『そして僕は「世界」になり』

『そして僕は「世界」になり』

著/水池 亘
絵/あらし

原稿用紙換算60枚

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『そして僕は「世界」になり』


 戦いは静かに始まる。
 少しでも足音を立てれば、息を荒げれば、それが自分の居場所を示す格好のサインになってしまう。だから僕は息を潜め気配を殺し、自分のサインを極力出さないように忍ぶ。そして五感の全てを集中させて敵のサインを探る。僕には盾役がいないのだから、そうしなければすぐに永眠《ねむ》らされてしまう。
 敵のカップルを発見すると、僕は『世界』を投げつけるイメージを練る。目を三秒瞑り、腕を前へ突き出して深く息を吸う。そして目を開ければ僕は槍を手にしている。細長く尖ったそれをまずは盾役の少女へ向かって鋭く投げる。物質としての槍はもちろん存在してはいない。それでも僕には確かに槍が相手の体を貫く光景が見える。こちらに全く気づいていなかった少女は一瞬だけ驚いた顔をするとそのまま永眠り倒れる。ドサリという音でパートナーがやられた事を知った少年は青ざめる。盾を失った男子は素早くその場から逃げるのがセオリーだ。その少年も例に漏れず慌てふためいて逃げようとする。
 遅い。
 サッと少年の目の前に出て僕は退路をふさぐ。少年の顔を間近で見て僕は、敵を最初に発見した瞬間から殆ど判りきっていた事実を確認する。
 この男はアイツではない。
 投げた槍がさくりと刺さり少年は倒れる。僕はその場を素早く去る。
 周りでは場が荒れ始めている。静かだったはずの戦場から様々な音が溢れだす。人が倒れる音。逃げる足音。叫ぶ声。そんな音を出してしまう兵士は戦いが上手いとは言えない。けれども軍隊の大部分は戦いの上手くない人物で構成されているのだ。手練の兵士はパートナーに意思を伝えるのに声など用いない。身振りや目線だけで通じ合う事ができるのが本物のカップルだと言える。僕にそんな心配は必要ないけれど。
 退却の号令がかかり、今日の戦いが終わる。僕は敵のカップルを七組永眠らせた。普通の隊員なら三組永眠らせれば万々歳だから、これは客観的に見ればすばらしい戦果だと言える。
「今日は七組か。やっぱりキリはすげえな」
 仲間から賞賛を受けるが喜びの感情は全く沸き起こらない。ただ、今日もアイツを見つける事のできなかった悔しさと焦りだけが僕の心を支配している。
 一刻も早くアイツを永眠らせなければいけない。
 それが、今の僕が生きる理由の半分なのだから。

 クヌギが永眠っている。
 真白のベッドに横たわり、真白の病院服を着せられて、クヌギは永眠っている。苦しそうに歪める顔が痛々しい。彼女が苦しむ姿など本当は見ていたくはない。でも見なければならない。この目でしっかりと見つめて、自分も彼女と同じ、否それ以上の苦しみを味わわなければならない。何故ならそれが僕の受けるべき罰だからだ。
 しかし僕に彼女の苦しみを感じる事はどうしてもできない。彼女の苦しみは殆ど永遠に近いものなのだ。だから僕はせめて、自分が彼女を地獄へ突き落としてしまったのだという罪を決して忘れない様に自らの心に深く刻み付ける。何時如何なる時もその傷が僕を痛め付け続ける事を期待して。
 僕は見る。彼女の歪んだ顔をじっと眺め続ける。

 一時間ほどして僕は病室を出る。入り口のそばにいる看護婦と目が合うが言葉は交わさない。交わすべき言葉は遥か昔に尽きてしまっている。毎日顔をあわせているのだからそれも当然なのかもしれない。
 どうでもいい事だ。

