久住四季特集 - 評論『人譚渾然 久住四季論』

著/蔓葉信博


   ※本論では「トリックスターズ」シリーズの小説的趣向を明らかにしています。


1.ライトノベルのミステリ

 二〇〇五年六月からはじまった物語が、二〇〇七年五月をもって一度、閉幕した。その物語、「トリックスターズ」シリーズを書いた久住四季は、多くの新人作家が現れては消えていくこの厳しい世界のなかで、果敢に新しい推理小説に取り組んでいる作家といえるだろう。約二年間で六冊。ライトノベルとしては多くはない数だが、これが推理小説の形式によるライトノベルとなると話は変わる。桜庭一樹「GOSICK」シリーズが長篇で六作、上月雨音「SHI-NO」シリーズは五作と、推理小説としての技巧も視野に入れると六作はたいへんな数字である。
 私見だが、ライトノベルで推理小説を試みることはなかなか難しい。一般的に少年少女向けの推理小説というと、江戸川乱歩「少年探偵団」シリーズや青い鳥文庫シリーズといった児童文学の枠組や、朝日ソノラマ文庫やコバルト文庫のなかの枠組で考えることができたと思う。しかし、書店に現在でならべられているライトノベルの多く、とくに少年向けの作品は、少年が強く興味を抱くところに限定して書かれている。単純にいえば、登場人物に好意的感情、いわゆる「萌え」を抱くことができるように書かれている。萌えるキャラクターが描かれ、人気絵師によるイラストがカバーを飾り、キャッチーな帯がつけられる。ネット上でも、そうした検証をおこなうファンサイトがあるので、興味のある方は検索していただきたい。
 ここでその「萌え」の歴史的変遷に深く立ち入らないが、単に「ある対象を愛でる感情」ぐらいのことでよいと思う。多くのライトノベルは、読者に登場人物の誰かにこうした感情を抱かせることで、読者の継続的購入を促進するように作られている、たとえば、すでに上げた「SHI-NO」シリーズの探偵役は、小学生でありながら犯罪者の心が見通せてしまう少女である。彼女は、人間の暗黒面を熟知しているがゆえに犯罪の構図が手に取るようにわかってしまうのだ。この美少女小学生探偵という設定だけで、ある程度のライトノベル読者層へアプローチが可能になる。もちろん対象を一般的読者にまで広げれば、読者の多くはその設定のロリコン趣味ぶりにとまどうことだろう。それはキャラクターの強調が、一般的な小説のそれとはあまりにも違うからだ。レクター博士でもあるまいに猟奇犯罪の真相を見抜く小学生探偵など非現実的にもほどがあるが、そうした非現実的発想こそが萌える恰好の触媒になっている。知的で社会経験もある女子高生が探偵役だからといって、ライトノベルでは萌えを起こすことはなかなか難しいだろう。それはライトノベル読者の多くにとって常識的でつまらない範疇のことでしかないのだ。

2.キャラクター

 大塚英志は『キャラクター小説の作り方』で、類型的な記号の組み合わせによってキャラクターが作られるとしている。ただ、大塚英志はどのような組み合わせの法則が魅力的なキャラクターとなるか、明解な答えを提示しない。それは読者の前に投げ出されてしまう。本論の文脈でいえばキャラクターの魅力とは「萌え」の発生源となる何かしらの魅力とでも言いかえられるだろう。では、その発生源とは何なのだろうか。
 まず、ライトノベル市場に目を向けてみよう。ライトノベルファンは他の作品にはない何かを見つけたからこそ、特定のシリーズを買い続ける。これは一般的な推理小説でも同様のことが起こるだろう。しかし、ライトノベルのひとつである谷川流「涼宮ハルヒ」シリーズは、ストーリーとは離れたキャラクター商品だけでもビジネスが成立している。そのことから、ライトノベル市場と既存の小説市場とにはどこか違いがあることは明白だろう。キャラクターのファンは、必ずしも物語を必要としているわけではない。そうしたファンの何人かはきっと物語はキャラクターを引き立たせる背景であればいいと思っているだろうし、ファンが望まないストーリー展開となれば、それは反発を招くだろう。
 キャラクター商品を支える「萌え」の方程式などおそらくない。キャラクターの何らかの魅力が萌えにつながるということはいえるにしても、その魅力とは何なのか簡単にわかるものではない。だから、作家は様々なパターンでキャラクターを市場に投入する。そこで埋没しないためには、個性的かどうかはともかく、アンバランスなキャラクター設定にすることで、他のキャラクターとの差別化を図る。「SHI-NO」だけではなく、「GOSICK」では、異国の学園に幽閉された少女が名探偵役として謎を解き明かすという非現実的設定が採用されている。もちろん、イラストでの差別化、独特な台詞回し、事件に対する感情の起伏なども重要になるだろう。
 このようにライトノベルではキャラクターが重要視される一方で、推理小説とは基本的に形式化によって成り立っている。形式化とは「謎と論理的解明」という構図と「犯人─被害者─探偵」の三肢構造に言いかえられるだろう。その形式が本格推理としての基準を満たし、さらに推理小説としての新しさがなくてはならない。新しい密室殺人の方法、斬新な見立て殺人の真相、ひとひねりされた暗号など、推理小説作家はどこかでそうした工夫を求められる。極端な話、登場人物はその形式のための駒にすぎないのだ。もちろん一概にそのような推理小説ばかりが出版されているわけではなく、事件や謎がキャラクターを引き立たせるためのものである場合もある。それにしたところで、事件も起きず、謎もない推理小説は存在しない。キャラクターよりも事件に比重を置くということは、一応推理小説の大前提なのである。
 ならば、ライトノベルのベクトルと推理小説のベクトルとが逆方向を向いていることは明白だろう。この二つのベクトルの統合はそう簡単にできるものではない。その数少ない成功事例といえば、シャーロック・ホームズをおいてほかにあるまい。もちろん強烈なキャラクター像といえば、エルキュール・ポアロ、明智小五郎、御手洗潔などいるが、キャラクターだけで商売が成り立っているのはホームズぐらいではなかろうか。
 少々、前置きが長くなったが、それには理由がある。というのも、このライトノベルと推理小説とのベクトルの統合という難題にまったく違うアプローチを試みた小説が「トリックスターズ」シリーズだったということをこれから論じるからである。

