『月夜と戯言』

『月夜と戯言』

著/クサカベアヤ

原稿用紙換算15枚


 思いついたように点滅する街灯。車一台が通るのがやっとの道路。道の両側には高い石垣。
 石垣の向こうは家族団欒。
 見上げれば、濁った空に見え隠れする月。
 その景色の中を歩く僕。小脇には借りてきたDVD。アクション物。男一人で恋愛物はさすがに辛く、ホラー物は笑われるかもしれないが、苦手なのだ。寂しい夜を盛り上げようとする、この魂胆。

 君に会わなくてよかった、と思う。

 ついでに言うと、今少しばかり酔っている。本屋のバイトが終わってから、バイト仲間と飲んだ。小さな居酒屋だったのだが、そこの食べ物が想像を超えた不味さだった。だから、仕方なく一品だけ食べた後は食べずに飲んだ。二人ともほぼ空腹の状態。もちろん、酔った。これでも酒には負けないつもりでいたのだけれど。そこで大分騒いだらしい。そして、泣いたらしい。偶然その場に居合わせた別の友人から後になって聞いた。
「正社員が何だってんだ。偉そうにしやがって」
「そうそう、どれだけ仕事が出来るか知らないけど。俺たち、女関係は手前よりしっかりしてるっつうの」
「よく言った。そういや、この間愛人が来ていたんだって」
「え、職場に来ていたのかよ。確か奴の家って近いよな。奥さんとか来てたらどうすんだ」
「見せつけたいとかじゃねえの。愛人結構美人だって話」
「どこが! 香水臭いし」
 と、そのような会話を延々としていたらしい。このような会話をしていたのか、と思うと自分自身のことながらぞっとする。多分、三時間くらいいたはずだ。
 そして、居酒屋の飲み物のメニューをあらかた頼みつくし、きっちりワリカンにして外に出た。その辺りはしっかりしていた、というのも情けない。

 本当に君に会わなくてよかった、と思う。

 そのバイト仲間とは帰る方向が違うので、駅前で手を振って別れた。そして、一人になった僕は人気の少ない高架下を歩いて帰った。歩くリズムに合わせ、だんだん酔いがまわってくる。ふっと気を抜いたとたん、道路横の溝に足を突っ込んだ。勢いで金網に肩を思い切り打ちつける。

 どう見ても酔っ払いの足取りで、ビデオショップに入る。お目当ての新作は全て貸し出し中。仕方なく、アクションコーナーに向かう。普段からよく来ているので、たとえ酔っていてもちゃんと向かうことができる。見渡すと、客は僕を含めて多く見積もっても十人ほど。あちこちに散らばっているため、今僕の周りには誰もいない。ビデオショップの店員も欠伸をかみ殺しているくらいだ。必要以上に周囲を警戒する僕。勘の鋭い君なら気がついたかもしれない。
 そう、吐きそうだったのだ。
 陳列棚のDVDジャケットに書かれている細かい文字を見るだけで、目がまわる。お目当てのDVDを探すふりをして、しゃがみ込む。コーナーの隅。上手く吐けば案外ばれずにすむんじゃないか。そう思って口を開けた。
「いやだ、タモツくんったら」
 たぶん、背後の陳列棚の向こう。若い、どこか可愛らしさを意識した女の声。慌てて口を閉じる僕。吐き気もいったん引っ込んだ。急いでそばにあったDVDをわし掴みにして、カウンターへ足早に向かった。相変わらず眠そうな店員に金を押し付け、店を出る。ケースを開けてみると、シリーズものの二作目と四作目。よほど慌てていたらしい。

 君にあの夜、会わなくてよかったと思う。

 そして、最初に話した人気の少ない夜道。さっきよりも足取りが重くなっている。時折、猫の鳴き声。そんな中、足音だけがやたらと響く。ジーンズのポケットに突っ込んだ携帯電話は、今日は一日何の音も発することなく黙っている。酔った頭でも、携帯の存在は何故か意識してしまう。

 正直に言うと、とても寂しかったのだ。なら、電話すればいいと君は思うかもしれない。しかし、電話をしたところで君と上手く話せるかどうか。酔った頭でも分かる。ならメールは、とも思うだろう。きっと、とりとめもない文章になっていたに違いない。

