『さよなら、異邦人』

『さよなら、異邦人』

Good-Bye, Stranger.

著/踝 祐吾
絵/綾風花南

原稿用紙換算60枚

( 認証 )

『ようこそ、ネクストヴィジョンへ』

『IDとパスワードを入力して下さい』

 ……ID/
   KeiKisaragi
 ……Password/
   ********

『パスワードが一致しました。画面が切り替わるまでお待ち下さい』

 キサラギは画面の指示通り、二、三秒待っている間に溜め息をついた。口内の空気を吐ききる間もなく、画面はログイン後の、最初のシーンへと移る。即ち、昨日〝就寝〟のために入った部屋だ。
 『ネクストヴィジョン』……通称NeVi《ネヴィ》。そう名付けられたオンラインゲームは、数年前に実装を開始し、今では世界の〇・一%の人々が参加する巨大ネットワークだ。〇・一%、といっても七〇億人の〇・一%だから、単純に七百万人が参加している計算になる。もちろん、同時に七百万人を捌ききるのは一つのサーバでは不可能な作業だから、各国ごとに提携するような形──例えば日本版は『アドバンスト・ジャパン社』が運営している──を採っている。
 内容は極めて単純明快だ。現実の都市をそっくりそのまま写したような世界で、特に大きなイベントもなく生活する……というだけである。都市の写しといっても簡単なポリゴンであるが、大きな通りに関しては可能な限り網羅し、NeVi上で歩けない現実世界の道路は、それこそ民家と民家の間の細い路地ぐらい。現実世界の店舗は可能な限りNeVi上にも再現されており、例えば現実世界でローソンがある場所に行くと、NeVi上の全く同じ場所にもローソンが存在している、という具合である。さすがにプライバシーの観点からか、民家などはまず反映されていないが。
 NeViのもう一つの特徴としては、NeVi上で買い物をすると、実際に商品を届けることも可能である、ということだ。いわゆるオンラインゲームとオンラインショッピングがドッキングしたような形だが、例えば駅前の書店に入店すると、オンライン書店の画面がブラウザ上に現れる。その駅前書店はNeViと提携しているからこういうことが可能なのだが、提携していない場合はさすがにこうはいかない。
 同様にレストランに行けばピザやファミリーレストランのメニューを出前してもらえ、服屋や靴屋に行けば通販してもらえる。ちなみにNeVi上の通貨はポイント制なので、多くの人はクレジットカードやコンビニでポイントを購入し、代金に充てている。一方で、生活必需品すらもNeVi上で揃ってしまうため、それが引きこもりの増加の遠因になっているのでは、という意見もあるが、対する反論も決して少ないわけではないのだ。
 キサラギもまた、勤務から戻ると毎日のようにNeViにアクセスする一人だった。公園にはいつものように仲間が集っている。そこで他愛もない議論に花を咲かせるのが日課になっていた。
 他愛もない議論、他愛もない会話、非生産的な行為。
 それは誰もが若かりし頃に味わったような経験で。
 それがいつまでも続けばいい──と思っていた。少なくとも、キサラギ以外の全員は。


 完璧だ──キサラギは、思わず天井を仰いだ。
 これほどまでに美しいコードは、そう簡単に書けるものではない。必要な処理が、最低限の容量で、かつ例外なく行われる。それが美しいコードだ。余計な文章がくっついていたり、全ての場合について動作しないコードは、彼にとっては無粋でしかない。
 そして同時に、美しいコードとは自身のひらめきの結晶であり、アイデアだけを無駄に積み重ねていくのは自分にはふさわしくない、と考える。もしバグが存在するようならば、逆にそのバグを起こさせないような最適なコードを記述するべきだ。全ての場合についてひたすら書き連ねていくことなど、三流ハッカーのすることでしかない。
 自分はそんなものではない。……そう吹聴するだけの自信が、キサラギにはあった。
 扉を壊そう。それがたった一つの目的。

 彼は虚ろに微笑んで、おもむろに人差し指に軽く力を込めた。
 ……〝実行〟。


( ログイン )

 雨は全てを消し去る。足跡さえも、指紋さえも。犯罪捜査には最も与しにくい天気だ。
 赤い電飾の炎が、白と黒で塗り分けられた車から昇っている。警視庁、と大きく描かれたその車から出てきたのは、今起きあがってきました、と言わんばかりの男性。スーツをしっかりと羽織っているように見えながら、寝癖が頭の横から四、五十本ほど飛び出ていたり、靴下の色が微妙に左右違っていたり、挙げ句のはてにはネクタイすら首に掛けたままだ。
「田上さん、これが鑑識からの報告です」
「ふーん……」
 田上、と呼ばれたその中年の男は、報告メモを一瞥すると、おもむろに丸めて路上に放った。
「ちょ、ちょ、ちょ、田上さん!」
 制服警官が彼を呼び止めようとするが、彼──田上宗佑《たがみ・そうすけ》は気にしたそぶりもなく、すたすたとブルーシートの中に入っていく。
 東京都港区。六本木ヒルズを近くに眺めるビル街。その中の小さなビルの隙間に張り巡らされた、無機質な色の横断幕。その光景こそが、朝早くから通勤途中に顔をしかめて覗き込もうとしている野次馬たちには、何かこの中で重大事件が発生したであろうことを雄弁に物語っていた。
 シートの中には、明かりにより照らされた数人の刑事たちと、ブルーシートに反射した光によって、更に青白く見える男の死体。身長は一七〇センチ、体重五〇キロ、と言ったところか。身長の割にはずいぶん痩せて見える。太らない体質だったか、それとも本当に喰わせてもらえなかったのか、どちらかだろう。
 彼の断末魔を象徴するかのごとく、目は見開き、口も大きく開け、眼鏡もまた片方の耳から外れている。田上は思う。職業柄、変死体にはいくつも付き合ってきたがそのたびに思う。こういう死に方はしたくないな……と。
「一応聞くが、自殺の可能性はないか?」
「そう、見えます?」
 怪訝な顔をして初老の鑑識員が死体を指さす。なるほど、背中に深々と刺さったナイフ。さすがにこれでは自殺は無理だ。腹部ならまだしも、軟体人間かあるいは何らかの器具を使わない限り、背中は自分では刺せない。もちろん、この界隈にはそんなものはなかった。
 被害者の身元は不明。だが、田上にはその顔に見覚えがあった……気がした。
「どっかで見たんだよなぁ……」ぶつぶつと彼は繰り返す。「見覚えがあるんだが思い出せんなぁ……」
 死体の周りをぐるぐると回るうちに、彼は妙な視線に気づいた。じっとりと見つめる嫌な視線。警察関係者の全てが、彼のことを睨むように見つめていた。
「……俺、もしかしてお呼びじゃない?」
 一同、首肯。

