『It's only talk.』

『It's only talk.』

著/夏目 陽
絵/踝 祐吾


『Introduction』

 いつかに語った、くだらない話。だけど、止め処もなく、溢れ出す言葉。そう、僕らはただ、君にこれらを話したかっただけなんだ。


『Solitary travel』

 一人旅と言うのはよいものである。早くに経験出来るなら、なおよい。私は中学生の頃に一人旅を行ったことがあるのだが、未だにあの経験を忘れることはない。すべて自分で決断する重さと楽しさ、誰にも邪魔をされない身軽さ。朝、少々雲のある空を見上げ、雨が降りませんようにと願った。何時間も同じ席に座っていた感覚。規則的な振動。やっと鈍行列車を降りて、初めて踏み出した北海道、函館という地。潮の香りが鼻腔をくすぐり、朝市は活気に満ちていた。私の住んでいたところではテレビでしか見ることが出来なかった路面電車。その乗り心地は私の心を落ち着かせるには充分だった。名前も知らない人と話をし、一緒に食事をし、一緒の部屋で過ごす。それは楽しさと私の冒険心をくすぐり続けた。だが、次第に込み上げる一人でいると言う孤独。誰も知っている人がいないこととは、これほどまでに怖いことだったのだろうか。当てもなく町を彷徨った。まるで自分だけが、そこにいるかのような錯覚。しかし、三日の放浪を終え、函館を離れる時、私はこの土地に不思議な愛着を感じたのだ。観光地と呼ばれるような場所はいっさい回らず、路地などをぶらぶらと歩き続けただけにも関わらず、私の記憶には今も美しい風景として残されている。列車がゆっくりと動き出し、やがて充分に速くなる頃、私は最後に車窓から函館を見た。遠くに五稜郭が見えたのだった。私は席に身を任せ、遠く秋田の地で私を待っている、家族のことを思った。


