『小国テスタ2 後編』
3
六割の職員には暇が出され、普段では考えられないほどの哨戒人数が割り当てられた――こっそりと。飽くまでそれらは屋敷の外には知らされない方針のようだった。いや、屋敷内の人間にもできるだけ知られないようにしている節すら見受けられる。表向きは連日の模擬戦演習の疲れを癒すための休日ということになってはいるが。
……三日後の午前零時は、今日の午前零時に当たる。
現時刻はお昼前。
どうすれば良いのか、と俺は決めかねていた。
考え過ぎ――なのか? やっぱりヒナ王の話はなにかの間違いで、今日は本当にただの降って湧いた休日で、今夜の零時にはなにも起こらないのだろうか。
分からない。
なにかをするにしても、俺はなにをすればいいのか。今夜零時に、どこで、なにを――?
*
屋敷の中庭に菜園がある。狭い面積で、こまごまとした野菜や果物が栽培されている。
そこでヒナ王が水をまいていた。ここは彼女が主に世話をしており、収穫の際には、採れた量次第だが、屋敷の住人に振舞われたりする。
「クロノか。どうした。収穫はまだだ、寄ってきてもまだこれらは食えぬぞ」
王は、普段と違う質素な服装に身を包んでいた。まるで町娘のような格好だが、
「……お似合いですね、そのお召し物」
「君の口から世辞が出るとはな」ヒナ王は目を丸くした。少しの沈黙の後、「……それだけをいいに来たわけではあるまい?」
ヒナ王がこちらを見つめる。その真っ直ぐな瞳に、俺は目を逸らしたくなる衝動を堪える。
――あの夜の言葉の意味を、問うか、否か。
「いえ、実はご相伴にあずかりにきたのですが。まだ、というなら仕方がありませんね」とりあえず様子見の一手。
「よくよく君も暇なヤツだな」ヒナ王はおかしそうに笑う。「私も休日の有意義な過ごし方が分からん人間だ。だからこうして庭弄りなどをしておる。身体でも動かすか……」
「今晩、ですが」と俺はいった。
うん? とヒナ王は菜園から視線をこちらに移す。
互いに、視線を合わせて外さない。
「……宴会でも開こうかと思いまして。人数を集めて、騒ごうか、と」
「久しぶりだな、悪くない」ヒナ王は目を細めた。「が、すまんな、今晩は用事がある。私を除いた面子で楽しんでくれ。私はまたの機会にでも」
「なんの用事ですか?」
「聞いてどうする?」ヒナ王は静かに問い返し、まあ隠すようなことでもないか、と呟いた。「いやな、どこかの国の王だか王子だかがやってくるのだと。私との、まあ見合いというやつだ。……は、王と王の見合いとはこれいかに、なんてな」ヒナ王は冗談めかしていった。
「そのような話は……、聞いておりませんが」
「それはそうだろ。大袈裟なもてなしではなく、内密で静かな会食を楽しみたいとのことだ。だがこちらとしてはいい迷惑だよ、今から早速気が滅入る。――そりゃ」
ヒナ王は、ごまかすようにホースの水を真上に放った。口を絞り勢いよく水飛沫を高く上げ、落ちてくる頃にはそれらは霧状になっている。
秋、高い空の下。
頭上に小さな虹がかかった。
「覚えているかな」
ヒナ王は突然、ぽつりと言葉を漏らした。
「半年前のことだ。君が学校を卒業して、この屋敷へと赴任してきた、その前日。その日も私はヒムロの薦める見合いから逃げ回っておった。その折、そこな裏の路地で、君とぶつかった」
「あのときは、いったいどこの腕白娘かと思いましたよ」
ぶつかったというのに彼女はどことなく偉そうなのだ。無礼な女と思ったのは内緒である。
「君はひどい男だった。たった人口三千足らずの国の王を覚えていないというのだから。その日も私はこんな服装で、後から聞けば君は『服が派手じゃなかったから分からなかった』などという」ヒナ王はため息をついて首を振る。「君は他人を服装で判断しているのだとそのときはじめて知ったよ」
