『呼び声』 (4)

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 ……トイレットペーパーで出来る限り吸い取っても、ズボンを穿いても、腰にまとわり付く冷たい違和感は消えてくれなかった。
 卵の振動は止んでいた。今は下にずり落ちて来て、唇を少し押し広げたところで下着に押さえられている。
 歩き方がぎこちなくなるのをどうしようもなかった。スリッパを履き替え、女子トイレを出る。昼休み終了のベルが鳴った。廊下を社員が何人が通り過ぎていった。
 圭吾の姿はなかった。唇を噛み締め、涙と、下腹部の冷たい感覚を堪えながら、理美は階段を登った。
 二階に上がると、理美は検査室には直接戻らず、女子更衣室に入った。
 この時間、ここを利用する人間は滅多にいない。更衣室の扉を閉め、理美は自分のロッカーの前に佇んだ。
 今はまだ、誰とも――特に圭吾とは、顔を合わせられなかった。かと言っていつまでもトイレに籠もっているのにも、強い抵抗と羞恥がある。子供じみた行為と解ってはいたが、今は、誰もいないところで少しでもいいから気持ちを落ち着けたかった。
 ……自分は、圭吾を裏切っている。
 つい数十分前のあの女の子二人への、そして自分への圭吾の言葉。色恋事に長けているとは言えない自分にも、圭吾が自分にどんな感情を抱いてくれているのか、充分過ぎるくらい理解できた。
 嬉しかった。何よりも望んでいたことのはずだった。
 なのに、自分は圭吾を拒絶した。望んだ行為ではない。だがあの時の自分の態度は、誰がどう見ても圭吾を突き放したようにしか思わないだろう。
 ……どうすれば……どうすればいいの。
 謝ったところで、圭吾が赦してくれるかどうか解らない。赦してくれたところで、自分が今も彼を欺いていることに変わりはない。こんな自分に、いったい何を望む資格があるというのか。
 今は静かに佇む卵の感覚が、恨めしいほどの甘やかさで再び理美を苛んだ。作業着のズボンへ手が伸びて――
 その時初めて、自分のロッカーの扉の隙間に、白い何かが挟まっているのに気付いた。
 封筒だった。
 今朝、アパートの郵便受けに入っていたものに似た、味も素っ気もない封筒。
 背中を薄ら寒いものが通った。震える手で隙間から引っ張り出す。
 周囲を見る。誰もいない。糊付けもされてない封入口を開き、中から折り畳まれた上質紙を取り出し、広げ――絶叫を放った。
 昨夜の理美が印刷されていた。
 ――リノリウムの床の上、胸の頂点を尖らせ、これ以上ないほど脚を広げ、肩と爪先でブリッジを作るように腰を浮かし、受話器をそこに押し付けながら悶えている女。
 ――ドラフトに寄りかかり、何かをまたぐように膝を開け、クリーンウェアを付け根から足首まで濡らして肌にぴったり貼り付かせた女。
「何!? どうしたの」
 心臓が凍り付いた。悲鳴を聞きつけたのか、誰かが更衣室の外から声を投げている。
「な――何でもありません! そ、その、虫がいたから」
「あれ、水越ちゃん?」
 まだこんなとこにいたの、と言いたげな怪訝な声。「って虫? 大丈夫、刺されたりとかしてない?」
「だ――大丈夫です。その、もうどこかへ行ったから……ごめんなさい、騒がせて」
「ああ、何でもないなら良かった」
 びっくりしたよ、水越ちゃん乙女だなぁ――暢気な笑い声が聞こえた。「んじゃ。早く仕事に戻んなよ。怒られるぜ?」
 足音が遠ざかった。理美は安堵の息を吐き――恐怖がじわりと舞い戻った。
 ……この写真は、この写真は、この写真は……。
 女子更衣室の扉自体に鍵は設けられていない。ドアの前に目隠しの衝立が立てられていて、後は個人でロッカーを施錠するだけだ。ロッカーの扉の隙間に封筒を差しておく程度のことは、隙を覗えば男でも充分出来る。
 だが、ここは会社の中だ。部外者がどうやって、この中に入ってきたというのか?
 ……あの時も、隣の検査室の受話器からあの声が聞こえた。つい先程も、業務用PHSに掛かってきたばかりだ。まさか、まさか――
 解らない、解らない。ただ一つ言えるのは、これを誰にも見られてはならないということだけだった。
 ゴミ箱に捨てようとして慌てて思い留まる。駄目だ、ここには捨てられない。封筒ごと丸めて作業着の上着のポケットにねじ込むと、理美は逃げるように更衣室を飛び出した。封筒をロッカーに置いておくことは、なぜか恐ろしくてできなかった。
 廊下の角を曲がったとき、誰かにぶつかりかけた。「ごめんなさい、」視線を合わせることも出来ず、おざなりな謝罪だけを置いて足早に進み続ける。
 検査室のドアの前まで辿り着いた。ノブに手をかけて、
「水越さん」
 背中からの声にびくりと振り返った。
 圭吾が立っていた。いつもの穏やかな笑顔は消え失せ、ただ感情のない顔だけがそこにあった。
「山根くん、」
 言葉が途切れた。謝らなくちゃ、謝らなくちゃ――けれど唇は動かなかった。圭吾は目を逸らし、再び理美を見つめ、
「話があります。仕事が引けた後に、また」
 低い声でそれだけ言い置くと、圭吾は理美の脇をすり抜け、検査室の中へ入っていった。