 十四才から十九才までの少年少女のうち約一%の人間は脳の中に『世界』を作り上げているという事が判明したのは今から二十五年前の事だった。
 代わり映えのない平和なある日の午後三時、とある中学校において二年生のなかよし男女五人組はトランプに興じていた。途中までは特に問題もなく勝負は進んだが、三回続けてビリになった少年が何の根拠もなく「卑怯だぞ!」と叫んだ事で状況は一変した。彼に非難を浴びせる者、彼を擁護する者、彼に無関心な者が入り乱れ、小さな火種は大きな炎へと発展した。しかしそこまではよくある事だった。
 いつもと違うのは結末だった。
 教師が駆けつけた時、既に事は終わっていた。床には三名の男女が倒れ、一名の男子が錯乱し泣き喚き、もう一名の男子は口をパクパクさせながら呆然と立ち尽くしていた。即座に救急車が呼ばれた。倒れた三人は顔を苦しそうに歪めてはいたが、しっかり息をしていたし脈も正常だった。しかし意識だけは何時まで経っても不明のままだった。医者たちは全力を尽くしたが原因すら不明。主治医によれば、「どう調べてみても、この少年たちはただ眠っているだけにしか見えない」との事だった。彼らは一年後に息を引き取った。
「みんな死ねばいいと思ったんだ」
 残った人物のうち一方、口論の火種を作り、発見時泣き喚いていた少年は事件の状況を聞かれてそう話した。もう一方の少年は「何がなんだかわからないうちにみんな倒れはじめた。わからない。ぼくは何もやってない」と話し、その後事件のショックにより二ヶ月間学校を休んだ。
 この事件はただの始まりにすぎなかった。
 全国、いや全世界で同様の事件が相次ぎ、大きな社会問題へと発展した。流石の政府も黙って見ているわけにはいかなくなった。事件は詳細に調査された。そして幾つかの共通点が判明した。

・事件の当事者であり、かつ倒れる事のなかった人物は多くの事例で一名のみである。0名である事や、二名以上である事は少ない。
・残った人物はほぼ例外なく男性である。
・残った人物の多くは事件当時、倒れた相手に対して敵意を抱いている。
・二名以上が残った事例に関して、片方の人物は複数の女性に好意を寄せられる、いわゆる『モテる』タイプの少年である事が多かった。

 これらの事実を元に政府が出した結論は、加害者である少年が被害者に対して何か精神的な攻撃を仕掛けた、という事と、その攻撃の手から自分が好意を寄せる少年を護った少女が存在する、という事の二点だった。この推測を元に最初の事件を調べなおしてみると、やはり、被害者の少女一人が残った少年の内の後者に対し好意を寄せていた事が複数の証言により判明。実証の一つとなった。
 政府は早速、容疑者と思われる少年たち、そして攻撃を防いだと思われる少女たちを集め、隅々まで調査した。彼らの年齢は押しなべて十四~十九才であり、それ以上も以下もいなかった。様々な手法で彼らは調べつくされた。けれども一向に手がかりはつかめなかった。
 当時、国内最高峰の大学で『脳の中身を三次元的に見る事のできるコンピューター』というものが丁度発明されたばかりだった。人間の無意識を視覚的に確認する事ができるとあって、世紀の大発明だと話題を呼んでいた。政府は苦肉の策としてこの最新鋭の機械を使用した。すると一つの事実が浮かび上がった。
 この機械を通常の人間に使用した場合、出力される映像はまさしくカオスといった状態であり、何がどの様に構成されているのかは一見しただけでは全く分からない。しかし件の少年少女たちは違った。彼らの映像は、例外なく一つの『世界』としてきちんと整っていたのだ。そして更に驚くべき事に、被害者にこの機械を使用したところ、加害者と全く同じ『世界』が出現したのである。
 一連の調査を受けて政府が発表した声明は次のようなものだった。
「非常に信じがたい事ではあるが、被害者の少年たちは加害者の放った『世界』に捕らわれ、目覚める事ができないと考える他はない」
 政府の対応は早かった。被害をなくすためという名目で、国民には、十四才になり次第例の機械による検査を受ける事が義務付けられた。そして『世界』が現れた少年少女は政府が管轄する学校へ強制的に転校させられた。学校? 確かにそこは学校ではあった。頭に『軍事』の名が付く巨大な学校。
 そう、政府は彼らの能力を軍事目的に使用する事を思いついたのだ。