『Only the woman understand it.』

 遠くで歓声が響く。私は煙草を喫いながら、それを聴いていた。開けた窓からは心地よい風とともにいろんなものが運ばれてくる。吐き出した紫煙はすぐに窓の外へ流れていった。教室の中には私しかいない。今の授業は体育だった。朝からなんとなく気だるさがあった私はそれを無断で休んだ。体育の担当教師は悪い人間ではないが、時折、言動が矛盾しており、それが私は好きになれなかった。だから、私は時々、体育を休むことがある。実技科目は授業に参加しないと単位をもらえないが、一、二回休んだところで進級が危うくなることはないからだ。私は巡回している教師に見つからないところに隠れながら、校則と法律で禁止されている煙草を喫っていた。
 喫い終わった一本目を携帯灰皿に入れる。立て続けに二本目に火を点けた。使い古した灰皿は本来の銀色よりも黒ずんでいる。友人にみすぼらしいと言われ、新しい灰皿を買おうかなと考えたことは幾度もあるが、結局それは実行に移されていない。昔から使い込まれたものが好きだったからだ。
 その時、教室の扉を誰かが開けた。私は火を点けてまだ間もない二本目を足裏で消すと、そちらの方を見た。扉を開けたのは私と同じ学級の女子であった。彼女も私を見ていたので、視線が合う。彼女は私の名前を呼んだ。私はその時初めて、ほっと胸を撫で下ろした。惜しいことをした二本目を悔やみながら、三本目に火を点ける。彼女は私の隣に来ると「一本、頂戴」と言った。私が煙草の箱を渡すと、彼女はそれを眺めながら「女の子が喫うみたいなものを喫うのね」と言って、煙草に火を点けた。初めてとは思えない仕草で口から煙を吐き出す。「授業は?」
『『It's only talk.』
「面倒だった」と、私が答えると彼女は「実技は授業に参加しないと単位がもらえないわよ。ただでさえ、進級が危ういんでしょう?」と忠告した。だいぶ、誤解されたものだと、私は自嘲する。私は学級の中でも成績はいい方である。成績で人間の順列が決まるとは到底、思えないのだが。続けて彼女は「この煙草、美味しくないわね」と呟いた。「身体に悪いのに」
「身体に悪いものが美味しいとは限らない」私は言った。あまりにも彼女の言葉が面白かったからだ。私は「美味しくない煙草だってあっていいじゃないか」と付け足した。だが、彼女は私の言葉に納得していないようで「身体に悪いものでも美味しいから喫うんでしょう? 身体に悪いもので美味しくなかったのなら、喫う意味がないと思わない? それでも喫う人って、きっと依存症よ」
「そういう場合は特に理由がないんだ」私は指先で携帯灰皿を弄びながら言った。ふと、足元を見ると吸殻が落ちていることに気づいた。私はそれを拾い上げ、携帯灰皿の中にしまう。「煙草を喫うことに深い理由が必要かい?」
「あなたって私が思っていたよりも嫌な人ね」彼女はそう言った。私は苦笑するしかなかった。つい最近にも同じことを古くからの友人に言われたばっかりであったからだ。私は話題を変えようと思い「そういえば、君も授業を抜け出してきたの?」と言った。
「あなたみたいに無断で休んだわけじゃないわよ」彼女が眉をひそめながら言った。その姿が妙に可愛らしかった。しかし、彼女の言葉から察するに休む理由があったようなのだが、私にはどこにもそれを見つけることが出来なかった。どこか怪我をしているわけでもなく、病気でもなさそうである。気だるそうな雰囲気もないことから、頭痛や貧血でもなさそうだ。「理由は?」私が訊くと彼女は「え?」と首を傾げた。「休んだ理由は? 特に何も悪そうに見えない」
「女にしかわからないことよ」彼女はそう言った。それ以上、具体的なことを何も言おうしなかったので、私は頷きながら「ああ、そういうことね」と言う。「そういうことね」を三回ほど繰り返して言った後、「そういえばさ」と私は呟いた。彼女は「何?」と言った顔を浮べる。「生理ってそんなに痛いの? 運動出来ないぐらい」
「そんなの女にしかわからないことよ。どんなに男に説明したってわからないわ」彼女は煙草を喫い終わるとそう言った。私は灰皿を彼女に手渡すと「でも、『女にしかわからないこと』ってとても使い勝手のいい理由だよね」と言う。「だって、僕たちにはわからないんだから。どんなに僕たちが大丈夫って言っても『女にしかわからないこと』で済まされてしまう」
「実際、あなたたちにはわからないでしょう?」彼女は私に尋ねた。私が頷くと、彼女は勝ち誇ったような顔を浮かべる。
「でも、ちょっとだけ気になるんだ。嘘も誇張もなしで実際はどうなのか知ってみたい」