 午後の仕事は上の空だった。
 大きなミスも犯さずにいられたのが自分でも不思議だった。圭吾の言葉と卵の感触、そして下腹部の冷たさだけが、理美をぐるぐると苛んでいた。

 終業のチャイムが鳴ると、理美は足早に更衣室へ駆け込んだ。
 誰も来ていない内にロッカーを開け、作業着のズボンを脱ぎ、私服のスカートを着ける。今の下着の状態は誰にも見られたくなかった。
 ひとまず安堵の息を吐き、上着に手をかける。はたと気付いてポケットに手を入れ――顔面が蒼白になった。
 無い。
 昼休みの直後にここで見つけて、ポケットに丸めておいたはずの封筒と写真がどこにも無い。
 落としたのか? どこで? 思い出せない。午後は殆ど放心状態で、どこでどんな作業をしたのかさえ覚えていなかった。
 丸めたままの状態だったから、誰かが拾ってもごみとしてそのまま捨ててくれているかも知れない。けれど、もしあれを誰かに見られたら、見られたら――
 青ざめたまま上着を着替え、更衣室を出た。検査室に戻る。「あれ? 水越ちゃん忘れ物?」同僚の声に答える余裕も無く、床に目を這わせ、ごみ箱を覗き込む。
 しかし理美の願いも空しく、丸めた封筒も上質紙も、どこにも見当たらなかった。
 青ざめた顔のまま理美は廊下に出た。
 どうすれば、どうすれば、どうすれば……頭の中に渦を巻いたままの理美の前にその時、誰かの影が立ち塞がった。
「――山根くん、」
「水越さん」
 目をほんの少しだけ細めながら、圭吾が笑いとも無表情ともつかない形に唇を曲げていた。「じゃ、行きましょうか」
「い、行くって」
「話がある。そう伝えましたよね」
 肩に手が置かれた。身体が跳ねた。「水越さん、いつもバス通勤でしょう? 今日は送りますよ。とりあえず駐車場まで」