 僕がこの学校に転校すると決まったとき、父さんも母さんもシクシクと泣いていた。両親のそんな姿は見た事がなかったので僕は驚いた。と同時に不思議にも思った。僕が泣くのならともかく、何故母さんたちが泣かなければならないのだろう。全寮制の学校だから、僕は両親と五年間離れて暮らさなければならない。それが悲しいのだろうと僕は結論付けた。僕自身にとっては転校はそんなに悲しい事ではなかった。もともと地元の友達は少ない方だったし、両親の存在が鬱陶しくなってきた時期だったから、むしろ自由に暮らせる喜びのほうが大きかったのかもしれない。
 両親の涙の本当の理由が分かったのは一年後、初めて戦場に出撃した時だった。
 僕の部隊はこっ酷くやられた。事前の訓練や実践演習など何の役にも立たなかった。三分の二の隊員が永眠らされた。僕が生き延びる事ができたのはただ運が良かったのと、そしてクヌギのおかげだ。僕にはただ闇雲に逃げ回っている事しかできなかった。永い永い(と僕は感じたが実際はどうだったか分からない)戦闘が終了し基地まで戻り、顔見知りのクラスメイトたちが続々と担架で運ばれて来るのを見て、僕は両親の涙を脳裏に描いた。
 あの涙は五年の別れに対するものではなく、永遠の別れに対するものだったのだと、その時僕は知った。

「あなたたちの能力は男女で二つに分けられます」と、その女教師はまるで数学の問題を解いているかのように話した。
「男子の能力は、いわゆる矛のようなものです。矛とは、まあ槍のような武器だと思ってください。この矛で、あなたたちは人を攻撃する事ができます。攻撃を受けた人間は永眠ってしまいます。この永眠りは通常の眠りとは大きく異なります。あなたたちの脳の中にある『世界』が矛であり、『世界』をぶつけられた人間はその『世界』に捕らわれて昏睡し死ぬまで目覚める事はありません。だから『眠る』ではなくて『永眠る』なのです」
 そこで教師は黒板に大きく『永眠る』と書いた。
「通常永眠らされてしまった人間は、いくら延命措置を施しても一年ほどで亡くなってしまいます。原因は未だ不明なのですが、おそらく脳が持たないのだろうと推測されています」
 教師は言葉を切った。生徒たちはざわざわと騒がしかった。
「はい、重要な事なので、こっちを向いて静かに聴いてくださいね」
 うつむいて話を聴いていた僕はその言葉で顔を上げた。女教師は微笑んでいた。
「女子の能力は男子とは全く逆です。例えるなら盾です。盾は分かりますよね。女子は男子の放つ攻撃を防ぐ事ができるのです。ただし、ここが肝心ですが、女子は自分の身を護る事はできません。この能力は人に自分の持つ『世界』を与える事で初めて力を持ちます。ですから、女子は他人は護る事ができても、自分は護る事ができないのです」
 そこで一人の男子が手を挙げた。
「先生。オレよくわからないんですけど、結局オレらはこの学校で何をすればいいんですか」
 僕も同じ事を考えていた。彼は、この学校が普通の学校ではない事に感づいているようだった。
 教師は微笑みを絶やさずに言った。
「質問は受け付けません」
 教室がさらにざわめいた。
「ちゃんと聞かないと死にますよ」
 一瞬にしてクラスが凍りついた。淡々としたその口調には真実の響きが確かに混じっていた。
「詳しい事はだんだん分かってきますから。今は、男子が攻撃役で女子が防御役、まずはこの事を覚えておいてください。それでは、みなさん隣に座っている人を見てください」
 僕は右に座っている少女と顔を合わせた。彼女は小柄な僕よりさらに頭一つ分小さく、そして綺麗な黒髪を肩まで伸ばしていた。おそらく一般の基準に照らしあわせてもかわいい部類に入るだろうと僕は思った。ただしそれは彼女が微笑んだとしたらの話だ。彼女は全くの無表情をしていた。
「はい。その人がパートナーになります。矛役の男子は盾役の女子を護る。女子は逆に男子を攻撃から防ぐ。あなたたちはこのようにお互い護りあって戦う事になります。これからは二人一組のカップルとして行動してください。いいですね。では、挨拶をしましょう」
 僕は隣の少女の瞳を見つめた。この娘がパートナー、だって?
 先に話しかけてきたのは彼女だった。
「クヌギ」
「え?」
「私の名前。クヌギ。よろしく」
 無表情のまま、彼女はそう言った。