 警視庁の中には記者クラブというものがあり、新聞記者やテレビ・ラジオの関係者が日夜スクープをものにしようと勤しんでいる。従って、事件の概要を知るのは警察の次にマスコミ人、ということになる。但しマスコミに秘すべき内容、というものもあり、報道規制以上に重視されるのだとか何とか、上司が言っていた気がする。田上はそんなことを思い出した。しかしそんなことを思い出したところで、肝心の被害者の身元を思い出せるはずがない。
 悩みながら、捜査方針を決める会議の席に出る。テレビでは良く捜査一課、と言うが、捜査一課の中でもいくつかの係に分かれている。東京都内だけで一千万人の人間がいる以上、強行犯を捜査一課全員で当たっていたら事件がパンクするのは決まっている。従って、一課だけでも事件の分担が行われており、それらを全て束ねる一課長は日本犯罪捜査の花形として、地方新聞の人物欄にも取り上げられるぐらいである。
 ゆえに、この捜査会議に出席するのは必ずしも全ての一課所属刑事、と言うわけではない。全ての刑事が船越英一郎だったら、日本の犯罪検挙率は格段にアップするだろう、等と考えて田上は密かにほくそ笑む。
「被害者は身長約一七〇センチ、体重五〇キロ……」
 被害者の写真をバックに先程のデータを担当捜査官が読み上げるうち、後方の若輩刑事から「あ!」という声がちらほらと聞こえた。あまりにも連続して発生するものだから、段々と読み上げ担当者の眉間に皺が寄ってくる。
「えー、諸君、発言はちゃんと挙手をして行うように……」
 見かねた司会担当が声をかける。すると、その中の一人がおそるおそる手を挙げた。
「……名前は?」
「……五係所属の、黄河田《きかわだ》、と申します」
「何を気づいたか、言うてみぃ」……大阪出身だろうか? この司会。
「『NeVi』の霧崎藻留具《きりさき・もるぐ》……じゃないでしょうか?」
 呼応するようにああ、そうだ、と同意の声が聞こえた。発言を邪魔されたことに苛立っている読み上げ担当が、怒り半分で黄河田に問いかける。
「……きりさき、もるぐ……? 何ですかその『ねび』とか『もるぐ』とやらは」
「えーとですね、『NeVi』というのは、今インターネットで話題のサービスのことでして、この人はその管理人です。眼鏡があったんで一瞬気づきませんでしたけど」
 ああ、そうか。田上は一人納得した。どこかで見たことがあるという気がしたのは、ネットでのニュースだ。新聞紙面やテレビにはなかなかこういう輩は出てこないから、コンピュータ関係のニュースを見るしかない。彼はそちら関係のニュースではよく顔出しを行っており、その記憶が脳の片隅にこびりついていたのだろう。これで田上にも納得がいった。
「話を続けてええか?」
 司会の警官が黄河田の説明を制止する。あとで報告するように、という意味だろう。しかし、この司会のオッサンも何でわざわざ関西からこちらまで来たのだろうか? 警視庁は全国各地で募集をかけてる……とは聞いたけど。
「続いて、鑑識からの報告を」
 よくよく聞くと普通の会話のイントネーションも変だ。促されて、別の刑事が報告書を手に返答する。報告の要点は二つ。一つは、彼が眼鏡に加えて、コンタクトレンズをしていたこと。そしてもう一つは……。

 田上は再び現場を訪れた。現場百遍、刑事の原則。
 ブルーシートは撤去され、立ち入り禁止の紐のみが路地への出入口を塞いでいる。
 ふと、上を見る。雑居ビルの間に囲まれた隙間が空を切り取る。死亡推定時刻は午前零時から一時頃まで、第一発見者による通報時刻が午前四時三十二分……もしこの時刻が正確ならば、約四時間半、死体はここで発見されなかったということになる。
 その間、彼の遺体はどこへ消えた──?
 これじゃまるで、死体がいきなり出現したみたいじゃないか……田上は一人ごちた。


( アクセス )

