『世界の果ての年代記《クロニクル》── Prayer(後編)』

『世界の果ての年代記《クロニクル》── Prayer』

著/夏目 陽

原稿用紙換算75枚

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 丘に戻り、彼女らのひとりは家に戻った。家事を行うのだと彼女は説明した。もうひとりは私の廃墟探索に付き合うこととなった。ひとりで歩くのはさびしかったし、廃墟の案内も兼ねてくれると思ったからだ。実際、〈世界の終わりの村〉は広く、どこから見ればよいか迷っていた。だから、彼女の案内は重宝した。彼女は〈世界の終わりの村〉を丁寧に説明してくれた。私たちは一緒に歩きながら、廃墟村を歩き続ける。
 彼女がまず初めに話したのは、〈世界の終わりの村〉の風化のことだった。
 ここの村の風化は少し不思議でね、まず初めに色がなくなるの。色が失われ、白と黒と灰色のどれかしかなくなる。次にやっとものが砂になり始めるのね。これも不思議でどんなに黒いものでも、結果的には白か灰色の砂になる。砂はとてもさらさらしてて、肌触りがいいわ。
 私は足元にあった砂を一握り触ってみた。彼女の言う通り、さらさらしていて気持ちがよい。海岸線にあるような砂だが、水分を含んでいないため、べたべたしていない。触っても手はあまり汚れていなかった。
 それに注意したほうがいいのは、一見、ちゃんとなっている外壁でもすべて砂となっている場合があるわ。そうね、たとえば。
 彼女は適当な外壁を選んで、それに石を投げた。普通の外壁ならば、そのまま跳ね返ってくるはずなのだが、その外壁は石を飲み込むと、バランスを崩したかのようにすべて砂に帰ってしまった。まるで手品を見せられたかのように私は目を丸くした。
 この廃墟も危ういところでその外見をとどめているの。少しでもバランスが崩れればこの〈世界の終わりの村〉全体が一瞬にして砂に変わると思うわ。たぶん、この村のほとんどがもう砂になっているわ。
 君たちには砂になった壁となっていない壁の見分けがつくのかな? 私が見渡した限りでは全部同じに見えるけれど。
 そうね。大体は見当がつくわ。だけど、旅人さんが見分けるのは難しいと思うわ。たぶん、だけど。
 彼女はそう言いながら、瓦礫に腰掛けた。その瓦礫が砂でないことを彼女はどうやら知っていたようだ。私はあたりにある瓦礫を探し、その中で砂になっていないものを探そうとした。一つ目に見当をつけたものは、足で蹴ったところ砂になった。二つ目もそうだった。三度の正直と挑戦してみたものの、三度目もだめだった。彼女は私が失敗するたびにくすくすと笑い声をあげた。
 そこの瓦礫なら大丈夫よ。
 彼女は指を指してそれを私に教えた。私がそれを蹴ってみる。それは砂にはならず、その形を保っていた。私はその瓦礫に腰掛ける。彼女はまだ微笑みを浮かべていた。
 砂漠を歩いて疲れたでしょう? 少し休みましょう。歩き続けるのは体に悪いわ。
 大丈夫だよ。これでも歩き続けることには慣れているつもりだ。ずっと旅をしてきたし、ここまでこの足で来たつもりだよ。
 それじゃあ、あたしが疲れたわ。少し休みましょう。あたしのお願いよ。いいでしょう? 旅人さん。
 私は微笑みながら、頷く。彼女はじっと私のことを見ていた。私はその視線が気になりとても居心地が悪かった。私は適当な話を彼女とした。趣味の話、普段何をやっているか、好きなものは何か、思いついたものすべてを彼女に質問した。
 そういえば、君は一体いつからここにいるんだい?
 きっとあなたが思っているよりもずっと長い間、あたしたちはここにいるわ。長い間、ここの歴史を見続けているのよ。もしかすれば、あたしたちもそろそろ朽ちてしまうかもしれない。
 具体的に教えて欲しい。君らは一体何年前に生まれたんだい?
 彼女は私から視線を外し、どこか遠いところを見つめる。灰色の空は薄っすらと光を通すだけで、朝見た状態となんら変わっていなかった。
 もう三百年以上も前になるわ。それに生まれたという言い方は正しくないわ。正確には作られたのよ。三百年前にあたしは自分自身の代わりとして、あたしを作ったの。〈世界の終わり〉に捩子を巻き続けるためにね。
 どういうことだい? それじゃあ、君が君を作ったってことになる。しかも、君は人間じゃないのかい? 君たちは一体、何者なんだい?
