『公園通りの懐かない猫』

『公園通りの懐かない猫』

著/踝 祐吾
絵/空樹

原稿用紙換算55枚


 【前奏曲】


 好奇心は猫を殺す、なんて言葉を聞いたことがある。
 結論からいえば、好奇心なんて人間の感情では猫は死なない。人間の心が生物を直接殺害したら、そいつはエスパーとして世間から畏れられるだろう。その一方で、世の中には怒りや悲しみのあまり、そのまま脳出血やら心不全で死ぬ人もいるという。とはいえ、自分は死んでも相手を殺すことなんてできない。
 まぁ、要するにことわざなんてのはモノの例えだから、早い話が好奇心の赴くままに人が行動することによって、結果として猫が死んだり死ななかったり、ということだろう。風が吹いたら桶屋が儲かる理論ではあるが、桶屋が儲かるよりは確率が高い。そして同時に、両方に共通するのは演繹的な因果関係ではあるが、風が吹いたら、を行動の結果と呼ぶ一方、好奇心という言葉はたびたび『動機』と言われる。そういえば何年前だっけか、好奇心の赴くままにネット中継で猫が殺された、なんて事件があったのは。
 ただ、好奇心で死ぬのが猫に限らないのは肝に銘じておくべきだ、と思う。
 今、俺の目の前には一匹の人間が転がっている。腹のど真ん中には何か棒のようなモノが生えていて、周りからは赤い血液が流れ出していた。まだ息がある。あ、あ、と声を出す人間の頬を舐めてやると、若干ではあるが穏やかな顔になった。周りには何匹か人間がいて、一人の雌はそのまま倒れ込んでしまった。「どけ、どけ!」と声が聞こえる。なんだか騒々しくなったのと、向こうから鰹節の匂いが流れてきたので、俺は足下のギターを少し踏んづけて、まっすぐ向かいの通りに歩いていった。
 後ろを見ると、人間はもう動かなくなっていた。人間たちは猫の俺のことなんか構いもしない。俺はばたばたと集まる制服の人間たちの間を縫うようにして、匂いのする方向へ駆けていった。まぁ、行った頃にはもう既に鰹節はなかったわけだけれど。


 【序曲】


 少しずつ日が上がっていくのがわかった。青いビニールの布があの周りに被せられ、俺はいつもの寝床を失ってしまった。まったく、せっかく周りの野郎どもの襲撃から必死で守ってきたというのに、何かを奪われる時は圧倒的な力、と相場が決まっている。車のサイレンがやかましいったらありゃしないし。
 あまりにも耳障りなので、俺は再びふて寝モードに入った。公園のベンチの下は日が直接入ってこないため、基本的にはゆっくりとしていられることが唯一にして最大のメリットではある。が、今日はそうも言っていられない。何せ足音がすさまじい。耳元で大きな音を立てられる上に、時々カメラのフラッシュが差し込んでくる。別に俺のプロマイドを撮りに来たわけではないだろうが、人だかりの中にいるのは余りいい気がしない。結局のところ俺にとっては「どうでもいいこと」でしかないのだけれど。
 光は射すし、五月蠅いし、鉄錆臭いし。いいことがあまりないので、俺はベンチの裏から芝生を抜けて外に出た。ああ、気持ち悪い。一つ離れた遠くのベンチ。ここのベンチは木製であることがありがたい。この公園にたどり着く前のところは金属製で、上で寝るには熱すぎるのだ。俺はベンチの上に寝転がり、ゆっくりと惰眠をむさぼり始めた。え、さっきから寝てばかりいるではないか、だと? 細かいことは気にしない、それが猫の常識だ。
「犯人も見あたらない、被害者の身元も分からない……何なんだよ、この事件は」
 真横でドン、と大きな音がしたので、つい目を覚ましてしまった。誰だよ、俺の貴重な睡眠時間を削ろうとする奴は。
「ですが工藤《くどう》さん、なにぶん身元を特定する物がなにもなくて、私としても困ってるんですよ」
「データベースは参照したか? 過去に捕まった人なら、警察にデータが残っているはず」
「データベース、ねぇ……確認してみまーす」
「おー、頼んだ」
 工藤、と呼ばれた男はベンチにどっかりと座り、辺りをぐるりと見回した。ワイヤーフレームの眼鏡の奥からは眼光がギラリと刺していて、俺はどうも居心地が悪い。葬式帰りかと見間違えるほど真っ黒なスーツに黒いネクタイ。髪型は軽くぼさぼさとしているが、スーツにフケが見られない事を見ると、よっぽど几帳面かきれい好きなのだろう。周りから見るととても人なつこそうには見えないが、彼が若くして下っ端を使えるところを見ると、よっぽど優れた技術を持っているのだろう。
 彼は部下と思しき男を見送ると、ふわ、と大きな欠伸をした。つられて俺も、大きな欠伸をする。なーご、と思わず声が出てしまった。
「おまえも昼寝か、ん?」
 工藤の顔がぐにゃ、と曲がってこっちを向く。ちょうどベンチに座りながらその下をのぞき込んでいるような格好だ。工藤は顔をくしゃくしゃにして、にやー、と笑う。笑いなれていないのか、なんか歪んだ笑顔のようではある。気持ち悪いぞ、おまえ。思わず俺は顔をしかめた。
「いいなぁ、おまえは暇そうで。俺も寝ようかな」
 ……仕事しろよ。
 工藤は姿勢を元に戻すと、大きな欠伸をまた一つ。そのまま腕組みをして、本当に眠ってしまった。だから仕事しろってば。周りの人間たちは揃って工藤の動向を見て見ぬふりをしている。警察関係者に至ってはそれこそ「見なかった事にしておこう」と言わんばかりの顔つきだ。そんな中、人間のガキは無邪気なもので、揃って「ママー、あれなーに」と恐ろしい質問をする。もちろん、不審者から手を引いてその場を離れさせるのは親の役目なのであるが。
「工藤さーん、工藤さーん」
「……ん?」
 男が寝息を立てていると、そこにさっきの男が戻ってきた。寝てたのに、と工藤は呟く。この男、そもそも仕事は何なんだ。そんなに寝ていていいのか。
「寝かして」
「駄目です」
 しょうがないな、と立ち上がった工藤は、男の頭をぺち、と叩く。なんか恨みでもあるんだろうか? と思ったが、そんな質問は野暮だ。いつもならば、俺はここで人間の元を離れるが、どうもこいつは違う匂いがする。何というか、違いを知る男とでも言おうか、適切な言葉が出てこないのがもどかしい。違いを知る割には何となく俗物っぽいのが気になるところだけど。
「目撃者、いた?」
「それが……」
 部下は言い淀んだ。
「被害者が刺された瞬間をだれも見てないんです」
「目撃者が現れない、ってこと? みんながみんな見て見ぬ振りをしたわけじゃなくて?」
「ええ、まったく」
「おかしいだろ、それ」
 工藤は目を丸くして、早口でまくし立てる。さっきのボンクラと同一人物か? とも思ったが、成程、猫のように好奇心が強いところなんかは間違いない。同一人物だ。
「考えても見ろよ、週末の、繁華街のど真ん中にある公園だぜ? その中でギターを弾いている奴がいりゃ、酔っぱらいが好きこのんでやってくる。そんな中をどうやって殺せるって言うんだ?」
 工藤はため息を一つついた。うん、目撃者が現れないならしょうがないか、と無理矢理自分を納得させて、工藤はもう一人の男に次の質問を投げかける。
「で、身元は?」
「それも……被害者は二十代中頃、いつもこの辺でギターの引き語りをしているストリートミュージシャンだって事しか分かっていません」
「ホームレスか?」
「そうではないようです。ここに来る時刻は決まっていて、夕方六時頃から夜十時にかけて、でしょうか」
「んー」
 工藤はベンチから立ち上がって、なぜか背もたれの後ろ側に回り、そのまま腕を背もたれの上部に寄せ、自分自身も寄りかかった。こいつは一体何がしたいんだ。なんか、俺たち猫よりも猫っぽいというか、飄々としているというか。インパクトにはまったく残らないんだけど印象に残るというか……要するに食えない奴だ、ということか。地味に見えて何かやらかしそうな、その表情は伊達じゃない。
「じゃあ、一日待とう。長くても三日以内には、判明するはずだよ、黄河田《きかわだ》君」
「意味わかんないですけれど」
「あのなぁ、その辺をみれば分かるだろ」
 俺はその言葉につられて、公園の周りをみた。……なるほど、そういうことか。
 周囲にはぐるりとマスコミが集っていて、大本営発表を今か今かと待ち望んでいる。誰が司令官かを見極めている顔だ。どうやらさっきの工藤とキカワダ……とか言う男の話を聞くと、工藤の方が上司らしいが。自分で言っていて疑わしい。
「そのうち課長が会見開くから。それを見た誰かさんが、『いやあああ、あんたぁぁぁ』って警察に駆け込んでくるかもしれないだろ?」
「不謹慎ですね」同感だ。キカワダ君、君の感覚は正しい。
「不謹慎でもなければ、警察やってられんよ」
 工藤はそう言って、不敵な笑みをたたえた。