 『NeVi』管理人、霧崎藻留具が殺された──そのニュースがNeViを席巻するのに時間はかからなかった。
 NeViニュース(といっても、自室でテレビを見る設定をすると画面が切り替わるだけなのだが)では、「霧崎が路上で斃れているのが発見された」というニュースがアクセスランキングのトップに躍り出る。ユーザを襲ったのは恐怖、畏怖、不安……特にNeViに依存しているユーザほど、その影響は凄まじかった。もしかしたらNeViがこの世から消えてしまうんじゃないか……そう勘違いするユーザもいたが、あくまでも霧崎は日本法人『アドバンスト・ジャパン社』の社長、と言うだけであり、NeViネットワーク全てが消滅するわけではない。しかし、故郷の喪失にもにた感傷を抱く者、NeVi消滅のカウントダウンを始める者……と、枚挙にいとまがなかった。
 落ち着け、と言う声に誰も耳を貸さない。
 キサラギは、ただモニタの前で笑うだけだ。そして、今日もいつものようにNeViにアクセスする。退屈な日常に、ちょっとしたスパイスをふりかけてやるために。
「厄介なことになったね」アキラ、と名乗る女性が話を振る。
「寝美が消えるわけじゃないし、おまいら動揺しすぎw」とはナナシノの言。ちなみに〝寝美〟とは要はNeViの隠語だ。
「でも、モルグだけで持ってたわけじゃないでしょ? すぐ新しい管理人が出るって」と、イイザワ。
「まずは様子を見ないとわからへん」キサラギはキータッチで答えた。
 イイザワの指摘の通り、アドバンスト・ジャパン社の中で霧崎が飛び抜けた知名度を保っていたが、日本だけで百万は下らないであろうユーザを捌ききるには霧崎一人だけでは不可能だ。匿名掲示板ですら管理直接執行人(いわゆる〝管直人〟)の下に何人もの補助管理人(掲示板によってはスタッフとか、削除人とか言ったりする)がいるわけである。ましてや動的サービスであるNeViにおいては、霧崎以外にも百人近くのGM《ゲーム・マスター》がいるであろう、とされている。実際の数は公表されていないが、その数が決して少なくないことはサービスの規模から言っても容易に想像出来た。
「でも、何で殺されたんだろ????」
 アキラがクエスチョンマークのアイコンを頭の上に浮かべて問いかける。こういう妙なアクションが出来るのもサービスの魅力の一つだが、アキラ以外のここにいるメンバーはそれを好まない。
 四人はネットワークセキュリティのコミュニティに属しており、夜な夜な脆弱性について語り合うある意味仲間でもあった。あくまでも自称だが、四人とも大手セキュリティ企業のシステムエンジニアだという。その中ではもちろんNeVi自身の脆弱性にも言及され、どうすればNeVi内部にある宝の山──個人情報や会話データが外部に漏れないように出来るか。それが一つの話題でもあった。
 しかし、今夜ばかりはどうしても霧崎の死に話題が集中してしまう。これはこの四人に限らず、と言ったところだ。仕方がない、とはキサラギ自身も思う。NeVi日本版の顔とも言える人物が他殺死体で発見されたのだから。動揺するな、と言う方が難しいだろう。
「あんなにメディアにでてたんや、恨まれない方がおかしい」キサラギは無難な答えを返す。
「メディアったって、ネットだけだし」と、イイザワ。
 ナナシノは「漏れらが話したってしょうがねーし」と返すが、話の端々から興味を持っていることだけは感じられる。
 動機があって、動機がない。それから数分の会話の中で見出された彼らの結論だった。恨まれるのも、感謝されるのもNeViユーザの内部。どこかの買収屋ではないのだから、NeViユーザ以外から恨まれる理由が全くないのだ。
「自殺ってことはネーノ?」ナナシノが当然の質問をぶつける。
「さすがに自殺ってことはないでしょ。あんな状況で」アキラは分かり切った顔で答えた……ネット上だから、その表情はアバター(本人を模したネット上のキャラクタ)からしか読み取ることは出来ないのだが。
「だがしかs」
 イイザワは異変に気づいたように、タイプを突然止めた。
「なんか、NeViのレスポンス、遅くないか?」
「んだ、テラオモス」ナナシノが返事をする。
「何かバグってんじゃないの?」アキラはまたクエスチョンを文字通り頭に浮かべる。
 キサラギはモニタの前で片肘をつき、彼らの反応を楽しんでいる。もうすぐだ。
「たいへんだー」
 彼らのそばに、一人の男がフルポリゴンの自動車に乗ってやってくる。四人のそばに車を付けると、その青いミニバンは自動でドアが開き、四人を招き入れた。キサラギも訳が分からないフリをして車に乗り込む。ちなみにNeViでは何でも出来るとは言え、犯罪の類は十分規制されている。それをGMが見つけた時点でNeViからは即追放。IP及びパスワードを組み合わせ、再び同様にNeViに参加したとしても、アルゴリズムの高精度によりアクセス拒否されるのである。その確率の高さは自称凄腕ハッカーの四人ですら賞賛に値するものである。ゆえに、NeViでは誘拐という概念は存在しない……のだが。
「うはwww誘拐www」ナナシノはしっかり楽しんでいるらしい。それもそのはず、ミニバンの運転手こそがGMの一人だからである。NeViでは場所の移動手段は現実世界同様、交通機関を使うしかない──だがしかし、GMがこの四人に助けを求めるなんてよほどの緊急事態でしかあり得ない。
 車がビルの近くに止められる。五階建てぐらいの、二つのビルの隙間に。
「NeViでこんなことが起こるはずがないんだ」
 GMがそのビルの隙間に倒れている謎の物体を見るように促す。全員の動きが一瞬、止まった。それぞれがモニタの前で驚愕している証拠。その動きをキサラギは見逃さない。
「なんや、これは」一生懸命驚いているそぶりを見せる。当然、自分自身の本当の表情は相手には見えていない。笑いをこらえるので精一杯だった。キサラギが発言をすると、それにつられるかのように、三人が少しずつ語り出す。
「なんでこんな所に人が倒れてるんだよ」イイザワはどうしてもそれが信用ならない様子。
 ナナシノが四人の目の前に立ちふさがる。
「ちょ、ここってモルグが殺されたとこじゃね?」
「あ、そうだ、本当だ」
 イイザワも気づいた。黙っていたアキラも、びっくりマークを掲げて言う。
「しかも、事件と全く同じ」
 そう、人が死なないはずのNeViで、死体を出現させて見せた。成功だ……キサラギはついにこらえきれず、モニタの前で大声で……笑った。


( アタック )