 そうよ。旅人さんの認識であっているわ。あたしがあたしを作ったのよ。それにあたしは人間じゃないわ。あなたたちに言わせれば人形よ。〈世界の終わり〉に捩子を巻き続けるという仕事をくり返すためだけの人形なのよ。そして、最後の質問、あたしたちが何者であるかなんていうのは当の昔に忘れてしまったわ。人形はあなたたちの言い方だわ。あたしの言い方であたしが何と呼ぶのかは覚えていないの。ただ、きっと、〈世界の終わり〉に捩子を巻き続けるために誰かが製作したのね。そこからは永遠の連鎖よ。自分自身が朽ち果てそうになったなら、自分と同じ人形を製作するの。そして〈世界の終わり〉に捩子を巻く仕事をさせるわ。役目を終えたあたしはそのまま朽ち果てるのを待つのよ。
 君たちは本当に人形なのかな? 悪い冗談を言って、また私をだまそうとしてはいないかな?
 嘘をついているってことかしら? まあ、旅人さんがそう思うのも仕方がないわ。だって、今まで誰もあたしたちが人間じゃないと疑った人はいないわ。人間にこのことを話すのは、旅人さんが初めてよ。
 それは何か私に期待をしているということなのかな? もしも、そうならばやめたほうがいい。私は君たちに何も与えることは出来ない。奪ってしまうばかりだ。
 旅人さんはそう思っているかもしれない。でも、あたしたちは期待しているわ。姉はあんなことを言ったけれど、本当は心の底から期待しているの。だから、これはあたしからのお願い。もう一度、この〈世界の終わりの村〉に緑を宿して。そして、小さな村を作って。そんなに大きな村じゃなくていいわ。少しずつでいいの。長く活気のある村を作って欲しいの。あなたならきっと出来るわ。
 無理だ。私にはそんな大それたことは出来ない。君たちが期待していることなんてひとつも出来ないんだ。
 どうして? あなたならきっとやってくれるわ。きっと失敗なんてしないわ。ここに新たな〈世界の終わりの村〉を作るのよ。素晴らしいことだと思わない? 旅人さんもあの絵を見たでしょう。あんな情景がここにあればいいな、と思わない?
 私はそれに頷く。彼女の口調はどんどん感情的なものになっていった。おおよそ、〈世界の終わりの村〉に来てから、初めて見る姿であった。それゆえに、彼女の言葉に嘘偽りがないことがわかった。
 私もそう思う。素晴らしいことだと思うし、あの絵を見て、ここがああだったころに訪れてみたいとも思った。だけど、私には出来ない。私には出来ないんだ。君たちは自分たちでそういうことをやってみようとは思わないのかい? あるいはここからどこかに行くというのは考えないのかい?
 あたしたちは何か新しいものを作ることは出来ないわ。あたしたちの役割は〈世界の終わり〉に捩子を巻き続けることよ。あたしたちはそれ以上のことを知らないわ。だから、人間のように何かを新しく生み出すことは出来ないのよ。絵なんて描けないし、音楽も創り出すことが出来ない。真似することは出来るかもしれないし、美しいとされるメロディーを推測できるかもしれない。だけど、あたしはそれを美しいと思えないのよ。発条仕掛けの音楽団は、果たして自分たちの音色を美しいと思っているかしら?
 それでも、君たちは美しいというものを知っているじゃないか。現にあの活気あるころの〈世界の終わりの村〉を君たちは美しいと思っている。そして、君たちは毎日、それを祈っている。あの言葉は嘘だったのかい?
 嘘じゃないわ。だけど、〈世界の終わりの村〉が美しいといったのは現在との比較でしかないわ。今よりもほんの少しだけよい場所であっただけ。それにあたしたちは毎日、世界が美しくありますように、と願っているわ。だけど、それはとても漠然としたものなのよ。あたしたちは言葉の意味は知っているけれども、それがどんなことだかは知らない。美しいことはよいことだから、あたしたちはよいことのために祈っている。あたしたちの認識はその程度なのよ。
 そんなのは祈りじゃない。それはただの言葉遊びだ。言葉の意味だけを転がしているだけだ。祈りは言葉遊びでやるものじゃない。もっと、全身全霊を賭けてやるものだ。祈りは、自分が他のものにどうしようもならないほどの無力を感じていながらも、何かの力になりたいと思う、そんな思いだ。君たちがもしも、そんな思いで祈っているのなら、それは祈りじゃない。ただの形だけの祈りだ。
 心というもの、あたしというものがあたしたちにはないのよ。だって、捩子を巻くための発条仕掛けの人形に、そんなものが必要だと思うかしら? 発条仕掛けの人形に感情は必要なく、仕事を淡々とこなすだけで充分だと思わない?