 クヌギの力は凄まじいものだった。殆ど全ての攻撃を無効にする事ができた。対して僕は全く平凡な力しか持っていなかった。動きもそれ程良くはなかった。どうして僕がクヌギとペアになれたのだろうと疑問だったが、後で聞いた話によればこれは相性によるものらしかった。カップルはできるだけ相性の良い者同士で組まれるのだという。そういえば入学のとき膨大なアンケートを受けさせられた覚えがある。あんな子供だましみたいなものでパートナーが決定してしまうのか。
 理由がどうあれ幸運である事に間違いはなかった。クヌギの力のおかげで僕が戦場で永眠らされる確率はぐんと低くなる。敵を永眠らせる事はできないかもしれないけれど、とにかく死にはしないのだから安心だ。そう僕はのんきに考えていた。
 クヌギは相変わらずの無表情で毎日を過ごしていた。淡々と訓練をこなし、淡々とご飯を食べ、淡々と眠った。始終を共にするパートナーの僕から見ても、彼女には何の感情も存在しないように思えた。
 太陽の照りつける夏のある日、僕たちは外庭のベンチに腰掛けて昼休みを過ごしていた。本当は他の仲の良い友人たちとサッカーでもして遊びたいところだったけれど、クヌギと一緒でないところを教師にでも見つかったら、あとで酷い説教を受けるのはわかりきった事だった。まだ戦場に赴いた事のなかった僕は、もっと活発で一緒にサッカーをしてくれる女子がパートナーだったら楽しかったのに、なんて無責任な事をぼんやりと考えていた。
 ふと脇腹に違和感。
 クヌギが僕の脇腹をつついていた。
「あれ見て」
 いつもどおりのぶっきらぼうな言い方と共に、彼女は向こうの方を指差した。
 見るからにやんちゃな上級生が花壇を足でぐちゃぐちゃに荒らしていた。パートナーの女子はそれを見てさも愉快そうに笑っている。
「キリ、あいつ、攻撃して」
 淡々とクヌギは言った。
「ええ? 無理だよ」
「いいから」
「規則知ってるだろ。そんな事したら僕らだって酷い目に遭う」
「いいから」
「駄目!」
「いいから」
 こんなに強情なクヌギを見るのは初めてだった。
 彼女は不意に会話を止めると立ち上がり、花壇の方へ歩いて行こうとした。僕はあわてて引き止める。揉め事を起こすのはよろしくない。尚も花壇へ向かおうとする彼女を押し止めるうちに、上級生カップルは花壇いじりをやめてどこかへ行ってしまった。
 二人で花壇に近寄った。先ほどまで可憐に咲き誇っていた花たちが今は見るも無残に折れ曲がっている。
「……かわいそう」
 しゃがみこみ、無表情のまま折れた花の茎を人差し指でさするクヌギを見て僕はホッと心温まる気持ちだった。その姿が、これまでの感情を持ち合わせていないかのような姿ではなく、普通の少女のそれだったからだ。
 しかし僕は次の瞬間、その印象が思い込みに過ぎないことを知った。
 クヌギは折れ曲がった花を両手で包むと、くしゃりと握りつぶした。
 唖然と見つめる僕に気づいた彼女は言った。
「もう、元には戻らないもの」

 この出来事があってから僕はなるべくクヌギを理解しようと勤めた。クヌギは今まで考えていたような感情のない少女ではない。それがはっきりとした今、僕の中にクヌギは実際はどのような少女なのかを知りたいという欲望が生まれていた。
 きちんと彼女のことを見ていれば、彼女が日常において様々なサインを出していることがわかる。手のちょっとした仕種、瞳の動き。そういった些細な動作は、実は彼女の感情を最もよく表すサインなのだ。僕はようやくそのことに気づいた。今までの僕は彼女の表面しか見てはいなかった。
 僕は積極的にクヌギと会話するようにした。彼女が饒舌になることはもちろんなかったけれど、少しずつ言葉数は増えているように感じた。無表情はいつまでたっても変わらなかった。しかし、彼女のサインが分かり始めた僕には表情なんてもはや重要なものではなかった。
 訓練の成績も次第に上がっていった。パートナー同士の信頼は戦いにとって何よりも重要なのだということを身をもって知った。相手を信頼しているかしないかでまるで動きが違うのだ。常に二人でいろと口をすっぱくして教師が言うのも頷けることだった。まあ、それでも僕の動きは機敏とは言えなかったけれど。