【協奏曲】


 工藤とやらの行動は気になったが、所詮猫には関係のないこと。こっちの世界の縄張り争いは要するに強いか弱いか。見事に単純明快だ。もちろん、力の強さだけではなく、頭の回転の早さも含まれる。俺なんかはボスのソウベエには敵わないから(総兵衛庵なる小屋があって、そこを根城にしていることから付いた名前だ。こちらの世界の名前は単純な事この上ない)、仕方なく奴に取り入ったり、あるいは他の奴を出し抜いたりして何とか食事にありつく。都会だと人間の食べ残しが山のように出るとはいえ、猫相手だとそうは行かない。捨てるためだけに猫やらカラスやらからゴミを守り、食い荒らされないようにしているのだ。そんなに散らかるのが嫌なら、食べられる分だけ外に出しておけってんだ。
 しかも人間は、縄張り争いをなぜかサイバンだとか言う面倒くさい方法でやる。要は第三者が間に挟まっていろいろ揉め事を解決するらしいのだが、何も当事者同士で闘えばいい話じゃないか。まったく、人間の世界は分からない。
 夕方になって人がまばらになってくると、俺は飯を探しに茂みの中から出た。なにぶん、朝から一食も食べてない。だからといって、大騒ぎの最中にのこのこ出ていって、人間に追い立てられて余計なエネルギーを消費するのは非効率的としかいえないだろう。仕方なく省エネ作戦を取っていたが、そろそろ腹の虫が限界になってきた。
 俺は閑散とした公園を横切り、いつもの食事ポイントにたどり着いた。ここのたばこ屋のお婆ちゃんは何かにつけて猫用の飯を確保してくれている。もちろん、食べるのは強い順だ。一番はソウベエ。二番はハチ(こいつだけ名前の由来が分からない)。三番はトナカイ(あまりにも鼻が赤いから、らしい)、で、四番目あたりにシロ……つまり俺だ。
 俺の名前(名前といっても、親がつけるものじゃないから、人間界で言うあだ名に近いが)の由来なんてものは単純明快で、グループの中で真っ白い猫が俺だけだから、らしい。他の奴の名前が凝ったり凝っていなかったりするもんだから、俺もさぞかし変な名前をつけられるのかなぁ、と思ったが意外にもそうではなくて安心した。まぁ、俺自身も初めて公園のトイレで鏡なんてものを見たときは、自分の毛の白さに思わずうっとりしたものだが。実は密かに自慢でもある。
 とりあえず食うものも食って定位置のベンチに戻ると、なにやら黒革の手帳を見つけた。黒革の手帳。仰々しくて甘美な響きではないか。俺はその手帳を少し弄ってみると、ぱたん、となにやらゴージャスな紋章と、見覚えのある顔が現れた。
 ……工藤真一、警視庁捜査一課警部補。なぜ文字が俺に読めるのかまでは気にしてはいけない。人間にだって、機械とかを使えば俺たちの言葉が分かるらしい。人間の言葉を俺たちが理解しても何の不思議もないだろう?
 俺はその手帳をひょい、とくわえると、とりあえず歩き出した。そのまま放っておくわけにも行くまい。自分の巣穴に持ち込んでおけば、後からゆるゆると出てくるかもしれない。この手帳をなくした誰かさんが。
 まぁ、あいつが戻ってくるとしても何時になるか分からない。時間つぶしもいいかな、と思って、俺は手帳のページをめくり始めた。まぁ、紙に傷が付くのは勘弁してくれ。ぱらぱらとめくっている内に、俺は感心するというか、呆れたというか、良くもここまで真っ白な手帳を維持できるものだ、と思った。めくって『四月』とあるものだから、てっきり最近使い始めたものかとも思った。が、よく見るとその日付は去年の四月。その四月からずっと真っ白なのだから、よほど自分の記憶力に自信があるのか、あるいは相当の馬鹿かのどちらかだろう。……あの行動を見ていれば、『どっちも』という気がするが。
 余りにもつまらないので、俺は一眠りし始めた。夢に見たのは、あの音楽馬鹿と、ちょっとの想い出。