                          ※

 助手席に身を沈め、夕闇に覆われた空を左手に見ながら、理美の心臓は静まらないままだった。
 圭吾の匂いの染み付いた車内。右には当の本人が、静かな表情でハンドルを握っている。
「蘇我の方でしたよね、水越さんの家」
「……うん」
 会話が途切れる。会社を出てからずっとこの調子だ。奇妙な緊迫感が車内を漂っている。
 けれど圭吾の方は、緊迫感などまるで感じている気配も無く、ずっと同じ調子でフロントガラスを見据えていた。
 昼休みにあれほど手酷く突っ撥ねてしまったのに、今の圭吾は、そんな出来事など存在していないかのように静かだ。
 圭吾の方を向いていられず、理美は膝に視線を落とした。冷たく貼り付いた下着の感触と、わずかに顔を出したままの卵の感覚がたまらなくて、理美は硬く両手を握った。
 ――果てしないほど長い時間の後、理美のアパートに着いた。
 お世辞にも綺麗とは言えないアパートを前に、圭吾は初めて、驚いたように目を開いたが、また先程までの表情に戻ると、助手席を出た理美の手を取った。
「や、山根くん?」
「部屋はどちらですか。一緒に行きましょう、もう暗いですし」
 穏やかだが、有無を言わせない響きがあった。手を引かれるまま、理美は部屋番号を伝えるしかなかった。
 扉の前まで辿り着くと、圭吾はようやく手を離した。
「――送ってくれて、ありがと」
 理美は視線を落としながら、「それと、その……昼間は、ごめんなさい。山根くんのこと、嫌いなわけじゃないの。ただ、ちょっと、驚いただけ――だから、気にしてたら、ごめんね」
 駆られるように紡いだ謝罪の言葉は、しかし理美自身の耳にも、とって付けた言い訳にしか聞こえなかった。
 応えは無かった。「……それじゃ、お休みなさい」背中を向け、鍵を開け、扉を開いて玄関に足を踏み入れて、
 圭吾の手が扉を掴んだ。
 あっという間もなかった。扉の隙間から、圭吾は理美を押し退けるように部屋の中に滑り込んだ。そして後ろ手にドアのロックをかけた。
「や、山根くん!? どういう――」
「お話がある、って言いましたよね」
 先刻と同じ台詞を圭吾は繰り返した。「ふたりだけでゆっくり話がしたかったんです。クルマの中じゃ落ち着かなかったでしょうし」
「で、でも」
「さ、早く上がって下さい」
 まるで自分が部屋の主であるかのような口振り。ドアの前には圭吾が立ち塞がっている。理美は気圧されるように靴を脱ぎ、部屋の中に後ずさった。圭吾がにじり寄ってくる。
「山根くん……山根くん!?」
 声が震える。おかしい。こんなのいつもの圭吾じゃない。「どうしたの……ねえ、どうしたの? お、お願い、落ち着いて――」
「水越さんこそ落ち着いて下さいよ」
 圭吾の顔には薄笑いすら浮かんでいた。「大丈夫です、水越さんの嫌がることはするつもりありませんから」
 いつの間にかキッチンを過ぎ、和室の壁際まで追い詰められていた。理美の両肩を圭吾の手が掴む。
「だ、だめっ!」
 昼間と同じように圭吾を振り払い、理美はドアに向かって走り出した。
 腕を掴まれた。
 あっという間に引きずり戻され、畳の上に押し倒される。両腕を背中に回され、紐のようなもので両手首を締め上げられた。
 一瞬の出来事だった。理美は畳の上、芋虫のように後ろ手に縛り上げられていた。
「い、いや――いやぁっ!」
 絶叫が漏れた。「山根くん、何するの!? お願い、解いて。こんな事しないで!」
「嘘言わないでくださいよ。好きなくせに」
「――え!?」
 圭吾が何を言っているのか理解できなかった。「す、好きって」
 圭吾は答えなかった。理美をうつ伏せに倒したまま今度は右足を掴む。靴下を脱がされ、足首に何かを巻かれた。右足が上に引っ張り上げられる。スカートが付け根近くまでまくれ上がる。「いや、いやっ」圭吾は理美の右足に巻いたコードの端を引っ張り上げ、窓のカーテンのレールに潜らせると、硬く結わえた。
 理美は両手を背中に戒められたまま、右足を高く上げた状態で拘束されていた。
「や、山根くん! いや、こ、こんなのいやっ! 解いて、解いてっ!」
「静かにしてください水越さん――まあ、どうせ叫んでも無駄ですけど」
「どうして!? どうしてこんなことするの!? ひどい、山根くんがこんなひとだなんて、思わなかった!」
 ――瞬間、圭吾の顔が、能面を被るように変わった。
「こっちの台詞ですよ、それは」
「え」
 圭吾は上着のポケットに手を入れ、それを取り出すと、理美の前に広げた。
 混乱と暗がりの中、理美は目を凝らし――喉の奥で悲鳴を挙げた。
 あの写真だった。
 昼休みの後、更衣室のロッカーに残されていた写真。作業着のポケットに丸めて入れた後、無くしてしまっていた写真。
 昨夜の検査室での理美の痴態を写し撮った、決して誰にも見られてはならない写真。
 どうして、どうして、どうして!?
 どうして圭吾が持っているの!? 圭吾にだけは、圭吾にだけは絶対知られてはいけなかったのに、どうして!?
「……信じてたのに」
 圭吾の声色が変わった。玩具を取り上げられた子供のような涙声だった。「水越さんは違うって、こんなことする女《ひと》じゃないって、ずっと信じてたのに。信じてたのに――」
「ち、違うの! それは、その、それは、」
「黙れ! この売女!」