 田上は配付された資料を舐めるように何度も見返していた。
 霧崎藻留具……というのはハンドルネームで、本名は「三笠信太郎《みかさ・しんたろう》」。但し、法律上必要な場合を除いて対外活動は霧崎名義で通しており、本名を知る者は社員の中でも少ない、と言う。もちろん、その妙な名前からいって誰も本名だとは思っていなかったが。そんな名前で活動するのは、宗教家かよほど奇特な人間ぐらいである。
 例えメディアに露出が多いとしても、だからといって殺害される理由があるとは限らない。ならば……その理由とは何か? 動機は何だ? それとも動機など最初から無かったのか?
 もう一度資料をめくる。発見状況。発見時刻は早朝五時勤務のサラリーマンがこの道を通った午前四時三十二分。それまで、この死体はビルの間に堂々とあったにもかかわらず、誰にも発見されなかったのである。
 どうやら煮詰まった。じゃなかった、行き詰まった。
「捜査おつー」
 そこを通りかかった一つの影。というか、存在自体影みたいな奴だ、と思う。
「あれ、クロそんなところでなにやってんの?」
 黒いスーツに黒いスラックス。髪の毛はさらっと流し、キザっぽくない程度には固めている。黒一色で染めた中で胸元から覗く、白のワイシャツと赤のストライプのネクタイが映えて見える。一課五係、工藤真一《くどう・しんいち》警部補……その格好と名前から、先程の『クロ』他、『警視庁の名探偵コナン』だの、『古畑任三郎の隠し子』だの色々変なあだ名が付いていたりとか何とか。
「んー、俺出勤中ですが何か」
 ……何時だと思ってるんだ、と田上は少し毒づく。
「クロ、お前な、刑事は自由業じゃないんだぞ? 今は午後二時」
「でーじょーぶだよ、俺午後三時から夜中十二時までの仕事だから」
「そんな都合の良い勤務形態があるかっ」
「警察官である前に一人の人間だ! 組合に力がない今こそ公務員にもっと福利厚生を!」
「そんなセリフはちゃんと仕事してから言え」
 田上は呆れたまなざしで工藤を見つめる。そもそも、係の違う彼がなぜこの六本木に、しかも現場にいるのかまだ分からないし。彼の自宅は池袋だか新宿じゃなかったか。
「てか、たがみん何の担当してんだっけ」
 たがみん、とはもちろん田上のあだ名だ。但し工藤以外は誰も用いない。
「戒名・ベンチャー社長刺殺事件」
「あー、ネギだかナビだかの社長が死んだってヤツ」
「よく知ってんな」工藤のことだから何も知らないまま首を突っ込もうとしているのか、とも思ったが。
「んー、いいともの前にアルタのビジョンで見た。アレだよな、ナイフで刺されて倒れてた、っての」
「……お前それこそ何でここにいるんだよ」
 新宿アルタ前から六本木は地下鉄で一駅だから確かに近い。……が、出勤途中と言うには明らかにルートが不自然だ。警視庁本庁に行くには、一度新宿に戻って霞ヶ関行きに乗るか、月島まで乗ってそこから桜田門行きに乗り換えるしかない。どちらにしろ、わざと遠回りなルートを通っているのだ。田上は鉄道マニアではないが、犯罪捜査をする以上都内の地理には明るくないといけない。
「正直に話せ。クロ、何を企んでいる」
「えー、俺何も企んでないよー?」工藤はどうもわざとらしくシラを切って見せた。その話し方が明らかに怪しく見える。
「さぁな、真犯人は現場に必ず戻る……って言うし……な?」田上はちらりと工藤を見やる。「まさかとは思うが」
「ちょうど今暇してたのはたがみんの班かなと思って、覗いてみたわけだよ」
「何だよ興味本位じゃねーかよ、邪魔だあっち行きやがれ」
「しかしさー、通行人が見つけたんだって? この死体」
 工藤は真剣に話を聞かず、取り合わないようにしている田上を無視して話し続ける。
「まーな。今朝方ここを抜けて近道をしようとしていたヤツが見つけたらしい」
「ちなみにそれは偶然?」
「まぁ、出勤時刻がやたら早い関係で、毎日ここを通るって言ってたんだが」田上が眉間に皺を寄せる。「そんなことが関係あるのか?」
「俺はあると思うよ」工藤はスラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、何ともなしに断言した。
「根拠は?」
「もしもその通行人の存在を犯人が知ってたなら、犯人はまるで死体を見つけて欲しかったみたいだぜ……てか、最初から見つかること自体が織り込み済みだった」
 工藤は寝ぼけ眼で(起きている時はいつもそうなのだが)、根拠をつらつらと提示する。
「逆に知らなかったとしても……これだけ表通りは人が多いんだ。見つかる可能性は高くね?」
「まぁ、そうだけど」田上は説明を受けるが、微妙に気に入らない。「目撃者がいなかったのは何故だ?」
「……運?」
 歯切れの悪い工藤のセリフを聞くと、その理由にはまだ思い当たっていないらしい。その前に、工藤が事件のことをどれだけ知っているのか、田上には皆目見当がつかない。
「クロさ、もしかして全部憶測で語ってねぇか?」
「そりゃそうだろ、俺はマスコミの報道しか知らねぇんだから。ただ、普通の通り魔事件じゃないだろ?」
 工藤は妙なところで勘が鋭い。彼がこんな悠々自適の生活を送れるのも、自身の勘とちょっとした洞察力によって、いくつかの事件を解決してきたことによる。もちろん真相を見抜き、検察に資料を送るのは捜査官として当然の仕事なのだが。捏造ではなく、速いスピードで解決に導くことから前述のあだ名が付いているし、なにしろその手柄が数多くの始末書の量と相殺されているとも噂されるのである。
「まぁ、確かに普通の事件じゃないな……こんなコトしてられないんだ、聞き込みを続けないと」
「たがみん、焦りは禁物だよー。お兄さんに何か言ってみなさい」
「お前、俺と同期だろ」
「だって概要を知らないとアドバイスも出来ないだろ? 普通じゃない点って?」
 田上は再び、自身の阻まれたビルの屋上に向かって顔を上げた。
「クロさー、マチの真ん中にいきなり刺殺死体が出てきたらどう思う?」
「どう思うって……そりゃ危ないよな」工藤はよく事情が飲み込めていなかった。
「ガイシャは背中をナイフで刺されてる。一発でさくっと。血はほとんど出てなかった……らしい」
「それが致命傷?」
「間違いない。だが、現場には血痕らしきものがなかった。じゃあ、死体はどっから現れた?」
 工藤は数秒ほど悩んでから、「考えすぎだ」と前置きした上で、語り始めた。
「ここで殺されたなんて誰も言ってないだろ?」
「……確かに、そうだけど……」
「普通に他の場所で殺害して、ここに連れてきた──何を悩む必要がある?」
 田上はその可能性も考えた。しかし、それだと納得のいかない部分がいくつか存在する。
「だとすると、犯人はここに死体を持ってきたってコトになるんだが? それだとここで殺すよりもリスクが高くないか?」
「うーん」工藤は悩んだ。「それもそうだけど、もっと気になることがあるんだよな」
「なに、クロも腑に落ちてないんじゃん」
 田上は懐に忍ばせてあった缶コーヒーを開け、ちびりと飲んだ。
「で、何なんだ気になるコトっ……」
 工藤はいつの間にか立ち去っている。ビルの間を抜けるすきま風に身を震わせながら、田上はスチール缶をぎゅっと握った。
「本当に、何しに来たんだよアイツ……」


