『龍愛づる姫君』 (10)
10 変容
姿・形を変えること。姿・形が変わること。
宇暁様
川べりのさくらも咲いていますか。
両親が離婚して、わたしは、大古屋遍になりました。今まで、そう呼ばれたことはなかったので、妙な気分です。父とは、ずっと会っていません。あまり、考えないようにしています。母は仕事をがんばっています。利子おばさんはどこか悪いところが見つかって手術するそうなので、いとこはしばらく出歩けないと思います。二人はいつもいっしょなので。
そちらを思い出します。そちらがどうなっているか、何かあるような気がして、何だかとても気になります。
図書館で、こんな歌を見つけました。
真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり 子規
大古屋遍 拝
大古屋遍様
龍の力は衰えつつあります。急速に遠のいていく龍の気配を、この世から見送っている感があります。かつて在ったものは失われ、もはや記憶の中だけで存在感を発揮しています。
ぶなの森に上りました。ところどころが墓標のごとくに真っ黒に立ち枯れていました。山頂の湖に、豊かに水はたたえられていましたが、何かが違っていました。
都市からか、それとも高速道路からか、酸性雨が山奥にも届いたのやもしれません。数百年、千年、この土地に生え育った樹が変わり、この土地は千年ぶり、二千年ぶりの変化の下にあります。
森は水をたくわえ、水は森を育てる。
今、梅雨で増水した沢は、至るところで太い滝を作って、ドオーン、ドォーン、と鼓動しています。森に変化が起きても、しかしまだ、豊かな水はあります。
夏の気配の中で
宇暁
宇暁様
いろいろ考えたのですが、今年の夏は、そちらに行きません。わたしは、いとこに近づく可能性のあることを避けておきます。大事な時に情けないですけど。こちらでもまた考えたり、調べたりしました。護身用に、合気道を習おうとしましたが、人と組んで練習することができなくて。手首を掴まれ、人の体温を感じたのがだめでした。二日でやめました。
大古屋遍
大古屋遍様
新しい御札を同封します。古い御札を送り返してください。
どうぞお大事に。
秋の川南より
宇暁
宇暁様
御札を送ります。
何か変わったことがあったら、教えてください。わたしにはどうしようもない事だろうけど、とても気になります。
大古屋遍
大古屋遍様
あなたが去年一年身につけていた護符に、龍の精気は溜まっていませんでした。堂主は、龍があなたに一夜をもてなされ、その饗応の後、ついに二千二百年間いたこの川を離れ、地中に潜ったと考えています。堂としては、この三百年の間に充分な精気を集められました。
さて、川の上流である美十狛で、古墳の発掘が始まりました。龍王堂は、美十狛を町に売りました。町が費用を出し、古墳を掘り返しています。現場に、頻繁にあなたのいとこが来ています。
露頭を閉じ、美十狛を売るのは師の決定ですから、私は異議を挟む立場にありません。それでも、破門を覚悟で師と対話しました。師には、私よりもっと大局が見えている。私は、この一つ所の森と山を愛しすぎている。
大きな動きが、四端の仲間たちの間で起こりつつあります。我々の流派は、龍、麟、鳳、亀の四端に分かれて、この千二百年間行動してきましたが、今や各地に十数人の精鋭を残すのみとなっています。千二百年前に立てられた目標も、今では時代にそぐわなくなりました。しかしその代わり、もっとよいことのために、四端の力を使う。その時が準備されつつあります。私は師の決定を支持します。
宇暁
宇暁様
美十狛を掘り返すだなんて……!
……もしかして、わたしが勝手に御札を捨てて龍を呼んだので、龍王堂は、こうすることに決めたのですか。それならこれは、わたし自身の行動が招いた結果だということ?