3.トリックスターズ

 第一作目『トリックスターズ』は、とある学園で予告された殺人事件から始まる推理小説だ。物語がはじまってすぐにミステリではお馴染みの「挑戦状」が挿入される。そこでは、なかなか時代がかった口調で『トリックスターズ』に施された七つのトリックの存在が示唆される。七番目のトリックをここで明かしてしまうが、それはまたもミステリではお馴染みの男女トリックだった。推理小説では食傷気味のこの仕掛けだが、それをライトノベルで試みることは大胆というしかない。なぜなら、主人公をはじめとした主要人物に好感を抱かせるよう読者を誘導することこそ、ライトノベルの常道だからだ。斜に構えた青年、周と彼に友情を超えた思いを抱く女子大生の凛々子という構図を想像していた読者は、の仕掛けに正直驚いたに違いない。読者が萌えていたシチュエーションが、まったく違ったものに変貌するからだ。キャラクター小説としては明らかに外しているはずなのだが、奇妙なことにそれがキャラクターの個性のように思えてくるところが『トリックスターズ』の不思議なところだ。その読者の読みを外す手法はまだまだ続く。
 二作目『トリックスターズL』では、周が女性であるという一作目での事実を伏せたまま、最後まで物語が語られていく。正直、この趣向には唖然とした。作者は何を狙っているというのか。作中では混浴の温泉に入る場面があるのだが、そこで語り手は女性といっしょに湯船に浸かることになってしまいあわてふためくことになる。もし仮に、一作目を読まずに『トリックスターズL』を読んだとしたら、この温泉の出来事は男女間の珍事として読まれるはずだ。だが、事実はそうではない。なんと小粋な仕掛けだろうか。
 三作目では、周と凛々子との距離が大胆なほど急接近する。その構図がどういう事態を指すのか考えてほしい。これにももちろんある奸計がほどこされているわけだが、それは別のところで論じたのでここでは省いておこう。四作目は飛ばして、五作目『トリックスターズC PART1』『同 PART2』では、ふたりの構図の変奏が提示される。ここで行われてきた悪戯的な仕掛けは、その中心にある女性、天乃原周の不思議さを演出する装置になる。幼いときにとある事件に巻き込まれ心に傷を負った彼女が、師と仰ぐ魔術師の厳しい指導で、成長していく教養小説の体裁を取っている。だが、『トリスタC』での結論は、予想外のものだった。成長の結果、魔術師という存在の謎を探求するために猟奇的な犯罪者と行動を共にするというその結論から、我々は何を読みとればよいのだろう。