 もしも、そうだとしても、君たちはどうなんだい? 君たちは本当に感情というものを知らないのかい? 私はそうは思わないよ。君たちが〈世界の終わりの村〉について話すときはいつだって、感情を露にしているのに気づかないのかい? 君はついさっきだって感情的になっていたじゃないか? 君たちはもしかして、感情というものを知ってしまったんじゃないのかい? たくさんの人と触れあってしまった。君たちが〈世界の終わりの村〉について話すのは、自分たちがただ、寂しいからじゃないのかな。私には君たちの祈る姿が言葉遊びには見えなかったし、君たちの言葉に嘘偽りがあるとも思えない。初めは、そうだったのだろう。誰も来ない間、君たちは淡々と仕事をしていた。二人で一緒に暮らして、それでも不自由はしなかった。君たち二人の世界は完結していた。それ以上を必要としていなかった。だけど、少しずつ君たちの居場所に人間が来るようになった。その人たちの話を聞くたびに君たちは少しずつ感情というものを知っていくようになる。そして、いつしか緑が宿り、小さな〈世界の終わりの村〉が出来るようになる。君たちは初めて、そこでたくさんの喜怒哀楽を知ったんじゃないのかい? そしてそれを失った今、君たちは再び喜怒哀楽のない生活に戻りつつある。君たちは〈世界の終わりの村〉から人がいなくなった後は、忘却と消失の十年だと言っただろう。それは君たちにも当てはまっているんじゃないかい? 君たちはせっかく知ることの出来た感情をなくしそうで怖いんだ。だから、忘れないようにもう一度、ここに〈世界の終わりの村〉を作ろうとしているんだ。 
 彼女は何も答えず、俯いてしまう。私は彼女の口から答えが出るのを待った。灰色の雲からは依然として、光は差すことはなく、廃墟は薄暗さを保っている。失われた色。失われた匂い。失われた音。彼女らはそれらを新しく創造することは出来ない。ただ、〈世界の終わり〉にたたずんで、捩子を回し続けるだけ。誰が彼女たちを創ったのかはわからない。だが、製作者は、彼女らがここまで苦悩する姿を考えたことがあっただろうか。
 行きましょう。今日中に廃墟の中をすべて見ておきたいんでしょう。まだまだ廃墟は続くわよ。と言っても、あとはほとんど似たり寄ったりのものばかりで、あまり面白くないかもしれないわ。
 それでも構わない。出来ればもっと当時の生活がわかるような場所に行って見たい。廃墟の中には入れないのかな? 中に何かあるかもしれない。
 廃墟の中に入るのは危険だわ。瓦礫の一部はまだ形をとどめているけれど、半壊している建物のほとんどはすでに砂よ。ちょっとでも衝撃を与えたら、あたしたちは砂に埋まってしまうわよ。それに中のものも等しく砂になっているわ。それは金属非金属を問わないわ。ここは〈世界の終わりの村〉だから。たとえ、金属であろうといつかは色を失い、真っ白な砂になるの。
 私たちは廃墟を見てまわる。半壊した家の中を外から覗いてみたが、彼女の言うとおり、ほとんどが砂と化していた。私がうっかり壁に触れてしまうと、それは一瞬にして形をなくす。私たちは半日をかけて、それを見終えた。
 彼女らの家に戻ると、ちょうど家にいた彼女は〈世界の終わり〉に行く準備をしていた。私と一緒に廃墟を回っていた少女はすぐに彼女の用意した荷物を持つと、〈世界の終わり〉に向かって歩き出した。
 それじゃあ、あたしたちは捩子を巻きに行ってくるわ。少しだけ家を空けるけれど、ゆっくりしていていいわよ。
 彼女らを見送った後、私は居間にある絵画をずっと鑑賞していた。ほとんど同じ作者が描いたらしく、絵の横には同じサインがあった。だが、少しだけ違う作者も混じっている。あの活気に満ちた〈世界の終わりの村〉を描いた作者の作品も、数点見つけた。どれもが淡いタッチで描かれていて、まるで薄い水彩をキャンバスにゆっくりと垂らしてゆくような絵画だった。写実的な作品が多い中、そのような作品はひときわ目についた。次に私はすべての客間を見て回る。すべての客間には絵画が飾られ、部屋は埃ひとつなく、シーツはきちっとしていた。彼女らの言ったことは嘘ではないらしい。彼女はいつくるかわからない旅人を待ち続けているのだろうか。家具のひとつひとつに至るまでこだわりがあるようで、どれも部屋の雰囲気にあったものが置いてあった。