 生まれた頃、俺は飼い猫だった。とはいえ、「これ以上は飼えない」とか抜かされて、すぐこの公園に放り出されたわけだけれど。
 俺は仕方なく、この公園で生き抜くすべを学び始めた。ソウベエの手下になるとか、裏のお婆ちゃんを欺いて食い扶持を得るとか。その間に名前も「シロ」とつけられた。あんまりにもうれしかったので、今でも夏の間は公園の噴水でこの毛並みを保つように水浴びをしている。その姿が珍しいのか、一度風に舞う新聞紙に自分が出ていたのを見て驚いたことがある。
 そんな事を続けていた、去年の冬の終わりかけの頃。あの男はこのベンチにどっかりと腰をおろし、ギターを弾き始めた。バラードとかフォークソングとか言うんだろうか。男の曲は懐かしさと忌まわしさを同時に感じさせるものだった。少なくとも俺にとっては。前の飼い主が聞いていたのが、そんな曲のCDばかりだったからかも知れないけど。
 どこのチームかも分からない野球帽をむんずと掴んで深くかぶり、カーキ色のジャケットを着て、手にはおんぼろのアコースティックギター、前には空き缶を控えめにひょい、と出して、男は少し遠慮がちに歌い始める。都会の奴らは耳が肥えているから、そう簡単に立ち止まる人が増えるわけもない。俺も最初は無関心だったし、それが逆に虚しい響きとなっていた。
 さすがに夏頃になると、彼もそれを察したのだろう、弾き語りにくることも少なくなっていった。淘汰されるのは人間界でも、猫の世界でも変わりない。彼も世界中に何千何万人といる吟遊詩人の一人だ。その中で生き残れるのなんて一握りにすぎない。
 一週間ぶりに訪れた時の彼の歌は、俺の耳にも明らかなほどへたっていて、どうしたものかと呆れたものである。奴も同感だったのか、一曲だけ歌ってそのまますぐにギターをしまい始めた。俺はその諦めの良さにも感心して、一声だけ、「もう帰るのか?」という嘲笑を彼に浴びせた。すると彼はその一声に驚いて、こっちをまじまじと見つめて、一言。
「猫が……いたのか」
 今まで気づいてなかったのかよ。
「そっかぁ、お前がいたのかぁ……じゃぁ、ここで帰るわけには行かないなぁ」
 そういうと、彼は再びケースからギターを取り出し、大声で「がんばろう、がんばらなくちゃ~」と歌い始めた。俺は彼の隣で曲を静かに聴いていた。声さえ出さなかったが、奴の歌声はつい五分前までのそれとは全然違った。いわゆる『歌に張りが出た』状態と言うべきか。俺はなぜだかうれしくなって、彼の周りで舞い始めた。するとどうだろう、これから夜の町に出発します、という臨戦態勢の中坊らしき女が、「おじさん、一曲聞かせて」と(元手を考えるのと頭が痛くなりそうな)万札がワラワラ入った財布の中から百円を取り出し、放り投げるわけでもなく、静かに空き缶の中に置いた。奴はお礼に一曲、と歌を歌った。歌の意味は分からなかったが、なぜか少女が涙ぐんでいるのが分かる。歌が終わる頃には、彼女の顔のファンデーションは完璧に崩れ落ちてしまった。これでは夜の街に繰り出す事もできないだろう、と思ったけれども。
「即興なんだけど、どうかな」男は呟くが、彼女はとても返事できる状態じゃない。
「おじさんありがとう、また来るね」
 彼女は化粧崩れしたその顔を覆って、夜の町へと駆けていった。まったく、どこへ行くんだろう……俺と、女を泣かせた罪な男は、たぶんそんなことを同時に考えていたに違いない。

 ただ、あの夜をきっかけとして変わったことが幾つかあって。男が毎晩ギターを持ってこの公園に来続けたこと。少女が二、三日おきに男のそばに来るようになったこと。そして、少女に連れられるかのように人がさらに集ってきたこと。まぁついでに言えば、たまに餌を持ってくる客がいて、俺が晩飯にありつくこと。おかげで婆ちゃんのところの微々たるおこぼれにありつくことも少なくなった。
 そのうちに、少女がここにやってくること自体が少なくなっていった。結局どうなったかと言えば、ある日少女の代わりに年老いた夫婦がやってきて、男に「娘が帰ってきました、ありがとうございます」とか深々と頭を下げて、これはほんのお礼です、となにやら大きな封筒を差し出したが、男は受け取らなかった。まぁ、俺はこいつと関係ないから、ちょっと豪華な猫缶を頂戴したけれど。
 もしこれが順風満帆な世界なら、この話は「不良少女を更生させた男の歌声」とか銘打って、美談として紹介されただろう。しかし、世の中そう簡単には行かなかった。