 今度は左足を掴まれた。凄まじい力で脚を裂かれる。右足と同じように靴下を脱がされ、足首に延長コードを巻かれる。そして今度は部屋の反対側、衣装戸棚のハンガー掛けに、コードの端を縛り付けられた。
 スカートは完全にまくれ上がり、右足を高々と上げ、左足も畳から浮かせ、理美は両脚を大きく割り裂かれた格好を圭吾の前に晒していた。
「いや、いや、いやぁっ!」
 首を振りたてて泣き叫ぶ。圭吾は理美を一瞥すると、踵を返してキッチンの奥へ消えた。
 何かを漁る音がする。
 不気味な数十秒の間の後、圭吾は戻って来た。右手には――包丁が握られていた。
「いや、やめて、やめて……殺さないで……殺さないでっ……!」
「大丈夫。そんな事しませんよ」
 圭吾の声がさらに豹変していた。恐ろしいほどに沈着な声。「それより水越さん。いつからこんなことしてたんです」
 圭吾の左手に広げられた一枚の紙を見て、理美は再び奈落に突き落とされた。
 浴室のあの写真だった。
 今朝、郵便受けに放り込まれていた脅迫状の写真。もう一つの見られてはならない写真。全ての始まりとなった、浴室での行為の写真。
 台所のごみ箱に捨てたはずのそれが今、圭吾の手に握られている。
 下半分は裂かれていて、脅迫文の部分は残っていなかった。捨てる時に自分が破いたことを、今更ながら理美は思い出した。
「そ、それは……それは……」
「さっさと言えよ!」
 眼前に包丁が突き付けられた。
「やぁっ! やめて……」
 泣きじゃくりながら、理美は告白した。「そ……そのときだけ……そのときだけなのっ……ずっと、我慢してて……でも……どうしても、我慢、できなくて……それを……誰かに、撮られて……それで、それで……」
「誰が撮ったんです」
「そ、そんなの……解るわけ、」
「どこから撮ったんですか、これ」
「――え」
「これもそうです」
 圭吾は屈み込むと、浴室の写真を畳に置き、代わりに検査室の写真の方を拾い上げ、理美の前にちらつかせた。「誰が、どこから、こんな写真を撮れたんですか」
「……っ、知らない、知らない……」
 必死に首を振る。圭吾は写真の印刷された紙を放り捨てると、空いた片手を理美の脚のあわいに伸ばし、触れた。
「あっ!」
「何だ。びっしょりじゃないですか」
 まだ湿ったままの下着を圭吾の指が撫でさする。「いつもこんなに、透けるほど濡らしてるんですか?」
 圭吾の卑猥な言葉と、もどかしいほどゆったりした指使いが、理美を錯乱に陥れる。
「やぁっ……やめて……やめて……」
 圭吾の指が下着越しに唇の間を滑った。背中がのけぞる。卵の硬い感触に気付いたのか、圭吾の片眉が上がった。
「何ですか、これ?」
 卵が顔を出している部分を中心に、圭吾の指が何度も往復する。
「そ……それ、それは……その、」
「はっきり言って下さいよ。仕方ないなぁ」
 圭吾は薄笑いを浮かべると、包丁の先端を下着に近づけた。理美は蒼白になった。
「いや! いや! いやぁ!」
「動かないで下さい。怪我しますよ」
 包丁の先端が下着の生地に刺さり、柔肌に触れるか触れないかの位置でゆっくりと縦に下ろされる。下着が切れ込みから左右に裂け、叢と、その奥の薄紅色の唇が顔を覗かせた。
 冷ややかな空気が流れ込む。
 ……ああっ……。
 見ないで、見ないで、見ないでっ……。
「匂いますよ、水越さん」
「いやあぁっ!」
 全身の血が一気に顔に上った。
 圭吾の指が下着をつまみ、左右に引っ張った。裂け目が広がる。その間を通して指が叢の奥に伸び、唇を大きく開けた。
「あっ――」
 冷気がさらに奥に忍び込んだ。開かれたまま指の一本を中に突き込まれる。悲鳴が漏れた。卵が掻き出され、畳の上に糸を引いて落ちた。
「いつも入れてるんですか。そんなにいつも、中に入れてもらわないと我慢できないんですか?」
「い、いつもじゃ……いつもじゃないのっ……今日だけ……今日だけなの……そうしろって、そうしろって、言われたから……お願い……信じて……」
「へぇ」
 寒気がするほど冷たい声で圭吾が笑った。立ち上がり、部屋の隅に置かれたプラスチックの収納ケースの前に歩み寄る。何かを漁る音。振り返ると、圭吾は片手に小箱を乗せて戻って来た。「じゃあ、これは何ですか」
 表面に凹凸の付いた、長さ二○センチほどの、先の丸いピンク色の筒。
「――それは、」
「これは?」
 少し細めの、数珠球が繋がったような細い棒。
「……」
「これは何です」
 さっきまで入れていたものより一回り半ほど大きな、コードとリモコンの付いた楕円形の卵。
「……それは、それは……」
「それじゃ、これは?」
 ハンドクリームのような丸い容器。蓋は圭吾の手で開けられ、中の軟膏が見える。
「ち、違うの、違うのっ……勝手に、勝手に送られてきて……使えって……それで、」
「嘘を吐くな!」
 脚の間に包丁が突き立てられた。理美は悲鳴を挙げた。「楽しんでいたんだろう。こんな道具を使って、毎晩毎晩腰を振ってわめき散らしていたんだろう!」
「ち、違っ……」
 ――違わない。
 違わないじゃないか。圭吾の言う通りじゃないか。
 自分は毎晩何をしていた? 部屋でひとり何も着けないで、道具を入れて、出し入れして、その上薬まで塗って、そして――
 電話越しに、受話器に向かって、
 彼に向かって、はしたない叫び声を聞かせて――