( ファイアーウォール )

 キサラギは笑う。──成功だ。この喜ばしい体験を誰とも共有出来ないのが残念だけど。
「…………コーヘーどうゆーこと?」
 疑問を呈したのはイイザワだった。GM──彼の名前はコーヘー、と言う。
「NeViネットワークで死体騒ぎなんて……聞いたことがない」
 というか、そもそも死体を表示するコミュニケーションゲームなんて、そういうオンラインゲームでもない限りあってたまるか、といったところだろう。普通は考えられない光景に、皆が一歩も動けない。
「他の場所にはねーの?」ナナシノが疑問を呈す。キャラを作っているのは分かっていたが、段々と崩れてきている。
「今、他のGMに連絡を取ってるけど、そんなことが起きてるのはここだけらしい」
「ほんと?」アキラが「!」マークを浮かべる。「なんでここだけ」
「全然わからへん」
 キサラギはそう打ち込むと、段々自分を冷静に落とし込んでいった。既に目的のほとんどは達成した。これ以上の茶番はあまり意味がない、と感じるが──もう少し勝利の確信を得たかった。あの反応だけでは、決して十分すぎるとは言えない。
「この場所は、モルグが見つかった場所で間違いないんだよね?」
 イイザワはコーヘーに確認するが、コーヘーはどうも混乱したままらしく、返事は瞬時に戻らない。二、三分ぐらいしてから「ニュースで見たけど、確かここだったと思う」
「ナナシノはなんで気づいたの? 前にテレビ見ないって言ってなかった?」
「ん、ニュースぐらいは見るよ? ブログのネタにするし」
「ナナシノってブログやってたんだ!」
「……あんま宣伝したくないんだけどな。まとめブログだし、宣伝したら叩かれるし」
「なんか素に戻ってない?」軽くアキラが指摘するが、本人は気にも留めない。
「じゃあ、みんなニュースで知ったんやな」
「そう言うことになるね」イイザワは何とか自分がリーダーシップを取ろうとしているようだが、こういう時にはまとめ人がいた方が問題ない、と昔から主張していたこともあってか、そんなに誰も大きく問題にはしていない。
「死体があった場所にだけ死体が出現……か。何かわざとらしいよね」
 イイザワの疑問にアキラは疑問で返す。
「状況も全く同じなんでしょ?」
「多分そうやね」
 キサラギは割って入る。何としても、自分が仕掛けたことを見破られないように、じっくりと言葉を選んでいた。このクラッキングは、何としても最後まで見破られてはいけない。見破られた段階で、全てが破綻する。計画はまだ途中の段階なのだ。
「なんでなんやろ」
 第二段階突入。ここからは技術ではなく、心理戦の問題となる。
「テラカオスw」ナナシノは口調が戻っていた。しかし、いっている事は的を射ようとしている。「なんかわざとらしいよな」
「わざとらしい? どゆことよ?」アキラは相変わらずクエスチョンマークを浮かべている。
「すごい気になってるんだけどさ、なんでここだけにこんな物を出す必要があんのよ?」
「……だね。ナナシノの言うとおり」イイザワは頷く。「まるで誰かにアピールしたいみたいだ。何のためかは知らないけど」
「犯行声明だったりして」
 ……黙って話を聞いていたコーヘーが呟くように語りかけた。
 一瞬、周りの空気が不穏になる。キサラギはいつの間にか、この状況に不安すら感じていた。ネット上に作られた都市。現実世界の同じ場所には人が多数いるというのに、今、この場には〝死体〟を含めて六人の人間しかいない。まるで、パラレルワールドに迷い込んだかのような錯覚すら感じていた。
 キサラギはここ数日、毎日のようにNeViに接続する。接続しているうちに、ネットと自分が繋がったような錯覚すら感じる。自分の生存している都市こそが仮初めで、ネットこそが現実のような。
 だが違う。仮想都市は現実には勝てない──そのことをはっきりと自覚した。
 早く、ここから、出なければ。
 計画は終盤に向かっている。あとは焦らず、急かさず……落とし込むだけ。
「犯行声明って……誰に向かって?」
「そらNeViの住人かな? もしかしたらコーヘーが犯人だったりして」
「ちょ、そんなわけ無いっすよh!」イイザワの指摘に、コーヘーは焦ってタイプミスを行う。「GMったって、こんな変なこと起こす権限はない」
「やろな」キサラギはコーヘー犯人説をあっさり否定する。とはいえ、全否定ではない。現段階では、彼が犯人である可能性を残しておかないと、自分に疑いがかかってしまうのだ。
「NeViでこんなバグが起きたとなったら、大問題に陥る可能性は高い。しかも、モルグが死んで今は実質的な統括管理者は皆無だ。そのあとの混乱を狙って、NeViを壊滅に追いやろうとしてるのかも」
 イイザワは至極冷静に、話を繋ぐ。
「え、NeViなくなっちゃうの?」アキラは今度は汗を流す。議論に参加する意識がないのか、それとも動揺して上手く語れないのか、見当がつかない。
「いや、いきなり無くなることはないやろうけど」キサラギは口先だけのフォローを行った。「現に、未だにNeViは動いてるやん」
「そーだけどさー」アキラは妙に不安がる言動を続ける。
「ちょwそれは飛躍しすぎw」
「ん? ナナシノは反論があるの?」
「だってそんなに大混乱を起こしたいなら、漏れらに見せるよりもっと簡単な方法があるべ? 例えばセキュリティの弱い誰かの財布か何かにウイルスをちょっと忍ばせればいい。死体を出現させるなんて、NeVi全体のネットワークから見れば些細な状況に過ぎない」
「確かにそうやね」キサラギはお茶を濁して答える。本当なら、今はこのことを、全体に対する挑戦のように思わせておきたいのだが……余計なことを言うな、と一人呟くしか今のキサラギには出来ない。
「なるほど」イイザワは相づちを打った。「確かに些細っていったらモルグには悪いけど……些細な問題でしかないよな」
「だろ? このバグは、俺はコーヘーの言うとおり、誰かに対するメッセージだと思うね」
「メッセージ、か」
 そろそろキサラギには潮時のように思えた。あとはここにある死体を消去させ、何事もなかったように振る舞うだけ。修復プログラムを起動させようとした瞬間、画面にダイアログが現れた。

