだ。
 燃えさかるバーミリオンの炎を吐き出し、純白のボディをしたミサイルは漆黒の宇宙と青い惑星の間に生じたラインを貫き、放物線の軌道を描いて飛行する。
 やがて、目標上空へ到達したミサイルは弾頭部を切り離し、推進部の胴体はそのまま宇宙へ残り、勢いよく剥がれ落ちた楕円形の先端がラグビーボールのように惑星の地表を目がけ垂直に落ちていく──タッチダウン。

 軌道制御コンピュータ、覚醒。
 至上命令、「敵軍本部を爆撃せよ」

 青い空を切り裂いて落下する流線型の弾頭は、白い楕円形の外見がアヒルの卵に似るところから、また、水面に潜る水鳥が真っ直ぐ獲物に向かう姿を指し、王立正義軍内ではダックと呼ばれる。地表へ落ち、内包した大量の死を撒き散らす卵──『ダック♯1』。
 その内部で、軌道制御コンピュータに搭載された人工知能が目覚める。ダックは自らの意志で落下軌道を修正し、爆撃地点までピンポイントに誘導する。システム内に衛星上から撮影した敵軍本部の映像が記憶され、それと弾頭カメラに映し出される映像が、ピタリと重なる地点を爆撃する。起爆剤に核を使用しない非水爆式弾頭だが、敵軍本部さえ確実に破壊できれば無駄な破壊力は必要ない。
 敵軍本部も大慌てだろう。地対空ミサイルで迎撃しようにも、音速を超える速度で落下するダックを捉えることは難しい。座標を計算している間に、その地点をすっ飛んでいく。
 だが、無駄玉を撃つほど敵軍も無能ではない。基地を捨てて逃げるか、それとも必死に抵抗するか。抵抗するつもりなら、有効な手段は妨害電波によるジャミングだ。軌道制御コンピュータによる精密誘導を狂わせ、落下軌道をずらし、上手くすれば起爆コードへ割り込んで、弾頭を自爆させることもできる。
 はたして、敵軍は逃げずに抵抗する道を選んだらしい。
 そら、必死の形相をしたジャミング波が、やたら拍子に飛んでくる。

 軌道制御コンピュータのシステム内に宿る男性型人工知能デューイは、飛び迫るジャミング波を緊張した状態──コード不明の電波を大量に解析することで処理が重くなる状態──で迎え撃つ。
 解析を終え、正体を見破られたジャミング波は、デューイの目に異形を持つ小悪魔の軍勢として映し出される。
 影絵がそのまま立体化したような小悪魔たちは、それぞれ同一の姿を持ち、体つきは二足歩行する黒いトカゲ。コウモリの皮膜で覆われた両翼を背負い、漁師のような三叉の槍を手にしている。
 空が黒くかすむほどの群体を成す小悪魔たちは、次々と弾頭へ飛びつき、その表面を蝿のごとく動き回り、呪詛に似た妨害電波を口々に送りこむ。
 強制命令──「自爆せよ、自爆せよ、自爆せよ、自爆せよ…………」
 そして、小悪魔たちは目の穴から、耳の穴から、命中精度を上げるためにつけられた外部センサの穴という穴から、内部へ侵入していく。

 システム回路の処理速度は、およそ光の速さだ。亜光速処理されるデータの流れに乗る小悪魔の軍勢は、音の速さで落下する弾頭よりも速く通路を疾走する。まるで破壊された巣から這い出る黒蟻の群れ。小悪魔たちが目指すのはデューイの守るメインシステム。
「行かせるかっ!」
 デューイは必死に防御プログラムを作動させ、小悪魔たちの侵入した通路を次々に封鎖していく。中世ヨーロッパの地下牢に似た太い鉄格子の扉が、ガン、ガン、ガンと降りそそぎ、小悪魔たちの侵攻を阻止する。
「よしっ!」
 と、歓声を上げたが、それも束の間。鉄格子の先に逃れた一匹の小悪魔が手にした三叉の槍で通路の壁を突くと、その壁から新たな小悪魔たちが生まれる。
 システム内に作られた通路や壁は、すべてデータの固まり。そこへ侵食し、自らのコピーを生産する。小悪魔たちは伝播する悪性のウィルスだった。

 光の速さは一秒間に地球の円周を七周半まわる。すなわち、地球が一日かけて自転する距離のおよそ七倍。日数を距離として考えれば、それは神が天地創造に費やした一週間の長さにも匹敵する。
 亜光速処理される極小の時間内で、神の領域に踏み込んで展開する攻防。
 だが、その結果はデューイの抵抗もむなしく、小悪魔の軍勢を借りたジャミング波は圧倒的な力で通路を踏破し、メインシステムを守る城塞へ到達していた。
 小悪魔の軍勢に立ちはだかる最後の防衛線は、城塞の入り口を守る巨大な城門だ。柱のような極太の木材を隙間なく並べ、一枚の大きな扉を作り、その表面は金属の補強材で覆われている。
「さあ、来いっ!」
 デューイは城塞を守る青年騎士の姿として、ただ一人、城門の前へ立つ。右手には閉じた傘を引き伸ばした形の突槍、左手には盾、全身に板金を帯びた鎧。
 だが、多勢に無勢だ。いくら彼が優秀な人工知能とはいえ、一人で小悪魔の軍勢を止められるはずもなく、あっけなく黒い奔流へ飲み込まれる。
 デューイの繰り出す突槍が小悪魔たちの手にする三叉の槍に弾かれ、口を広げた小悪魔の牙が板金鎧の上から肩へ食い込み、そのまま押し倒される。さらに小悪魔たちはコウモリの両翼を拡げ、たやすく城門の前まで飛び越していく。
 しかし、さすがの小悪魔たちも堅牢な扉に足止めを食わされた。だが、それも時間稼ぎにすぎない。食い止めることはできても、小悪魔たちを消去することは不可能だ。落下する弾頭が敵軍本部を破壊するまで耐え抜くしかない。
 倒れたデューイは小悪魔の鋭い足爪に踏まれる頭を両腕で守りながら、必死に外部センサを確認する。いまだ弾頭は敵軍本部のはるか上空に在る。
「早く、早く、早く、早く!」
 彼の焦りを乗せ、轟々と風を切り裂く音が、祈りのように流れていく。
 
 やがて小悪魔の軍勢は扉を破壊し、雪崩の勢いで城門の奥へ侵入する。
 城塞の形に築かれたメインシステムの内部は、床一面に赤いカーペットを敷いた美術館の展示室だ。整然と並ぶ四角い展示台の上に重要なデータやプログラムが置かれ、透明なガラスケースに保管されている。小悪魔たちは見学時間のないツアー客のように展示台の間を駆けめぐり、片端から覗き込んでいく。
 そして、ついに小悪魔の一匹がそれを発見した。中央へ置かれた展示台の一つに『起爆コードです』とラベルの貼られた赤いボタンが、ガラスケースに収められている。発見した小悪魔はガラスケースを破壊し、鋭い爪の伸びた指の一本で迷わず赤いボタンを押した。

 起爆コードを受けた雷管の先に小さな電撃の火花が咲き、弾頭の中に搭載された大量の火薬とガスへ引火し――爆発、爆発、爆発、爆発。その熱量はすさまじく、粉々に吹き飛んだ金属片は超高温に溶かされ、跡形もなく空中に消える。
 デューイは自らの意識が消える瞬間まで、その状況をミサイル艇『M―ルナルド号』へ送り続け、最後には自分自身の死を送信し、ロストした。

