十号記念祭コラム - 回廊とわたし

「回廊」とわたくし

著/キセン


 しかし何を面白いと思って「回廊」に参加しようと思ったのか、今となってはもはやよく思い出せない――とか書くとのっけから不穏な感じがするが、ほんとうにそんな感じだ。今もそうだが、当時はさらにテンションだけというか、むしろ反動だけで生きていたから、クラスメイトと自分を画する一線を欲し続けていただけかもしれないとも思うのだけど、その方法は他にもたくさんあったはずで、いろいろなめぐり合わせのすえに結局僕はこうしてこの文章を書いている。小説を読むのも、書くのも確かに好きだけど、でも他にもっとちゃんとそういうことができるひとはいるし、僕だってそういうことしかとりえがないはずではないのに(まだ見つかってないけど)。
 まあ最初に、渋谷か池袋か忘れたけど、カラオケボックスのなかで秋山さんに誘われて引き受けたとき、もちろんその前段階として投稿サイトに小説を投げたり、サイトを作ったり、「ミステリ系音楽会の夕べ」という同人誌に参加したりとそういうのがあったのだけど、でもその瞬間に大きな変化が僕の人生に生じてしまったことは認めざるを得ない。だって三年だもんねえ。長いよ。そのあいだ断続的に、僕は「回廊」という雑誌に関わり続けてきた。秋山さんにメールするだけで作品が掲載された時代から、他に類を見ないくらいシステマティックに体制が構築された現在まで。小説書いた、コラム書いた、超短編書いた、書評書いた、編集やった、扉絵作った。三年前の小説は今の僕にとって、幼い頃に生き別れた双子の弟(一卵性)の写真のような、なんか奇妙なものにすぎないけど、それでもそれは「回廊」という場に自分が残した消せない痕跡だ。そしてあのころ、僕がこの世界に残したかったのはそういうものではなかったか。それが超短編であろうと、書評であろうと、編集した作品であろうと。
 はたからでも人を使うことに長けているようには見えないだろうに、なぜか編集を任され、慣れない扉絵を作り、あげくいまや「雲上」の編集長だ。深入りしすぎなほどに深入りしているのに、それでも最近僕と「回廊」の距離は遠くなる一方だ、と思う。あのころに比べて一日の過ぎる速度のなんと速いことか。屈辱と憎悪と限界まで膨れ上がった自意識を抱えて生きていたあのころに比べて。はたからはそう見えなくても今の僕はそういうのをわりと飼いならせるようになっていて、それで。
 だからもう一度痕跡を残したいと僕は思っている。深い、何をしても消えない、痕跡を。もう一度。
「回廊」はそのための手段です。僕にとって結局は。三年間ずっと、そしてこれからも。なんかすいません。

了   




回廊とわたし


著/遥 彼方


 回廊、育ったよなあ、と思う。この三年の間に、もうほんと、むくむくと。
 そして、わたしも、少しは……。
 一番最初、小説めいた何かを自分のサイトにぽつぽつと浮かべていた頃、わたしは何も考えずにぼうっと空中を漂う、綿毛つきの種みたいなものだった。で、その素性も知れない種は、回廊っていう鉢に植えられて。回廊の中の人たちや、作品を読んで感想を下さった人たちから、お水と肥料をたんともらったわけである。
 すると、何かが生えてきた。わお。
 鉢のほうも鉢のほうで、この三年でずいぶんと、大きく美しくなった。あちこちで花が咲いたりして、中身もどんどん充実してきている。