古墳は、副葬品はあまりたくさんは出てきていないようですね。本当に発掘する意味はあったの? 新聞を気をつけて見ているけれど、一回ニュースになったきりでした。
ところで、いとこが、バイクで転んで大怪我をしたそうです。深夜に単独の自損事故です。ずいぶん怖い思いをしたらしく、人が変わったようになったとか。そんなことって、ありえるんでしょうか。本当にいとこが安全な人間になったのなら、緑椀へ行ってもだいじょうぶかな。
大古屋遍
大古屋遍様
あなたのいとこの事故の話は、こちらでも評判です。たしかに、ひどく人が変わったということです。それまで、未成年なのに道路で泥酔しているのを補導されたり、それを叔父さんが記録に残らないよう揉み消したり、と行状はかんばしくありませんでした。しかし、一夜にして死の淵を見て改心した、ということです。田舎では、よい噂はなかなか立たないものですが。
あのいとこが、発掘品を自分の物にしようとしたことを聞きました。翡翠の勾玉を、深夜に保存現場から盗み出し、そこで例の自損事故を起こしたのですが、勾玉は傷一つなく、無事に検証室に戻りました。
村人はむろん、古墳を暴いた祟りだ、とも囁き合っています。
そんな発掘ももうすぐ、終わるでしょう。
上流で土が露出されているので、川の水は濁っています。
半月の夜に
宇暁
宇暁様
ビルの間に、ぼんやりにじんだ月が出ています。この月を、宇暁さんも見ているでしょうか。
こどものとき、夏休みは、もっと長かった気がします。
今、わたしはあっというまに、元の都会の生活に戻ってきてしまいました。
御山で、最後の護符を手渡しで返して、そしてもう、新しい護符は準備されていなくて。今年の御札を、もらわなくて。
龍がいないのなら、御札はもう必要ない。
いつも御札を提げていたところに、今、何もない。
最後の護符を返した、夏休みの最後のあの日。いろいろ話そうと思っていたのに、宇暁さんに会うと、頭が真っ白になって、話そうと思ったことを全部忘れてしまいました。黙ってばかりいて、すみませんでした。ちょっと緊張してしまっていました。
いろいろ話してもらったことも、あまり頭に入らなくて、たいした返事が出来なくて、すみませんでした。その時、うまく言えませんでしたが、神は命をはぐくむけれど神は命を理解しない、という、そういうことを言いたかったです。宇暁さんは、龍がいなくなった理由として、人心も龍から離れた、とおっしゃいましたね。でも、龍から心が離れたのは、わたしかもしれません。
正直に書きます。わたしは、一つの考えで頭がいっぱいでした。あなたの手を握りたいと思っていました。
久しぶりに会って、開口一番、「すばらしく、きれいになられた」と言われましたね。ああいう言われ方は、腹が立ちます。
向かい合って水を飲んだとき、おいしいのかおいしくないのか、味はまるでわかりませんでした。わかるふりもできなかったので、ばかだと思われたでしょうね。
いっしょに山を降りて、送ってくれた道。もっと長いといいのにと思いました。あなたの手を握りたいと思いました。
大古屋遍
龍の姫
大古屋遍様
私も正直に書きます。もしあなたに触れられていたとしたら、きっと私には、大きな出来事でした。今、それが起こらなかったのは、幸いであると思います。
私は、醜い獣の尾をひきずった中年の男です。もろもろの自分に都合のいい願望と、意のままにならない肉の身体をひきずって山の上をめざす、この年にしていまだ修行中の身です。きれいごとの目標に、生身の身体をひきずって行かざるを得ない身です。こんな私はあなたの期待に、もしあなたが何かを私に期待しているとして、それには応えられそうにない。
私はあなたに比べて、残り時間が少ない。それは、対等ではないことです。あなたは若く、私はあなたが思うほどおとなでもない。そして私は、あなたを龍の姫として理解している。
人の心のことは、一時の気の迷いで、数年後、十年後には、消えてなくなってしまうものかもしれません。私はそれよりも確かなことのために生きたいと願っています。
けれど今宵の月は、漆黒の雲に隠れてはまた現れ、冴え冴えと澄み切っています。あなたももしこの月を見ているならば、あなたと今の時間を分かち合える。今宵の月はきれいです。あまりに澄みすぎて、目が痛くなる。
二伸
龍王堂主が永眠しました。私が龍王堂を継ぐことになりました。
美十狛に工場の建設が始まりました。全国のほかの古墳と比べて新しい知見がなかったので、潰されます。
龍王堂主 宇暁
読み終えましたら、web拍手をお願いします。壁紙をプレゼントさせていただいております。