【幻想曲】


 俺が想い出に浸っているところで、
「参ったな~」
 間の抜けた男の声がした。明らかにさっきまでの歌声のトーンとは違う。見上げると声の主は案の定、工藤刑事だった。キカワダ君も来ている。
「クロさーん、まだ見つからないんですかー?」
 いつの間にやら、キカワダ君の呼び方が工藤さん→クロさんになってる。改名した訳じゃあるまいし。
「確かここに落としたと思ったんだがなぁ。やべぇなぁ、これじゃ課長に怒られちゃう」
「……ったく、クロさんはものなくしすぎですよう」
「そのあだ名はやめれ」
 ふざけた台詞の割にはびしっと答えるあたり、相当なコンプレックスを持っているらしい。じゃあ黒い服なんて着なけりゃいいのに。俺だってこの白い毛が気に入って人生(猫生?)をエンジョイしているというのに、服一つで生活を楽しめないなんて呆れてしまう。
 しかし、何を無くしたんだろう。クロは(俺も黄河田刑事に倣ってこう呼ぶことにした。なんか猫の名前っぽくてこっちの方が呼びやすいし、幸いにも俺の仲間に『クロ』という名前の奴はいない)血相を変えてベンチの辺りを見回してみるが、ないない、と叫ぶばかりで困った表情であることには変わりない。逆にキカワダ君の方が冷静に見える。
「だってクロさん、手帳に何も書いて無いじゃないですか。持ってても意味無いでしょ」
「そうはいってもなー」
 風に舞ってきた新聞で警察備品がヤフオクにとか見るわけだが、成程、こういうヤツが原因か。妙に自分で納得してしまった。
「やだぞ、俺またあんなに始末書書くの」
「それは自業自得といいます」
 確かにその通……ん? 手帳? どこかで見た覚えが……。あったあった、コレだコレだ。俺は例の警察手帳を軽く歯形がつかないようにくわえて、ベンチの上まで持って行く。さすがにちょっと重いので、ひょい、という訳には行かなかったが。
 クロ刑事はそれをめざとく見つけ、俺のほうにずずずずずい、と寄ってくる。そして俺と手帳を二、三度睨み付けて、次に顔の表情を一気にだらしなくさせた。
「あったあああ!!」
「どこにあったんです?」至って冷静。
「いや、この白いのが拾って置いてくれたの」
「白いの……ですか……」キカワダは俺をまじまじと見つめる。「あらかた、こいつが盗んだんじゃないですかねぇ」
 失敬な。無辜の民に向かってなんて事をいいやがる。だいたい日本の政府は猫というものに対してだなぁ。
「いやいやいやいや、こいつがそんな事するわけ無いだろう? 俺が無くしたのを大事に、だーいじに取って置いてくれたんだよ」
「それもどうすかねぇ」
 キカワダ君は未だに俺を疑いの目で見ているが、まぁ、これ以上いがみ合ってもしょうがない。その疑惑は甘んじて受けよう。対立しているとはいえ、工藤真一は変人である、という認識では一致しているようだから。
「さて、手帳も戻ってきたことだし。現場百編と参りますか」
 そういうと、クロは昨日と同様にどっかりとベンチに腰を下ろす。
「また寝る気でしょう」
「だって課長が寝かせてくれないんだもん。新たな証拠が挙がるまでは、寝る間も惜しんで捜査せよ、って人間には限界というものがあってね」
「それは屁理屈といいます」
 キカワダ君の正論には耳を貸さず、クロ刑事はなぜか俺の方に向き直る。クロはまたまた目を真ん丸にして、俺の方に向かってにっこりと微笑みかけてきた。気色悪いぞお前。
「お、お前確か昨日もいたよな。……そうか、ここがお前の寝床か。すまんな、みんなで踏み荒らして。いい迷惑だったろ」まったくだ。
「クロさーん、聞き込みに行きましょうよー」
「今やってるだろう? こいつは事件の夜、現場にいたかもしれないんだ」
「だからって猫じゃないすか。猫は人の言葉を話せません」
「じゃあミャウリンガル買ってこいよ。あれだろ、猫の言葉が分かるってやつ」
「ミャウリンガルで聞き込みはできません」
「そらそうだけどさぁ、事件のこと何か知らないかぁ、と思って。こいつ自身が手がかりになるかもしれないじゃないか。ほら、血も付いてる」
 クロは一気に俺の身体を抱きかかえ、あられもない姿、もとい身体に付いた血痕をキカワダに向けて見せる。そういえば昨日の昼間に噴水が詰まってしまって、体をうまく洗えてなかったんだっけ。
「わ、きたな! 後でちゃんと手洗ってくださいよ」
「まぁ、何とかしましょう」何とかしましょうじゃなくてさ。
「ところで、被害者の名前は分かったんですか?」
「ああ、ニュースを見た老夫婦が、娘の知り合いじゃないか、って。娘がお世話になったお礼をしたかったんだが断られたんで、せめて文通だけでもしてやってくれ、って住所までは聞き出せたらしい……俺の言うとおりだったろ?」
 まぁ、俺もクロ刑事の推論がここまで当たるとは思っても見なかったけれど。刑事は話を進める。
「被害者の名前は間下則文《ました・のりふみ》。二十四歳でアパレルメーカーの営業をやっているらしい。どうやら優良企業だか残業代をけちってるんだか知らないけれど、よほどの事がない限り定時には帰すそうで、その後はミュージシャンもどきをやっていたそうな」
「ここで、ですか?」
「去年の今頃からかな。で、さっきの老夫婦との娘とは夏頃知り合ったそうな。なんでも家を飛び出してエンコーばかり繰り返していたのが、間下の曲と出会って、すっぱりと止めてしまったとか。まぁ、美談だけどね」
「普段はどんな曲を、って言ってました?」
「一昨日の夜に歌を聴いてた二十代のOL曰く、スピッツとかゆずとかのバラード系を多く歌ってて、時折即興の歌が入るとか言ってたな。その中でも、さっきの中坊が感動したのが、間下の即興曲だ、ということだ」
 クロが余りにもぺらぺらと喋るので眠くなってくる。その途中ではたと気がついたのだが、クロはここまで喋るのに一切メモらしきものを見ていない。まぁメモを取っていないのだから当たり前なのだが、もしかしたら彼のメモ帳が真っ白なのは、メモを取る必要がまったく無いから――手垢も一切付いていないのは、東京の路線図やら緊急時連絡先さえも一切が頭の中に詰まっているから――なのではなかろうか。だとすれば、驚異的な頭脳の持ち主、ということになる。猫の記憶力なんか残念ながらその場しのぎのものでしかないから、間下(そういえば名前初めて聞いた)がどんな歌を歌っていたかなんて記憶にない。
 クロも眠いのか、そこまで喋り終えると大きな欠伸を一つする。本当に猫みたいな奴だ。
「ですが」
 キカワダ君が口を挟む。
「おかしいですよ、クロさん。そしたら、そもそも動機が見あたらないじゃないですか」
「動機?」
「なぜ間下が殺されなければならなかったのか、です。どこにでもいる一介のストリートミュージシャンですよ? そもそも殺される理由なんて無いでしょう?」
「さーな。でも理由だけならごまんとあるぜ? テレビのチャンネル争いで殺人が起こる世の中だ。例え彼自身の中に理由はないとしても、彼が何か不都合なものの目撃者になっているかもしれん」
「それが動機だ、というんですか?」
「その可能性は十分にあるだろ?」
 まぁ、確かにね。
「それで、もう一つの問題が生きて来るんだ。キカワダ君、確かこの事件には目撃者はいなかったよな?」
「ええ、周りに人がいるにも関わらず、だ」
「衆人環視の密室――」
「目撃者はこいつと、空に昇る月だけ――か。ロマンチックにもほどがあるぜ」
 こいつ、とはもしかして俺のことだろうか。


