『濡れるのは裏側の瞼』

『濡れるのは裏側の瞼』

PD-Yorck Project (C) 1915 Modigliani,Amedeo/sourec Wikimedia Commons.

著/恵久地健一

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1.

 わたしの人生は闇の中でした──

 こうして闇と表現するのは、いわゆる不幸であるとか、絶望的であるとか、そうした場合なのでしょうけど。べつにそのような意味ではありません。
 ただ両目が、なにも見えないのです。先天性の視覚障害だと両親やお医者さまから教えていただきました。
 生まれつき──ママの中にいたときからかもしれませんが──わたしの目には障害があり、名前をいただいた数ヶ月後には、完全に視力をなくしました。ですから、わたし赤誠メリイは光や色とは縁のない生活をしております。
 赤誠というのが、わたしのファミリーネームです。赤道のセキに、誠実のセイで、セキセイです。ファーストネームはメリイ。この体に次いで、両親から二番目に贈られたものです。
 盲目という不具合のある体にできた娘にもかかわらず、両親は本当にたくさんのものをあたえてくださいました。
 けれど、わたしが両親によくしていただいたと書いても、やはり目の見える方には不遇のように映るものでしょうね。文章化されたはずのこれをお読みなら、あなたは目がお見えなのでしょう?
 もしあなたの視力が消えて、まっ暗で上下も左右もない闇だけの世界しか見えなくなれば、それは恐ろしく思われるでしょう。けれど、わたしにはそれが通常なのです。物心がつく前から闇に満ちた世界で生活をしているわたしは、光が照らす世界を知りません。ですから、光を失う恐怖のないわたしが自分を不幸に思うこともないのです。
 それに、わたしは言葉を話すことができます。点字であれば言葉も読めます。簡単な文字や絵を書くこともできます。あなたは目がお見えでしょうけど、いくらこの文章を目にしても、わたしの姿まで見えるわけではないでしょう?
 わたしの髪がどれだけ長いとか、肌がどれだけ白いとか。そうした情報をわたしが点字タイプ式ライタで入力して、入出力マイク対応の汎用機で通常言語にアウトプットしなければ、あなたにはわたしの姿が見えないはずです。
 つまりこうして文章を通じれば、目の見えないわたしでも、目の見えるあなたと対等になれるのです。これもパパやママに文字と言葉を教えていただいたおかげですし、色々な機械をあたえていただいたおかげです。
 ああ……すいません。読み返すと、ずいぶん偉そうなことを書いていますね。
 わたしの文章に変なところはありませんか? 文字や単語は正確に変換されていますか? あなたを不快な気持ちにさせていないでしょうか。
 もし都合がよろしければ、またわたしの話を読んでいただけませんか?
 わたしが自分の生活を文章にすることをはじめたのは、メンタル的な治療の意味もありますけど。自分の書いた文章を誰かに読んでいただけることは、わたしの希望でもあるのです。本当に都合がよければで、よろしいですから……

 目の見えないわたしでも、目の見える方と同様に、文字を理解して言葉を話せることは前に少し書きましたけど。
 それでも、やはり目が見えないぶん通常よりも時間をついやしたように思います。ただわたしは、学校というものを利用したことがありませんので、通常の勉強をあまり知らないのですけど。
 生まれて最初の勉強は、パパやママの言葉をくり返すことでした。わたしの手をつかんで「ほら、パパだよ」と耳に聞こえる太い声から、わたしも「パパ、パパ」と呼び名をくり返し、わたしに温かさを伝える大きな手の持ち主が、パパであることを知りました。
 ものの形を理解するときも、色々な形の積み木から球や四角の形を覚えたり、動物の模型から鳥やウサギや、犬や魚の形を覚えたり。パパの手や声を覚えたとき、温かさや音を伝えた空気、積み木や模型、形のあるもの、形のないもの。両親の声と手や肌にふれた感触。そのふたつの疑いなきものから、わたしはこの世界の色々な存在を知りました。
 食事のときには、口の感触と舌の刺激が学習の手段でした。ママが手をそえた円筒形のコップで水を飲むとき、さらさらとノドを流れる冷たい液体が、水。ミルクを飲むときも、口の中に流れる感触が水よりも重く、濃厚な味や匂いを舌と鼻に感じさせる液体が、ミルク。
 こうした小さい頃の勉強は、目の見える方でも似たようなものでしょうけど。わたしは目が使えなくても、それ以外の感覚をすべて活用することで、たくさんのものごとを学んだのです。