 四部屋ほど見た後で、開いた部屋は客間ではなかった。窓がなく、部屋の中は真っ暗だった。明かりがないので、私は目が暗闇に慣れるまで待った。徐々に輪郭を現していくそれを見ながら、私は暗闇の中、立ちすくんでいた。
 暗闇に目が慣れると、ここが倉庫であることに気づいた。だが、倉庫特有の埃っぽさがなく、よく手入れが行き届いていた。曖昧な輪郭のものを触りながら、これはカップだろうか、これはテーブルだろうかと推測してゆく。よく触ってみると、端が風化しているものもあった。彼女らが〈世界の終わりの村〉から持ち出したものなのだろうか。確かに放置したままではすぐに風化してしまうだろう。私は一度、倉庫から出ると、居間からランプを持って、もう一度、倉庫の中に入った。
 ランプの明かりで倉庫の全様がはっきりとわかった。倉庫には家具から小物、本、食器、嗜好品まで当時の生活を感じさせるものがあった。テーブルの装飾はカップの側面の装飾と似ていることから、これらが同じところで出来たであろうことがわかる。食器は真っ白なものがいくつかあった。ここの風土がそうさせるのか、あるいはすでに表面が風化してしまったのか、独特の白さであった。私はその中にある手風琴を手に取った。装飾こそ派手ではないものの、しっかりと作りこまれているようであった。私は何個かの鍵盤を押してみる。調律もしてあるのか、音はとても正確だった。私は手慰み程度の曲を弾いてみる。昔、どこかの町で覚えた曲だった。曲名すらも忘れてしまったが、メロディーだけは覚えていた。鍵盤に左手を添えると、自然と指が動いた。
 旅人さん?
 私が手風琴を弾くことに夢中になって、彼女らが帰ってきたことに気づかなかった。私は手風琴を元の場所に返すと、勝手に倉庫に入ったことを詫びた。彼女らは首を横に振る。
 いいのよ。この家の中ならどこに入っても構わないわ。それよりも、旅人さん。あなたは手風琴が弾けるの? さっき弾いていた曲はなんて言うの?
 曲名はもう忘れてしまったよ。昔に訪ねた村で教えてもらったことだけは覚えている。手風琴と一緒にもらったんだ。旅の途中でそれは売ってしまったけれどね。
 どうして売ってしまったの。そんなに綺麗な音が出せるのに、素敵な曲が弾けるのに。きっとそれを演奏するだけで道端の人々はあなたにお金をくれるわ。
 私はそんなに上手い弾き手じゃない。それに曲もこれしか知らないんだ。道端で弾いたとしても誰もお金をくれないよ。実際、やってみたけれど、誰もくれなかった。だから、手風琴を売ってしまったんだ。
 もったいないわ。ねえ、あたしたちにもあなたの弾く姿を初めから見せてくれないかしら? あなたの弾く姿をしっかりとあたしたちは見てみたいの。
 こんなことでよければ。
 私は手風琴を持つと、倉庫を出る。彼女らはふたりとも微笑んでいる。彼女らは感謝の言葉を述べる。私は肩にかけた手風琴の重さを確かめながら、指の動きを思い出そうとした。ところどころ曖昧なところがあったが、指が自然と動いてくれるだろうと思った。
 居間に着くと、彼女らは安楽椅子に腰掛けた。私は彼女らの前に立ち、何個かの音を出す。覚えているメロディーを何回かくり返した後、私は手風琴から手を放す。
 ちょっと自信のないところもあるし、久しぶりだから、間違うかもしれない。それに人前で弾くのはちょっとだけ緊張するんだ。だから、音を間違えたりするかもしれないけれど、それでもいいかな。
 彼女らは頷いた。私はそれを見届けると、手風琴に再び手をかける。彼女らも黙っていた。私は深呼吸をひとつすえると、鍵盤を叩き始める。
 メロディーは昔、聴いたものとなんら遜色がなかった。その音を聴きながら、新たな音を生み出し続ける。手風琴からは音が噴き出し、石造りの家の中を反響する。曖昧なところは自然と指がその先の音を教えてくれた。私はそれを頼りに弾けばよかった。音はいつの間にか唸りとなり、私と彼女らをどこかへと連れて行く。最後のほうは無我夢中だった。いつの間にか私の指は止まり、演奏も終わっていた。
 とてもよい演奏だったわ。とても素敵よ。
 彼女らは拍手を贈る。私はお辞儀をした後、手風琴をテーブルに置いて、安楽椅子に座った。
 ねえ、もう一曲弾けないかしら?