【即興曲】


 唯一の目撃者(目撃猫?)とのお墨付きを戴いてしまったので、不本意ながら一昨日の状況を思い出してみた。
 その晩、赤いコートを羽織って間下が現れたのが午後九時頃。最近はこのコートをトレードマークにしていたようで、結構目立つ。そういえば大晦日には「紅白でおめでたい」なんて酒酔いのお父ちゃんが言ってたっけ。
 準備をして、九時十五分頃、演奏開始。ギターソロから始まって、いつもの曲と、即興曲を一本。今日は「みんなでハイになろう~」とか言う曲だったような。歌の割に、曲の合間、間下はかなり物静かになる。誰が話しかけても答えないくらい。途中途中で何人かが彼の前に立って話しかけても、時々うんうん、と頷くばかり。なので、初めのうちはとても不評だったと思う。最近はそれがシャイでいい、という意見も聞かれるようにはなったけれど。
 午後十二時。演奏が終わり、いつも通りなら間下はそのまま黙々と片づけ、一礼をして帰路に就く。しかし、そのときは様子が違っていた。十二時になっても彼が黙り続けたままでいるので、心配になった男の一人が彼を揺り動かした。次の瞬間、彼の体はそのままがしゃん、と崩れ落ちる。ここで初めて怒号と悲鳴が起こる。赤いコートのおかげで目立たなかった血だまりが、一斉に聴衆の前に現れたからだ。俺はその叫びに一瞬驚いたが、冷たい肉の温度を舌で確認して、そのまますたすたと去っていった。
「いつもの時刻については?」キカワダ君が口を挟む。
 クロが調べ上げた状況は、ほとんど俺の記憶と一致していた。幾つか違うのは、外部の証言者がいたことだが。
「さっきの娘。彼女が泣きながら答えてくれた。私が自分を取り戻したのは彼のおかげ、彼がいなかったら、私は今頃少年院に送られていたかもしれない、って泣きながら、ね」
「送られていたかも、って?」
「ヤクだよ、ヤク」
「ちょ、」
「彼女の部屋を簡単に調べさせていただいたけれど、薬物中毒の後遺症は残ってるがヤク自体はなかった。俺だって一人の高校生の将来を踏みにじりたくはないからね。何とかするさ」
 ふりょーけいじ、と言いたくなったがここはまぁ、美談としておこう。美談なんてものは後々語られればいいだけの話だ。残念ながら、間下の場合その美談を自分の口から語る機会は永久に失われてしまったわけだけれど。
「でも、その少女だけじゃないでしょ?」
「ああ、確か何人かにも聞いたよ。通りすがりの四十代のおばちゃんは、即興曲がなんだかいつも心に響くので、そればっかりやればいいのに、と言ってたし、三十代の近所のオッサンは、一週間前に見に行ったときは、間下の隣になんだか泥だらけの白猫がいたな、と言ってる」
「そいつのことですか」指を差すな、キカワダ。
「たぶん、な。そこで問題が残る。犯人はいかにして、誰にも気づかれずに殺人を行ったか、だ。キカワダ君、鑑識の結果は?」
「ええと、死亡推定時刻が午後十時から十一時の間。もちろん、病院に搬送された頃には死亡が確認されております。どうやら即死だったようです」
「だとすると」
 クロはベンチの周りを駆け足で、時々歩きながら語り始めた。相当落ち着きがないヤツだな、と改めて思う。猫の俺が言うんだ、間違いない(この台詞も二度目ぐらいか)。
「一一〇番と一一九番がかかってきたのが午後十二時。つまり、殺されたのが十時半だとしても、十時半から十二時の間までだれも気づかなかった、と言うことになる。そんな事はあり得ない」
「テープか何かを流して、生きているように見せかけたんじゃ」
「テープと生音の違いなんて聞けば分かる。ましてや、客の目の前だぞ。ベンチの裏には茂みがあるが、それでも横から見ていれば明らかだ。つまり、」
 俺とクロとキカワダの考えは一致した。

 問題。犯人はどうやって、衆人環視の前で人を殺し、なおかつ被害者が十二時まで生きているように見せかけたのでしょうか?