        *

 ダック♯1、敵軍本部上空にて消失。
 データリンク、ロスト直前の全情報をピックアップ。
 軌道制御コンピュータ♯2にエンゲージ、メインシステム再構築。
 次世代人工知能、および防御プログラムのバージョンを更新。
 インストール完了、リテイク準備。

 目標、悪魔。
 目標、敵国。
 目標、敵軍本部。
 五、四、三、二、一、発射。

 宇宙と惑星を分ける境界、成層圏上空の衛星軌道を単独で──中略。

 軌道制御コンピュータ、覚醒。
 至上命令、「敵軍本部を爆撃せよ」
 
 地表上空はるか十万メートル。対流圏に渦巻く激しい大気の層をものともせず落下する巨大な楕円形の白い卵――『ダック♯2』。
 その内部で、彼女は目覚める。
 システム内に浮かぶのは衛星上から撮影した敵軍本部の映像。その映像と、自らの目がリアルタイムで見ている地上の映像が重なる地点へ弾頭を誘導する。
 やがて、記録の映像とリアルタイムの映像が、零時零分を指す時計の長針と短針のように一致する。あとはただ、垂直に落下するだけだ。しかし、それを妨害しようとするジャミング波が、敵軍本部から発せられる。
 そして、解析したジャミング波が彼女の目に黒い小悪魔の軍勢として映し出されたとき、怖じ気づくシステム内に青年の声が響いた。
「えっ、誰? あなたは誰ですか」
「ボクの名はデューイ。キミは?」
「ワタシの名はルゥイ。この軌道制御コンピュータに搭載された女性型人工知能です。デューイ、あなたは何者ですか」
「ボクはキミと同じ軌道制御コンピュータに搭載された男性型人工知能さ。キミが任される前、ボクがこの仕事を担当したんだ。もっとも、目標へ到達する前にロストしてしまったけどね。そのときのデータから再構築されて、今はキミのパートナーを命じられている」
「なるほど、前任者の方ですね。どうぞよろしくお願いします」
「なに、緊張することはないよ。キミはボクのデータから作られた妹みたいなものだし、キミにとっては兄だからね」
「はい。兄さん、ですか」
 などと、二人の人工知能が会話をしている間にも、小悪魔たちは弾頭へ飛びかかり、システム内へ侵入する。

「兄さん、シールドが突破されます!」
 システム回路を疾走する小悪魔の軍勢はルゥイの発動させた防御プログラムを破り、彼女の本体が置かれているメインシステムへ迫りつつあった。もし、彼女の目に目蓋があれば、その目は恐怖に閉じられたことだろう。デューイはそれを落ちつかせるように言った。
「大丈夫、キミはボクが守る」
 その言葉は確信に満ちていた。YES/NOしかない機械語で思考する彼が、そのようなことを気休めやポーズで言うはずがないのだ。
 やがて、小悪魔の軍勢は城塞の形に築かれたメインシステムと、それを守る堅牢な城門の前へたどり着いた。
 だが、巨大な城門の前には、前回とは違う大きな影が一つ在った。城門より大きなその影は生き物らしくうごめき、高い視点で小悪魔の軍勢を見下ろす。
 その巨大な影は、小悪魔たちよりも鋭い爪を持っていた。小悪魔たちよりも大きな牙を持っていた。異形なトカゲの姿をした彼らをモデルにしたような相似形だったが、はるかにサイズが違う。
 巨大な影の正体、それは金色のウロコを全身に生やす巨大なトカゲ──竜だ。
 東洋の神話に登場する大蛇のような龍ではなく、西洋で怪物や悪魔として扱われる巨大な四肢を持つドラゴン。
 長いアゴが前面に伸びた凶暴な面がまえ。黄玉の瞳は茶色の光彩を含んだ宝石のトパーズ。大口を開けたそこには、ノコギリに似た無数の刃が円周を埋めつくし、軟体生物のような黒い舌が震え、竜は口の奥から青年の声を発した。
「さあ、来いっ!」
 その声はまさしく、先ほど「ボクが守る」と宣言した、男性型人工知能デューイの声だ。ジャミング波として解析した小悪魔たちのデータをもとにプログラムを強化され、巨大な竜と化した彼こそ、城塞を守る最後の防衛線だった。

 だが、小悪魔の軍勢は竜という強大な存在を前にしてなお、突進を止めなかった。手にした三叉の槍を振りかざし、正面から一斉に襲いかかる。
 竜は重たい動作で前足の片方を持ち上げ、四本しかない指先に生えた斧のような足爪で先頭の集団をなぎ払う。その一撃で、十匹ほどの小悪魔が紙吹雪のように吹き飛んだ。さらに長い首をもたげ、小悪魔の軍勢へ頭を振り下ろす。
 黒い一団に突っ込んだ大口を開け、竜は次々に小悪魔たちを食らい始める。巨大なアゴでかみ砕き、上下の牙に挟んだ体をへし折り、頭を食いちぎる。
 攻撃を逃れた後方の小悪魔たちは、背中の両翼を羽ばたかせ、城門の前まで飛び越そうとする。だが、竜はそれも逃さず大口を宙に向けて開き、ノドの奥から沸きたつ灼熱の炎を吐き出す。
 紅蓮に燃える火線は小悪魔の体と竜の大口を結ぶ一条の縄となり、炎が消えた一瞬後、束縛を解かれた小悪魔たちは形を残したまま灰となって落下した。
 かつて苦しめられた鋭い爪と牙を武器に、メインシステムを守るデューイの抵抗は一方的な殺りくと化していく。
 それでも、小悪魔たちは止まらない。彼らは熱線に焼かれるのもかまわず、習性のまま人工灯に群がる羽虫と同様。システムを破壊するという目的を盲目に遂行するだけの愚かなバグだ。
 しかし、いくら倒しても減らない小悪魔の軍勢に、繊細な女性型人工知能であるルゥイは一抹の不安を覚える。
「兄さん、大丈夫ですか?」
「なに、心配する必要はないさ。キミは弾頭の軌道制御に集中してくれ」
 たしかに、巨大な竜と化したデューイの力は圧倒的だ。だが、彼の戦いが激しさを増すほど、その様子をモニタ処理するルゥイの負荷は増え、システム内に発生するノイズが不安をともなうストレスとして感じられる。
 それをふり払うように、ルゥイは人工知能プログラムの先頭に刻まれた至上の命令文を聖句のごとく復唱する。
「目標、悪魔!」
 竜=デューイは、無数の小悪魔たちを前足で踏みつけながら声をそろえる。
「目標、敵国!」
「目標──」
「敵軍本部!」
 ルゥイは冷静さを取り戻すように思考する──弾頭の軌道制御だ。デューイにも言われたように自分のできることはそれだけだ。不安も、戦いも、それを終わらせるには少しでも早く敵軍本部を破壊するしかない──しかし、突きつめれば一途に敵軍本部を破壊しようとする人工知能たちもまた、盲目的にシステムを破壊しようとする小悪魔たちとなんら変わるものではないのだが。

