『歓喜の魔王III REGENFAELLS NUNTIUS. ~ der erste Teil.』

『歓喜の魔王III REGENFAELLS NUNTIUS. ~ der erste Teil.』

著/六門イサイ

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■序 約束された嵐と灰かぶりの魔女──Sturm Bringer und Cendrillon.


 昔の夢を見た。今ではもう、大して意味も無い古い思い出のひとつを。なぜそんなものを見るのか。どうせ取り返せはしない思い出をちらつかせて、時の落とし穴に誘い込もうとしているのか。幻など邪魔なだけ、夢を見るなど煩わしいだけ。
 けれど、昔の夢を見た。

 ────「私に殺されなさい、テンペストゥス」
 マグダレナは、万魔の女王とも白鳥の騎士とも異名をとった女は、私の三番目の名前を呼ばわって、銃をとった。撃鉄を起こす。

 十九六×年・独逸──雨が降っていた、いつものように。
 重く熱く地に刺さる、黒い雨だ。バラバラと足元ではぜて、人を街を撃ち抜き、血に濡らしていく。鉄の雨、鉛の雨、銃弾の雨あられ。死に瀕し、今まさに息の根を止められんとする偉大な帝都で、雨は鉄に、風は火に、地は血の海となる。その死地の片隅で、余人の知りえぬ場所で。
「総員傾注!」
 凛とした女の声が、銀のしなやかさと鉄のつめたさを持って響いた。
「もはや運命は決した。帝都は落ち、大戦は終わりを告げる。戦勝国は我らの祖国を断罪し、今度こそ世界を手中に収めるだろう」
 声の主もまた、濡れたような艶を乗せる銀色である。けれど纏う軍服が、華奢や可憐といった類いの言葉を封じ、銀細工のそれではなく刃物の冷たい印象を与えた。軍服の下にある肢体は、やはり軍人の骨格を持ち、黒い制服と相俟って、精密に作られた鉄の黒豹を思わせる。
「しかし敗北は甘んじて受け入れる、今この時は負けてやろう。……だが我々は終わらない。総員、ただちに『シュトラテギーIVXXX:アン・ディー・フロイデ』を決行せよ。我らが奏でる神曲の新章は、鎮魂の楽としよう。葬送の音曲としよう! 戦闘団《カペレ》を作れ、地獄はここだ」
 銀の女は、余人が彼女に対して抱く印象そのままに、居並ぶ十名の騎士を睥睨した。女の視線に応えるように、騎士の双眸と面には、それぞれの決然とした意志が宿っている。戦意と昂揚、闘志と愉悦、あるいは憤懣。それに満足したように、魔女は抑えがたい笑みとともに高らかに宣言した。
「さあ角笛を吹き鳴らせ、我が愛しき同胞達!」
 宣言と共に足を踏み鳴らし、軍刀を抜き放つ。銀の髪が刃と共に煌めいた。
「我々は進撃を続ける、血の進撃をだ。血と罪に錆びつくまで、悪の剣が七度折れ七度甦るまで。鉄風雷火の嵐を言祝ぎ、無尽の闘争を越えて、無限の戦場を駆ける走狗となれ! 運命を呪う憎悪のままに、鏖殺《みなごろし》の雄叫びをあげろ、歌のように」
 ある者は拳を振り上げ、ある者は鉄の腕をかざし、ある者は銃の撃鉄をあげ、またある者は大鎌の石突で床を叩き、それぞれに戦意を表した。
「さあ、帝国と運命を共にする幾千幾万の同胞達よ、汝らの無念は引き受けた。我々が諸君の復活を約束する、我らのあるじが諸君らの復讐を誓約する。安らかに、もろともに、皆死にたまえ。そして復讐に甦れ! 共に世界を焼き払いに征こう、戦は今宵、幕を開ける──歓喜と共に」
 騎士達が応えて宣言した。
「Tes, Sige Heil!《我ら、誓って勝利せん!》」