「い、いや、あれは……」
「次の日までずっと黙っていた私も悪いのだ。就任式の日の君の顔といったらなかったな」
彼女はその光景を思い出したのか、くすくすと笑い、また過去へと記憶を辿っているのか遠くを見る目付きになった。
「……そのときは結局、国の外まで逃げることになってしまい、そこで私たちは、末裔どもに囲まれた」
彼女は抑揚のない口調で訥々と話す。
「……君は私を恐れない。私の、あの姿を見せたのに、だ。なぜ、と問うことは詮無いか。君はその後にも態度を変えなかった。なにもなかったかのように私に接してくれた。それについて、今、ここで礼をいうよ。――ありがとう」
「まるで、どこか遠いところにでも行ってしまうような――もう会えないような、いい方ですね」茶化すように俺はいう。冗談みたいな空気に変わって欲しかった。
ヒナ王は俺の顔を見て、なにか気まずいものを見たように顔を伏せてしまった。
「すまない。君の不安をあおってしまった様だ」彼女は顔を上げ笑顔を作った。「なに、いつまでも大事な人が側にあると思うな、という父上の言葉を唐突に思い出しただけだよ。深い意味はないんだ」
*
カレンの部屋をノックすると、彼女の同室の女性が顔を出して、カレンは昨日一度帰宅してから帰ってきていない、帰宅は今日の夕食後になると話してくれた。
カレンの帰りは遅いのか。相談しようと思っていたが、あてが外れたな。
*
以前、ネッツと二人で訪れた研究所へと足を向ける。リコに会うためだ。
作業服で機械を弄っているゴトーさんに話を聞くと、さて、と首を捻った。
「あいつぁ確か今日は休みだったと思ったがね。こっちには来てないぜ。屋敷勤めは今日は休日じゃあないのかい?」
一応、リコの所属も屋敷ということになっている。
礼をいって踵を返すと、背後から野太い声がかけられた。
「どうした元気がねぇな、悩み事か? 俺でよけりゃ相談に乗るぜ。男同士じゃねえとできない話もあるだろう?」
「お気持ちは嬉しいですが、弱い根拠からくる杞憂ですから。俺がただ心配性なだけなんです」
これは偽らざる本心だった。正直な話、すでにこうして歩き回ることすら馬鹿らしくなってきていたのだった。
今日も俺の周りはあまりにいつも通り過ぎた。昨日も、その前も。
これで戦なんて起こるとは思えない。
だいたい、そう、なんでそうした可能性――最悪、全国民の殲滅とやら――について屋敷の上の人間は公言しないのか。
少しでもその可能性があるのなら話してくれてもいい筈だ。
「――ええ、考え過ぎだったのかも知れません。すみません、お世話かけました」
そうかい、とゴトーさんは片眉を持ち上げる。
「事情はよくわからんが。……ああ、これが老婆心てやつだな。説教くさくなるがすまん、悩み事は簡単に放棄するもんじゃない。正しい方法で解決されるなら良いが、自分の中だけで結論を出してそれを捨てては駄目だ」
「その、えっと」
「あー、だよなぁ!? 説教されるとそんな反応しかできねえよな。すまなかった。説教だけはするまいと誓っているが、許せ、なにぶんもうじじいなものでな」がはは、と彼は笑い声まで豪快だった。
「……いえ、ご忠告、感謝します」頭を下げ、俺はそこを辞した。
*
「なあ、ネッツは自分の両親を探そうとかは思わないのか?」
彼女はがりがりと走らせていたペンを一時停止、顔を上げた。
夕食後である。自室で彼女は机に向かい、文字の書き取りを行っていた。
「どうしたの、急に」
「いや、なんとなくな。物心ついたときから、ヒムロ翁の世話になっていたっていってたろ? 寂しくなったりしなかったのかな、って」