 感覚の勉強が進むと、次に教えられたのは文字を理解することでした。
「メリイ、人さし指を出してごらん」
 パパはそう云うと、わたしの人さし指を自分の指でつかみ、あ、い、う、え、お、と紙に書かれた文字の上をなぞるように、わたしの指を動かしたのです。
 わたしは指先の動きに合わせ、闇の中に浮かび上がる文字の形を光の線として想像しました。盲目のわたしにも、光の記憶はあるのです。それは生まれたばかりの頃、弱まる視力でかろうじてとらえていた、かがやきです。
 人間は記憶力の限界で過去を忘れたとしても、記憶そのものは消えないそうですね。わたしが思い出せるのは、闇に塗りつぶされた日常だけですけど。目を閉じて深くふかく意識を集中すると、瞼の裏側に見える光があるのです。
 文字と同時に教えられたのが、世界の仕組みについてでした。学校で云えば、いわゆる国語と社会科でしょうか。
 わたしたち人間が、みな地下のシェルターで暮らしていること。わたしたちの両親の親のそのまた親の代に、全世界を巻き込む大きな戦争が起きて、地上の全土が破壊しつくされたこと。生きものがたくさん死に、人間全体の数も過去に比べて今は十分の一以下であること。
 小さい頃のわたしには世界の破壊という意味がうまく理解できず、そのことを教えてくださったママにたずねました。
「壊れるというのはね、メリイ。もとの形へ戻すのが駄目になることで、おなじように使えなくなることよ」
「じゃあ、もとには戻せないの?」
「昔の人間が住んでいた場所は、もう戻せないわね。でもメリイ。たとえ壊れても、世界はなくならないのよ」
 そう云うと、ママはわたしの頭をやさしく撫でました。その数日後、わたしは両親に連れられ、地上の世界が本当に存在することを自分の足で確かめることになるのでした。

 わたしが両親に連れられ、はじめて地上の世界に出たのは十歳の頃でした。
 その日わたしは、まずママに服を脱がされ、裸で立たされました。そして、背中や胸やおしりの上まで、冷たくぬるりとした保護クリームを塗られたのです。地上では空からふりそそぐ光線や空気の中に微量な有害物質がふくまれるため、体の弱い子供は、そうした予防策が必要なのだと教えられました。
 頭には大きな帽子をかぶり、全身を包むワンピースを着て。パパの運転する電動カートでシェルターの通路を抜け、ママとパパに両手を引かれ、わたしは地上への階段を歩きました。
 わたしは目が見えませんから、景色の変化は分かりませんでしたけど。それでも地上へ出たときには、はっきりとそれが分かりました。
 別世界の空気、ひやりと冷たい。地下では感じることのない風が、びょぅと音を立て吹いていました。わたしは地上の世界をさらに感じようと、指を開いた両手を前にさし出しました。辺りを探るように動かしても、さわれるものはなく、しっとりと重みのある風だけが手の表面を撫でました。
 それと、風が運ぶ匂い。埃くさいような、湿気くさいような。腐臭と云えば表現が悪いですけれど、野菜や肉が古くなるとくさい匂いが増すのとおなじで。地上の空気をくさいと感じたのは、おそらく堆積した時間の匂い。
 目の見える子供なら、学校の時間に過去の都市や緑の木々が生えた世界の映像を見せられるでしょうから。荒涼とした地上にショックを受けるのでしょう。けれど、現実の世界しか感じることのできないわたしは広大な空間とそこから受ける刺激に心が震えるだけでした。
「どうだい、メリイ。地上の世界は、今ちょうど夜だよ」
 パパはそう云うと、わたしに周囲の景色を説明してくださいました。
 なにもない地面がどこまでも広がり、遠くには黒い影のような三角の山。雲ひとつなく晴れた黒い空には、満天の星とほそく痩せた三日月。わたしは顔を上げて片手で帽子をおさえ、闇しか見ることのできない目を夜空に向けました。
「星と三日月……」
 無数の輝点が闇に浮ぶイメージ。闇に侵食され、かがやく、弓なりの円弧。
「ああ、どちらもぴかぴかと白く光って綺麗なもんだ。ただ星のほうは、よく見るとみんな微妙に色が違うんだ」
 パパの言葉を聞きながら、目を閉じて意識を集中した瞼の裏側が、冷たくなるのを感じました。ふたつの目からこぼれた水が、すじとなり頬を伝いました。涙でした。わたしは目もとをぬぐうこともなく、とめどなく涙を流したまま、顔を夜空に向けていました。
 綺麗な景色を見られないことが悲しいと云えばそうでしょう。地上へ出られたことに感動したと云えば、たぶんそうでしょう。けれど、そのときのわたしは涙が流れる理由も分からず、ひそやかな祈りのように声もなく泣いていました。