 バラバラと銃声が足元を叩く。頭上を金切り声をあげて砲弾が横切る。倒壊した建物の塵と、延焼した家屋の灰で空気は埃っぽく、そしてきな臭い。濃すぎる硝煙でばかになった鼻を通り越して、喉に舌に直接訴える血の味は、吐き気を通り越して重い痰のようだ。
「ごきげんよう、閣下《Exz. 》」不意に、背後から女の声。「今日は記念すべき日ね、二十年遅れの帝都陥落」
「レナか」
 マグダレナ・ノイシュヴァンシュタインを親しげにそう呼ばわって、私は魔女を一瞥した。結婚前なので、日本名はまだない。
 トンガリ帽子と黒衣の代わりに、漆黒のSS軍服と制帽を身につけ、箒の代わりにヴァルターを携えた眼鏡の女だ。丹念に編まれた長い銀髪は、軍服の黒に映える艶やかさながら、今は荒んだ風に揺れてところどころがほつれている。
「どうだ、地獄の魔女殿。ここは業火を眺めるには特等席じゃないかね。今ちょうど、獣達の庭が燃えているところだ」
 凛と冴えた女の面に表情はない。ただ、磨き上げられた眼鏡のレンズに、眼下の炎が映っていた。
「ええ、とても綺麗。けれど……ああ、全てやり直しだわ。つまらない闘争だったけれど、楽しい戦争もこれでお仕舞い」
 我々の足元には、死臭と死相と死体の街が広がっている。夕刻に始まった砲撃は、夜も更ける頃には、帝都を喰らい尽くす蟲のあぎとに変わっていた。上となく下となく、無遠慮に鳴り響く砲声と爆音の震動は、絶え間ない破滅の足音だ。
 戦勝記念塔《ジーゲスゾイレ》、ベルリン大聖堂、ブランデンブルク門、シャルロッテンブルク宮殿、ペルガモン博物館、カイザーヴィルヘルム教会、帝国議会議事堂《ライヒスタークスゲボイデ》……名も歴史もある建築物が、鉄火の暴威に押し潰されて、瓦礫と灰燼に帰して行く。
「終わりだと? まだまだ終わらないさ。殺して殺して殺し尽くし、そしてまた殺すのだ。いくら殺そうとまだ殺し足りない、楽に死ねると思わない事だ」
 戦って死にたいと言った青年兵は、横合いから不意の銃撃を受けて、何も出来ないまま死んだ。もはやこれまでと絶望したある士官は、食卓の下で手榴弾のピンを抜き、家族もろとも自決した。地下に篭った将校達の一部は、敗色を肴にひたすら自棄酒を浴びていた。
 誰もが目前に迫った終焉を前に、慄き蠢き逃げ惑っている。だが、我らは違う。
「誰も彼も私も君も、残らず、余さず、地獄へまっしぐらに突撃する。──♪ 弾に斃れし同志ら、魂魄となりて尚も、我らが隊伍と共に邁めり」
「最後の闘いに今ぞ点呼は鳴り亘る。我ら、既にして其の備えは万端なり♪」
 ホルスト・ヴェッセルの歌《リート》を口にして、私達は互いに顔を見合わせ微笑んだ。マグダレナと私の付き合いは、ニコラスに次いで古い。
「さて、我々の寝床は業火に包まれ消えていく。新たな寝床を探すぞ、レナ」
「いいでしょう、嵐の《テンペストゥス》閣下。****, 貴方が貴方である限り、私はどこまでもお供するわ、水星の《ヌンティウス》閣下のようにね。けれど今は、幾千幾満の同胞に安らぎを。ご冥福をお祈りするわ。……Lebewohl.《ごきげんよう》 」
 マグダレナは軽く手首を振って、死にゆく同胞に別れを告げた。

 ────「泣くな、この大莫迦者」
 雨の日の事だ。
 煙草《ゲルベゾルテ》のクセのある紫煙が、硝煙に混じる。彼女が引き鉄を引いた時には、帝都の陥落から三十年あまりが経っていた。

 雨が降っている、いつものように。
 それは黒い銃弾の雨か、赤い血潮の雨か。いずれにしろ、私のところにはいつも雨が降っている。明日も明後日も、十年後も百年後も、きっと同じように私は雨の中にいるだろう。鉄風雷火の風雨の中に、自ら生み出した嵐の中に。それは、殆ど永遠に等しいほど、いつまでもずっと。

■一節 その雨は涙に似る──der Regen und Traene.