 わたしを生やしてくれた回廊と、回廊を読んで下さる人に感謝します。
 いつかこの鉢植えを、色とりどりのきれいな花で溢れるくらいにしたいものです。

了   




回廊と私、あと小説


著/恵久地健一


 まずは『回廊』発行三周年、おめでとうございます。自分が参加してからは、約二年。それ以前をふり返ると、初任給で購入したパソコンで執筆を始めたのが、十八の頃。
 最初は賞金を目当てに、長編、短編を問わずに応募して、ほとんど落選。そのあいだに仕事をして、お金もたまり、賞金目当ての意欲は低下して。自費出版系の文庫本には作品が掲載されたけど利益はないし、得たものは、お金を払えば下手な素人でも本が出せることの虚しさだけでした。
 大手出版社は、新人賞の投稿以外では持ち込みを受けつけない状態で。その頃は、若くて精神的にも幼稚だから、出版社の都合で動くのが嫌に思えて、小説を書くのも、読むのも面白くなくて、それで筆を置いたのが一年半。
 その後、たまたま投稿系のネット小説サイトをウェブ上で見て、趣味で楽しむために参加して。そこで批評や感想をもらい、読者を意識した書き方とか、読みやすい文章とか、色々と考えさせられました。そのサイトには、編集長の秋山さんや、副編集長のイサイさんもいて、そこからほとんど偶然のような形で、『回廊』へ参加しました。
 編集長とは昔からの知人ではないし、執筆の場所を探したら、そこに秋山さんが居ただけで、特別な好意や尊敬は、あまりないですけど。
 ただ、場所を借りている恩義はあるし、そのぶん作業を手伝うし、どちらが上とか下とかではなく、対等な関係として同じ雑誌を作れればいいと考えてます。
『回廊』は好きなように作品を発表できる場所で、実力をみがく場所です。プロでやるなら、好きなように書いても編集者からNGを出されないだけの実力がなければ意味はないし、まだその実力は足りないと思います。相手の利益を満たせなきゃ、自分のやりたいことだけでは駄目なので。
 それと、以前は執筆のときに普段と違う自分を作る意識があったけど『回廊』のおかげで執筆が日常的になって。
 違う自分を作ることは、創作への逃避だから、それでは自分の小説を本当に書くことはできないし。執筆をする自分を真剣に考える機会を与えてくれたことには感謝しています。
 そんな感じですけど、今後ともよろしくお願いします。
 読者の皆様、三年間ありがとうございました。

了   




回廊と僕と超短編と編集と


著/水池亘


 回廊に参加した当初は自分が編集作業を行うなんて考えてもいなかった。編集長から超短編部門長の打診を受けたとき、だから僕は驚いた。そして迷った。確かに僕は他の回廊参加者に比べて超短編に接してきた時間は長い。しかしそんな理由だけで何のためらいもなく了承できるほどの自信など僕にありはしなかった。
 そのとき思い出したのが自身の超短編の編集作業だった。担当は編集長だった。僕の提出した超短編は何度も突き帰され、内容は初稿とは全く違った物へと変化していった。何でこれで駄目なんだ、そう感じた事も何度もあった。しかしその作業は実は快感でもあった。最終稿を書き上げ、編集OKを貰ったその時に、僕はそう確信した。
 あの時の経験があるからこそ今の僕の肩書きは「超短編部門長」なのだ。

 超短編を明確に一つのジャンルとして扱う雑誌は、商業誌を含めても殆ど存在しない。これは回廊の特殊さの一つであり、そして強力な武器だ。しかしまだ足りない。回廊の超短編はこんなものでは終われない。その思いは常に僕の中に在る。
 超短編のみならず、回廊は今後も進化し続けてゆくだろう。まだ道は半ばである。しかし、その節目としての第十号。今は、ここまで歩んでこられた事を素直に祝福したい。

 回廊第十号、おめでとう。

了   




回廊と私


著/桂たたら


 回廊がなかったらこんなに小説なんて書いていなかった。
 きまぐれにぽつぽつ書いて、飽き性の私のことだ、すぐに小説ではない別の趣味を見つけていたに違いない。こんなにひとつの趣味が長続きするなんて珍しい。これもひとえに回廊があってこそ、である。
 ただ、今でも、いつぱったりと筆を取らなくなるか、分かったものではないけれど。
 他の趣味を見つけたり、情熱が消えてしまったりして、妄想を形にすることを止める日まで。
 少なくともそれまでの間だけは、キーボードをポコポコ叩き続けるのだと思う。

了   




回廊と私


著/鞘鉄トウ


 ええと、『回廊と私』をテーマに何か一筆ということなので、色々と考えてみたんですけど、なかなか上手く文章がまとまりません。なので、自分は一言だけ、『回廊』と『回廊』を支え、そして盛り上げて来た大勢の参加者と読者の皆さんに、感謝の言葉を送りたいと思います。皆さん、本当にありがとうございます。『回廊』という場がなければ、自分は小説を書き、発表しようだなんて、夢にも思わなかったことでしょう。『回廊』は創作という形で、自分のささやかな存在証明をこの世界に残せることに気づかせてくれました。これは、とても得難い発見だったと思います。繰り返しになりますが、『回廊』よ、本当にありがとう。あなたに出会えて良かった。