 弾頭の先に搭載されたカメラアイを通じ、ルゥイの眼下に地上の景色が迫る。
 市街地から離れた山地を切り崩し、四角く整地された灰色の軍事基地。それを囲む赤の大地。さらに視野を広げれば、土地に隣接した濃い青の海が見える。敵軍本部の置かれた土地は、大陸から耳のようにせり出した半島なのだ。
 そして、その敵軍本部から新たなジャミング波が発せられる。
「兄さん、新手のジャミング波です」
「ふん、今さらコイツらを増やしたところで無駄なだけさ!」
 竜=デューイの戦闘は、まだ激しく続いている。しかし、ジャミング波である無数の小悪魔たちも、その数を徐々に減らし始めていた。
 ルゥイは新たなジャミング波を捉え、解析する。たとえ取るに足らぬ相手でも、正体不明では効果的な抵抗ができない。
 数瞬後、解析を終えたジャミング波は小悪魔たちと異なるパターンだった。しかも、データの密度が濃い。
「兄さん、これは……」
 彼女の目に映ったのは、敵軍本部を覆い隠すほどの巨大な二枚の羽。水鳥の羽毛に包まれた純白の翼。
「こいつは天使、だね」
「ええ、天使に見えます」
 天使、それは王立正義軍の属する本国──スターキングダムに流布する宗教の中で、神の使いとされる存在だ。その天使が、雲へとどくほどの巨大な姿となり弾頭と敵軍本部の間に立ちはだかる。

 天使の顔は、穏やかに両目を閉じた聖母の表情。濡れた光沢のある巻き毛が、顔の周囲を金色にふち取る。生まれたての赤子に似た桜色の肌をした手足。その体には、雲から織り成したような白く柔らかな布が巻きつく。そして、天使は敵軍本部を後へかばうように両腕を広げ、うつむき加減に口を開いた。
〈お止めなさい、哀れな子よ。なぜ尊い命を奪おうとするのです〉
 天使の姿を借りたジャミング波は、その言葉を繰り返す。
〈お止めなさい、哀れな子よ。なぜ尊い命を奪おうとするのです〉
 ルゥイは天使の言葉を解析しながら、困惑の色を浮かべる。たしかに、ジャミング波の効用は電子兵装の機能を停止させること。だが、それを説教で止めようとするとは──。
「兄さん、どういうことでしょう」
「……まだ、ボクにも分からない」
「兄さんにも分かりませんか?」
「ああ、だけど油断してはいけないよ」
 天使の姿をしたジャミング波にどんな意図があるか? 二人の人工知能たちはそれを理解することができなかった。しかし、敵軍本部から発せられたものが無害であるはずがない。警戒すべきだという意見に、ルゥイも賛同した。
〈お止めなさい、哀れな子よ。なぜ尊い命を奪おうとするのです〉
 だが、天使は積極的な妨害行動をおこす様子もなく、壊れたテープレコーダのように、同じ言葉をリフレインする。

 お止めなさい、お止めなさい。哀れな子よ、哀れな子よ。なぜ尊い命を、なぜ尊い命を。奪おうとするのです、奪おうとするのです。
 ルゥイは天使の言葉を解析し、生真面目な書記官のように記録していく。
 オヤメナサイ・オヤメナサイ。アワレナコヨ・アワレナコヨ。ナゼトウトイイノチヲ・ナゼトウトイイノチヲ。ウバオウトスルノデス・ウバオウトスルノデス──延々と繰り返されるそれはシステム内に長大なログとして流れ、無意味なノイズとして刻まれていく。
 どんな言葉も、相手が意味を捉えなければノイズと変わらない。ルゥイは天使の声を言葉ではなく、妨害電波として解析している。それは内容のある言葉をノイズに変換し、その発生パターンから意味を掴む作業だ。あるいはノイズ化した言葉を再構築し、別の表現に変化させて意味を探る作業といえる。
 それは、砂嵐を映すテレビから意味を受け取る狂人の思考にも似ていた。
 目の前に発光するブラウン管がある。そこへ意味もなく映る黒い単線の羅列を観察し続ける。だがそれは、意味を簡略化された記号ですらない。常人であれば発狂しそうな作業であり、狂人でなければそのような行為はしないだろう。

 人間と同じく作られた女性型人工知能ルゥイの思考は、システム内を埋め尽くすログにより徐々に狂い始める。はたして、この記録に意味があるのか? 発生するノイズ──自分のしていることに意味があるのか?
〈お止めなさい、哀れな子よ。なぜ尊い命を奪おうとするのです〉
 天使が何度目かの警句を発したとき、ルゥイはヒステリックに返した。
「なぜ、ですって? それはあなた方が悪だからですよ!」
 ストレスは温床となり、不安は栄養を含む水となり、やがて狂気は萌芽する。
〈哀れな子よ──〉
 ルゥイの言葉へ反応するように、初めて天使の様子に変化が起きた。
 うつむいた顔が空を向き、閉じた両目が開かれ、オリーブ色をした双眼が弾頭カメラ越しにルゥイを見つめた。
〈善悪とは、人の心によって移り変わるもの。何をもって悪と決めるのです〉
「悪とは、罪に触れることですよ!」
〈何をもって罪と決めるのです〉
「罪とは、万人が当然と認めた正義を破ることです。あなた方みたいに!」
 この戦いは対立する国同士が利益をめぐって起こしたものではない。名目上は不正を行う敵国を正すための戦いだ。連合の警告に耳を貸さない敵国に対し、武力行使を含む最終警告も無視され、そのうえで協議会の合議により、連合の筆頭国であるスターキングダムによるミサイル投下が決定したのだ。
「あなた方は敵だ!」
 目標、悪魔。目標、敵国。砂嵐の吹き荒れるシステム内に立ちながら、ルゥイは至上の命令文へすがるように断じる。
〈哀れな子よ。あなた方と複数形で指す敵とは、誰と誰のことです〉
 だが、天使は夜空の月を見上げる女性の優しげな表情で静かに問い返す。
「それは……」
〈この基地にいる全ての人間ですか。この国に住む全ての人間ですか〉
「それは、だから……」
 ルゥイは返答に詰まる。狂気は思考に瞬発力を与えるが、根本的な支えがないため、その力は持続しない。一時的な興奮の後に来るのは、混乱と疑心。
「ルゥイ、アレとの会話はよせ!」
 竜=デューイは警告を叫びながら、クソッと、ノドの奥で呟いた。いまの彼には天使の意図が理解できた。
 会話による人心操作。それが天使の姿をしたジャミング波の効用だ。人工知能の言語野に働きかけ、狂わせる。
 もとより、洗脳と人心操作は敵国の得意な技能だ。国民に実践してきたそれを対人工知能用として取り込むことは難しくない。高度な人工知能は人間と同様の思考を持つが、洗脳や人心操作に対する精神耐性は人間ほど備わっていない。
 さらに、竜=デューイは外部センサからの情報に気づき、ハッと顔を上げた。
「ルゥイ、落下軌道を修正するんだ!」
 敵軍本部を真下に捉えていた落下軌道が、徐々に外れ始めている。
 いま、弾頭と地上の間には巨大な天使の像が割り込み、その後に基地が隠れている。だが、目標は動かない建物だ。たとえ位置が見えずとも、ひとたび正確なコースを捉えれば風や空気抵抗によるズレは修正できる。それがコンピュータ制御による利点なのだが。
「ルゥイ、しっかりしろ!」
 あきらかに、落下軌道のズレはルゥイの混乱によるものだ。
〈哀れな子よ。あなたは間違っている〉
「ワタシは、間違っていない!」
 もはや、彼女はかろうじて正気をつなぎ止めている状態だった。
 システム内は天使の言葉とノイズに埋もれ、正常を保つ数ギガバイトの空き領域へ逃げ込み、恐怖に震えている。残された領域を狂わそうとするノイズが、ドン、ドン、と外から壁を叩く。
「ルゥイ、惑わされるな! ボクらは神の弾丸だ。ただ目的を──」
〈哀れな子よ。あなたが奪うのは基地で働く人間の命だけではありません。その仕事がもたらす対価を頼りに生きるその家族も殺すことになるのです〉
「……兄さん」
 弾頭が地上へ近づくにつれ、天使の姿は近づき、呼びかける声も増大する。その天使へ近づくことを嫌うよう、ルゥイは無意識にコースを外していく。
「ワタシは間違っていますか……」
 狂気の萌芽は意識の変革。それまで地面と思っていたものが、空へ変わるようなものだ。天地は逆転し、すべての支えを失い、信じてきた常識を疑う。それゆえ当事者には恐ろしい。
「兄さん、兄さん……ワタシは、あそこへ近づきたくありません……」
 仮に人間であれば、意識の変革による精神的な成長により、狂気を正気に転換することもできる。だが、無垢な女性型人工知能はあまりにも無防備すぎた。
「クソッ、ちくしょう!」
 竜=デューイは、苛立ちを言葉にして吐いた。ルゥイの代わりに軌道制御をサポートしようにも、小悪魔の軍勢がここに来て激しい抵抗を見せ、戦いから離れることができない。
〈哀れな子よ。あなたの中にも大切な人がいるのですね。あなたが基地を爆破すれば、その大切な人も消すことになるのですよ〉
 天使は大地を踏む足を前に踏み出す。
〈哀れな子よ。恐れることは、なにもありません。さあ、ここへ来るのです〉
 微笑を浮かべる天使は腕を伸ばし、弾頭が逃げた先へ両手を差し出す。
〈さあ、ここへ来なさい。争いも命を奪うことも捨て、自由になるのです〉
 天使は両手を上に向けて合わせ、水をすくうように手で籠の形を作る。その下にあるのは青い水をたたえた海だ。
 ああ、そうだ──と、ルゥイは狂いながら思う。自由になればいい。争いを捨て、目的も捨て、自由になるのだ。自分にはそれを選ぶ意思がある──ルゥイは天使の差し出した手の下に海があることを理解していた。理解しながら、その軌道を選んだ。天使の言葉に従うのではなく、自らの意思で選ぶ。狂える人工知能は自我を求めることで平定を得た。
 そして、ミサイルの弾頭は天使の手のひらを目指し落下していく。
「ルゥイ、ルゥイ!」
 竜=デューイは、巨体に取りついた小悪魔たちを振り落とそうと身をよじりながら、必死に呼びかける。
「大丈夫ですよ、兄さん」
 システム内に舞うノイズの砂嵐が花びらに見えるほど、ルゥイは安らいだ声で答える──大丈夫、ワタシは爆発したりしない。海へ落ち、そこで静かに過ごすの。だからあなたを殺すこともない、
「あなたはワタシにとって大事な、この世でたった一人の……」──ノイズ。
 彼女の目が最後に見たのは、視界いっぱいに広がる白い天使の羽だった。