 戦場に赴くようになってからも僕らのコンビネーションは上々だった。特に身を護ることに関しては同期の中でもトップクラスと言えた。僕はクヌギのちょっとした動作を見るだけでその意図をつかめるようになっていたし、彼女の感覚はもともと鋭かった。僕らはとても静かに、敵の間を縫って動き回ることができた。もちろん彼女の類まれな能力が大いに役立ったのは言うまでもない。
 僕たちは帰還するたびに仲間から賞賛され、教師から褒められた。
 そして僕は調子に乗った。
 周りからの言葉にのぼせて浮かれて、クヌギのことに以前よりも注意を向けなくなってしまっていたのだと思う。
 明日が出撃だという夜、僕はクヌギとケンカした。初めてのことだった。

 悪いのは僕のほうだった。
 その日の自室の掃除当番は僕だった。ほうきで床を掃いていると、とても小さなクマのぬいぐるみが落ちていた。ボロボロで今にも縫合が外れてしまいそうだった。僕はそれを単純にゴミだと捉えた。ゴミ箱の中に放り込むとそのまま焼却炉へ持っていった。
「ねえ、クマのキーホルダー知らない?」
 その夜、クヌギは僕にそう尋ねた。珍しいことにクヌギは慌てているようだった。
「え、あれクヌギのだったの? ごめん、捨てちゃった」
 それを聞いたクヌギは目を見開くと、突如として叫んだ。
「捨てた!? 何で! 何でそんなことするのよ!」
 驚いた。あれがクヌギにとってそこまで重要な物だとは思っていなかった。というより、クヌギには重要な物なんて何一つ無いように感じていたのだ。それまでは。
「ごめん! クヌギの物だなんて思わなかったんだ」
「嘘。だってこの部屋にはキリと私しかいないのよ。気づかないわけないじゃない」
 その通りだ。僕はあれがクヌギの物だと気づけたはずだった。しかし僕は実際は気づかなかった。パターンの決まった生活の中で気が緩んでいたのだろうかと、今になって思う。
「本当にごめん」
「だめ。許さない」
 クヌギはありとあらゆる言葉で僕を非難した。クヌギの中にこんなに強い感情があることに驚くと同時に、身勝手なことだが、自らの中にふつふつと怒りがたまっていくのを僕は感じていた。元はといえばクヌギが落としたのが悪いのだ。
「そんなに大事なんだったら机の奥にでもしまっとけばいいだろ!」
「そんなことできるわけないじゃない!」
「なんでだよ! 大体、あんなボロボロのぬいぐるみ、捨てたって問題ないじゃないか」
 数瞬後、僕は自分の吐いた言葉にひどく後悔させられることとなった。
 クヌギは泣いていた。
「だって、だって生きてた。ボロボロだけど生きてたのよ!」
 その言葉の意味は、ついに僕には理解できなかった。
 今もまだわからない。

 次の日、雨の降りしきる戦場で僕は、敵を倒そうと彼女の制止を振り切って飛び出した。
 彼女は能力の使いすぎで明らかに疲れていた。こういう時はどこかの茂みに隠れて休むべきだ。しかし僕はそうしなかった。偶然、敵のカップルの後姿を見つけたからだ。彼らはこちらには気づいていないようだった。
(あいつら、倒してくるよ)
(あぶない)
(大丈夫だって)
 気づかれないように近づいてまず盾役の女子を。そして男子。隙を突けば大丈夫だと僕は踏んだ。昨日のケンカが頭の中にあったのかもしれない。その時は、自分は一人でも大丈夫だと、何故かそう考えていた。
 馬鹿なことをしたと今になって思う。
 僕は雨に乗じて静かに静かに彼らの背後へと近づいていった。
 はずだった。
 パキリ。
 嫌な音が響いた。枯れ枝を踏んだのだ。
 彼らは同時に振り向いた。
 まずい。
 まずい。まずい。まずい。
 クヌギ。クヌギはどこにいる。
 疲れている今のクヌギの力では敵の攻撃は防げないだろう。でも、それ以外にどんな方法がある?
 敵の行動は早かった。すでに攻撃態勢に入っていることが分かった。
 体の芯が冷えてゆく。足が動かない。動けという命令が脳から送り出されない。
 終わるのか。僕はここで永眠るのか。いやだ。やめてくれ。誰か助けてくれ。
 左から唐突に物理的衝撃。
 何が起こった変わらないまま僕は吹っ飛び、ぬかるんだ地面に倒れこんだ。反射的に左を向く。
 クヌギがいた。
 一瞬だけビクンと体を痙攣させると、クヌギは倒れた。
 何だ?
 何が起こったんだ?
 どうして僕でなくクヌギが倒れているんだ?
「おい」
 声がしたほうへ僕は振り向いた。敵の男が目の前にいた。
「おまえ、何で逃げない」
 何を言っているのかよく分からなかった。
 逃げる? どうして?
「まあいい。見逃してやる。ちょっと疲れてるしな。ありがたく思えよ」
 彼はそれだけ言うとパートナーと共に何処へと消えた。
 僕はぬかるんだ地面にへたり込みながらクヌギの顔を眺め続けた。
 仰向けに横たわるクヌギの苦しそうに歪む顔を雨が叩き続けていた。