 私がそう言うと彼女は少々眉をしかめ「あなたってやっぱり嫌な人ね」と言った。私は自嘲ではない笑みを浮かべながら「嫌な人って言うのは僕にとって、褒め言葉なんだ」と応えた。私は何本目かの煙草に火を点ける。続けて何本も喫ったのは久しぶりだ。ふと、友人の声が聞こえた。校庭に視線を移すと、友人が校庭を縦横無尽に走り回っている。どうやら今日の競技は蹴球だったようだ。何も言わない彼女を見て、私は「話しにくいなら、僕から質問する形にしようかな」と言う。彼女もそれに頷いた。
「まず、最初に。今、何か不調なところはあるかな?」私が訊くと、彼女は首を横に振った。「別に体育ぐらい出来るわよ」
「僕はあまりにも君達がそんなことを言うから、生理って言うのはとても痛いものだと思っていた」と私が言うと、彼女は微笑んだ。手を口元に持っていき、笑うその仕草に、私は好感を持った。「個人差もあるわよ。痛い人は痛み止めを飲まないと本当に辛いぐらい痛いみたいだけど、ほとんどの人は運動に支障が出るようなことはないわ」
「なるほど、君達は本当に痛い一部の人たちを利用して、この炎天下で走り回らなければいけない体育を休んでいるわけか」私は続けて「生理が近くなると不機嫌になったりするのは? それでよく僕は困る」と言った。それを聴いて彼女は驚いたような顔を浮かべる。「あら、今も困っているのかしら? それなら原因は生理よ」彼女の質問に私は「そうか、原因は生理か。まったく恐ろしいものだなあ」とおどけて答えた。
「それも嘘よ。別に不機嫌になったりすることはないわ。私が不機嫌なのも生理のせいじゃなくてあなたのせいだから、安心して」
「正直に言ってくれたことは嬉しいけれど、後半はいただけないなあ」
 私と彼女は一緒に笑った。心地よい風が駆け抜け、土の匂いと煙草の匂いを運ぶ。彼女は立っているのが疲れたのか机に座った。足をぶらぶらと動かす。真っ白な膝小僧に私は一瞬、見とれてしまった。「もう一本頂戴」と彼女は私に言った。私は彼女に煙草の箱を渡すと「それはあげる」と言った。「いらないわよ、こんな美味しくないの」と彼女は言いながら、火を点けた。「そういえば、これってあなた達が悪いのよ」
「これ?」私が訊くと「生理を特別扱いすることよ」と彼女は紫煙を吐き出しながら言った。「だって、あなたたち、小学校の頃に生理中の女の子をいじめたりしなかった?」
 私は幼い頃の記憶を思い出そうと試みる。小学校の頃の記憶はほとんど忘れてしまった。一、二年前の頃ならば思い出せることがあるのだが、それ以降のことはほとんど覚えていない。不思議なのは幼稚園の記憶の方がはっきりしていることだ。「あったかもしれないし、なかったかもしれない。もしかしたら僕も一緒になってやっていたかもしれない。だけど、憶えていないなあ」
「私のところではあったわよ。嫌だったわ。どうして女に生まれてきたんだって両親を恨んだこともあったし」彼女は私でないどこかを見ながら言った。「そういう経験をしたんだから、今度は女であることを振り回してもよくないのかしら?」
「さあ、だけどそれならこっちが迷惑だ。結局、どちらかが優位に立とうとすると、どちらかが不満を募らせるだけじゃないの? 女性であるとか男性であるとかは別にどうでもいいんじゃないかな? やっぱりお互いの理解が大事なんだよ。『女しかわからないこと』を作るから、女が男よりも優位になる。女性尊重主義っていう考え方があるけれど、それは大部分の人が男根主義に対する女性の反発みたいに捉えられている。だから、女性は躍起になって権利を主張しているように言われるし、まるで今までの力関係を逆転させようとしているようにも聞こえてしまう。だけどもしもそうなら、すぐに男性尊重主義なんて考えが生まれる」
「あなたって難しいことを知っているのね」彼女が長い睫毛をつけた目をぱちくりさせながら、私を見た。「まあ、作家志望だからね。勉強にまったく関係ない知識なら、いろいろ入っているんだ」
「作家志望なんだ。それじゃあ、本を書いたりするの?」彼女が私に尋ねた。「そう、社会に適応出来なかった人がなる職業」と私が言う。「誰かがそう言っていた」
「ねえ、さっきの話の続きをしましょう」彼女はそう言って外れかけた話題を戻した。長くなりそうな話題だと察したからだろう。「それなら、どうすればいいのかしら? 男性も女性も尊重し合って生きていくためには」