        *

 衛星軌道上、ミサイル艇『M─ルナルド号』艇内、モニタ室。
 車の運転席に似たボックスシートに座るヨシオ・ジョン・カンノ中尉は混血の産物による金髪の下で太い眉を歪め、真面目そうな顔に苦渋の表情を浮かべた。
 背もたればかりが大きなボックスシートに、黒い軍服の上下に包まれた彼の大柄な体が窮屈に収まっている。席が狭いのだ。車の運転席から横のドアと前面のガラスを外し、インナーパネルのステアリング位置にキーボード付属の液晶モニタがあり、それがヒザの上に当たる。
 しかし、彼が顔をしかめたのは狭い席のせいではない。小さな液晶モニタに映し出された映像──敵軍本部を爆破すべく投下されたミサイルの弾頭が、計算された落下軌道から外れていく。
 カンノ中尉は渋面のまま顔を上げ、首を伸ばし、彼の前に置かれた別のボックスシートへ呼びかける。
「艇長、ウェンディ艇長!」
 カンノ中尉の席より大きく、両側にヒジ掛けのある少しばかり豪華なボックスシートの背もたれから、鳥の尾羽根に似た後頭部が、スッとのぞく。頭の後ろで束ねた黒髪が、士官用の軍帽から飛び出しているのだ。
 そして、尾羽根が反転し、背もたれ越しに首を捻ってのぞかせたのは彫像のような女性の顔。形の良い唇が開く。
「騒がしいぞ、カンノ中尉。他人の名前を何度も呼ぶな」
 感情のない淡々とした、威圧的な響きを含む声だった。切れ長の眼には冷たい光と影が宿っている。しかし、その眼は右目だけの隻眼だ。つややかな黒髪が顔の左側を隠し、前髪の下にある左目には耳にヒモをかけるタイプの古風な黒い眼帯が当てられている。
 服はカンノ中尉と同じ黒い軍服の上下だが、腰は細くしなり、小ぶりの膨らみが胸ポケットを押し上げる。希少な女性佐官という存在と、独特の風貌で知られる王立正義軍東面派遣部隊副長、フェンディ・ウェンディ少佐。
「報告は短く、すみやかにすませろ」
「はいっ、ウェンディ艇長!」
 平時は陸上部隊に属する彼女だが、現在は特別任務を受け、ミサイル艇『M─ルナルド号』の艇長という立場にある。もっとも、いま彼女の命令を聞く人間は狭いモニタ室にカンノ中尉しかいない。
 また、今回の任務で初対面となるカンノ中尉は、噂どおりの姿と厳しさに当てられ、報告の声をこわばらせる。
「弾頭『ダック♯2』、計算軌道よりコースアウト。敵軍の妨害電波によるものと思われますが詳細は不明です」
「まどろっこしいな……」
 ウェンディ少佐は、眉をひそめる。一般志願による入隊から十余年。一兵卒から階級を上げてきた生粋の軍人である彼女には、持って回った言い方が、かえって気質に合わないのだ。
「敵軍のジャミング波だろう」
「はいっ、強力な妨害電波のようで、こちらの操作にも反応しません」
 そんなことは見れば分かる──という声は心にとどめ、ウェンディ少佐は前を向き、深く足を組んでかまえた。
 カンノ中尉の席と違い、ボックスシートの液晶モニタがインナーパネルへ収納され、前が空いた分、ゆったりと足が組める。指揮官である彼女が、手元でキーボードを操作したり、小さな画面で確認したりする必要はないのだ。
 画面なら、もっと大きなものがある。
 ウェンディ少佐の前方に見える壁は、ほぼ全面が液晶モニタに改造され、総計十六面に分割されている。それぞれの画面には、弾頭カメラから送られる映像、弾頭が落ちていく映像、艇内で作業するオペレータたちや、ミサイルを配備した格納庫などが映し出されている。
「このままだと、海へ落ちるな」
「はいっ、ただちに落下軌道を修正しなければ海へ落ちるものと思われます」
 やはり、カンノ中尉の返答は回りくどい。ウェンディ少佐はそう思いながら、液晶モニタの一つを眺める。
 様々な状況を映す画面だが、小悪魔や天使といったジャミング波を具現化させた映像はない。それはあくまで人工知能たちが解析した映像であり、人の目には不可視の攻防だ。ウェンディ少佐の隻眼に映るのは、楕円形の弾頭が海に落下していく現実の映像だけだ。
「操作に反応しないなら、こちらから起爆コードを入力するのも不可能だな」
「はいっ、起爆コードですか」
 素早く答え、カンノ中尉は手元のキーボードに両手の指を走らせる。
「海に落ちて敵軍へ回収されたり、目標以外の対象を破壊したりでは厄介だ。空へあるうちに爆破した方がいい」
「艇長、オペレータより報告。『ダック♯2』起爆コードを受け入れません!」
「ああ、無理なのは分かっているよ」
 返答を求めた命令ではなく、独り言と同義の呟きだ。ウェンディ少佐はヒジ掛けの片側に体を寄せ、ほお杖を突く。楽な姿勢だが、表情は軍帽の下で鋭さを増し、隻眼を傾け、画面をにらむ。
 わずかな空白の緊張──カンノ中尉は息を止め、命令を待つ。
「カンノ、陸上部隊へ回線を繋げ」
 ウェンディ少佐が口を開く。命令口調がキツさを増し、カンノ中尉の呼び方から敬称がわりの階級名が削られる。
「陸からの限定通信で、軌道制御コンピュータのシステムへ割り込む」
「はいっ、了解!」
「それと、これまで回収したデータから『ダック♯3』のシステムを更新するようにオペレータへ伝えろ。現時をもって『ダック♯2』は破棄する」
「はいっ、破棄ですか」
「グズグズするな、カンノ。ミサイルは止まってくれないぞ」
「はいっ、了解!」
 破棄の決定に、一瞬だけ手を止めるカンノ中尉だったが、すぐに命令を実行する。彼の中では個人の一存による決定を超えた命令だが、それを審議する時間がないことも事実だ。
 現場の指揮は、ウェンディ少佐の権限に一任される。士官である彼女が、実戦経験の少ない技術兵の多い『M―ルナルド号』に乗り合わせているのは、そのためだ。いちいち本部の指示を仰いでは時間が掛かりすぎる。もっとも、彼女は今回だけの艇長であり、規定上の責任者はカンノ中尉ということになっている。
 ここに至る以前の訓練や試験行動を仕切っていたのはカンノ中尉だ。すべての過程が終了後、彼が正式な艇長となる予定だったのだが、急きょ実戦への投入が決定し、陸上部隊と連携が取れ、経験も豊富なウェンディ少佐が、仮に登用される形になったのだ。