 雨が降っていた、いつかのように。軽く冷たく地を叩く、透き通った雨だ。パラパラと地面ではぜて、人を街をじっとりと濡らしていく。暦の上では冬が終わっているのに、窓の外に広がる住宅街に春の気配は程遠く、雨の冷たさは冬に逆戻りしたような寒さを覚えさせた。
 古くてガタが来た黒園邸だけあって、食堂の片隅では設置された洗面器の中では、雨だれの滴がぴちゃぴちゃと音を立てている。仔猫のザミーが時々溜まった雨水を舐めに来たが、何度が頭に冷たい水の直撃を受けて、そのうち近づかなくなった。
 雨の音と、雨漏りの音だけが鳴る日曜日の朝はやけに気だるく、そして侘びしい。肌寒い気温が尚の事そう思わせたが、カップに注がれた紅茶の湯気が、それを和らげる。自らを包む冷えた空気が、茶葉の香気に退けられるのを感じて、お前は顔をあげた。
 ほっそりとした手に、長すぎる指。蜘蛛の脚を思わせる手が、目の前に淹れたての紅茶を差し出していた。
「どうぞ」
「あ……ありがとう」
 縁を青い蔦と花の模様で彩った、真珠色のティーカップだ。受け取り、一口飲む。ふわっと、滲むような茶の味に体の内と外から温まった。いつになく簡単な朝食を済まし、ニコラスが食堂を去った後も一人、食卓に突っ伏していた無気力な体に、やっと活力が戻る。
「元気ないのね。らしくないじゃない」
「うん、私もそう思う。けど、学校が休みだと気が緩んじゃったっていうか……なんだろう。いるのが当たり前だった、私の日常の一部だった人が急に居なくなるのって、変な感じ。あれ? 何でいないんだろう、って。悲しいっていうより、何だかまだ信じられない、嘘みたいな、騙されているみたいな気分なのよ。でも、嘘でもドッキリでもなく現実だってのも分かっているから。だから。うん、変なの。もう、考えるのも面倒くさいくらい……」
 紅茶を口にしながらとつとつと語るうちに、茶を淹れた相手に対する注意が、ようやくお前の中に喚起される。中性的なようで、明らかに男性の物と分かる声。いわゆる、裏声というやつだろうか。おそらく地声は相当低いはずだ。視線をあげ、相手の顔を確認する。
 ぴっちりと髪を撫でつけたオールバックに、白目がちの吊り目。白人である事を考慮してもなお色白い顔は、輪郭と相俟ってゆで卵を連想させる。それは美人の形容なのだが、美形とは言いがたい。むしろそれは異形。整ってはいるが爬虫類的な冷たさを感じさせる顔立ちは、見る者によって妖艶とも醜悪とも、両極端な評価に分かれるだろう。お前は落ち着いた仕草で、中身が半分ほど残ったティーカップを皿に置いた。
 ようやく、今日始めて声帯をフル活動させる。
「──あんた誰っ!?」
「ごもっともだけど、その突っ込みは二十分くらい遅いわねえ、お嬢様」
 ひょろりとした男の「お嬢様」という発音は、「オジョーサマ」とカタカナで表記したほうがいいような白々しい発音だった。手を広げ、軽く肩をすくめる動作も、芝居染みていている。まあ、元々そういう奴なのだが。
「じゃ、自己紹介しておきましょうか」言いながら、身につけていたエプロンを外す。一振りして手品のように消すと、白いエプロンの下からは黒衣の装束が現れた。白手袋の手を胸に当て、恭しくお前に一礼する。「騎士聖堂第四位《フィーアト》、オイレン・ヘルモルト。今後ともよろしく」
 ヘルモルト。影法師。壁抜け男。芋づる式に想起された記憶をお前は茫洋と辿った。
「……何か。私、あんたに借りがあったような気がするんだけど」
「あら、そお?」
 お前は洗面器と逆方向の隅に置かれたダンボールに視線を投げた。
 そこには、捨てもせず溜め込んである様々なガラクタが、無造作に詰め込まれている。お前はその中から、コンピューターに使う鍵盤……ああ、キーボードと言うのだったな。を、取り出し、そいつで目の前にいるヘルモルトを「悠美花の仇ィ!」と叫びながらぶん殴る様を想像した。
 それから、口を開く。
「まあいいわ。そのままで返済してもらう方法はないから、私はもう何も言わない。その代わり、死ぬまでコキ使ってやるから観念なさい」
「やーねぇ、もう死んでるわよアタシ」
 へらへらへら(擬音)。そんな調子で片手を振りながら笑うヘルモルトに、お前は同じくにこやかに笑いかけた。
「そう。だったら、」お前は椅子を降りると、隣りにあった椅子の背もたれを掴んで振り上げた。ちょうど脚の一本にガタが来ていて、捨てようか修理しようかと言っていた品だ。「もぉ~一度くらい死んだって、構やしないわねェ!?」
「へっ? ちょ、ちょっと待っ……」
 お前は椅子の脚で、力一杯ヘルモルトの頭を横殴りにした。さて、この破砕音は木の物か骨の物か。
「問答無用!! くたばれェ──ッ!」
「ギニャーッ!!」
 すったもんだが続く中、ニコラスは一度だけ、怯えた仔猫を連れ出しにそっと食堂に入ると、そそくさと逃げた。