【只今から十分間、緊急のメンテナンスを行います。申し訳ありませんが、現在接続中のユーザは一時全員切断となります。再開設定時刻は二十二時半の予定です】

 メッセージのOKを押すと、画面にセーブ表示が出たあと、タイトル画面に戻った。
「んー、まぁいいんだけどね」
 キサラギは先を越された悔しさを自分に対して紛らわせるかのように付け加えた。


( バグ )

 田上は再び警視庁に戻ってきて、パソコンを起動する。現在までの捜査報告書を提出するためだ。とはいえ、何か成果があったわけではなかったが。
 結局あのあと一日かけてビル街を巡り、目撃者捜しをしたがめぼしい情報はない。いくら何でも、目撃者の一人ぐらいいないモノか……と思ったが当てが外れた。半分がっかりしながら田上はひたすらに文章を打ち続ける。動機どころか、犯人の目星すらつかない。果たして、こんなコトで解決の糸口なんて見つかるのか? 田上は途方に暮れていた。
「田上君、捜査状況はどうなのかね?」
 班長からさりげなく指摘が入る。自分が苦悩している状態を他者から指摘されることほど、気分の悪いことはない。
 目撃者はいないが、逆に言えばそれ自体が目撃証言となった。即ち、午前零時から死体発見までの四時間半、例の発見場所で死体は見つかっていない。同時にそれは工藤の指摘通り、他の場所から死体が運ばれたことを意味していた。
(犯人は何のために、あの場所に被害者を運び込んだ……か)
 もしかしたら、犯人は見つけて欲しかったのかも知れない。どんなに大都会で人通りが多いからと言って、午前三時か四時になっていれば、あの路地に被害者を運び込むチャンスぐらいは出来るだろう。その時間を見計らって、気づかれないようにマントか毛布かにくるんだ死体を運び込んだ……ということになる。背中にナイフを突き立てたままの死体をそのまま運ぶのはリスクを伴う。だからといって、下手に目立ってはいけない。
 午前三時の状況を実際に見るしかないか……田上はもう一度重い腰を上げた。

 午前三時のオフィス街……窓から漏れる灯もまばらで、確かに人はいない。これなら人間を運び込むことは、タイミングを計れば決して不可能ではない。都心には郊外に人が移動するばかりに閉校した学校もあるそうだ。ただ、逆に最近はその郊外の地価が高くなり始め、再び都心に人が戻りつつあるとも聞くが……。
 ここから半径一キロ以内にはマンションは見あたらない。これでは深夜に慌てて出てくる人間は居ないだろう。……逆に言えば、犯人は本当の現場を知られたくなかったのではないか? その仮説は検証に値する。

 翌日……午前九時。
 いくら現場を見ても謎は解けない、と感じていた。ここまで行き詰まるというのもなかなか経験出来るモノではない。手がかりが全く掴めないのである。
 ……仕方がない、最後の手段。
「クロ……暇?」

「正直に話してもらおうか……クロ、お前昨日何しに行ってたんだ?」
 舞台は再び六本木。ヒルズの中にある小さなベンチで、コカコーラを二人で吸い込みつつ会話を共有していた。
「んー、やっぱ話さないとダメ?」
「話さないと何ともならんのよ」
「なんでよ、俺とたがみんは違う班だろ? 事件には関係ない」
「それこそ、お前が六本木にいた理由がつかない。わざわざ本庁に行くのに、六本木を経由した理由を教えてもらおうか」
 クロはばつの悪そうな顔をする。そしてゆっくりと語り始めた。
「あ、俺はな……ちょうどかな、ヒルズの隣の小さな会社にオタク訪問」
「なんだその、今にも電車男が出てきそうなアクセントは」
「じゃなかった、お宅訪問。アドバンストジェペンとかなんとか」
「──アドバンスト・ジャパン?」
「そう、それ」
 ……なんてこった。田上の顔が一気に赤く青く変わる。
「たがみんどったの?」
「……そこだよ、例のアレの会社。お前テレビ見たんじゃないのかよ」
「あー! そうだった! すっかり忘れてた」
 クロはどういうわけか、微妙なところで物覚えが悪い。
「それで、社長が殺されたとなっちゃ聞き込みどころじゃなかったろ?」
「もう散々。小さなビルったって地上十二階ぐらいあってさ、なんでか上から下まで大わらわなの。社長が殺されたから話も聞いてられないってんで事務所には入れてもらえないしさ」
「ふーん、で、なんで事情聴取に」
「なんでも、その社長の三笠……だっけ? 三笠がどうやら別の事件に関わっているらしい、なんて聞いたもんだからさ。なんだっけなー、ちょっとしたハッキングかなんかだったかな?」
「ハッキング? どんな?」
「なんだっけ、警視庁の犯罪データベースにアクセスしてるとか何とか」
「なんでそんなまた」
「こっちが聞きたいよ。本人は死んじまったし。ただ、三笠には数人の仲間がいることが判明して、そいつらがネクストビジュアルだかで打ち合わせしているところまでは掴んだ」
「要は……動機は仲間割れ、かな」
「多分ね」工藤はポケットからタバコを取り出し、すっと火を付ける。田上が若干いやな顔をするが、勝手知ったる仲なので遠慮はしない。
「ということは、NeViの中に犯人が居る……ってことも?」
「ま、行ってみますか。行ってみれば、お前が抱えている謎の一つはすぐに解決するぜ?」
 工藤は怪しい笑みを浮かべた。