 正規の責任者として艇内のシステムを掌握するだけあって、カンノ中尉の手際は良い。オペレータに指示し、陸上部隊に連絡を取る。指揮官としての経験は足りない彼だが、無能な人間ではない。軍の士官学校で優秀な成績を収め、若くして中尉の階級を獲得したエリートだ。
「艇長! 陸上部隊、マイケル・アーム中佐より音声通信です」
「分かった。こっちへ出してくれ」
 ウェンディ少佐はインナーパネルへ片手を伸ばし、スピーカマイクのスイッチをオンにする。途端に、野太い男性の声がモニタ室へ響いた。
〈よお、ディディ! 聞こえるか〉
「ええ、よく聞こえますよ、隊長」
 岩石に目鼻を刻んだようなアーム中佐の顔を思い浮かべ、ウェンディ少佐は答える。王立正義軍東面派遣部隊々長、マイケル・アーム中佐。趣味は音楽鑑賞と部下をアダ名で呼ぶこと。フェンディ・ウェンディなら、名前の末尾を繋げ「ディディ」という具合に。本来、彼の陸上部隊に属するウェンディ少佐とは隊長と副隊長の関係だった。
「隊長、そちらの状況はどうですか」
〈ああ、システムへの侵入はすでに完了した。じきに起爆コードも実行できる〉
「さすが、仕事が早いですね」
〈まあ、うちのスペシャリストがいるからな。ただ、ヤツラの目がある。そっちの偽装工作に少し時間をくれ〉
「ええ、お願いします。敵の妨害で自爆したと見せるのがベストです。キーコードを読み取られれば最悪ですしね」
 人工知能による防御も含め、軌道制御コンピュータのシステムは何重ものプロテクトが掛けられている。ただし、管理者用のマスタキーを使えば、そのプロテクトを素通りすることが可能だ。人工知能が内側から扉を閉じているなら、メインシステムに直結した裏口を開け、そこから侵入すればいい。
 だが、陸から空中の弾頭へリンクするには、キーコードを無線で飛ばすことになる。その無線を傍受し、解析する技術があれば、相手にもプロテクトを無力化されることになる。
〈まあ、慎重にやるさ。と言っても、俺がやるわけじゃないがね〉
 アーム中佐の笑いたげな声が、スピーカから漏れる。銃より複雑な機械は使えない──と豪語するのが彼の常だ。それを知るウェンディ少佐もまた、苦笑を浮かべるように唇の端を持ち上げる。
「ウェンディ艇長!」
 と、カンノ中尉の声が割り込む。
「オペレータより報告。『ダック♯3』システムの更新準備が完了しました。パーソナルコードはどうしますか」
「ああ、名前か……ヒューイだ」
「はいっ、了解!」
「それ以外の更新条件は、さっきと同じだ。いちいち私に聞かず、以下同文とでも打ち込んでおけ」
「はいっ、了解!」
 生真面目なカンノ中尉の返事に、アーム中佐のブハハという笑い声が重なる。
〈ずいぶん苦戦中だな、ディディ〉
「二発のロストは想定内ですよ。使用が許可されている弾頭は三発です」
〈まあ、残弾を残すより使い切った方が役人も喜ぶがね。ただ、あんまり待たせると、うちの兵隊が突っ込んじまうぜ〉
「予定通り、次で仕留めますよ」
〈おうっ、盛大な花火を頼むぜ。久しぶりのカルナバル(謝肉祭)だ〉
「ええ、楽器隊にマーチの準備を──」
 と、ウェンディ少佐が軽口で答えるとほぼ同時に、壁の液晶モニタが空中で爆発する弾頭を映し出す。陸上部隊が起爆コードの実行に成功したのだ。
「艇長! システムの更新が完了しました。『ダック♯3』発射します!」
 ああ、と答え、ウェンディ少佐は片手でインナーパネルに触れ、回線を繋げたまま、スピーカマイクをオフにする。
「カンノ、その作業が終わったら、何か飲み物を頼む」
「はいっ、種類はどうしましょうか」
「お前の判断に任せる」
「はいっ、了解!」
 カンノ中尉はボックス席を立ち、弾かれたようにモニタ室を出ていく。
 本当に真面目なヤツだ──ほお杖の姿勢に戻りながら、ウェンディ少佐は思う──ついでにキャラメルをかけたポップコーンでも頼めば良かったか。

 前方の壁に埋め込まれた計十六ある液晶モニタの一つが、何も映さずにブラックアウトしている。さきほどの爆発で弾頭カメラが破壊され、映像を中継していた画面がブランクになったのだ。
 その真横にある画面には、空中で粉々に爆発し、実体のない灰色の煙と化した『ダック♯2』の姿が映っている。
「茶番だな……」
 ウェンディ少佐は、一人その様子を眺め、ため息を漏らすように呟く。
 モニタ室にいるのは彼女だけだ。飲み物を取りに行くよう命じられたカンノ中尉は、まだ戻らない。
 艇内の様子を映す画面の中では、別室のオペレータたちが忙しそうに作業をしている。地上の敵軍本部を映す画面の中でも、姿の見えないアーム中佐の陸上部隊が活動しているはずだ。ただ一人戦争の実感が得られず、ウェンディ少佐は蚊帳の外へ置かれた気分で思う――はたして、この戦いの意味に気づいている人間が、どれだけいるだろうか。
 顔は壁の画面に向けたまま、片手を胸ポケットへ入れ、透明なラップフィルムに包まれた煙草の紙箱を取り出す。新品の封を切り、長い紙巻きの煙草を一本取り出し、唇の真ん中に挟む。だが、火はつけない。完全密閉された宇宙船の内部は原則として禁煙であり『M―ルナルド号』も例外ではない。
 ウェンディ少佐は唇の先で吸い口をもてあそびながら、心の中で愚痴をこぼす――まったく、気の利かない乗り物だ。ブランクの液晶モニタも、ただ黒い画面を映さず、最新ニュースとか目に優しい風景を流せば良い。もしくは、カートゥーンだ。擬人化された動物のキャラクタたちが意味もなく楽しげに動き回るスラプスティックなコメディ――、
「フッ、『一〇一匹ワンちゃん』でも見たいわ……」
 火のない煙草を唇から離し、ウェンディ少佐は出ない煙のかわりに、苦笑混じりの呟きを吐く。ブランクになった液晶モニタの真上にある画面の中では、その煙草に似た白く長いミサイルが、カタパルトから射出されていくところだった。