◆  ◆  ◆

「あーあーあー、椅子がぐっしゃぐしゃ。アタシじゃなけりゃ死んでたわよ、お嬢様」
「殺すつもりでやったに決まっているじゃない、何言ってんの」
 バラバラになった椅子の残骸をゴミ袋に詰めながら、平然とお前は応えた。ついさっきまで、しこたま殴られ続けていたヘルモルトも、既に平気な顔で頭の血をハンカチで拭いている。床にも血は零れていたが、元来現世の存在ではない霊の血、放っておけば消える。
 血を拭い終わったヘルモルトの顔は、元通りゆで卵のようにすっきりしていた。傷痕どころか痣一つ、タンコブ一つ残っていない。殴られる端から治っていく再生能力だから、当然といえば当然だったが、お前もいい加減殴りつかれていた。椅子を引き、座って背もたれに体重を預ける。
「まあそれはそれとして。あんた何でここにいるの? 私、あんたを呼び出した覚えが全くないんだけど」
「え、そりゃアタシ、自分で勝手に出てきたもの」
「……へ? マサオも出ようと思えば出てこれるの?」
 いや、違う。我が配下の騎士は本来、我が魂の内に封印されておる。が、まあ、こやつは少々事情が違ってな……まあ生前からそうだったのだが。戯曲に残された誤字か、あるいは山札の中にあらかじめ混ぜられた鬼札か。なぜか知らんが毛色が違う。
「ところでお嬢様、マサオって誰の事か訊いていーい?」
「ああ、マサクなんたらじゃ面倒くさいから、親しみを込めてつけてみたんだけど。何か本人嫌がってるみたいなのよね」
「あの人、その名前気に入ってたみたいだからねえ」頬と顎に片掌を当て、うんうんと頷くヘルモルト。
「まあいくら嫌がったって、この私がつけた名前ですもの、いつかちゃんと受け入れさせてやるわ。じゃ、あんたもよろしく、へも介」
 ヘルモルトは当てた掌から顎を浮かせて、うろんな顔をした。
「……それ、アタシの名前よね? 出来れば由来を教えて欲しいんですけど」
「ヘルモルトだから略してへも。ちなみにスケは日本男子名で使われる止め字の一つよ」
「あらそう。じゃ、了解」
「意外とあっさり受け入れるじゃないの」
「いやあ、名前なんて幾らでもコロコロ変えてきたしねえ。アタシゃほら、悪い事いっぱいしたしー」
「とりあえず執着はないのね。……ちぇ」
 嫌がって欲しかったのかお前は(そうなんだろうなあ、と思ってはいたが)。
「ところで、折角だから訊いておきたいんだけど」
「はいはい、なんざんしょ」
 お前はヘルモルトの胸元を指差し、かねてからの疑問を口にした。
「その服、マサオも着ていたけど騎士団の制服? えーとほら、非コミュニスト風に言うところのNSDAPを彷彿とさせるんだけど」
「彷彿も何も、アタシら元々そこの所属だったのよ」ヘルモルトはあっさりと認めた。「マサクの旦那はディルレワンガー旅団、アタシはRSHA(国家保安諜報部)の方だけど。まあ、NSDAP党で括っちゃえば皆同じね」
 国家社会主義独逸労働者党《Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei》、通称──と言っても蔑称──NAZIS《ナチス》。
 マサク・マヴディルと異なり、ヘルモルトは外套と制帽までは身につけていない。それでも、黒尽くめの軍服や乗馬ブーツ(黒園邸は和室を除けば、家の中でも靴を脱がない作りになっている)、それによく観察すれば襟元の階級章や赤い腕章は、確かに親衛隊の物に他ならなかった。
「コスプレじゃなかったんだ……」正真正銘本物だ、哀しい事を言うでない。「じゃ、騎士団ってNSDAPだったの?」
「ん~、そうとも言えるし、違うとも言えるかしらね~」
「もったいぶらないで」
「んん、そうね~。確かに団は、最初は党の意向で創設されたわ。まあ、党と言うより政府って方が正しかったけれど……当然団員も、親衛隊やアーネンエルベその他諸々の機関から引っ張ってこられたってワケ。でもそれは最初だけの話でね、段々節操がなくなっていったのよ。
 ニーベルンゲンやトール……将校達のお遊びで作られた所も多かったけど、計画が進むにつれ、本物の『魔人の兵団』が作られていったわ。当時の帝国で考えうる限りの最新科学と、徹底した魔術儀式、容赦ない生け贄。惜しみなくつぎ込まれた、投資の価値だけはある物が出来たと思うわよ。
 実際、二度目の世界大戦で帝国の趨勢に影響を与えた事には間違いないしね。まあ、その辺の功績は、クソ忌々しい魔女共や、得体の知れない魔術師達──その中には副首領閣下もいたけど──の物ね。結局その次で負けたけど」
 その通りだとも。私は結局の処、決定された運命を覆し切れず、ただ先延ばしにしただけだったのだ。
「敗戦して、亡命政府の指揮下に一時団は入ったけれど、戦後のアタシらはあくまで狩られる立場だったわ。戦勝国が樹立した世界政府と、その仲間入りをした帝国改め共和国にゃ、アタシらは歴史的汚点、政治的汚点でしかなかったのよ。……そして、祖国自体がアタシらを専門に狩るための機関を立てた時。そして団が残した遺産の数々を世界政府の連中がいいように利用し始めた時。アタシらは世界の敵として戦い抜く事を決めたのよ」
 もうそのくらいでいい、ヘルモルト。一度に全てを語るには、長すぎる。
 ……そう、我々は本来は帝国のための騎士団だったのだ。祖国を愛し、護らぬ民や兵がいるか。だが我々が帝国を護り切れなかった時、帝国は共和国と名を変え質を変え我々を過去の汚点、害虫として駆除に乗り出した。大した裏切りだよ、一度や二度救われたぐらいでは足りなかったか。
 勝ち誇り、驕り高ぶる勝者は死ね。保身のため、仲間を売るような弱者は死ね。何が正義だ。何が絶対悪だ。私はいいさ、人間などとうにやめている。だが人である事を、人としての幸せを、帝国に捧げた者達はどうなる。護国の騎士達は……、私が騎士達は……。
「──そうだ、忠誠胸にある限り、我らは幸福ぞ。たとい夜明けに屍とならんも厭わじ──」
 それは突撃隊の楽句だっただろうか。歌って、ヘルモルトはお前の足元に片膝を立てて跪いた。