 その夜、真暗な二人部屋で一人座り込みながら僕は考えた。
 クヌギは、何故僕を助けてくれたのだろうか。
 いくら考えても答えは出なかった。自分はクヌギの気持ちを全く理解できていなかったと思い知り呆然とした。
 そして僕は決めた。
 クヌギを永眠らせたアイツ。あの男をこの手で永眠らせる。
 それがクヌギに対するせめてもの謝罪だ。
 それまでは、僕は絶対に生き延びる。
 生き延びてみせる。

 クヌギが永眠った次の日にはもう新しいパートナーが決まっていた。丁度男子だけが永眠らされてしまったカップルがいたらしい。カップルが永眠らされる時は両方ともであるのが普通だ。片方だけ残ったカップルが同じ戦場に二組も存在するなんてことは滅多にない。運が良いのだか悪いのだか、僕には判断がつかなかった。
 彼女はカエデと名乗った。彼女もパートナーを失った直後のはずなのに、彼女がショックを受けているようには、少なくとも僕には見えなかった。
「平気なの?」
「何が?」
「いや、パートナー、永眠っちゃったんでしょ?」
「だって戦争じゃない。そんなこと、初めから覚悟してたわよ」
 こともなげに彼女は言った。彼女は強いな、と僕は思った。
 僕は弱い。嫌になるくらい弱い。

 彼女との最初の出撃。僕はできるだけ良いカップルになろうと勤めることにした。アイツを永眠らせるまで僕は永眠るわけにはいかない。そのためにはさらに強くなる必要がある。強くなって、敵から身を護り、時には倒し、そうやって生き延びていかねばならない。そのためには良いコンビネーションが不可欠だと考えていた。カエデを利用しているようで少し悪い気もしたけれど。
 敵を発見する。二人で忍び寄る。カエデの『世界』に護られて、敵の背後に飛び出す。
 おそろしいほどの恐怖が僕の背中を撫でた。
 何百人もいる敵の軍隊の真ん中に一人で立たされているような恐怖。
 二人で戦っているという感覚が全くなかった。僕らはただ二人同じ場所で戦っているだけだった。
 僕とクヌギが戦っていた時、僕らはもはや一人の個人ではなかった。一つの生命体である『カップル』として戦っていた。だからこそ僕は安心して戦い抜くことができたのだ。
 つまり、あの安心感を知ってしまった僕には、もうクヌギ以外の誰かとカップルにはなれないのだ。
 僕は気づいた。気づいてしまった。
 僕はカエデの手をつかむと走って逃げ出した。敵のいないところまで一気に走って、茂みに隠れて一息ついたところでカエデに頭を叩かれた。
(ちょっと! なにやってるのよ!)
(だめなんだ)
(何が)
(カップルを解消しよう)
(いきなり何言ってるの)
(僕はもう誰ともカップルは組めない)
(バカじゃないの!?)
(しかたないんだよ)
(じゃあこれからどうするの? 一人で戦うとでも言うわけ?)
(うん)
 勢いで言ってしまってから僕はハッとした。考えてみればそうするしか僕の道はないのだ。
(もう、勝手にすれば!)
 口調は激しかったけれど、何故か彼女は怒っているようには見えなかった。
(でも、今日だけは一緒に戦ってよね)
 それが彼女の最後の言葉だった。
 唐突に彼女は身体を硬直させるとその場へ倒れる。
 まさにその瞬間、撤退の合図が鳴り響いた。

 どうして。
 どうして僕の周りは無駄な永眠りに溢れているんだ!

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