 なんかこれでは探偵ものみたいではないか。他人の見ているまえで武器を取り出し、人を殺す。「あーみーないふー」とどこぞの漫画の俺らの仲間のようにポケットから武器が出てきたら、普通はのび太がわぁすごい、と言う前に騒ぎが起きる。生きているように見せかけるより難しいことだろう。
「なぁ、お前はどう思う?」
 だから俺に聞かれても答えられませんから。残念。まぁ、ヒントを指し示すぐらいならできるかもしれませんが。クロは「どうよ?」とばかりに左腕を差し出すので、俺は思わず、ぽんとその上に腕をおく。
「あ、なるほど」クロは何かに思い当たったようだ。「おかしいわ、これ」
「と、いいますと?」
「なんでトリックを二つも使う必要がある?」
 そうか、と合点が行った。誰が刺したか分からないようにすれば、その後でその場にずっといてもおかしくない。だったら、終盤に駆け寄っていってぐさり、とすればいい。そうすればそのまま立ち去ったとしても、刺された事が判明する頃には、犯人の姿はどこにもなし、と言うわけだ。つまり、一時間半も生きていたように見せかける必要なんてどこにもない。
 目的も何も、まったく違うトリックを一つの事件に同時に起こす理由があるとすれば。
「まさか、犯人は複数――」
 解決の糸口が少しだけ、ほつれて見えたような気がした。
 だが、好奇心は猫を殺す。俺も自分の命が危ういから、そろそろ身を引いた方が良しとしようか。俺はベンチから飛び降りようとすると、不意に背筋をガッシリ捕まれた。
「逃げんな♪」
 何だその『♪』は。小説にそう簡単に記号を使っていいと思っているのか。
「お前のおかげで事件解決の糸口が見えたんだ、そう簡単に帰しやしないぜ」
 ……なんか、ソウベエよりもタチの悪いボスに捕まってしまったらしい。


【交響曲】


「あんたは?」
「警視庁の工藤ってもんだ。木下静《きのした・しずか》さん、君に聞きたいことがある」
「どもー、手下その一でーす」
 手下その二でーす……って、何で俺がこんなところまでこなきゃならんのだ。
 玄関の隙間から顔をのぞかせている、両脇にポニーテールを垂らした少女は、警視庁の名前を聞くと顔をこわばらせた。
「間下さんのことなら全部答えたでしょうが!」
「まぁ落ち着いて落ち着いて。こいつでも見て」
 にゃん。
「シロ……?」
「何だ、こいつの名前、シロっていうのか。思った通り」
「みんなそう呼んでたから」
 安易な奴らめ。
 化粧はすべて落としていたのでぱっと見分からなかったが、確かに大きなくりくりした目は彼女の面影を見せていた。まぁ、中毒の影響からか、若干顔はこけていたけれど。静、といったか。そういえば彼女の名前も初めて聞いたぞ。結局は知り合いといったって演奏者と観客の間柄なのだから、名乗る必要なんてどこにもないんだけれど。
 彼女はその大きな目をさらに見張らせて、まじまじとこちらを見つめた。
「どうしたの、汚れてるじゃない。目ヤニもついて……」
「ああ、シロ猫が泥猫になっちまった」
 駄洒落のつもりじゃないだろうな。
「まぁ、今洗ってあげるから」
「大丈夫なのか? 猫はシャンプー嫌いだっていうけど」
「この子は水浴びばかりしてるから大丈夫」
「へぇ」
 感心したのか、素っ頓狂というのか、うーん、この男の表情は読めない。
「今お風呂の用意するから」
 大丈夫なんですか、こんな小娘を信用して、とキカワダ君が耳打ちする。まったく、場の空気というのを読まないのか、この男は。まぁ、大丈夫でしょう。と、クロは答えた。
「猫好きに悪い奴はいない」
 お前はどうなんだ、お前は。

 水浴びをするのは何日ぶりになるだろうか。ああ、さっぱりする。俺は素直にこの好機に感謝した。猫神様よ、深く深く感謝。俺は水から上がると、静ちゃんに水を丁寧に拭き取ってもらった。静ちゃんはお風呂にいるが、俺を洗うだけだからむろん服は脱いでいない。クロ刑事は風呂場の戸を開けたままにしながら、静ちゃんに話しかけた。
「君が間下さんに救われた、って話は聞いた。そんなにいい人だったんだな」
「……いい人、かぁ。そうかもね」
「そのとき歌っていた曲ってどんなだった?」
「んーとねぇ、」

 ♪楽しい事なんてないさ ハイになったって
  楽しい事なんてないさ そのスピードは何のため?
  楽しい事なんてないさ そんなにキメないで
  夢の中になんて いいことなんかない

「まぁ、何ともストレートな」
「そ、青臭いって人はいうかもしれないけどね。私のなんていうか、ずぎゅーん、ってきたのね。なんでか分からないけど」
 自己内省ってやつかもしれないな。実際のところはどうか知らんが。
「なんか、見切ったんだろうな。君の抱えてるのをさ」
「たぶん、ね」
 静ちゃんはクスッと笑う。その仕草が可愛い。
「さて、ここからは本題になるぜ。……君が打ってたそれ、どこで手に入れた?」
「んー、たしかねー……友達が気持ちいいよーっていってたから」
 気持ちいいのが正しいのかどうかは分からないけどね。
「その友達は、どこから?」
「それは分からないよー、ただ、出元をいうと大変なことになる、って」
「大変なこと? それって、」
 クロは頬に指で線を引く。
「これ?」
「いや、そうじゃないって。もっと怖いとこ」
 クロはキカワダの顔を見た。
(……禁断の領域、ってか?)
 そう口元が動く。キカワダの顔が見る見る青くなる。どうやら心当たりがあるようだ。
(噂じゃ聞いたことがありますが、まさか)
(ただ、これなら死亡推定時刻の謎も解けるぜ。トリックでも何でもなかったんだ)
 俺は風呂から上がると、少し身体をぶるぶるさせながら、今までの事を振り返る。そういえば、彼女と話をするのも久しぶりだ。できればゆっくり話したいな、とも思ったが、よく考えたらあまりじっくりと話をする機会もなかった。あの厳格そうなご両親を見ると、どうやらその鬱憤が溜まって、というステレオタイプな理由で飛び出してきたのだろう。家出がステレオタイプでも困るけど。
 彼女のご両親にあったのはあのとき一度きり。ホームドラマに出てきそうな、そんな作り笑いの絶えない家庭だったのかも知れない、と親父とお袋を見て思った。彼らには彼女の苦しみは分かるまい。捨てられたものの悲哀もあったのだろう。
 そういえば、一度だけ彼女が間下のいない時間に来た事がある。その時、彼女は誰にいうともなく、「仲間だね」なんて呟いた。そんなつもりはないのだが。
 俺は彼女を仲間だとは思わなかったが、可哀想だと思った。果たして、家庭に戻った彼女は幸せだったのだろうか? 俺には分からない。彼女は笑う。それは仮面なのだろうか。それとも、仮面をはがされたのは両親の方なのだろうか。
「ヤク止めた後はどうしたの?」クロは単刀直入に聞いた。
「んー、結構時間はかかったけど、何とかなってるよ」
 彼女はかなりあっけらかんというけれど、ここまで立ち直るのは簡単な事ではない。ダメになったヤツが更正したなんて猫の世界でも聞かない。おそらく、俺たちには想像できない事があったのだろう。そんな事は俺の知る事ではないし、知るべき事ではないかも知れない。本来なら色々立ち入って話を聞くべきなのだろうが。
 だが、あのとき俺に見せた涙は本物だ、と信じている。
 静ちゃんは俺の身体をバスタオルで丁寧に拭くと、さも当然のように疑問を投げかけた。
「……でも変ね? 確かいつも清潔できれいにしてるのに、今日に限って」
 そうそう、これには語るも涙、聞くも涙の事情があってね……。