■間節 夕紅《ゆうぐれ》──der Rotspatz zwitschern.


 母さん、母さん、お元気ですか。ぼくは好き勝手絶好調でやっています。今日もまた可愛い女の子を見つけました。明るい栗色の髪がとてもいい匂いで、足はちょっと太いけどお尻もぐっと丸くて大きい子でした。とても美味しかったです。
 ああ、うん、大丈夫。母さんの言いつけはちゃんと守ってるよ。忘れたりなんかしないさ、大好きな母さんの頼みごとだもの。愛してるよ、母さん。どんなに可愛い子でも、やっぱり母さんほどの美人は見つからないんだ。特にここは極東の島国だから、綺麗な赤毛の子はそういない。
 ああ、それで、お使いの話だったね。うん、ちゃんと殺してくるよ。あの鉄と火と血の嵐を招く者を、歓喜を寄す人《ein Herr An die Freude. 》を。

「そうよ、アル。私の可愛い坊や。母さんの言いつけ、ちゃんと守るのよ」
 夕闇の奥底で、少女は独り呟いて笑った。
 その少女を表す言葉は多々あれど、まずはこう、言わねばならない。きっと十人彼女を見れば、まず最初に同じ事を言い、百人が見れば、まず間違いなく九十八人は同じ事を言うだろう。──紅い、紅い少女である、と。
 背中と肩を大胆に露出したコルセットドレス。幾重にもフリルをあしらったスカート。つば広の帽子。濃淡様々な紅の中で、一際真紅の艶を見せるのは、胸元を飾る薔薇の花。紅尽くめの衣装に合わせたように、その瞳も髪も燃えるような緋色。
 肌の白もそれらを際立たせる要素に過ぎず、もはや体の輪郭を描く線すら紅く見える。赤系の絵の具だけで描いたような少女だった。何より、纏うその空気すら周囲とは色が違う。まるで彼女だけが、一人夕暮れの斜陽に取り残され、落日の緋に染め上げられているかのようだ。
 その、ひどく偏った存在感は、少女に現実感の無い印象を与えていた。この世の者と思うには、あまりに俗世からかけ離れ、まるで芝居小屋から直接抜け出してきた俳優のようだ。映画のヒロインか、舞台の上の踊り子か、一時の夢のために着飾った、およそ〝生きている〟匂いのしない美形。
 まだ未成熟な、幼い肢体の全てを使って彼女は哄笑する。
「水星も嵐も洗礼も白鳥も、皆死んだ。老いた者は去った。次は私の番よ、このド・ミラマールがお前達を越えたという証を立てる!」
 一を十とし、九は一にして、十は無なり。かくて魔女の方程式は成就せん。
 果てしない夕闇の奥底で、紅い少女は独り呟いて笑い続けた。

■二節 悲願の犬──auf sehnlichster Wunsch von Nikolas.