 はじめて地上の世界にふれた後も、年に何度か両親と一緒に、時間と場所を変えて地上に連れ出されました。それは学校で云う、遠足や課外授業のようなものでした。そしておなじ頃、もうひとつ世界を広げる存在として地下ネットワークのことを教えられました。
 管理局から配布されたネット端末は、わたしの家にも一台ありました。地上やネットワークの存在は学校へ入学する頃には誰でも教えられるそうですけど。やはりわたしは、通常より少し遅れていたでしょうか。
 IDを持たない子供でも両親に頼めばネットワークを利用することができるわけですし。IDや年齢の認証を必要としないニュース番組や、教育番組もありますからね。けれど、存在を教えられたのが少し遅かったのと、やはり目が見えないせいもあって、わたしはネットワークをあまり利用しませんでした。
 パパとママは「見たいものがあれば云いなさい」とネットワーク用のモニタも部屋に置いてくださいましたけど。映像が見えなくても、聴いて楽しめる音楽番組もありますからね。わたしを退屈させないためと勉強のためだと思います。けれどわたしはその頃から読書に夢中で、楽しみと勉強はそれで充分でしたから。
 特に小説。いいですよね。映像や音楽と違い、読書は自分のペースで物語を想像して楽しむことができますし。わたしの場合はネットワーク内でデータ化された文章を点字にアウトプットして、それを本として読むわけですけど。
 わたしがネットワークの恩恵を一番に受けられたのは、著作権の切れた小説をデータとして引き出せたことです。それこそ過去の作品なら、世界中の小説がいくらでも無料で読めますからね。
 特に、古いファンタジー作品が大好きで。お気に入りは、ロード・ダンセイニ『魔法使いの弟子』。ジョージ・マクドナルド『リリス』。ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』。最近の小説は、ミステリーとホラーを少し。ただ新しい小説ですと、ネットワークからデータを引き出すのも有料ですから。両親へお願いするにも気が引けて、本当に少し読むぐらいでしたけど。
 ミステリーですと有名なところで海賊探偵ディオ船長の〈島〉シリーズ。人気作家シューブ・クルゴの海洋冒険ミステリー『ディオ船長と浮かぶ流氷島』、『七夢島の切り裂きマー・メイド』、『ゴマダラカ・ミキリムシ島の危機』など。このシリーズは本当に大好きで、新作が出たら教えてもらえるよう、パパとママにお願いしたものです。
 それからホラーですと、イサク・ロイモン『黒鉛の爪』。過去に地上の世界を崩壊させた大戦をモデルに、追いつめられた大国がマグラという怪物たちを宇宙から呼び出し、最後には敵味方の区別もなく、人間がマグラたちに喰いつくされるというリアルホラー小説。
 怖い話の中では、幽霊やオバケという空想の存在よりも、本当に現実で起きたことのようなリアリティがあって。自分が知らないだけで、こんな怖いことが本当に発生しているのではと錯覚させるようなホラーが好みでした。
 そして、小説に夢中な人たちの多くがそうだと思いますけど。わたしも色々な物語を空想して、ぽつぽつと文章を書きつづるようになり。目の見えないわたしがこう思うのは、少し、おかしいかもしれませんけど。大人になったら作家になりたいと、子供心にあこがれを持つようになりました。

 その後わたしが大人になる上で、いくつかの転機となったことを書きます。
 ひとつは、レイン・マクリール先生との出会い。眼科のお医者さまで、男の人です。わたしの目、じつは見えるようになるのです。
 それを知らされたのは、わたしが初潮を向かえたときですから、十三歳の頃でした。こうした女性の生理現象はあまり書くべきではないかもしれませんけれど、わたしにはそれも大人に近づいたというひとつの節目でしたから。
 レイン先生のお話によれば、先天性の視覚障害は症状の発覚する幼児期の段階に治療をはじめ、その後の回復に合わせて医療のサポートを受けるのが通常だそうです。ただわたしのように、本当に生まれてすぐ視力を失い、光も感じられなくなるという症状は希少なのだと。
 それを踏まえて、わたしが幼児期から治療を受けてない事情を両親から聞かされました。そのときは両親とリビングのソファーに腰かけ、神妙な空気の流れる中で、パパは事情を知らないわたしに過去のことを話しはじめました。
 希少な症例であるわたしの目を治療できる施設が少なかったこと。その治療には多額の費用がかかること。
 それに治療しても、通常とおなじように目が見えるという、確実な保証がないこと。見えても視力が弱いまま回復しない、あるいは色が分からないなどの障害が残るかもしれないこと。治療が確実に成功する保証もなく、失敗すれば一生盲目の場合もあること。
 説明するパパの声に途中からママの涙声がまじり「ごめんなさい」とママは云いました。そうした事情で、お医者さまから治療を提案されてもはっきりと決断することができなかったと、パパも辛そうな声で云いました。
 わたしはショックが大きすぎて、胸に冷たい固まりがつかえたような苦しさを感じ、とても声が出せませんでした。べつに治療のことで両親を責める気持ちはなく、わたしが両親に感謝していることは前に書いたとおりです。
 ショックだったのは、わたしが盲目に生まれたことで、それほど両親が心を悩ませていた事実を知らなかったこと。目が見えないことを普通に受け入れ、幸せであるとさえ考えていたこと。
 きちんと見える目に生まれていれば、両親が悩むこともなかったのだと。わたしは自分自身の存在を否定したい気持ちでいっぱいでした。