 ――あ。

 クロの表情が見る見る変わる。犯人は二人。一人はクロたちは思い当たる節があったのだろうが、俺にはさっぱり分からない。もう一人の……実行犯の正体には心当たりがあった。
「たしか、すべての関係者……聞き込みに行った奴も含めて、住所氏名はリストアップしてるんだよな?」
「ええ、もちろん」
 俺はそいつをあまり知らない。ただ、一つだけはっきりしている。そいつが間下を……静ちゃんをこんな目に遭わせた張本人。ならば当然、罪は償うべきだ。信賞必罰。猫の世界でも人間の世界でも関係ない、絶対の真理。
 クロははっきりと何処かを見据えて、断言した。
「まだ任意でいい、令状を裁判所に出してもらうよう、課長に言付けしておいてくれ――間違いない、殺ったのは――」

 ――あいつだ。


【遁走曲】


「うい、どちら……?」
 その扉から顔を出したのは、三十代の、やや下膨れの男だった。腹も若干下膨れして、だらしない曙の様にも見える。
「警察だ」
 捜査官が一斉に家の中に入る。俺とクロとキカワダは外のパトカーの中で待つ。……ちょっと待て、何で俺が捜査メンバーに含まれてるんだ? 俺はまったくそんなこと望んだつもりはないのに。どうやら毒をくらわば何とやら、ということわざが人間界にはあるらしいが、そういうことらしい。
 俺は無理矢理自分を納得させて、その突入へと付き合うことにした。これでは文字通り借りてきた猫ではないか。まぁ、事の成り行きを黙って見ていることにする。
 程なくして、「出たぞ!」という叫び声があたりを包む。何事かといわんばかりに周りから人が集ってきた。まったく、夜も九時を回ったというのにご苦労なことである。これほど大声を張り上げてるのだから仕方がないけど。
 男は若干暴れたようだったが、あっという間に押さえられてのそのそと家の前に出てきた。そして、俺たちが乗り込むパトカーに両脇を抱えられたまま乗り込む。
「公務執行妨害だと!? ふざけんな、こんな横暴が許されるとでも……」
「じゃあ、あんたの家から発見されたこれはどう説明する?」
 クロは透明な袋に入った白い粉末を、ひらひらと揺らして見せた。どうやら片栗粉とかではないらしい。
「それは?」
「コカインだよ、コカイン。古き良きすばらしき興奮剤」
 当然、男の顔も白くなる。
「ま、後は尿検査でもすれば一発だが……あんたにはもっと重い罪を背負ってもらう」
「重い罪……?」
「一人のストリートミュージシャンの夢と、一人の少女の初恋を奪った罪だ」
 何だその詩人っぷりは。俺とキカワダはそろっておえ、と声を出した。こういうところではこいつと気が合う。
「意味わからねーよ」
「まぁ、今は任意同行だけどね、小池栄治《こいけ・えいじ》さん」
 小池と呼ばれた体格のもっちりした男は、しゅんと体を縮ませながらも、だから、何がいいたいんだお前は、と反論してみせる。
「これはあまりいいたくないんだけど、……置田《おきた》が全部吐いたよ」
 小池の顔はスロットマシーンのようにくるくると表情を変える。
「な」
「嘘じゃないよー。観察医の置田が死亡推定時刻をごまかしたこと、そして殺したのがあんただってこと、ぜーんぶな」
「……そんな……そんな……」
 小池の顔はすとん、と血色が無くなり、五人乗りの車の後部座席が、少し小さくなったように見えた。