「寂しくもないし、お父さんお母さんを探そうとも思わないなー」
彼女はペンの末端を顎に当てて思案顔。
「生まれ故郷を知りたい、とかは?」
「なんだかクロノの様子が変だね?」彼女は俺の瞳を探るように覗きこんできた。「クロノって、あんまり過去のことにこだわらない人かと思ってたけど」
「あ、……もしかして気を悪くしたか? そんなつもりはなかったんだ。悪かった」
「ううん、別に気を悪くはしないよ。ただ、なにかあったのかな、って。ここんとこ、気分が落ち込んでたみたいだし」
落ち込んでいたように見えていたか。ネッツに気を使わせているようじゃ駄目だな。
大きく息を吸って、気分を入れ替える。
「……ほら、おまえの両親に挨拶しなくちゃいけないだろ?」
「え、……え? な、なにそれ? どういう意味?」ネッツがわたわたと取り乱す。彼女の顔がほんのり赤くなる。
「お宅の娘さんは預かっている、返して欲しければ金を用意しろ!」
「人攫いだよ!」頬をぷうと膨らませた。
「養育費の請求をしねーと」
「ひどーい! 働いてるよー!」
「ちょっと前までごく潰しだったがな」
「仕方ないでしょー……」彼女は唇を尖らせた。
「冗談だ。……ほらそこ間違ってる。そんな文字はこの大陸に存在しない」
「え、うそ。どこどこ」
まあ、なんだ。
こんな日常であればいつまでも続いて欲しい、と思う。
なんてことは恥ずかしいから誰にもいえやしないけど。
*
再度カレンの部屋を訪れてみたが、彼女はまだ帰宅していなかった。
もう数日間は会っていない。このくらいの時間には帰ってくるという話なのだが。仕事が忙しいのだろうか。
*
午前零時まで、あと三時間ほど。
今日は多数の職員が休日だったため、こんな時間でも僅かに屋敷内は活気付いている。
ネッツは自室で既に睡眠をとっている。
ヒナ王とヒムロ翁は応接間にいるようだ。例の会食だろうか。
カレンはいまだ帰宅していない。
*
リコの部屋のドアをノックするとホノカが顔を見せた。彼女たちは同室である。
「リコ? さあ? 夕方くらいまでここにいたんだけど。ちょっと用事があるからってどこかに行っちゃったよ。夕飯にも帰って来てないし」
「どこか分かるか?」
「どうかね。あんたんとこみたいにお互いの行動を逐一報告するようなことはしてないからよー」
「そういういい方はやめてくれ……」
俺とネッツはそんな風に見えていたのか……。
「あれ、ショック受けた? ごめんよ。まっ冗談はさておき、リコがこんな時間に出歩くなんて珍しいことじゃないさ。そんなときはだいたい研究室に行ってるね。用があるなら行ってみたら?」
複数ある研究棟の電気はすべて消えていた。
一応呼び鈴を鳴らすがどこも無反応。普段、リコが席を置いている棟にも人の気配は一切なかった。
すでに零時まで二時間を切っている。
どうする、と今一度だけ自問する。幾度目になるか分からない問い。
リコを探すか、自室へと引き上げるか――。
リコを探そう。
考えてみれば彼女とはろくに話をする機会すらなかった三日間だ。
(リコの報告では――)
ヒムロ翁は確かにそういった。
彼女ならなにかを知っている可能性がある。
リコがなにも知らないなら――知らないというのなら、そこで完全にこの話は忘れることにしよう。全国民の殺害だのなんだの、一人で抱えるには重過ぎた。これでこの件のために起こす行動は最後にしよう。
それに、リコなら真面目に話を聞いてくれるだろうし、ただの勘違いだったとしても変な誤解が起きにくい。……もし本当に物騒な話だったとしても、なにかきっと良い案を考えてくれるはずだ。
彼女を探す。
――だが、どこを?