 決断はできなくても、お医者さまと相談して準備はしていたのだと、パパは云いました。そして、治療の費用や準備の見込みがつき、最後にわたし自身の意志を確認したいと。
「メリイ、お前も目が見えるようになりたいだろう?」
 返事はすぐにできませんでした。もちろん治療したほうがいいことは理解できました。治るなら、わたしも見えるようになりたいと思いました。
 けれどその治療で、また両親に負担をかけてしまうこと。確実に治る保証はなく、わたし自身は盲目の生活にそれほど不自由を感じていないこと。
「あなたの好きなようにしていいのよ、メリイ」とママ。
 わたし自身が望む以上に両親はわたしの目を治療したいのだと思いました。わたしの目が見えるようになれば、ふたりが喜ぶのだとも感じました。わたし自身の望みでなく、それで両親を幸せにできるなら。ただそれはとても云いづらく、わたしはノドにつかえる言葉をひとつずつ取り出すように告げました。
「わたしも……目が、見える、ように。なりたいです」
 両親の顔、わたしの顔、わたしの好きな小説。世界の姿、地上の空。それらを見ることができるなら。
 あらためて目が見えることを想像したわたしは、自分が望むことの大きさに気づきました。それはつまり、わたしの世界を一変させることです。
「わがままを云って、ごめんなさい」
 色々な感情が次々とあふれて、ぐねぐねと胸の奥でうねり、体が熱くなり、わたしはすすり泣きをはじめました。
 お金を使わせて「ごめんなさい」。目が見えなくて「ごめんなさい」。きちんと生まれてこなくて「ごめんなさい」。わたしは下を向いたまま後ろめたさで顔を上げることができず、声の代わりに涙ばかり出て、心の中で謝り続けました。

 その後わたしは病院に連れられ、主治医であるレイン先生のところへ何度も通うようことになりました。
 治療と云っても、最初は検査ばかりでした。目の検査、角膜の検査、網膜の検査。水晶体の検査、視神経の検査、脳の検査。そうした検査を多くすることで、一番効率がよく成功性が高い治療を考案するのだと教えられました。
 それと遺伝子と血液の検査。これは説明を受けても、よく理解できませんでしたけど。視覚障害には遺伝性の原因があるらしく。わたしの両親、あるいは両親の親、そのまた親と受け継がれる遺伝子の中に、視覚障害を引き起こす異常な因子があるかもしれないと。
 この場合、わたしの子孫も視覚障害を発症する可能性があるわけです。その異常な因子を正常な因子に取りかえる、遺伝子治療という方法があると。その関係で、ベッドの上で両足を開かされ、卵子を採取する検査も受けました。
 中には辛い検査もありました。それでもレイン先生は優しく気さくな人で、なにより「絶対に治るよ」と云ってくださいましたから。「治すよ」ではなく「治るよ」という断定的な言葉の中に、わたしは自信と力強さを感じたのです。
 目の見える可能性が生まれたことで、より具体的に未来の希望を持つこともできました。作家になりたいというあこがれのことです。
 もし目が見えて大人になれたら、すぐに管理局からIDを発行してもらって、ネットワーク内のコミュニティに参加して。作家のサークルに参加して、わたしの小説を公開できたらいいなと。目が見えなくても、やろうと考えていたことですけど。目が見えない今でも、文章を書くことはできますから。
 ただ目が見えるようになれば、もっと実現性が確実になります。それはわたしが自分の生活を文章に書くことをはじめた理由にも、少し関係があります。
 目が見えずに生きてきた今の自分を文章に書くことで、もし目の治療が成功しても、目に障害を持って生まれ、盲目の人間として生きた過去の時間と存在を消さないために。たとえそれが普通からすれば、ひどく不幸にしか見えない、暗闇の世界ですごした時間でも。


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