 あいにく私はこれしか覚えてないんだ。もう一度、同じになるけれどそれもいいのかな。
 いいえ、あなたが即興で作った音楽が聴きたいの。
 即興で? だけど、それじゃあ、さっきよりもよい曲であるとは思えない。あれは村の人が何年もかけて作った素晴らしいものだ。それに比べて、私の作る即興の曲なんてつまらないものだよ。
 いいえ、あたしたちはあなたが音楽を創造する瞬間に立ち会いたいの。それに大丈夫。あなたならきっと素晴らしい曲を弾くことが出来るわ。
 私は安楽椅子に座りながら、膝に手風琴を置く。座った体勢のまま、何度か意味のないメロディーをくり返した。即興で曲を作ったことなんて一度もなかった。私自身がそんなこと出来るわけないと思っていた。私は指が自然と次の音を教えてくれるまで、断片的で意味のないメロディーを弾き続ける。何十回とそれを続けていると、自然と指先が動くようになった。
 ひとつの断片的なメロディーから、突如、指は動き出す。私は特別意識をしなくても次はこの音と指が教えてくれる。私はちょっとだけ鍵盤のキーを叩けばいいだけなのだ。断片的なメロディーはいつしか一分、二分と続き、曲となる。一度も弾いたことのないメロディーラインは美しかった。きっとこんな美しい曲は二度と弾けないだろうと壁に跳ね返った音を聞きながら、思った。無意識の産物だった。やがて、ラストに入るのか、演奏にも指先にも力が入る。今までの断片的なメロディーを繰り返し、繰り返し、螺旋階段を昇るように終わりに向かって昇華されてゆく。
 一番初めに弾いた断片的なメロディーを弾き終わると、指は動かなくなった。それでも音は部屋に反響し、少しの間、残っていた。私たちは小さなそれに耳をすます。すべての音が消え去った後、彼女らは口を開いた。
 素晴らしかったわ。素敵な音楽だったわ。
 ありがとう。自分で弾いていても、もう二度と弾けないかもしれないと思うほどよかったと思ってる。そう君たちにも言ってもらえると、嬉しい。
 ねえ、ひとつだけ訊いていい? 旅人さんは何かを創っているとき、どんな気分なのかしら?
 そうだね。新たなものを創るという希望が少しと、不安がいっぱいかな。もちろん、新しいものを創るのは楽しいし、素敵なことだと思ってる。だけど、それにはいつも不安が一緒について来るんだ。本当にこれでよいのだろうか? 選択を間違っていないだろうか? 何か新しいものを創るというのは手探りの作業なんだ。初めから道が開けているものなんてない。いつだってそんな作業には不安がついて回る。だけど、その中で何かを掴み、そして磨いて輝いたときの感動は決して忘れられない。
 あたしたちにもそんなことがわかる日がいつか来るかしら?