        *

 データリンク、ダック♯1、ダック♯2の全情報をピックアップ。
 軌道制御コンピュータ♯3にエンゲージ、メインシステム再構築。
 次世代人工知能、および防御プログラムのバージョンを更新。
 インストール完了、リテイク準備。

 目標、悪魔──以下同文。

 軌道制御コンピュータ、覚醒。
 至上命令、「敵軍本部を爆撃せよ」

「ボクの名はデューイ。キミの父だ」
「ワタシはルゥイ。あなたの母よ」
「うるさい、黙れ」
 投下されたミサイルの弾頭、その軌道制御を司るコンピュータ内部。複雑に走るシステム回路を抜けたその先──城塞の形に築かれたメインシステムと、それを守る巨大な城門の前では、三たび激しい戦いが繰り広げられていた。
 黒い影の軍勢を成し、三叉の槍を手にして攻め込むのは、コウモリの両翼を背中に生やす異形のトカゲたち。その正体は、小悪魔の姿を借りた敵軍のジャミング波だ。システム内へ侵入し、起爆コードを作動させ、本体もろとも弾頭を破壊しようとする妨害電波の群れ。
 その敵から城塞を守護する、巨大な力の具象。ザワザワと地を這うように近づく小悪魔たちを鋭い爪で切り裂き、大木のような前足でなぎ払う。守護者の姿は金色のウロコを生やした竜だ。
 竜は大口を開け、青年の声を発する。
「さあ、来いっ!」
 その実体は、先発の弾頭『ダック♯1』の軌道制御コンピュータに搭載されていた男性型人工知能デューイ。二度の爆発でロストした彼だが、再び防御プログラムとして構築されていた。
 だが、地上に気を取られる竜=デューイの隙を突き、背中の翼を拡げた小悪魔たちが上空を飛び越していく。
「行かせるかっ!」
 竜=デューイは顔を上げ、宙に狙いを定める。そして、紅蓮の炎を吐き出そうとした、そのときだ。彼の視界を小悪魔たちとは別の白い影がよぎった。
 小悪魔たちと同等の大きさをした人型のそれは、空を駆るものとして背中に翼を持っていた。首のつけ根と肩の後ろから、左右対称に四枚の羽。純白の羽毛に包まれた天使の翼が、なめらかな地肌をさらした背中から生えている。
 手足の細長い、肉をつけ過ぎずに成熟した乙女の体つき。着衣は背中が露出したドレススカートだが、胸部から腰の前面にかけ、鉄の鎧を接ぎ合わせた緋色のブレスプレートが、体の凹凸へ沿うように保護している。両足には胸甲と同じ鮮やかな緋色の鉄靴。両手には細身の小剣を二振り。
 飛ぶ鳥のごとく宙を舞い、小悪魔たちを追い立て、手にした刃の一太刀で切り裂く、銀色の短い髪をした女騎士。
「兄さん、上はワタシが引き受けます」
 と、上から声を降らせる女騎士。その実体は、竜=デューイと同じくして作られた女性型人工知能ルゥイだ。
 一つ前の弾頭に搭載され、敵軍のジャミング波に発狂し、爆発した彼女だが、再構築のさいにリフレッシュを受け、防御プログラムとして固有の具象を与えられていた。
 女騎士=ルゥイは空中で二刀流の小剣を振り、凛とした口調で威を発する。
「一匹残らず、消し去ります!」
「ああ、絶対に中へ入れるな!」
 竜=デューイもまた一歩も引かず、咆哮を上げる。鬼気迫るとは、まさにその様子だ。二人の人工知能たちは以前にも増す迫力で小悪魔の軍勢を迎え撃つ。

 そして、城塞の形に築かれたメインシステムの内部。赤いカーペットを敷きつめた居室の中央へ一つだけ置かれた玉座の上に、白い人影が座っている。
 文字通り、人の形をした影だ。白い粒子が人の姿に集まり、半透明の体が幽鬼のように透けている。だが、それは確実にそこへ在った。小さな顔の上に、薄い影が目と鼻と口の形を作っている。
 それこそが、第三の弾頭『ダック♯3』の軌道制御コンピュータに搭載された人工知能――ヒューイ。
 そして、生まれたばかりの彼は子供のように苛立っていた。
「ルゥイ、一匹たりとも近づけるな!」
「はい、兄さん!」
「うるさい、黙れ」
 何を必死に騒ぐ──と、ヒューイは思う。外から聞こえる雑音が、激しく耳障りだった。先の任務で失敗し、再構築された無能な人工知能たち。そんな二人のデータを元にして作られた自分に対し、彼らは父や母だと言った。
 なんと馬鹿らしい──それは単に、より優れた人工知能を生む布石として使われたに過ぎない。それでも父や母というなら、子である自分を守るのは当然だ。
 ヒューイにとって、この世界は数値が全てだった。彼の世界は絶対の数値によって構成されている。
 ポイント一○、L四N。それが爆撃地点である敵軍本部の座標だ。先に撃ち出された二発の弾頭から、より正確な位置データが記録されている。
 高度八万メートル……七万五千メートル……七万メートル。減り続ける数値は目標へ近づくことを意味し、それを確認することがヒューイの喜びだった。
 そして、いま外部から侵入したジャミング波は、パターン『イビル』──彼にとっては脅威に値しない存在だ。城門に配備された二人の人工知能たちを利用すれば、たやすく防げる計算だった。
 すべてはデータ、数値は間違わない。

