『クレナイヨモギの夜』

著/赤井都


 隣の家に救急車が止まった。芽ちゃんが担架で乗せられていく。
「何があったんですか」
 前の肩をつかんだら、老婆が振り向いた。
「芽ちゃんはね、心臓が熱くなる病気で命が危ない。病院に行ったって無駄さ。明日
の朝までに、クレナイヨモギが一枚ありさえすればいい。胸に貼れば何でも直る。で
も、クレナイヨモギが生えている所は、どこにもないんだよ」
「僕がどこにもない所へ取りに行きます」
「クレナイヨモギの原は、角鹿たちに護られている。それでも行くのかい」
「行きます」
 僕は自分の玄関の前にいて、周りにはもう誰もいなかった。扉を開けたとたん、心
が先に飛び出した。扉を何枚も何枚も過ぎた。夜空とクレナイヨモギが広がる原へこ
ろんと出た。平たい葉がしんと沈む。一枚ちぎると、夜気をついて鮮烈な香りが広が
る。地響だ。鹿たちが追ってくる。扉を幾枚も超え、部屋に戻る瞬間、背後から胸を
貫かれた。扉ごしに角鹿が透徹した声で言う。
「このままではおまえが死んでしまう。クレナイヨモギを胸に貼れ」
「この葉は、芽ちゃんのものだ」
 僕は芽ちゃんをすきだ。
「愚かな。芽ちゃんはおまえをすきで胸を燃している。おまえが先に死ぬのか」
 見えない血が床を染め、僕は動けない。

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