もし零時がなんらかの契機になるのだとしたら、もう残された時間はほんの僅かだ。無駄足は許されない。
*
夜中の鶯通りを歩く。
月明かりはなく、道の折々に立てられた行灯が僅かに足元を照らしている。
道端に埋められたクレータの跡を見つけて思わず苦笑がもれた。
通りの左右に展開している店舗はどこも閉店している。こんな時間だ、無理もない。リコのお気に入りの菓子の店も、既に閉まっている。
リコの姿はここにはない。
*
俺は自室へと戻ってきた。
そうっとドアを開ける。中ではネッツが寝息を立てていた。
なにをやっているんだ、俺は。こんなところにリコがいるわけがないだろうに。
*
俺は国を出て、ダイナの家へと歩いて向かった。
帯剣したときの腰の重さにもそろそろ慣れた。度重なる演習によるものだろう。念のため、というやつだが、こんなところを誰かに見られたら俺こそ不審人物である。
ダイナの家は国の目と鼻の先である。歩いても苦にならない程度の距離だった。
国外は完全な暗闇なので、俺は指向性の光源を手にして歩く。持ち主の魔力を光に変換する装置だ。
彼の家を訪れるには森へと踏み込まなくてはならず、おのずと歩幅が制限される。人が通れるくらいの道はあるが、なにぶん明かりが頼りない。
遠くでちらりと弱々しい光が見えたような気がした。動物の目に見えた。野犬が出たりすると面倒だ。
暗闇の中に一条の光を見付ける。
ダイナの家には明かりが点いていた。改めて見てもそれなりに大きい家だった。
――しん、と静まり返っている。
がさり、という草を踏む音が妙に耳に残る。
扉を叩く音が妙に大きく聞こえる。
厭な空気だと俺は思う。
いや、それは単に暗闇に怯えて敏感になっているだけだ。
錯覚に過ぎない。
目に見えるものが世界のすべてなのだから。
「はい」と扉の向こうで澄んだ声。
扉を開けたのはミロゥである。
いつもの愛嬌のある微笑ではなく。
その表情に感情の欠片も見て取ることはできなかった。
「本日はどういった御用向きでしょう?」
ミロゥは俺を迎え入れ、コツ、と足を鳴らして振りかえり、俺に席をすすめた。彼女の着る薄い桃色の着物から、ふわりと柔らかい匂いがした。
俺は彼女に手のひらを見せて応じる。
ふと、まるで彼女が人形のようだと感じる。当然だ、彼女は人形なのだから。そう思わせるくらいに彼女は普段から言動に色彩を感じさせていた。
「リコは来ているか?」
「リコ様」と彼女は反芻する。「来られています」
「今どこにいる?」
「不明です。ですが、現在の私はリコ様の魔力で稼動しているので、私の近くだと予想します」
「この家の中か?」
「不明です」彼女は視線を下げている。長いまつげが瞳を隠す。
「……ダイナはどこに?」俺は視線を左右に走らせる。少なくとも俺から見える場所にはいないようだ。
「ダイナ、とはなんですか?」
「……なに?」
「…………」
今、ミロゥはダイナを知らないといったか?
「ダイナ、というのは、君の前の主人の名前だ」
「ダイナ様とは人の名なのですね。ですが、私の、リコ様の前のご主人はノウスト様でございます。少なくとも、私の記録ではそうなっております」
「ノウスト?」
「ささやかですが進言させていただきます。もうあと数刻――本日零時をもちまして私の全機能は停止いたします。質問があれば、私が稼動している間に行うことをおすすめいたします」
全機能停止? 今日の零時で?
……相変わらず彼女の表情は透明だった。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか? お呼びする際に不都合がございます」
「……クロノ」
「クロノ様。了承しました」
なにが――どうなっているんだ?