了   




回廊と私


著/遠野浩十


 僕はコラムみたいな文章を書くのが苦手で、「回廊と私」なんてテーマで一筆書けと言われても大変困る。コラムというのは大抵、「テーマに沿っていれば何でも書いていい」のだから楽に書けそうなものだけど、アドリブスキルの低い僕にとって、「何でもいいよ」という言葉はザラキ並の効果があるのだ。「コラム書いてください」という言葉が「死んでください」に聞こえる。そもそも「何でもいいよ」という言葉だって、暗に「面白いのを期待してるよ!」って言っているようなものじゃないか。これって僕だけの脅迫観念ですか? 被害妄想ですか?
 ここまで、『回廊』と関係のない話しかしていないことに気づいた……。編集長のボツは怖いが、書き直すのも手間なので、無理矢理続けることにする。そうでもしないとコラムなんて書けない。コラムは苦手なんだって。そうそう、だから『雲上』で僕がやる予定だったコラムも企画倒れで終わってしまうんですよ。っていうか、最近思い出しました、アレ。言村さん、キセンさん、ゴメンナサイ……一行小説もスミマセン……。謝罪してたら思い出したけれど、よく考えたら『回廊』に参加してからの僕の活躍ぶりは、まさに謝罪から謝罪への見事なアクロバットと言うほかない。『回廊』に小説担当で参加して一年が経つのに、掲載された小説作品が未だに一つしか存在しないという事実は、詰まる所、〆切落としたり、ボツ食らったり、原稿書けなくてネット上から雲隠れしたり、といった地道な消極的活動に拠る所が大きい。そしてその度に僕の謝罪が回廊編集部の片隅で虚しく響いていたわけである……。実に虚しい、虚無的な話である。
 これらのエピソードから賢明なる読者諸兄はお気づきと思うが、実は、僕はコラムだけでなく小説を書くのも苦手なのだ。センスも才能もなければ、粘りも根気も皆無である。せめて文才があるとか、想像力豊かとか、記憶力抜群とか、一つくらい取柄があってもよさそうなのに、そんなものは一つもない。こんな奴が作家志望であるなんて、笑い話にもなりはしない。
 まあ、笑えないなら真面目な顔して小説書くしかないわけで、無様に健気に逃げたり戻ったりを繰り返しながら、今後も『回廊』で小説を書いていこうと思う所存でありますし、規定の文字数も尽きてきたところで、そろそろ第十号の原稿執筆に戻ると致します、ハイ。(目次に僕の小説が載っていなかったら、僕はチベットへ逃げたのだと思って頂きたい)

了   




回廊への私信、のようなもの


著/痛田三


 回廊との出会いは第七号のころ。空信号さんの素敵な表紙のバナーに魅かれたのが最初。まだ私の立場は訪問者でした。
 そこで秋山さんの「『回廊』が出来るまで、編集後記に代えて」を読んでぞっこんとなり、翌日にはメールを差し上げていました。この行動力には自分でもびっくりして引いた憶えがあります。しかしそれ以上にアマチュア雑誌とは思えない編集体制に驚かされました。
 その当時、私はなにひとつ成し遂げられない、なにをやっても長続きしない人間で……といいますか人間未満のハナクソでした。
「こーれーはー、いよいよー、追い込みをー、かけんとー、いかんなー」
 などとぼやきながら、背もたれがもぎ取れた事務用椅子にまたがりぐるぐると回る。そうやって日々を食いつぶしていたわけです。そんな私にとって回廊への参加は、ダメ・スパイラル脱出の足がかりとなる橋頭堡のように映りました。
 実際、その先見性は間違っていなかったように思います。
 想像以上に回廊という場は様々な刺激にあふれていました。原稿用紙十頁以上の小説を書く(本当にここからのスタートだったんです)という目標が達成できたのも、そういった刺激に触発されたからでした。
 そして現在にいたる。
 いつの間にやら私の立場は回廊編集部員。といってもやるべきことは変わりません。多くの方に刺激を与える、それだけです。
 と、偉そうな口を叩いたところで、相変わらず私はハナクソなままですが。
 ともかく、十号という節目に編集部員として立ち会えたことは本当に喜ばしいことですね。感謝感激雨霰。そして今後も微力ながらお力添えできればこれ幸いです。
 それでは失礼致します。

了   

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