4.キャラクター小説の戦略

 久住四季の最新作『ミステリクロノ』は、時を操る道具を持った不思議な少女と高校生とが巻き込まれる事件をつづったSFミステリである。SF的な操作で変わってしまった時間を主軸にした作品といえば、高畑京一郎『タイムリープ』、乾くるみ『リピート』、田代裕彦『シナオシ』などが思い浮かぶが、時間を自由に操作できるという設定のため、『ミステリクロノ』はそれらの作品とは違った展開を持つことになる。どちらかといえば、西澤保彦の一連の作品、とくに『人格転移の殺人』に近いだろうか。ライトノベルではうえお久光「悪魔のミカタ」シリーズに、漫画では荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」に似ていると思う方もいるだろう。それらの作品に通底しているのは、あるボタンを押せば、機械的にある変化が起こるという機械論的発想だ。機械仕掛けの結果を推理するという趣向は推理小説にお馴染みのものだ。エラリー・クイーン『エジプト十字架の謎』、有栖川有栖『双頭の悪魔』など、あたかも複雑なクロスワードパズルが苦もなく埋められていくように真相を解明するその手際に驚嘆したものだ。こうした推理小説のパズル的要素が『ミステリクロノ』の魅力のひとつである。
 しばしば人の口の端に上がることだが、完全犯罪を考えつくほど天才がなぜ犯罪を計画しなくてはならない状況に陥ったのか。この矛盾を避けるため、作家は動機や人間関係などに工夫を盛り込む。『ミステリクロノ』では、設定された謎が「トリックスターズ」シリーズよりも日常的な規模に落ち着いているため、小粒な印象を与えるものだが、状況設定は格段に説得力を持つようになった。犯罪が起こった状況を考えることで、犯人の動機があぶり出されるという二段階構造にすることで、推理小説としての奥行きを獲得している。そして、犯人の冷たいその決意に読者は慄然としたことだろう。あとがきでミステリが人間だという久住四季の真意はそのあたりにあるのではなかろうか。
 しかし、こうした指摘はミステリ側の評価軸によるものに過ぎない。キャラクター小説としては、冷然とした犯人よりも、天使と名のる謎めいた天然少女や、街の情報に精通した黒髪の少女のほうがひょっとすると読者に人気があるのかも知れない。「トリックスターズ」シリーズでは、やはりボケとツッコミがちゃんと成立している語り手と探偵役の関係か、微妙な友情関係が端から見て楽しい周と凛々子のやりとりか、それとも個性あるサブキャラクターたちか。こうしたキャラクターにおける配役の工夫は、推理小説でいえば、探偵役と容疑者や犯人役などになぞらえることができるだろう。その役柄ごとの見せ場によって、キャラクターが魅力的かそうでないか分かれることになる。しかし推理小説の技巧が先鋭化し、探偵役が犯人になり、全員が探偵役になり、容疑者が全員天才となる例外的作品が、参照すべき先行作品と見なされている。結果として、前提そのものが大きく変容してしまった現在の推理小説シーンでは、役柄の設定とキャラクターの演出力とのバランスが非常に難しくなっている。島田荘司の御手洗シリーズの変遷や京極夏彦の妖怪小説のの変容あたりがこのような仮説の傍証といえるだろう。
 「トリックスターズ」シリーズでは、そうした前提の変化を絡め手で利用し、周のニヒルな性格と実は美少女という設定を生み出した。それこそが「トリックスターズ」の最大の魅力といっていいだろう。だからこそ、周は不可能犯罪ではなく「トリックスターズ」を支える魔学という設定の謎を追うことになったのだ。それはキャラクター設定としての必然に違いない。おそらくこうしたキャラクター設定の視点は、推理小説の様式美を評価軸とする見方ではくみ取りにくい事例だろう。犯罪者の側にまわった周がどのような事件を起こすのか、それはわからない。多くの探偵役が実は犯罪者に近しい存在であるように、彼女が遭遇する事件もまた自身の境遇と相照らし合うものになることは想像しやすい。森博嗣の「S&M」シリーズをはじめとした一連の作品群が、犀川を中心とした一大長篇として読むことが可能なように、「トリックスターズ」シリーズも周を中心とした一大長篇として期待することができるだろう。
 だが、そもそもキャラクター設定を二転三転させ過剰に演出することで成立させてきた「トリックスターズ」シリーズは、その方法自体が限界のところまで行き着いたかもしれない。大げさな話をすると、推理小説がその推理性を極限まで高めた時、アンチミステリと化すように、「トリックスターズ」シリーズは、アンチキャラクター小説としての一歩を踏み出したとでもいいたくなる。大げさついでに考えてみれば、斬新な叙述方法が評判につながった道尾秀介『向日葵の咲かない夏』や、暗黒青春小説とでもいうべき米澤穂信『ボトルネック』も同じようにアンチキャラクター小説の可能性を見いだすことも不可能ではないだろう。それらの小説は物語形式自体がキャラクターの個性と二重写しとなるように書かれていた。人が物語をかたどり、物語が個性を照らしだし、結果として人と物語とが渾然一体となったかのような不思議な読後感を読者にもたらすものだった。
 過剰な仮説はともかく、こうした実験的な作品が毎回続けられるとは思えない。小説としての緊張を弛緩させてまでもシリーズを続けるよりは、物語を一度閉幕し、新しいスタイルを選ぶほうが戦略的に好ましいはずだ。だからこそ「ミステリクロノ」シリーズでは、「トリックスターズ」シリーズで築き上げた方向とは、違うスタイルを採用したのだろう。第一作では舞台の設定は整った。自身が持つ「怪物」という可能性に気付いてしまった探偵役の思惑がキャラクター小説としての軸になるだろう。「ジョジョ」のような時間を操る道具を使った知能戦のなかで、どのように魅力的なキャラクター像を描くことができるか。推理が探偵を際だたせるように、知能戦がキャラクターを際だたせるその手際に期待したいと思う。

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