「リコはどこへいった?」
「不明です。失礼ながら、クロノ様のその質問は二度目です」
近くにいる、とさきほどミロゥはいったな。
俺は広い屋内を探して周る。
今俺たちがいる、玄関に面した客間から廊下に出て、一つずつドアを開けてゆく。キッチン、寝室、書斎。生活臭はするがどこにも人はいない。隠れられる場所も一見したところはありそうにない。
二階も同様だった。いくつかある部屋を全て確かめてみたが、なにもない。
一階への階段を降りると、まだ見ていない部屋があることに気が付いた。廊下の奥、暗がりにドアがある。
「そちらは」
突然の声に心臓が跳ねあがる。
見れば背後にミロゥが立っていた。
「お、驚かすな」
「失礼いたしました。そちらはそのまま家の裏手へと続く扉になっております。暗くなっておりますので、ご案内致します」
こつこつ、と二人分の靴裏が廊下を叩く。俺がミロゥのあとに続く形になる。
「クロノ様の記録は僅かに残っておりました」ミロゥは振りかえらずにそういった。
「記録……?」
「それによれば私とクロノ様は随分と懇意にさせていただいていたようでございます。以前の私はクロノ様に対して好意を抱いていたようです。……それを踏まえての忠告です」
彼女は扉に手をかけた。
「……万が一、零時を過ぎても私が稼動している場合は、私の側へと近寄らない方がよろしいかと。――私がクロノ様を殺害する恐れがございますので」
……がちゃりとノブが回される。
問い返す、前に。
ぎい、と油の足りない扉が軋んで開く。
目の前は庭だった。
木々で囲まれた、狭い空間。
屋内の光がそこを照らしている。
つん、と鉄の匂いが鼻を突く。
弱々しい光に照らされた血液は黒く見えた。
二人、か。倒れているのは。
俺は剣を抜き、ミロゥから距離を取りつつ倒れている人物へと近寄った。
すり足で横に移動する。切っ先はミロゥに向けたまま。
「君がやったのか?」
「私ではありません。私は夕刻からさきほどまで待機状態でした」
二人は近くに倒れていた。二人ともうつ伏せに倒れていて顔は分からない。ミロゥに注意を払いつつ、うつ伏せに倒れた一人を抱き起こす。
瞬間、その頭がぐらり、と取れそうだった。
首を斬られたようだ。その傷は深く、まさに首の皮一枚で繋がっているような状態だった。鮮やかな生肉と白い骨が切断面からのぞいている。じわり、とまだ血は固まっていないようだ。殺害から時間はそれほど経っていない。
確かめてみたところ、もう一人も同様だった。
二人とも男性で、どこかで見たことがある、と俺は記憶を辿る。その服装が作業着だったので、研究所で見た顔だと思い出すことができた。名前までは分からないが。
そのとき突然黄色い声が森に響いた。
「だっ、誰か!」
――近い。すぐそこか。
ライトを片手に俺は駆け出した。
リコの声だった。
木々をかきわけ、開けた場所へ出る。
暗がりに、三人の人間を確認した。
一人は小柄な女性――リコだ。木にもたれかかるように座りこんでいる。一見したところ外傷はないようだった。
残りの二人も女性――というよりはむしろ少女といった風体である。リコと同等の背丈に幼い顔付き。身体のラインがはっきりとでる服を着用している。襟が高く、丈は長いがふとももまで切れ目が入っており、肩のでた黒い服である。
突然の闖入者である俺に、三人の視線が注がれる。
「クロノっ」リコが叫ぶ。
「お、なんだよ、この国はこんな時間に出歩く野郎が多いんだな」
一人がにたりと唇の端を吊り上げる。少女らしからぬ笑い方だった。
「男性ね。騒がれる前に殺しましょう」
一人が無表情に呟いた。
同じ顔で異なる表情を持つ少女達は、揃ってこちらに向き直る。
「ここでなにをしてるっ! 所属と名を名乗れ!」
俺は切っ先を向けて牽制するが、彼女たちにひるむ様子は一切ない。
「キラサギ技術開発部『グリュウ』所属、機械師団はシリアルナンバ004、コードは『ミドリ』。満足か?」
キサラギ、だと?