 きっと。君たちならすぐ来ると思う。初めは失敗するかも知れないけれど、いつかきっと何かを創り出せると思う。だって君たちには感情がもうあるじゃないか。どんなものが美しいかもわかっているじゃないか。
 彼女らは薄く笑った。私もそれに釣られて、笑みを浮かべる。私たちは彼女の出してきた紅茶を飲みながら、他愛もない話を日が沈む時間までくり返した。
 彼女らが三度目の捩子を巻きに行く時間になると、私は眠ることにした。明日からはまた延々と歩き続ける毎日が始まるのだ。少しでも体力を温存しておきたかった。
 ベッドはきちんと整えてあった。私はそれにもぐりこみ、このベッドとも当分お別れかと思った。目を瞑るとすぐに眠気はやってきた。久々に手風琴を弾いたせいなのか、半日の間、ずっと歩きっぱなしだったせいなのか、あるいはその両方なのか。私はすぐにまどろみの中へ落ちていった。

 冷たく静かな空気を吸いながら、私は起き上がった。昨日よりもやや、明るい気がした、カーテンを開け、外の景色を見る。凛とした空気が部屋の中に入ってきた。〈世界の終わりの村〉は薄っすらと明かりに包まれている。空を見上げると、灰色の雲はいつもよりも薄く、太陽の光が少しだけ降り注いでいた。
 私は部屋を出て、居間を目指す。彼女らはもう起きているのだろうか。私はちらりと懐中時計を見た。昨日と同じ時間に起きているようだった。昨日はすでに彼女たちが起きていたから、もしかすればもう〈世界の終わり〉に向かったのかもしれない。
 だが、居間に彼女らはいた。二つの安楽椅子に深く腰掛け、目をしっかりと瞑っていた。いつも着ている機械油に汚れた灰色のワンピースは肘掛に綺麗にたたんで置かれてあり、彼女らは服を身に着けていなかった。その真っ白の肌はとても綺麗だったが、ところどころにひびが入り、胸のところは大きく穴が開いており、中の肋骨とゆっくりと動いている歯車が見えた。それは普段、ワンピースで隠れてしまうところだった。まるで朽ち果てるように彼女らの全身にはひびが走り、その下には剥がれ落ちた皮膚があった。私は彼女らの身体を触ってみる。ひびに沿って指を滑らせてみると、さらさらとした砂が指に付着した。私はさらに穴の開いた胸を覗く。肋骨は真っ白でつるつるしていた。私はそれに触れながら、さらに手を彼女の身体の中へと入れてみる。人間で言えば心臓のある場所に歯車は密集していた。私はその外形を壊してしまわないように指先でなぞる。彼女らの心臓は、私たちのものと同じようにちゃんと回転していた。内側から皮膚の裏をなぞり、その細かな凹みや突起を指先に感じてゆく。穴の周囲に私の腕があたると、そこからぼろぼろと皮膚が剥がれ落ちた。私は肘まで彼女の中に入れると、彼女らが本当に人形であるのかを確かめた。私は指先でそれを探るのをやめ、穴に顔を近づけた。私は穴から彼女の中を覗く。うっすらと明るい彼女らの中を見ると、やはり指先が触れたようにいくつもの歯車が動いており、足や腕に向かって何本かの糸が伸びていた。彼女らは隣に座るもう一人の自分を見るように顔を向けていた。顔の向き以外、瓜二つの彼女ら。真っ黒な長髪も、ぷっくらとしている唇も、ほのかに色づいた灰色の乳頭も、小さな膝小僧も、丁寧に切りそろえられた足先の爪も、彼女らを人形と思えば思うほど、それとは遠い存在ではないかと思う。
 彼女らはそっと目を開けた。灰色の瞳を開きながら、焦点はすぐに私に会う。首を少し傾げた後、彼女らは同時に口を開いた。
 あら、旅人さん、起きていたの。ごめんなさい。紅茶の準備をしていないわね。
 いいんだ。私が勝手に早く起きたんだから。まだ君たちが眠かったら、もう一度眠ってもいい。
 いいえ。もう目が覚めたわ。今、紅茶を入れるから、椅子に腰掛けてゆっくり待っていて。
 彼女らは肘掛に置いてあった灰色のワンピースを着ると、奥の部屋に入っていった。私は彼女らの言葉に甘え、安楽椅子に座り、紅茶が出来るのを待った。彼女らはすぐ紅茶を持って、居間に戻ってきた。私は皆が安楽椅子に座るのを見てから、紅茶に口をつけた。
 旅人さんは今日、行ってしまうのかしら?
 そうだね。食料もあとは帰る分しか残っていないし、見たいものは全部見ることが出来たし、これを飲んだ後にここを出ようと思う。それよりもひとつ気になることがあるんだ。いいかな?
 いいわ。どうしたの?
 君たちの身体に無数のひびが入っていた。それに大きな穴も開いていた。それはもしかして、〈世界の終わりの村〉が砂となったように、君たちもすでに砂となり始めているということなのかな。
 彼女は少し間を置いた後に頷いた。その表情は諦観に近いものだった。悲しみも喜びもなく、また楽しみもなく怒りもない。私は紅茶で口を湿らせた後、言葉を続ける。
 君たちは、あとどれぐらいで朽ち果ててしまうのかな? 