 アドバンスト・ジャパン社は高層ビル街の一角にあった。もちろん、周りの十何階建てと同じぐらいで、これという特徴はないが。とはいえ、ここは複数のオフィスが居を構えているだけで自社ビルというわけではない。アドバンスト・ジャパン社はそのビルの六階である。
「一応ここは防犯設備はしっかりしてるけど、廊下で何が起こっているかまではそんなに検知しない。二十四時間対応のオフィスビルならなおさらね」と、工藤は語る。
 ビルの真ん中には一階から十二階までを一気に突き抜ける巨大な吹き抜けがあり、ナイフ一本を落とすぐらいなら簡単そうだ。だが、その吹き抜けから下に視線を移した時、田上は思いも寄らないものを見つけた。
 ──わずかな、あまりにも小さな、血痕。田上は驚いて、その場で聞き込みに当たっていた刑事を呼ぶが……実際は工藤の指摘によってつい先程分析が終わったばかりだった、というのだ。伊達にうろちょろばっかりはしていない……むしろ自分の不注意を恥じた。
 そして……その指摘は即ち。
「犯人は犯行時刻、このビルの中にいた、と言うことに……?」
 かもね、と工藤はさらりと答え、悠々と管理会社に向けて電話を鳴らす。
「すみませーん、昨日……だか一昨日の午前零時、ここに誰が居たか分かりますー?」

 管理会社はビルから歩いて数分の所にあり、資料を得ると工藤はさっさとビルに戻ってきた。田上はその後を追う。彼の行動は予想がつかないから、どうにも振り回される、という感覚が強い。
 あの時間、ビルにいたのは三人。退出処理をしていない三笠を除けば二人。一人は別の会社の社員で、もう一人は管理会社の警備員。つまり……どちらかが犯人。大分絞り込めてきた、と息を巻く田上の携帯に連絡が入った。一通り会話をしてから、我が意を得たり、と言う顔で会話を打ち切った。
「三笠の家のパソコンを確認したよ。どうやら彼は霧崎藻留具以外にもう一つ、別のアカウントでNeViにアクセスしてたらしい」
「へー、どんな?」
「キサラギ・ケイ」こっちも話して虫酸が走る。お前はカリスマホストかっ。「ただ、別アカウントと悟られないように、関西訛りで話すようにしたんじゃないか、ってログから判明出来た」
「ちなみにその『キサラギ』と交流のあるキャラは何人ぐらい?」
「三人、かな。アキラ、イイザワ、ナナシノとか。四人とも、ネットワークセキュリティの論争相手のようだ」
「へー……」
 工藤は少しずつ、田上を見る目を変化させている。
「クロ、何が言いたいんだ」
「たがみん、お前もそろそろ全部吐いたらどうなのよ?」
「……え?」
「さっきからネクスト何とかを『ネビ』とか略したり、キサラギの論争相手をすらすら出してきたり、……てか、『ナナシノ』なんて一発で聞いて上手く発音出来る奴はいないぜ?」
 忘れていた。工藤真一が何故『昼行灯探偵』なんて肩書きがついていたか。彼の前では、自分自身も嘘をつくことを許されない。
「たがみん、お前さ……常連だろ、ネビの。しかもキサラギと結構深い仲にある」
 工藤は微妙に邪悪な笑みを浮かべ、田上を追及した。しかし田上には、工藤が自分を疑っているようには見えない。おそらく、それほど信頼をされているのだろうが、やはり心苦しくもある。
 田上は少し沈黙して、再び語り始めた。
「……まぁ、黙っていてもしょうがないしな。俺もそのコミュニティに属していた。ただ、昨日キサラギが参加しなかったのには疑問を持ったけど、俺もキサラギが被害者自身だなんて知らなかったんだ」
「そっかー、なるほど」
 工藤は話をほとんど聞かずに、アドバンスト社の扉を叩き、資料を求め、確認完了。その間わずか十分。警察手帳一冊に大事な個人情報を差し出すのもどうかと思う。とりあえず、田上はそれを見てもうNeViはするまい、と心に決めた。
 工藤が求めたのは三人の接続先と、本名。NeViでは現実の金銭のやりとりがある以上、クレジットカードと合わせて本名登録を必須としているためである。
 果たして、その三人とは……。
 一、ナナシノ=このビルにオフィスを持つ会社の従業員、米倉。
 二、アキラ=このビルの管理会社の警備員、乙部。
 三、イイザワ=このビルを捜査している捜査員、田上。
「役者は揃った、かな?」
「え、俺も容疑者?」
「当たり前だよ。実際アリバイないだろ?」
 田上は困惑する顔を浮かべる。しかし、工藤は未だに嬉しそうに続けた。
「たがみんはハッキングとかクラッキングとか、出来るの? 正直に答えなさい」
「……さすがに最近はしないけど、ある程度なら」
「じゃあ、俺に作戦があるんだけど。アリバイがない、動機もない……なら、ミスを誘って真犯人をあぶり出してみるのも一興かな、と」
 工藤が田上に耳打ちをすると、明らかに田上は怪訝な表情を浮かべた。実際そんなこと出来るのかよ! と叫ぶと、「まーまー。作戦だから」とはぐらかした。いくらなんでも、NeViに攻撃を仕掛けることなんて聞いたことがない。
「必要なのは誰かなー。仕掛け人がもう一人いるなぁ。キカワダこういうのに詳しいんじゃないっけなー」
 頭を抱える田上を余所に、工藤はいたって大まじめだ。
「さてと、時間時間。茶番はおしまい。早速始めるぜ」
 工藤はにっかりと笑った。
「二時間ドラマじゃ解答編は二十二時半から、と相場が決まってるんだ」


( シャットアウト )