「またそのような無駄を」片割れが眉をひそめる。
「好みの男なんだ。良いじゃないか、殺す前にすこしくらい遊んだってよ。ソトもどうだ?」
ソトと呼ばれた方はため息をついただけだった。
俺は彼女達を牽制しながら大きく迂回してリコへと近づいた。
「怪我はないか?」
「ええ、平気です」
リコは不安げに、俺と双子のように似ている二人を見比べる。
「あれはなんだ?」俺は聞いた。
「私と一緒にここに訪れた研究所の方々は彼女達に殺されました」リコは吐き気を感じたのか襟元を押さえている。「注意してください。少なくとも味方ではありません」
「くっちゃべってる場合じゃねえぜ」
――音も無く。
いつのまにかミドリが俺の脇に立っていた。
空気を裂いて繰り出された掌底を、辛うじて刀の腹で受ける。
俺はリコを巻き込んで吹き飛ばされた。
すぐさま態勢をたて直し、俺はリコを抱き上げる。
「すまない。大丈夫か」
「は、はい。少し頭を打って目が回ったくらいです」
ここから離れなければならない。距離を置かなくては。ここは暗闇に紛れて――、
彼女の手を取ってかけだそうとしたそのとき、視界の隅に飛来物を検知、のけぞって回避する。
さらにニ射、三射。唸りを上げて飛ぶそれを、全て刀で叩き落す。
「なにごとですかっ」リコが頭を低くしながらいった。
「魔力塊だ、大した事はない!」
言葉とは裏腹に腹の中では不安が膨れ上がる。
相手はこの暗闇でも正確に攻撃を打ち込んできた。なんらかの方法でこちらの居場所を正確に探知していると考えたほうが良さそうだ。対し、こちらには相手の位置を探る方法がない。
闇の中、出所のわからない声が響く。
「おい、ソト。信じられねーが、あいつら私の攻撃を防ぎやがった。狩りきれるか分からなくなった。力を貸せ」
直後、小さく草がこすれる音がした。
――上。
俺はリコを突き飛ばし、上空からの一撃を刀で受ける。
彼女の短刀と俺の刀が交差する刹那、敵の顔を間近で見た。愉悦の表情。口元には隠しきれない笑み。そして緑の右目――、
彼女が着地した直後、繰り出される二の太刀に俺の刀は弾かれ、空いた腹部に回し蹴りがとんでくる。
あの細身のどこにこれだけの力があったのか。背中から木に叩きつけられた。軽い吐き気がわいてくるが、それだけだ。幸いにして内臓までは衝撃が届いていない。対衝撃武装が役に立っている。
すぐに繰り出される弾丸のような追撃の体当たりをぎりぎりで回避、隙を見せた横っ腹に全力の前蹴りを叩きこむ。ダメージを与えるより、態勢を崩して距離を取ることを狙った一撃に、少女はころころと転がった。蹴った感触は軽く、体重はほとんど見た目通りだ。
「剣は飾りか?」
突然のミドリの声は背後から。
衝撃に備え身を丸めたが、攻撃はこなかった。
「――――」すぐに振りかえる。
そこに、金髪の綺麗な、少女の背中があった。
闇の中、まるで光を放つような鮮やかな金色。
決して動きやすくはない、装飾が派手で重たそうな服。
腰まで届く黄金の頭髪が、遅い風でゆらりと揺れる。
「お待たせ致しました、リコ様。――どうぞ、ご命令を」
俺の背後に立つリコに、視線を向けずにミロゥはいった。
「おまえが邪魔をするか。面白い……!」ミドリは楽しそうに笑う。
そのミドリの隣に、ソトが並び立つ。髪についた枯葉を鬱陶しそうに落としながら。
リコは近くの大木に寄りかかって、喘ぎつつも命令する――。
「敵の排除を。私たちの身を守って」
了解しました、とミロゥは静かに呟き――地面を蹴った。
「お相手、いたします」
少女達が腰を落とす。二人、左右対称に背中を合わせて半身に構えた。
爛、と一対の緑の光が闇に灯る――ミドリとソトの、それぞれの片目。
ミロゥが旋風のような速度で接近し、手首を小さく振るう。右手の甲から刃が飛び出した。
銀光が線になる。
瞬きの間に三本。それをすべてミドリが一人で受けきった。それも、手の甲で。
ソトの槍のような突きをミロゥが正面から掌で受け止める。硬いものがぶつかりあうような鈍い音が響き、ミロゥの靴底が僅かに地面に埋まる。