 ――電話が鳴った。

 部屋の反対側の隅、畳の上に置かれた旧式の黒い電話機の呼鈴が。
 理美の感覚を揺さぶるように、けたたましい音を響かせる。

「や……山根くん、山根くん、」
 朦朧となりかけた意識の中、必死に口を開く。「電話が……電話が、鳴ってるの……だから……やめて、お願い……出させて……電話に、出させて……」
「電話? 何言ってるんですか?」
 眉を顰めながら、圭吾は破かれた下着の前に顔を近付けた。「……まあいいです。たっぷり楽しませてあげますよ、いつもご自分でしてたように」
 叢を揺らす圭吾の吐息が恥ずかしくて、必死に腰を揺する。けれど両脚を拘束するコードは固く、引っ張ってもかすかに伸びるだけで、理美の脚はぴくりとしか動いてくれなかった。
 突然、滑らかで熱いものが理美の中心を滑った。
「あああっ!」
「もう少し、濡らした方がいいですね」
 圭吾の舌が唇の尾根を走る。膨らんだ尖りを弾く。甘美な戦慄に身がのけぞる。腰が浮き上がり、カーテンのレールとハンガー掛けが音を立てて激しく軋む。
 圭吾は口を離すと、ピンクの筒を掴んだ。容器から軟膏を掬い取り、ピンクの筒の表面に厚く塗りたくる。
 理美の中心に筒が押し込まれた。
 衝撃が脳の裏側を貫いた。
 最奥まで届かされる。引き抜かれる。突き上げられ、引っ張られる。表面の凹凸が襞を擦り上げ、軟膏を塗り込んでいく。
 瞬く間に発火した。
 あああああああああ……あああああああああ……。
 理美の腰が圭吾の手の動きに合わせ、激しく前後に揺れ始めた。

 意識の壁に亀裂が走る。
 朽ち果てた漆喰のように、表面からぼろぼろと剥げ落ちていく。

 ……なぜだろう。
 どうして、こんなことをしてるんだろう。

 ……まだ、鳴ってる。
 でんわが鳴ってる。
 はやく、出なくちゃ。でんわにでなくちゃ。
 ……でんわの向こうで、ずっと待ってる。ずっと待ってる……

 ――縄が解けていた。
 桃色の玩具の動きは、いつの間にか圭吾自身の律動に変わっていた。
 手が圭吾の背中を掻き毟り、脚は圭吾の腰に絡み付いている。服は全て剥ぎ取られ、胸の突起が圭吾の肌に擦られている。
 喉から紡ぎ出される喘ぎの中、呼出音が遠くに響いていた。
 ……電話に、出なきゃ。
 ……はやく、出なきゃ。
 片手の力が抜け、圭吾の背中を離れる。
 指先が、畳に転がったままの包丁の柄に触れた。
 圭吾の動きが激しさを増す。

 ……でなきゃ。
 片手がゆっくりと、包丁の柄を握っていた。
 ……でんわに、でなきゃ……

 ――そして、
 圭吾が一番深く入り込み、解き放ったとき、
 理美も最も深く迎え入れ、

 圭吾の背に刃を突き立てていた。

 電話の音が止まり――
 数秒後、再び鳴り始めた。

                          ※

 ……電話は鳴り続けている。
 動かなくなった圭吾の身体の下から、理美はのろのろと這い出る。
 数珠状の細い棒と、コードの付いた卵、そして丸い容器を拾い上げ、部屋の隅の電話機に向かう。
 受話器を掴み、耳に押し当てながら、理美は棒と卵の表面に軟膏を塗り始める。
 恍惚の表情を浮かべ、うつぶせに寝そべり、腰を高く突き上げ、卵を前に沈め、棒を後ろに差し込む。
 そして卵のスイッチを入れ、後ろの棒を激しく、前後に出し入れし始めた。

「いや……だめ……。そんなこと、させないで……」

 ――山根くん――

                                                    【了】

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