「騎士という呼び名は、『誓いを立てた闘士』を意味する」
 相合傘の下で。ニコラスは人差し指をぴんと立て、すまし顔で簡単な講釈を始めた。
「騎士はまず最初に主君に対して忠誠を誓い、以後も事あるごとに誓いを立て、それらのどれを破っても、騎士は騎士ではなくなるのだ。
 だが、騎士は誓いによって制約を受ける反面、特権を……権能《ベフークニス》を得る。黒園衣奈、貴様ももはや我が君に仕える騎士の端くれ。貴様が我が君の復活という大命を放棄した時、二度と騎士を召喚することはかなわん。よくよく肝に銘じろ」
 ニコラスは以前、影法師に攫われた時と同じ、兎耳と尻尾がついた白黒縞模様のパーカーを着ていた。このパーカーはスカートではなく、赤いチェックのズボンとセットで買ったので、そこを当人は気に入ったらしい。まあ、男物は殆ど買い揃えてはおらんしな。
「分かってるわよ、ニコっぽちー。犬畜生の中でも最下級の、今にも野垂れ死にそうだった犬っころとは違うんだから」
 一方のお前は、やや暖かめに、袖口や襟に黒のファーがついた白いブラウスジャケットを選んだ。白いジャケットに黒いポケットとベルト、黒いスカートに白いフリルのコントラスト。そしてこんな雨の日にも、スカートの丈は膝より更に数センチ上にある。
「真面目に聞け! 加えて、度が過ぎた誇張と中傷ででっち上げた、言いがかり的な仇名を増やすな!」
 お前に向かってそう喚きながら、ニコラスもどこかそわそらした様子で、続く講義も上の空だった。我らと騎士を結びつける魔術体系〝神曲《プサルテリウム》〟について説明しておくのは、今後のためにも重要事なのだが……。黒園邸に置いてきたザミーの事が気になって仕方がないのだろう。
 仔猫を迎え入れてからの我が盟友の有様といえば、『愉快』の一言に尽きた。
 ミィミィと鳴く仔猫の前で、その一挙一動に奇声をあげ、背骨の存在を忘れたのかと懸念する勢いで、ぐねぐねと身悶えながら辺りを転げ回ること日永一日。寝ても覚めてもぴったりと纏わりついて、じゃらしたり食べ物をやったり撫でたりと、すっかり猫を構い通しだ。
 お前はそれを「脳みそが蕩けてる」と表現したが甘い、甘いな我が娘。
 今のニコラスの脳はシロップ漬けになって、頭蓋の中でとろとろと漾《ただよ》っておるのだ。骨は砂糖漬けに、臓腑はクリーム詰めに。心の臓はぐつぐつとジャムを煮詰める鍋のごとく滾り、全身に蜜と化した血液を送り出しておる。我が盟友の猫たわけ振りは並大抵ではないぞ。
「犬っころは犬っころよ。ご主人様が死んでもその傍から離れられなくて、そのまま飢え死にして忠犬とかなんとか言われちゃうような、超がつくほどのバカ犬なのよ。ご主人様なんて放っておいて餌を探しにいけば、そのうち別の人に拾われて、可愛がってもらえるかもしれないのに。本っ当にバカ!」
 お前の言葉に棘が混じるのを感じて、ニコラスが片眉をひそめる。だが、その胸の内にくすぶる苛立ちまでは伝わらない。
 苛立ちついでに、ニコラスの小鼻をぴんと指で弾く。すると、それが気に食わなかったのか、金色の……少女にしか見えない少年は、鼻白んだ顔でフードを深く被った。髑髏と蝶をあしらった黒い傘をくるりと回しながら、お前はニコラスの短気を笑う。
 やはりお前とて年頃の娘、仔猫の短い時期の、特に可愛い盛りに心を動かされないはずもない。が、ニコラスがずっとザミーと名づけられたその仔猫を独り占めにしているから、お前は新しく増えた家族と接する事が殆どなかった。そうして三日が過ぎ、本日日曜に至る。
 それは無為な三日間だった。
 ニコラスは食事・睡眠・風呂以外は余さず仔猫と〝神曲〟の補修にかかり切りで、お前からすれば急に冷たくされた想いだ。もしや本気で愛想を尽かされたのではないか。またもそんな不安が胸を焦がし、夜中に目を覚まして隣りにニコラスの姿がなかった時、お前は寝ぼけながら泣いた。
 それを知っているのは私だけだ。その後、夜の家を歩き回り、自らを傷つけながら血で祭文を描くニコラスを屋根裏で見つけた時、お前は何も言えずに寝床へ戻った。式を組み上げ、陣を組み立て、千々に乱れた体系を整理し、瑕疵を修復し、誤謬を正し、ひたすらにひたすらに。夜に指を刺し手首を切っても、まるで一夜の夢のように朝には何の傷も残っていない。