「難しい問題だね。それに関して何人もの女性が考えてきたことだろうか」と、私が言うと「あなたは男でしょう?」と彼女が指摘した。私は「今更、男性であるとか、女性であるというのはあまり関係ないんじゃないかな? 女性の気持ちをわかる男性がいてもいいし、その逆もまた然り。そういうのが僕は大事だと思うよ。だから、さっきみたいに『女にしかわからないこと』を作るとその関係が壊れてしまう」と意見を述べた。彼女が可愛らしく首を傾げると、唸りながら私の言った言葉を咀嚼していた。私はその間、彼女がくわえている煙草を見た。彼女は私の視線に気づいたのか、こちらを見た。私は素早く視線を彼女から逸らす。
「それじゃあ、あなたも私に『男しかわからないこと』を作っちゃだめだと思うわよ」
「まあ、そういう意見を主張しているんだから、それに関する質問なら正直に僕は答えるよ」
 私がそう言うと、彼女が何度か口篭りながら「ほら、男の人って勃起するじゃない」と言った。「まあ、ならない人もいないわけではないけれど」と私がからかうと、彼女は「あなたはやっぱり性格がいやらしいわ。絶対に女性に嫌われる性格ね」と刺のある口調で言った。私は「ごめんごめん」と呟きながら「それで、それがどうかしたの?」と言う。
「男の人が勃起する時って、可愛い女の子の前だけなの?」
 彼女の質問を訊いて、私は笑いが止まらなかった。笑い出すと彼女はしばらく呆然とした後、「ねえ、どうして笑っているのよ?」と語尾の口調を強めながら言った。私はそれが彼女の怒っている時の印だと気づいていたので、お腹を押さえながら笑うことを止めた。久しぶりに爽快な気分になれるまで笑えたと思った。「だって、そんなことが本当だったら僕達はほとんどペニスが勃起しないことになっちゃうじゃないか」
「せっかく私が言わないでいたのに。そんなこと口に出すから男って無礼なのよ」
「それじゃあ、君はペニスをなんて言えばいいのかな。僕は一番ペニスがいいと思うよ。学者だってそう言っている。言いたくなくても言わないといけない場合はみんなペニスって言っているよ。まあ、それが正しい名前だからね。それとも君はペニスをちんこと言ったほうがいいのかな。それとも可愛いもの好きの君達のことだから子供っぽく、おちんちんと言ったほうがいいのかな」
「最低」彼女はそう言い放つと私に背を向けた。私はため息をつくと何度目かの「ごめん。わるかったよ」を言った。しかし、それでも彼女の機嫌は直らないようで、「あなたって人をからかうのが好きなのかしら? それしては度が過ぎているわよ」と言うだけであった。もしもこれが友人との会話であったならば、これが私の性格だから、という言葉で済むのだが、まさか彼女にそんなことは言えない。私が望む結果とは逆のものが得られることは予想に難しくなかった。
「ペニスが勃起するってことは君達が思っているほど特別なことじゃないんだ。別に可愛かろうが可愛くなかろうが勃起する時はする。別に何にもしていない時にもなる時はある。もう一度言うけれど、僕達にとっては別に特別なことじゃないんだ」
「そうなの?」彼女がこちらのほうを再び向くと私に尋ねた。私は頷いた。「なんだか呆気ないわね」と、彼女が呟いた。
「そんなもんだよ、真実って言うのは。驚きも何もありはしない、なんだか呆気ない感じがするものが一番信用出来る真実なんだよ」
 彼女は私の携帯灰皿を取って、その中に喫っていた煙草を入れた。「煙草と特別授業をありがとう。それじゃあ、友達を迎えに行くから」
 私は携帯電話を見た。そろそろ授業が終わる時間だった。私は彼女に向かって手を振った。彼女は扉の手前で立ち止まると最後に「あなたが言いたかったことは相互理解だったのかしら?」と、私に尋ねた。「本当はもっと難しい話なんだ。相互理解だけでお互いを尊重し合えるなら、きっともう、女性尊重主義なんて言葉はなくなっている。ただ、問題は相互での話し合いによる理解だけでは追いつかないところがあるんだ。だけど、今回の話でそこまで理解出来れば君は優秀な生徒だと思うよ。この話は難しいから、また今度、機会があったら話してあげる。美味しい煙草も用意してね」
 彼女は私を見てにっこりと微笑んだ。私はそれを了承の印だと受け取った。彼女が教室が出て行った後、私は携帯灰皿に喫い終わった煙草を入れた。その時、ふと、彼女の喫った煙草が目に入った。フィルターの部分が噛んであった。素敵な癖だと思った。私は一人微笑みながら、新しい煙草に火を点ける。


『Outroduction』

 僕らの話が終わっても、またさらに別の誰かによって話は紡がれ続けるだろう。だってそうだろう、僕らはただ、話したくて、話したくてしょうがないのだから。


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