 そうね。長く持って一年というところかしら。風化の進行度はまちまちだから、上手くいけばの話だけれどね。だけど、明日いきなり砂になってしまうということは、ないと思うわ。風化はゆっくりと進むのよ。いつの間にか、指先が動かなくなり、足がなくなり、ついには胴体が少しずつなくなっていくの。あたしたちを作ったあたしたちはそうやって朽ち果てていったわ。
 君たちはそうやって朽ち果てていくことが怖くないのかい?
 怖い、のかもしれないわ。だけど、あたしたちを作ったあたしたちはとても満ち足りた顔で朽ちていったわ。きっと、使命を全うした気持ちがあったんでしょうね。だから、怖くてもそれを拒むことはしないの。三百年繰り返したことが今、終わるのかと思うと、ちょっとだけ嬉しかったりもする。ねえ、〈世界の終わりの村〉がどうして風化して、そしてどうしてここの家や、家の中身が風化しないかわかるかしら?
 私は首を横に振る。
〈世界の終わり〉が風化させるのは、人の思いが詰まったものなのよ。ここの家やここの家の中身はすべて、人の思いをあたしたちが取り出して、あたしたちの中にしまったの。だから、風化しない。〈世界の終わりの村〉のものは彼らの思いが詰まっていたから、今ではああやって風化してしまったのよ。あたしたちは人形として作られたため、器としても働くことができたの。からっぽの器よ。器がからっぽならあたしたちは永遠に朽ち果てず、生きて〈世界の終わり〉に捩子を回し続けることが出来るのよ。きっと、あたしたちの製作者は〈世界の終わり〉が思いの詰まったものを風化させていくというのを知っていたのね。だから、からっぽの器なら、捩子を巻き続けることが出来るだろう、と。だけど、からっぽの器はからっぽであったがゆえに、思いを注ぐことが出来た。きっとあたしたちの身体にひびが入り始めたのは、思いが器から溢れてしまったからだと思うわ。
 君たちはこれからどうするんだい?
 あたしたちは新たなからっぽのあたしたちを作るわよ。そうして〈世界の終わり〉に捩子を巻き続けるのよ。今までのあたしたちがしてきたことと何ら変わりはないわ。
〈世界の終わり〉のことじゃない。君たちのことだ。君たちは再びからっぽの自分を作った後、どうするんだ? そのまま朽ち果てるのか? 君たちは〈世界の終わり〉から出てみようとは思わないのか?
 それは旅人の考えよ、旅人さん。あたしたちはここで朽ち果てるの。それ以外の場所で朽ち果てようとは思わないわ。きっとあたしたちはこの〈世界の終わりの村〉と一緒に朽ち果てると思うわ。
 それで、本当に、いいと思っているのかな?
 彼女らは頷いた。その肯定には迷いがなかった。きっと何十年、あるいは何百年と長い年月をかけて、出した答えなのかも知れない。私がそれに意見することは出来なかった。何を言っても私は彼女らを不幸にしてしまいそうだったからだ。
 彼女らはカップを片付けるために立ち上がる。私はため息にも似た深呼吸をした後、安楽椅子に深くもたれかかった。彼女らはカップを片付け、居間に戻ってくる。
 旅人さん。ちょっとだけあたしたちの話に付き合ってくれるかしら?