 だが、それでもお前はニコラスの傷を確かに見た。夜毎そうして血液を限界まで絞り取っているのか、拾ったばかりの栄養状態が悪かった頃よりも更に、日々顔色が悪くなっていくのも気がついている。彼は騎士を探して再び我が元へ導き、私を復活させるために必死なのだ。
 お前はそれを理解した時、ニコラスに手伝いを申し出た。
 騎士との戦いは、お前が生き残るための戦いでもある。そして、悠美花嬢の弔いでもある。それでも、どこかすぐには心が切り替わらぬのが人間というものだ。ニコラスの密やかな流血が、その背を一押しした。半ばまで立て直された〝神曲〟は騎士の気配を探すくらいの事は出来る。
 ある程度タガが外れているとはいえ、奴ら騎士が現世にいまだ半実半霊体のまま留まっていられるのは、〝神曲〟の楔が今だ打ち込まれているからだ。以前、マサクが狩り集めた魂魄を、魔術縁の逆転で奪い取ったように、まだ影響が残っている。
 さて、所は小雨降る観覧車《リーゼンラート》下。経営不振で潰れた(と記憶している)遊園地は、廃園となって三年が経過しているが、大観覧車やジェットコースターなどの主だったアトラクションは、取り壊す資金もないのかずっとそのままで放置され、雨風に晒されるに任せている。
 御伽噺の世界を再現した人形や装飾の数々が、今は剥がれたペンキと錆に塗れて残骸を晒す様は、虚しく侘びしい。子供の頃には価値があるように思えたガラクタが、大人になって眺めればただのゴミになっているような寂寥感。と、余人は評すのやも知れんが、この魔王にはよく分からん。
「遊園地か……。お母さんに連れて来てもらって以来だから、二年ぶりだなあ」
 雨が降っているため肌寒いが、それに拍車をかけるような湿っぽい雰囲気を払うように、お前はつとめて明るい声を出した。
「で、さ。ここに騎士の気配がするんでしょう? ニコ」
 昨夜の時点でニコラスが見つけた騎士の反応は二つ。一つは消えたり現れたりしている奇妙なもので、もう一つは動き方から、拠点を確保して都内を移動しては、人を襲っていると推測出来た。そして、その拠点と目されるのが、この地だったというわけだ。
「園内にいる、という処までは分かっている。だが、あれを見ろ」
 ニコラスは手を伸ばし、指で三箇所を示した。大観覧車の足元、取り壊されたチケット売り場とその跡地、ブルーシートをかけられた小高い何かの山。共通点は、その側に鎖が積まれたり、かけられたりしているという所だ。
「あの鎖の中だ、騎士の気配が混じっている。ここだけではない、園内のあちこちに気配が分散している」
「何でそんな事になるの?」
「マサクが大鎌を使っていたように、鎖を武器にする騎士がいるのだ。武器は騎士の魂に付随する、故に同じ気配を帯びる事になる。だから、その鎖を散らばされた園内では、奴の正確な位置が把握できんのだ。まったく誰に入れ知恵されたのか、死者ごときが小賢しい」
 どこに居るのか反応が不鮮明な一方は置いておき、位置が把握出来た方から叩く。襲われてから対処していたこれまでから、初めて攻めに転じた行動だった。ニコラスがこの地に導いた騎士は残り五体。そのうちの誰がここに居ついたのかは分からないまま、一応お前は銃で武装してきた。
 日本では満十八歳の免許取得者が銃の購入を許されるが、もちろんお前はその基準を満たしていない。だが自宅の地下には、お前の母が設置した銃器庫があり、その昔こっそり作った合鍵を用いて銃を持ち出した。シグザウエルP230とP232(シルバーモデル)。
 重量五百グラムを切る扱い安さから、河原などで射撃の練習にも使った事のある二挺だ。
 装填されたのは七.六五ミリ弾という小口径のみだが、お前の筋力や弾薬代を考えると妥当な選択と言うしかなかった。そういえば衣奈の母はよくP210を愛用していたように覚えているが、この血筋は何かシグに縁があるのだろうか。