それを契機に竜巻のような速度で拳を交換しあう。お互いに直撃はなく、衣類が、拳が、空気を切り裂く音を立てるのが少し離れた俺にまで聞こえてきていた。
拳同士が激しい速度でぶつかり轟音を放ち、ぐらり、と姿勢を崩したのはミロゥの方だった。
そこを見逃すほど彼女たちは甘くはなかった。
ミロゥはそれでもその攻撃を三撃まで受け止めたが、足を払われバランスを崩し、額に肘を当てられ地面に叩きつけられた。止めとばかりに振り上げられた拳が――そこで止まる。
――ここまでで、ほんの一息。
「なんだ、動いてないじゃねえか」
ミドリは拳を下ろし、倒れて動かないミロゥからリコへと視線を移す。俺もその視線の先を追い、地面に膝をついて荒い息を吐くリコの姿を認めた。
「おい、どうした!?」俺はリコの肩を掴んだ。
「魔力切れを起こしてるのよ。もしくは出力のオーバーロード」ソトが静かに、だが興味もなさそうにいう。「安静にしてないと命に関わるわ」
「ってワケだ。そっちの切り札もなくなったわけだし、大人しくしてりゃ楽にやってやるぜ?」
彼女達はゆっくりと近づいてくる。
俺は刀を握りなおした。汗で柄が滑りそうだ。
……逃げろ、と脳の奥底が命令している。
……どうやったって勝てない。ここは逃げて助けを呼ぶのが得策だ。
――黙れ、と強く念じる。
――また、あの後悔を味わうつもりなのか。
あんな思いは、もう、
「聞いて、ください」
リコのかすれた声にはっとする。ぼそぼそと、俺にだけ聞こえるように。
「本来のミロゥの性能は、あんなものではありません。彼女の力を引き出してあげてください。魔力に欠陥のある私では使いこなせません。……それが、今私達が助かる可能性の最も高い手段です」
「なにをいってるんだ、どうやって」
「『新しい月』。――契約解除。……時間を稼ぎます」
リコはぼそりとそう呟き、ふらりと立ちあがった。
「……すみませんが、私たちに危害を加えるのはやめて頂けないでしょうか。……あなたがたの行動理由を聞かせて欲しいです」
「はん、ストレートな物言いだな。嫌いじゃないぜ」ミドリは少し唸り、「そいつを助けるってのは、考えてやってもいい」
「ミドリ。私情を挟んでは駄目よ」ソトがたしなめる。
「私情じゃねえ。テスタたる私達の攻撃を、どうあれ少しの間は防いでみせたんだから、それなりの資格はあるだろ?」
「テスタ? ……聖書の?」リコが恐る恐る問う。
「そっちじゃあねえ。試す者のテスタだ」
「一体……なんのテストを?」
「種を残すにふさわしいものかを試すために」ソトが仕方がないわね、と呟きながら答える。「あなたは殺さないわ、リコ・ムーシン。その若さで挙げた功績を考えると、殺すには惜し過ぎる人材だから、……そこ、なにを――!」
言葉の終わりにソトの動揺が混じる。
俺は大きく息を吸って、言の葉を紡ぐ。
「――終わりへ至る黄金の時計――」
詠唱をやめろ、とミドリが警告する。
俺は足を広げ、地面を踏みしめた。絶対に動かないという意志を示す。
そう、リコの魔力ではミロゥを扱い切れないのなら――
「――世界を繋ぐ赤き門――」
それを無視して俺の詠唱は続く。
俺の喉を潰さんと突き出されたミドリの拳は、ゆらりと再度立ち上がったミロゥの白い手に阻まれる。
――くっ、とリコが苦しげにうめく。彼を守れと彼女は叫ぶ。
ミロゥの掌がくるりとミドリの腕に巻き付いて、大きく彼女を投げ飛ばした。
くるくると回転し、ミドリは音もなく着地する。
簡単な話だ。俺が代わりに魔力を供給すれば良いだけのことだ――
「――終に座す者、時を奪う七つの獣――」
詠唱が長いぞ、とめろ、とミドリが血相を変える。そこにさきほどまでの余裕はない。
しかしミロゥの動きはぎこちない。油の切れかかったような動作で、泥と土にまみれ、それでもなお敵の前に立ちはだかる。
左方から襲い来るソトの打撃を受け流すことができず、ミロゥはその場に叩き付けられた。そして再度動かなくなる。
詠唱にかかる時間が長すぎる! もう少しだというのに――!