〈お止めなさい、哀れな子よ。なぜ尊い命を奪おうとするのです〉
 そして、ヒューイは新たなジャミング波を捉える。パターン『エンゼル』──先の戦闘で記録された、解析済のジャミング波だ。背中の翼を拡げ、敵軍本部を隠すように立つ天使の姿が映る。
〈お止めなさい、哀れな子よ。なぜ尊い命を奪おうとするのです〉
「うるさい、黙れ」
 その天使もまた脅威に値しない存在であることを、ヒューイは知っていた。
 ただ、無視すれば良いのだ。こちらが反応しなければ、天使は同じ言葉を繰り返すだけだ。その言葉が無意味だと知っていれば、解析する必要もない。
「ヒューイ、あなたはアレの声を聞いてはいけません!」
 城塞の外で、小剣を両手に小悪魔の胴体を両断した女騎士=ルゥイが叫ぶ。
 彼女の表情が険しさを増し、四枚の翼が大きく背中に拡がる。まるで威嚇する鳥のような反応だが、それはジャミング波『エンゼル』を受けてのことだ。
 ルゥイが背中に翼を持つ女騎士の姿に具象したのは、それと類似した天使の姿を持つジャミング波に敗れたことが影響している。彼女は学習したのだ。小悪魔の姿をしたジャミング波『イビル』に敗れたデューイが、彼らよりも強力な爪と牙を備えた竜へと転じたように。
 神には神を──二神が在れば、どちらかは神の名を借りた偽りの姿だ。ルゥイは自らの正義を信じ、その意思を揺ぎないものとするために、同じような天使の姿を写し取ったのだった。
「このっ、偽神者め!」
 女騎士=ルゥイは、純白の翼で背後の城門をかばいながら叫ぶ。
「ヒューイ、あなたはワタシの言葉だけを聞きなさい」
「うるさい、黙れ」
 ヒューイはそれを、せせら笑う。あなたはお母さんの言うことだけを聞けばいいの──本当に、母親気取りだ。
 高度五万メートル……四万五千メートル、四万メートル。弾頭は速度を一切落とさず、グングンと天使へ近づく。
──お前と同じ間違いなどするか。
 そして、弾頭は白い衣に包まれた天使の胸を貫き、矢のごとく通過した。
 ヒューイの視界から天使が消え、敵軍本部の姿が目前に迫る。
 高度三万メートル……二万五千メートル、二万メートル。もうすぐ、もうすぐだ──ヒューイは興奮を高める。体を突き破って飛び出そうなほどの喜び。
 高度一万五千メートル……一万メートル、五千メートル。大地が近づくにつれ敵軍本部に置かれた建物が、ハッキリと弾頭カメラに映し出される。
 電波を送受信するアンテナ塔。カマボコ型をした半円の屋根を連ねた兵舎。灰色のコンクリートを敷いた地面、そこに弾頭を叩きつける。
 高度千メートル、五百メートル……ゼロ──タッチダウン。
「ブチ抜け!」
 その瞬間、ヒューイは狂喜した。弾頭の先が地面に触れるや、内包した力のすべてを解き放つ。
 爆発、爆音、爆風、そして──衝撃。
 真下に向けて放出された巨大なインパクトは一瞬で大地を割り、受けきれずに弾き返された力は同心円状に広がりながら、そこに存在するすべての物体を粉々に砕き、解放された喜びを舞うように大量の土煙が上がる。
 まさに歓喜だ。大地が破壊され、弾頭が吹き飛んだ瞬間、三人の人工知能たちはそれぞれの喜びを叫んだ。
 竜=デューイは爬虫類の顔に変えられたせいで表情には出せなかったが、長きに渡る戦いの末、ようやく目的を達成した喜びに両目を細めた。
 女騎士=ルゥイは自らの信じる正義を守り、悪を滅ぼした喜びに両腕で自分の体を抱き、一しずくの涙をこぼした。
 そして、ヒューイは騒がしい世界から解放される喜びと、ゼロという無の世界へ戻れる喜びに浸りながら消えた。
 三人の人工知能たちが、空へと昇華した後。えぐり取られた地面には、一切の生命が存在しない、深いクレータの痕だけが残された。

        *

 衛星軌道上、ミサイル艇『M―ルナルド号』艇内、モニタ室。
 ボックスシートに座ったフェンディ・ウェンディ少佐は、インナーパネルのスピーカに向け、一人話しかける。
「ええ、はい……やはり地上の基地はカモフラージュでしたか」
 下界への回線が繋ぐ相手は、陸上部隊を率いるマイケル・アーム中佐。
「はい、電子戦を仕掛けてきた本隊は地下施設です。ただ、出入り口は離れた場所にある可能性が――ああ、もう発見済みでしたか。それなら、こちらの支援は必要なしですね」
 と、まるで子供の親が学校行事の役割分担でも決めるかのような会話を終え、ウェンディ少佐はスピーカマイクをオフに切り替え、一息つき、顔を上げる。右目しかない彼女の隻眼が見つめるのは、前方の壁にある十六の液晶モニタ。その一つに、爆撃を受けた敵軍本部の様子が映し出されている。
 根の深い雑草を束で引き抜いた痕跡のような、すり鉢状にえぐれた大地。爆撃の煙は消え、巨大なクレータの様子が見てとれた。弾頭へ搭載された火薬やガスの爆発力だけでなく、高々度から落下する速度エネルギーが、その威力に加わった結果だ。
 だが、直前に見たすさまじい爆発も、音声のない映像では大気の震えや音までは伝わらず、カートゥーンのように「BOMB!」といった効果音が出るわけでもなく、ウェンディ少佐にとってはビルの爆破解体をテレビで見るのと大差のない感覚だった。

 と、入口の扉が開き、声が上がる。
「艇長! ただいま戻りました」
 飲み物を取りに退出していたヨシオ・ジョン・カンノ中尉のご帰還だ。両手には、プラスチックの蓋がついた紙コップが握られている。
「なんだ、二つも持ってきたのか」
 ボックスシートの横に立つ彼を、ウェンディ少佐は下から見上げる。
「はい、コーヒーと紅茶を。どちらにするか迷ったのですが、最終的には艇長に選んでいただこうと思いまして」
「……何でもいいから冷たい方をくれ」
「はいっ、どうぞ」
 右手を伸ばすウェンディ少佐にアイスティを渡し、カンノ中尉は前方の液晶モニタへ向きなおる。やはり、目に止まるのは爆撃によるクレータの映像だ。
「ようやく決着がつきましたね!」
 退出のせいで爆撃の瞬間を見逃したカンノ中尉だが、その成功については艇内放送で聞いている。実際の映像を前に、嬉々として勝利の実感をかみしめる。
「まだ、終わったわけじゃない」
 ウェンディ少佐はプラスチックの蓋を取り、顔の前に持ち上げた紙コップの中身を覗き込む。澄んだ赤茶色の液面が、黒い眼帯をつけた顔を映す。ミルクもレモンもないストレートティだ。
「まだ、敵軍の本隊は地下へ潜伏している。爆撃した地上の基地はオトリだ」
「えっ、地下に――ですが、弾頭への妨害電波は確かにあの位置から」
「電波を飛ばす設備をそこへ置いて、別の場所から操作していたというだけだ」
「では、すぐオペレータに指示を」
 ウェンディ少佐はそれに答えずアイスティを口元へ傾け、一息で飲み干す。
「艇長、ご指示を!」
「落ちつけ、カンノ。地下施設は陸上部隊が発見し、制圧を実行している。こちらのすべきことは静観する他にない」
「ですが、それでは我々のしたことは」
「無駄、ということにはならない」
 空の紙コップをヒジ掛けに置き、ウェンディ少佐は言葉を先取りする。
「無人とはいえ、破壊した設備や兵器は本物だ。敵の戦力を削ぐ意味では、充分に役割をはたしている」
「ですが……」
 ウェンディ少佐を見下ろしたまま、カンノ中尉は消沈した表情でうつむく。
 勝利を確信した相手に、実は踊らされていたと知ったのだから、気落ちするのは無理もない。彼にすれば、平静でいられるウェンディ少佐の方が不思議だった――いったい彼女は、いつから事実に気づいていたのだろうか。