 彼女らは真剣な表情で私を見た。私はそれに頷いて応える。彼女は感謝の言葉を言うと、奥の部屋に入っていった。私が唯一、見ていない部屋であった。彼女らはその部屋から三枚の絵を持ってきた。一つはここに初めて来たときに見た〈世界の終わりの村〉の絵である。二枚目は風景画ではなかった。一枚目と同じ筆遣いで描かれた瓜二つの少女だった。その絵の中では少女は満面の笑みを浮かべている。ひとりは画面の中心に、もうひとりはそれに寄りかかるように腕を掴みながら、立っている。淡いタッチとそれが重なり光が彼女らをいっそう際立たせていた。三枚目は風景画だった。真っ白な砂漠と薄っすらと霧の晴れた向こうに、巨大な歯車が広がっている。それはまさに昨日見た〈世界の終わり〉の光景であった。彼女らはその三枚をテーブルに置くと、安楽椅子に再び腰掛ける。ゆっくりともたれかかり、椅子を何回か揺らしたのち、彼女らは話し始めた。
 今から話すのは、この〈世界の終わりの村〉の歴史と呼ぶにはあまりにも小さすぎるものよ。言うなれば、あたしたちの話よ。あなたには話しておこうと思うの。今まであたしたちを見分けることの出来た人間の話を。あなたにはそれが今まで二人しかいなかったとしか話していなかったわね。まずはその二人の紹介からするべきかしら。ひとり目はこの絵の作者よ。名前はもう忘れてしまったし、彼は名前で呼ぶよりも絵描きさんと呼んだほうがしっくりとしていたわ。ちょうど、あたしたちがあなたを旅人さんと呼ぶようにね。もうひとりは呪われた双子のひとり、〈世界の終わりの村〉を衰退に導いた若代表よ。彼も名前があったわ。だけど、〈世界の終わりの村〉の人々は彼の名前を言うことを忌み嫌ったわ。彼の名前には呪われた家系が含まれていたからよ。誰もが彼を若代表と呼んでいたから、誰もが彼の名前を覚えていなかったのよ。さて、そうね。どちらの話から始めようかしら。ここはやっぱり時間の流れ通り話すのが一番わかりやすいかしら。そう、ちょうど〈世界の終わりの村〉に人が頻繁に出入りするようになった二十年目ぐらいのことだったかしら。〈世界の終わりの村〉に一人の絵描きが来たわ。歳はそのころちょうど、二十歳ぐらいだったかしら。とにかく旅人にしてはかなり若い人だったわ。そのころになると、あたしたちも日常的に村を歩くようになったわ。それ以前までは家から出るのは、〈世界の終わり〉に捩子を巻くときだけだったわ。その日もあたしたちは〈世界の終わりの村〉をぶらぶらと歩きながら、話しかけたり、話しかけられたり、子供と一緒に遊んでみたりもしていたわ。
 彼を初めて見たとき、彼の身なりはとても貧相だったわ。〈世界の終わりの村〉はとても寒いところよ。でも、彼は薄着をして、震えていたわ。唇が紫色になっていて、顔色もよくない。ふらふらとした足取りで、今にも倒れてしまいそうだったわ。あたしたちはそんな彼を不憫に思って、声をかけたわ。大丈夫? って。彼は二、三度頷いたけれど、あたしたちは心配だったから、あたしたちの家に招いたわ。あたしたちは彼が休んでいる間に荷物の中を見たけれど、案の定、食料や衣服なんて入ってなくて、あったのは、二つの真っ白なキャンバスと絵の具だけだったわ。〈世界の終わりの村〉が出来てから、あたしたちはめっきり家に人を泊めなくなったわ。あたしたちは旅人をただで泊めていたけれど、それじゃあ〈世界の終わりの村〉の宿屋が儲からないでしょう。だから、あたしたちはお金に困っている旅人さんしか泊めないことにしたわ。まさしく彼がそうだったの。彼もまた、まあ、あたしたちの家に泊まる旅人はほとんど同じことを聞くのだけれど、本当にただでいいのか? と訊いたわ。あたしたちは頷いたけれど、彼は納得してくれなかったわ。彼はとても頑固者だったわ。あたしたちが何を言っても納得してくれなかったの。仕方がないから、あたしたちは彼にこう提案したわ。あなたが絵描きなら、何か一枚、絵を描いてちょうだいって。それならただで泊まってもよいと。彼はしぶしぶながらも提案を受け入れたわ。その日の夜は旅人さん、あなたと同じで、この村の繁栄の歴史を話したわ。彼はとても興味を持ってくれた。村の歴史なんか聞いても普通の旅人さんはすぐに飽きてしまうわ。だけど、彼は飽きずに最後まで聞いてくれた。それに加え、自分が今まで訪れた国や村のことを話してくれたわ。彼が語った国や村はどれもへんてこで、どこか歪んでいるんだけど、よく現実を映していて、寓話としても楽しめたわ。もしかしたらあの話は彼の作り話だったかもしれない。本当はあんな国や村はなかったのかもしれない。だけど、それは些細な問題よ。考えるだけせっかくの魅力が興ざめしてしまうというものだわ。ねえ、旅人さん。どうしてあなたはあたしたちに今まで訪れた国や村の話をしてくれないの?
 して欲しかったのかい? しなかったのには、別に他意があったわけじゃないよ。君たちが求めたら、私は今まで訪れた国や村の話をしていたかもしれない。だけど、今はしない。今は君たちが素敵な話しているからだ。せっかくの素敵な話の腰を折るような真似はしたくない。さあ、続けて。


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