ミドリとソトの攻撃から俺を守る盾は剥がされた。
二人が弾丸のような速度で迫ってくる――。
――無防備になる詠唱中の魔術師を守るのは、本来は俺のような人間の役目なのだ。
いくらでも変更の利く、補充可能な駒。その身を呈して術者を守る、ただの壁。俺の仕事には盾になって死ぬことまで含まれているはずだった。
――そのはず、なのに。
ぱっと血飛沫が舞い、俺の頬に振りかかる。
ゆっくりとその小さな背中が崩れ落ちる。
ミドリとソトの手には、ぬらりと光る赤い色。
長い髪を地面に広げ、リコはその場に伏した。
俺の前に立って、野獣の爪のような一撃をその身に受けて。
「――――」
それが予想外に過ぎたのか、彼女達の動きが僅かに停止する。
そしてその一瞬で、俺の詠唱は完成した。
「――我を寄る辺に動け人形。対象の名はミロゥ、ここに新たな契約《テスタメント》を――!」
轟、とミロゥを中心に風が巻く。
空気の流れが起きるほどの魔力流。
スカートがはためき、金髪が踊る。
外見から感じたのはさきほどまでとは異なる、確かな力強さ。
胸に大穴を開けられたかのような魔力の流出があった。きっと長くはもたないはずだ。
ここに、俺とミロゥの契約が完了した。
今の俺は彼女と感覚を共有しているのだろう、五感を二つずつ感じる。
気付けば、ミロゥの拳の刃が、ミドリの首を刎ね飛ばしていた。
放物線を描き、落ちて転がってゆくそれを、俺はミロゥの視覚と感覚で感じた。
速い――なんてものじゃない。自分の手足のように――いや、それ以上だ、まるで思考がそのまま動きになったかのような――
首から上のないミドリの身体が膝を付く。どろり、と切断面からは粘度の高い黒い液体が染み出した。
ミロゥは向きを変え、ソトへと躍り掛かる。
紫電一閃。
袈裟切りに振り下ろされた刃が火花を散らし、防御したと思われたソトの指を消滅させた。切断ではなく、蒸発したかのように消し去った。
ソトは小さい眉をひそめ、踵を返して逃走した。力の差を知ったのか、早い判断だった。が。
ミロゥはその背中にあっさりと追い付き刃を突きたてる。ずるりと背から抜いた刃にはべっとりと黒い液体が付着していた。ソトは糸が切れたように倒れ、稼動をやめた。
俺は他の敵の襲撃を警戒するが、少なくとも俺の感じられる範囲には誰もいない。
「凌いだ――のか……」
現在、この場で動くのは俺とミロゥだけだった。
そうだ、リコは――?
傍らに倒れる彼女を抱き起こし、身体を検める。服の裂けている胸元と腹部を見るために、少しだけ上着をはだけさせた。
鎖骨部分と、胸から脇腹にかけて深い裂傷があった。出血は酷いが、処置を急げば命には届かない傷だろう。俺は上着を裂いて、傷口を覆うようにきつめに巻いて止血する。
「彼女達が……躊躇ったのを、感じました。……ラッキー、というやつですね」絶え絶えにリコは喋る。
「ばかか。しゃべるな。すぐに連れて帰る」
「ああ、……すみません、お願いが、あります」
「自分が死んだ後の後始末をよろしくとか、そういう類の願い以外なら聞くぜ」俺は無理に笑ってみせる。
「なんだ……、冷静、じゃないですか。取り乱されるよりは結構ですがね。……ミドリと、ソト。彼女達の体を、私の研究所まで運んでおいて……もらえますか?」
ああ、と俺が頷くと、リコは「よろしく」と呟いて瞳を閉じた。
荒く浅い呼吸を繰り返している。苦しそうに、冷や汗を浮かべていた。
時間に余裕はなさそうだった。俺はミロゥを従えて、国へと戻る道を探し始めた。
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