 携帯が鳴らなくて本当によかった、と妙に安心しながら家へ向かう。家、といっても君も知っている通りの古いアパートなのだが。そのアパートのそばに小さな公園がある。家に入る前に少し落ち着こう、とその公園に足を踏み入れた。本当に小さな公園で、ブランコと砂場しかない。僕の住んでいるアパートも含め、その公園を住宅がぐるりと囲んでいる。なるべく家族団欒の雰囲気を壊さないように、そっと行動する。隅にある水道の蛇口をひねり、水を飲む。そして、住宅の窓の死角になるようなところにしゃがみ込み、そっと吐いた。ちょっと衣服に跳ねたかもしれない。もしかしたら、次の日の昼あたりに元気ハツラツな子供がこの付近に近づくかもしれない。でも、その時はできた大人がしっかり教えてくれるだろう。そう自分に言い聞かせながら、限界まで吐いた。そのような時でも、携帯電話は意識していた。

 本当に、あの夜は君に会わなくてよかったと思う。

 吐けるものを全て吐き出し、大分落ち着いたところでアパートへ再び向かった。階段をそっと昇り、自分の部屋の前にやっと到着。財布の中から鍵を取り出す。すると、同じ鍵が二つ。そう、君に合鍵を返された後そのままにしていた。何の飾りもない二つの鍵をまじまじと見つめる。

「これ返しておくね」
 久しぶりのデートでいきなり別れをきり出した君は、そっと合鍵を僕に渡してきた。
「あ、うん。合鍵か」
 ショックから抜け出せずにいた僕は、もう返事すらままならなかった。君は情けないと思うだろうけれど。合鍵を受け取り、無言になる二人。頼んだアイスコーヒーのグラスには水滴がびっしりとついている。そのグラスに手を伸ばす気にもなれなかった。頭の中では、今までの行動を振り返っていた。僕が悪いのだろうか。いや、悪いのだろう。そうやって自分自身を責めていたら、君がおもむろに席を立った。
「そろそろ、出るから。これ、お金。置いていくね」
 きっちり自分の分だけのお金。そういや君はフリーターの自分に気を遣ってか、お金はきっちりワリカンにしていた。デートの場所も近くの映画館か喫茶店。最近は僕の家のことが多かった。
 そうやって思い出にふけっていると、喫茶店のドアが開く音がした。君は振り返りもせずに雑踏の中へ消えていった。

 アパートの扉の前でどのくらいぼんやりしていただろう。さかりのついた猫の鳴き声で我に返った。慌てて鍵を開け、部屋に入る。昼間の熱気がこもったままの部屋。電気をつけ、窓を開けて布団に寝転がる。ポケットから携帯電話を出す。何気なく着信履歴を見る。最後の着信は昨日の昼間。

「久しぶりだね」
 外にいるのだろうか。雑踏に紛れることなく、君の声が電話越しに聞き取れた。君と別れて二日後。バイトがたまたま休みだった土曜日。予定もなく家でぼんやりしていた所に電話がかかってきた。
「あ、どうも」
 会ってないのは二日間だけだったはずなのに、とても懐かしい気がする。なぜかよそよそしい返事になってしまった。
「どうも、って何よ。今日は休みなんだ」
「そう。デート?」
「そう。いい天気だよ」
 窓の外を見ると、確かに雲ひとつない空。
「本当だ」
「うん。そういえば、彼女出来た?」
「で、出来るかよ。一日二日で」
「ふうん、早くいい彼女見つけなよ」
 まるで失恋を慰める友人のようだ。一昨日まで「いい彼女」だったはずの君はいともあっさりと話を続ける。
「あと、早くフリーター卒業ね。きっと環境も変われば、いいことが起きるかもよ」
「占い師か」
「まあまあ。ユウスケのことを思って言っているんだから」
 君に名前で呼ばれるのも変な気分だ。
「本当かよ、ってこんなに長く話していて大丈夫か」
「あ、そうか。もうすぐ待ち合わせ時間なんだわ。それじゃあ、切るね」
「おう、じゃあな」
「またメールでもするから」
 するなよ。別れた男に。でも、そのどこか大らかというか無頓着な性格に惚れたわけだし、助けられているのだけれど。何事もなかったかのような切れ方に、また僕はぼんやりとしてしまった。

 テレビでは借りてきたDVDの映像。いきなり二作目なので、さっぱりわけがわからない。テレビに背を向け、携帯電話の着信履歴を見つめる僕。
 こんな姿は君に見られたくない。君に会わなくてよかった、と思う。
 でも。
 頭の中を巡っている、この何とも言えない感情。今なら君に言えるんじゃないかと思う。

 曖昧な月の出ている夜に、君へ。

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