 キサラギがダブルクリックすると、ドアからノックの音がする。
「どうしたの?」
 その人物は何とはなしに扉を開くそぶりをした。
「ん、ちょっと聞きたいことがあるんや」
「聞きたいコトって何?」
「さっきの反応が気になってね。ほら、死体を見た時の反応」
「あ、あれね。びっくりしたよ! 本当に」
「同じ場所に同じ格好で」
「ナイフを背中に刺されて」
「実はな」キサラギはその人物の言葉に、勝利を確信した。「あれ、仕掛けたの俺やねん」
「まじで?」
 キサラギはうなずきのアイコンをクリックした。ただ、こういうアイコン操作はいつも空しいと思う。素直に言葉だけ交わしていけばいいのに。
「ちょっとみんなの反応を見たくてね。ちなみにコーヘーも俺が頼んでやってもらった」
「キサラギ、話し方いつもと違う」
「これが俺の素だよ。問題ないかな?」
「いや、問題ないけど……なんでいきなりこんなコトを?」
「キサラギ・ケイは霧崎藻留具の別アカウントだからだよ」
「え?」
 一瞬の沈黙のあと、「お前だれrだ!」と彼は叫んだ。慌てているのか、ミスタイプも直さずに。
「俺は警察だよ、君を逮捕するために、既に玄関先には人が集っている」
 もちろん、今掴んでいる証言から、相手を逮捕することは難しいだろう。実際事情聴取ぐらいだ。実際起訴に持って行けるかどうか分からないが、糸口とすることぐらいは出来るだろう。
 ただ、キサラギ……田上は確信を持っていた。彼こそが犯人であると。彼であれば、十二階にいても怪しまれない。もちろん法に触れないように落としていく必要があるが、手がかりがなければ解決も見いだせない。
 そこで工藤が考えたのが「キサラギの死を知らせないまま、NeViにバグを起こしてその反応を見る」──という本当に〝奇策〟としか言いようのないもの。しかし、彼はそれに見事に引っかかった。賭けに勝ったとしか言いようがない。
 ちなみに田上の代わりにイイザワを操作しているのは工藤の部下の黄河田である。
「証拠はないんじゃない?」
「いや、あるよ」
 田上は、静かにログを提示した。

イイザワ:なんでこんな所に人が倒れてるんだよ
ナナシノ:ちょ、ここってモルグが殺されたとこじゃね?
イイザワ:あ、そうだ、本当だ
アキラ:しかも、事件と全く同じ

「これが証拠その一」

イイザワ:死体があった場所にだけ死体が出現……か。何かわざとらしいよね
アキラ:状況も全く同じなんでしょ?
キサラギ:多分そうやね

「これに加えて」

アキラ:あ、あれね。びっくりしたよ! 本当に
キサラギ:同じ場所に同じ格好で
アキラ:ナイフを背中に刺されて

「アキラ、ちょっと聞きたい。確かにモルグは背中にナイフを突き立てられていた。しかし、マスコミの発表じゃナイフで刺されて倒れてた、としか発表されていないんだ
「……それが?」
 彼女……いや、彼は自分の失態にまだ気づいていないのだろうか? だとすれば、もう突きつけてやるしかない。
「なぜ君が、背中に刺されたことを知っていたか、と言うことだ」
 !
 アキラから返事は一瞬無かった。工藤刑事もおそらく黄河田のパソコンからこの会話を盗み見ているだろう。作戦は成功したようだぜ、工藤。
「それは……僕も野次馬の中にいたから……」
「警察を舐めないでくれ。既に犯行時刻から死体発見時刻までの、君のアリバイは調査されている」
「……え?」彼はもう、頭にアイコンを出す余裕すら失っていた。
「第一発見者の通報が午前四時三十二分。それから警察が到着して、ブルーシートがかけられたのが五時十五分。午前四時から六時までの間、君は池袋の別のビルで同僚と共に警備に当たっていた。少なくとも、午前零時から午前四時までのアリバイよりは完璧だ。もし四時六時の間に死体を見た、と言うならアリバイを崩してくれると助かるんだけど」
「…………」
 アキラ=乙部はもうそれ以上答えない。田上は勝利宣言をする。
「──これで、終わりかな」


( ログアウト )

「んで、原因何だったのさ?」
 工藤は田上にホットコーヒーを手渡した。自身はアイスミルクティーを飲んでいる。何でも猫舌だかららしいが。
 乙部は結局その後逮捕はされたが、田上の違法捜査ギリギリの行動もあってか、現在検察で起訴不起訴の審理が行われている。動機の面からは着々と固められつつあるが、どうやら物的証拠が乏しいこともあり、捜査は難航を究めそうである。
「今のところ、乙部と三笠……霧崎藻留具との個人的なトラブルって線で見ている。だが、霧崎のパソコンをいくら調べても、乙部とのつながりはなかった」
「で、動機は?」
「それはお前が知ってるだろ? クロ」
「ハッキングがどうとか?」
「……クラッキング。どうやら乙部が持っていた個人情報をクラックされて……というか本人もセキュリティに詳しいはずなのに……面目丸つぶれ。それでじゃないか……と上は見ている」
「上は……って、乙部は?」
「ずっと黙秘を続けてる。さて困ったね──証拠不十分で釈放、かなぁ。踏み絵とかさせるわけにもいかんし」
 田上は一気にコーヒーを飲み干した。
「もう一人の……ナナシノとは連絡を取ったのか?」
「いや? 取ってないけど」
「俺たちの変な作戦に巻き込んでしまった以上、一言いっておかないとさー」
「それはキカワダとかいうヤツにやらせといてくれよ。俺はもうNeViは当分止めるわ」
「……なんでまた」
 工藤が怪訝な顔で田上を見ると、田上は田上で虚ろな顔をしている。
「んーと、こういうのもなんだけどな。何でも填りすぎは禁物だな、と思ってよ。ゲーム脳理論は嫌いだけど、惰性って結構危険な気がするんだ。だから、たまにはちょっと距離を置いてみるのも良いかな、って」
「そうかなぁ、俺は面白く見させてもらったけど。文字だけのやりとりもなかなか良いねぇ。俺みたいな面倒くさがりにはもってこい」
「お前は止めれ。絶対向きすぎるから」
「そんなもんかね」
「そんなもんだよ」
 二人は同時に溜め息をついた。田上が続ける。
「ネットコミュニティってのは、それだけで一つの都市なんだ。その場その場の掟が空間を支配する。現実だってそうだろ?」
「そうだけど、それになじめない奴だっているさ」
「属せない奴は同じだよ。異邦人となって、どこにも染まらず歩き続ける」
「それって幸せなのかな」
「不幸せとは、言い切れないだろ」
 二人は揃って、ベンチの背もたれに一気に寄りかかった。
 どこにも染まらず、染まることも出来ない俺たち。もしかしたら俺たちは、この世界の異邦人なのだろうか──。
 工藤は不敵に笑って、一瞬浮かんだキザな思考を声に出す前に丸めて捨てた。


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