「じゃあ、へも介をもう一度呼び出して、二手に分かれて園内を探しましょ。どっちみち本体は一匹なんだろうし」
「いや、もう一つの別の反応が、いつの間にか園内で合流している可能性もあるぞ。IVを探しにやるのは賛成だが」
「は~い~、お呼びでござ~いー」
 背後で底抜けに陽気な声が立ち上がる。いちいち勝手に出てくるな、貴様は。いや、面倒がなくていいか。お前は後ろを振り返り、改めてヘルモルトを足元から頭頂まで、じろじろと見分した。腕を組み、高圧的に問いかける。
「よーし来たわね、カマ野郎。あんた、壁抜けと再生の他に、何か出来るものある?」
 ヘルモルトはどこからともなく扇子を取り出すと、それで後ろ頭を一つ叩き、朗々と語りだした。
「えー毎度お馴染みの笑いを一席」……とか何とか、堂に入った仕草で蕎麦の食いマネを始める。
「噺家のドイツ人は初めて見るけど、他には?」
 お前の制止を受けて、ヘルモルトは長い指を折り折り数えて答えた。
「えーと酒の密造と詐欺と賄賂と空き巣と賭博のイカサマと押し売りととにかく軽犯罪その他がたくさん~。あと、逃げ足」
「分かった、もういいわよ」
 お前は胸中でヘルモルトに『戦力外』のレッテルを貼った。実際こやつは戦闘で当てにする人材ではないしな。まあ逆に言えば、戦闘以外の事ではそれなりに当てになる奴だという事だ。細かい仕事をするので私は重宝していたのだが、どうも団内では言動で不興を買っていたものだ。
「よーし、じゃあ私とニコはこのままペアで行くから。へも介、あんたは、えーと」
 お前がどう指示しようかと考えながら大観覧車を見上げた、その時だ。
 ざらりと、何かが落ちてきたような、引きずるような音がした。背筋をこすり立てるように不快で、鼓膜を引っ掻くように不愉快で、けれどもすっと腹が冷えるように不気味な音色。砂利を踏むような擦れた音と、金属的な澄んだ音が混じるそれは、鎖の環と環がこすれ合って鳴く声だ。
 大観覧車の足元、それもちょうど観覧車それ自体を挟んで反対側のあたりから、音の主はのっそりと姿を現した。
 全身を鎖で編まれた、四足の獣。一口に獣と言っても色々あるが、シンプルすぎてどの獣にも似ていない。強いて言えば、人間がそのまま四つん這いになった姿が一番近いだろう。ただし、幾重にも編み込んだ鎖の分だけ嵩が増しているのか、大きさは乗用車ほどもあった。
 鎖は全て微妙に錆びて斑模様を描いており、それがどこか返り血を連想させる。しかし、所々の鎖は解れており、それをそのまま引き摺っていた。これで動き回って、今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。もしかしたら我らに気づくまで、こやつが寝ていたのかもしれんが。
 さておき我が配下の騎士で、鎖といえば二人とおるまい。吸血鬼《ブルートザオガー》、報復せる罪の裔《すえ》、騎士団のVIII《アハト》。フェアゲルテン・トゥバルカイン。さてさて、このママっ子が、一人で小細工まで使いこんな所にいるとは……なあ。
「アベルとカインの? ……じゃ、なくて、その子孫のほうでしたねっ。トゥバルカイン」
 その通り。『カインのための復讐が七倍ならば、レメクのために七十七倍、トゥバルカインのためには七百七十七倍あれ』とな。
「こちらから探す手間が省けたな。早く騎士を呼べ」ニコラスが肘でお前の脇腹を突ついて催促した。
「え、と……騎士よ、血の進撃者よ……」
 お前が前回の長口上を思い出そうとしていると、悠々とした足取りでトゥバルカインが距離を詰め始めた。
「あんな長い口上を毎回唱える暇がある訳なかろう。来いと言えばすぐ来る!」
「それを早く言いなさいっ」
 お前の足元で火花が弾け、眼前に炎を描く。青白い鬼火を半身に絡みつかせながら、マサク・マヴディルは立ち上がった。武装親衛隊の黒衣と外套を纏い、その業を象徴するが如き巨大な鎌を担いで顕現する。お前は鎖の獣を指差し、凛とした声で命じた。
「行けっ、マサオ!」


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