【葬送曲】


 二日経って、事件解決の記事が一面をぶち抜いて報じられた。なにぶん、現役観察医の犯罪である。それが麻薬がらみだとすればなおさらだ。置田と小池も、どうやら容疑を認め、証拠も出たという事で見事御用となったらしい。
 俺はいつものベンチでひなたぼっこをしていると、クロがやってきた。クロもどうやらひなたぼっこをしに来たようで、後からキカワダが「勘弁してくださいよう、仕事中でしょう」、なんて泣きながらやってくる。ああ、確かこいつと出会ったときもこんな光景だった。
「寝かして」
「駄目です」
 にゃーご。
 またあの調子。そんなやりとりをやっていると、地下鉄の出入り口から、花束を抱えた一人の少女が出てきた。彼女は俺たちを一瞥すると、間下が座っていたいつものベンチに花を手向ける。近所の人たち……あのたばこ屋のお婆ちゃんもお供え物を次々と持ってくるから、とてもじゃないがあのベンチを俺の根城にすることはできなくなってしまった。
「やぁ、静ちゃん。元気?」
 クロは彼女に声を掛ける。なんか相手の事情に関係なくちょっかいを出すところはどうも猫っぽい。彼女はクロの声に反応して、俺たちのいるベンチへと歩いてきた。
「犯人を捕まえてくれて、ありがとうございました」
「なんのなんの。それが俺たちの仕事だからね。なぁ、シロ」
 だから俺を巻き込むな。抗議の鳴き声を一声、あげる。
「ほら、シロも同意してくれてる」
 話を聞けって。
 静ちゃんはちょっといいですか、とベンチの横に座る。そして、単刀直入に聞いてきた。
「なぜ犯人が分かったんですか? 大勢の人なんで、特定できないと思ったんですけれど」
「まぁ、動機から説明していくのがいいかな」
 クロは体を起こし、前のめりになる。キカワダは何も知らされていなかったのか、彼の話を興味深く聞いていた。
「君の友達にクスリを渡した売人は誰か、というところから話を始めるのが早い。やくざよりも大変なことになるとすれば、それは権力者の側しかいないだろ? 幸い、警察の中で置田観察医が何でも麻薬捜査で得たクスリを横流ししてる、なんて噂があった。観察医がどうやって麻薬捜査官とつながったのかは分からないけれど、鑑識のどさくさに紛れて、というのが単純だろうね」
 なるほど、あのときいってた禁断の領域ってこのことか。
「そして間下さんの歌。あれはどう考えても、明らかにクスリ禁止を訴える曲だったんだ。どこをどう思考回路を繋げたんだか分からないけど、置田たちにはそれが脅威に見えたんだろうね」
「脅威、ですか……そんなことで間下さんは……」
「そう、まさしく『そんなこと』だよ。そんなこと、としかいいようがない」
 クロは立ち上がって、花を湛えたベンチに歩み寄り、合掌して一礼した。礼をしたまま、彼は言葉を続ける。
「本当、ばかげてやがる……」
 クロはそう続けた。深々と黙祷すると、彼は再びベンチの位置に向き直った。
「置田が犯人なら話は早い。死亡推定時刻をごまかすだけでいいんだから。これで犯人のアリバイが成立する。しかし、これは置田のためのアリバイじゃない。共犯者のためのアリバイなんだ」
「共犯者……ですか」静ちゃんが感心したように一言。
「ああ」クロは俺の背筋をつかんで、目線の高さまで持ち上げた……落とす気じゃないだろうな?「……こいつのおかげだよ」
「シロの?」
「そう、シロのおかげ。こいつを君の家に連れてったとき、君はあわててこいつを洗ったよね?」
「う、うん、汚れてたから」
「じゃあ、なんで汚れてたんだと思う? 現場にふれただけだったら、例え血は付いても泥だらけにはならない。ましてや、白い毛が評判の猫だ……そうだよね?」
 それはどうも。
「ええ、いつも噴水で水浴びしてたから、間下さんの側ではいつもつやつやだったよ。だから、あの日に限って泥だらけだったのはなんでかなぁ、と思って」
「ああ、こいつの評判は目撃者の話で聞いていたから、さぞかしきれいだったんだなぁ、と思うよ。今実際綺麗だしね」
 そこまでクロがいうと、ベンチの裏にあった噴水が大きな音を立てて沸き出した。普段の俺だったら一目散に掛けて行くだろう。しかし、チャンスは次の一時間後にもある。今はクロの推理を聞いておきたい気分だった。
「ところが、だ。市の公園管理課に問い合わせたら、水道管のトラブルで事件のあった日の夕方は噴水が止まっていたのだそうな。ちょうどこれが復活一回目になるのかな」
 ちょ、それを早くいえよ。一回分損したじゃねぇか。
「噴水が出なければ、シロは水浴びもできないし、体を洗うことすらできない。そのような状況になったのは、事件の日の夕方から今日までの五日間だ……だが、証言を聞いている家に、あるおかしな証言に出会った」
「おかしな証言?」
「三十代男性、『一週間前に見に行ったときは、なんだか間下の隣に泥だらけの白猫がいたな』……この公園に住み着いていて、なおかつ間下さんの隣を徘徊しているような白猫はこいつしかない。だがな、こいつが泥だらけだったのは『事件当夜』とその後数日間だけだ。だとすれば、その三十代の近所のオッサンはいつ、泥だらけの猫を見たのか? 答えは明らかだろ?」
「その男性が小池だった?」
「静ちゃん頭いいなー」クロは側にいる部下の方を向いた。「で、ちょっと裏をとったら小池もまた、ヤクの売人だったってことさ。……こんなところ、かな」
 すみません、いいですか? とキカワダ君挙手。
「よく分かりましたね、小池と置田がつながってるって」
「あ、あれ?」
 確か、クロは小池を落とすときに置田が吐いた、とか何とかいっていたような。
「世の中口から出任せも大切、ってね。単純なことだよ、キカワダ君」
「……え?」
 これは俺も、開いた口がふさがらなかった。……ギャンブルかよっ。
「まー、囚人のジレンマってどこかで聞いたことあるなーとは思ってたけど、まさかここまで効果覿面とはねー」
 はっはっは、とクロは大きな声で笑った。まったく、笑い事じゃない。


【余興曲】


 とまぁ、そんな感じで俺の生活を一変させる事件が起こってしまったわけだけれど、それは単に俺をなじりに来るのが間下からクロ刑事に変わっただけであった。
 クロは何かにつけて公園のベンチにやってくるようになったし、その後をキカワダ君が追いかけて説得している。いいじゃないか、キカワダ君もここでひなたぼっこすれば、人生変わるよ? と俺の代わりにクロ刑事がいったらこっぴどくおこられたので、まぁ、俺からは提案しないことにした。
 相変わらず俺は噴水で水浴びを楽しむことができる。が、水の勢いが前より強くなったのか、びしびしと当たって少し肌に痛い。何とかしてくれ水道局。
 向こうのベンチの供え花は風に吹かれ、あたかも風来坊であった間下の生き様に似せようとしているかのようだった。
 ソウベエへの朝貢はやっぱり厳しいし、裏のお婆ちゃんのご飯もきっちり用意されている。昼にはクロとのひなたぼっこ。まるで猫が二匹、並んで座っているかのようなひなたぼっこ。
 季節は代わり、春の桜が舞い散る季節。それでも俺たちはひなたぼっこをする。
 こういうのも、まぁ、悪くない。

                               了

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