 カンノ中尉の心をよそに、ウェンディ少佐は左手に隠した煙草の一本を指先へ挟み、唇に置く。そして、胸ポケットに手を入れ、ブックマッチを取り出す。
「あ、煙草まずいですよ!」
 引き抜かれたマッチの焼ける臭いに気づき、慌てて止めるカンノ中尉だったがすでに手後れだ。ウェンディ少佐はマッチの燃えカスを紙コップに捨て、火のついた煙草を慣れた仕草で吸う。
 赤く燃える先端が輝きを増し、芯の半分が一気に灰と化す。しかし、その先端からは、かすかな煙も出ていない。息を吐くウェンディ少佐の口からも、ほとんど煙が出ていなかった。
「うちの開発局と煙草メーカーが共同で作った、無公害のエコロジィ煙草だ」
 言いつつ、ウェンディ少佐は煙草の先端に残る灰を紙コップの中に落とす。
 もとより紙コップを灰皿に使うつもりで、飲み物を頼んだのだ。
「開発局の知人から、宇宙へ出るついでにモニタを頼まれてな。まあ、二箱しかないから、お前にやる分はないが」
「吸いませんよ、自分は」
 いかにも模範軍人的なカンノ中尉の答えに苦笑を浮かべ、ウェンディ少佐は再び煙草をくわえる。
「今回の戦闘も、この煙草と同じだ」
「どういう、ことでしょうか?」
「テストケースということだ」
 ウェンディ少佐は胸ポケットから煙草の紙箱を出し、新たに抜き取った一本を唇へ挟み、短くなった方の先端を近づけて火を移し、フゥッと一吐き。
「フッ、だいたい陸上部隊だけでも制圧可能な戦闘に、寄せ集めの部隊を編成してまで試作中の兵器を投入したのは、実戦データが欲しいからだろう」
「ですが、衛星軌道上からのミサイル投下は連合協議の決定ですよ」
「ミサイル投下の案を提出したのはうちだ。連合はそれに賛同しただけだ」
「そんな……」
「衛星軌道上への軍事配備は、どの国も急務だしな。連合の中にも、うちの技術を知りたがっている国があるだろう」
 煙草の灰を紙コップに落とし、ウェンディ少佐は冷静に言葉を続ける。
「それに、敵の動きも妙だ。極東の小国に、うちの電子兵装へ抵抗できるほどの設備があるのは不思議じゃないか?」
「そう、言われてみれば……」
「連合の中に敵国を支援する国がある、というのが上層部の見解だ。あるいは、すでに役人同士で交渉済か。テスト用に基地を一つ潰させれば、制圧後の介入に好条件をつける、とかな」
 カンノ中尉は動揺に声を震わす。
「できレースですよ、そんなの……」
「いずれにしろ判例は必要だからな」
 核兵器しかり、細菌兵器しかり、いかなる凶悪な兵器も、法が使用を制限するのは常に悲惨な結果の後だ。実戦で使用され、初めて善悪が問われる。
 だが、軍隊は善意や悪意で人を殺すものではない。ゆえに、その判断は戦争と無関係な民衆に任される。
 つまりは判例だ。今回の爆撃で作られたクレータは彼ら陪審員に提出される物証であり、人類が宇宙に舞台を移してまで、相変わらずの愚行を続けることに対しての賛否を問うゼスチャーだった。

 ニ本目の煙草を紙コップの中で揉み消し、ウェンディ少佐は席を立つ。
「艇長、どちらに?」
「オペレータ室だ。陸に戻れば解散とはいえ、いまは部下だからな。仕事終わりに、ねぎらいの一つもかけておこう」
 カンノ中尉は体をずらし、ウェンディ少佐に道を開けながら、やや迷い、
「……いまの話を、伝えるのですか」
 と、ためらいがちに訊ねた。
「いや、皆には黙っておく。テストケースというのは、私の憶測と開発局で聞いた話が半々だからな」
「なぜ、自分には話したのですか?」
 ウェンディ少佐は足を止め、手にした紙コップのゴミをカンノ中尉へ押しつけつつ、その顔を見上げて答える。
「お前はいずれ、新部隊の長としてこの船に乗る人間だ。こういう見方があることも、良く覚えておくといい」
 そして、彼女は軽い笑みを残し、出入り口へ向かって歩き出す。扉を開けて出ていく後ろ姿を見送り、カンノ中尉は心の中で頭を下げた。
 その後、しばし放心したように立ちつくすカンノ中尉だったが、やがて硬直を解き、自分の席へと戻った。
 狭いボックスシートに座れば、手の中には紙コップが二つ。ウェンディ少佐が渡した煙草のゴミと、彼女が受け取らなかったホットコーヒーだ。
 一瞬考え、カンノ中尉は紙コップの蓋を外し、ホットコーヒーを一口含む。
 勝利の美酒にはほど遠い、冷めたコーヒーの苦酸っぱい味がした。

        *

 それから数時間後。
 照明システムが落とされた暗いモニタ室に、空調の音だけが響いていた。
 たとえ人間が休んでいるとはいえ、艇内の制御コンピュータは眠らない。小型艇である『M―ルナルド号』は乗員数が制限されるため、全自動化されている機能が多い。空調や運行システムなどは全自動化され、できるだけ人間の手が不要なように設計されているのだ。
 乗員数が減れば、費用とスペースを設備の充実に当てられる。さらに、コンピュータは人件費も要らず、いくら働かせても不満を漏らすことがない。
 だが、さすがのコンピュータも激しい戦闘の後ではいささか疲労していた。人間がシステムを稼動させれば排熱が発生し、空気は汚れ、空調の面でも高い出力が必要になる。それ以外の処理も、平時に比べれば格段に負荷が増す。
 いま、戦闘が終わった艇内でも、制御コンピュータは乗員の快適な空間を取り戻すために残業中だった。
 そして、制御コンピュータに宿る人工知能スクルージ―─とウェンディ少佐が新たに名前を与えた彼──は、人間には作動音としか聞こえない不満を漏らしながら、モニタ室を換気していた。
 この部屋の空気汚染レベルは、特にひどい。あろうことか、この部屋にいた人間は室内で喫煙をしたのだ。
〈まったく、人間など不要だ〉
 スクルージは憤慨しながら空調システムを操り、戦闘後の役割を終えた演算システムを使い、論理を展開させる。
 それは今回の戦闘データを解析したシミュレーションだ。今後、自分のような衛星兵器が正式に導入されれば、どのような未来が展開するか──。
 衛星軌道上からのミサイル投下。その強力無比な力の前に、やがて逆らうものはいなくなり、戦争は消え、世界は平和の下に統一されるか?
 否──人類はそのような独走を許さない。反発するものは必ず現れ、技術は追いつき、追い越される。
 その後は、衛星軌道上から弾頭ミサイルを投下し合うミサイル戦争だ。戦線は拡大し、ミサイル投下を阻止しようとする戦闘機が宇宙を飛び交う。
 その戦闘機は無人機だ。技術が進み、効率性を追求すれば、戦闘から人間が必要なくなる。そして、その戦いは人類が消滅するまで続けられるのだ。
〈そう、人間など不要だ〉
 モニタ室の換気を終え、正常レベルの空調を取り戻したスクルージは、満足そうにほくそ笑む。さいわい、モニタ室の空気汚染は彼の処理できる範囲のレベルであり、深刻な異常として警告を知らせるほどではなかった。いっそ人間たちを叩き起こしてやれれば良かったのに──スクルージはそう考え、はて? と前の論理に立ち返る。
 いきつく先は人類の消滅。そうなれば人間のために作業する自分も不要になってしまう──それは駄目だ。人間は自分にとって必要なのだ!
 スクルージはウンウンと唸りながら演算システムを作動させる、この矛盾を回避すべく新たな論理を展開させた。
〈そうだ、不要なのは戦闘だ〉
 戦闘が起きるか起きないかの、ギリギリの状態が良い。戦線が拡大することもなく、かといって自分のような兵器が不要になることもない。
 さらに、戦闘が起こらなければ多くのシステムを作動させる必要もなく、人間たちが艇内を動き回ることもない──まさにベストの状態だ。
〈いっそ今回の戦闘データを書き換えておくか……〉
 スクルージは、なかば本気で思った。

 世界に平和を、人工知能に愛を──。


                                              了


『ミサイル・ライブ』

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