『龍愛づる姫君』 (4)

前章へ← / →次章へ

4 書簡

てがみ。書状。文字を書くこと。筆跡。


龍王堂様
 おふだをいつも持っていると、からかわれます。このおふだ、飲んでしまってもいいですか。

吉谷遍


吉谷遍様
 絶対に、飲んではいけません。また、必ず持っていてください。
 この夏は、いらっしゃらないそうですね。おばあさんから聞きました。新しい御札を同封します。家の人にお願いして、古い御札を元の布でよくくるみ、書留で送り返すようにしてください。よろしくお願いします。このところは、いかがお過ごしですか。

宇暁


宇暁様
 残念だけど、今年の夏は、祖父母の家へ、遊びに行けませんでした。母が行きたがらなくて、母を一人で家に残してはいけないので。母はまだ薬をずっと飲んでいます。そのかわり、畑の合間をみて祖母がうちへ来てくれました。盆地に行って、龍の剣を探したかったんだけど。龍の剣の物語を聞きました。祖先が緑椀盆地の龍の尾を割いて、そこから剣を取り出したんだって? でも今は、その剣が、どこにあるのかわからなくなってしまっているらしいです。その剣があったら、おふだがなくても、龍と戦えるんじゃないかと思うんだけど。
 古いおふだ、同封します。
 新しいおふだは、残念だけど、首にかけて、持っていることにします。
 二学期が始まって、わたしは、いじめにあっています。何か、クラスの皆の気にさわることを、してしまったみたいです。わたしには、原因がわかりません。だから、自分が悪いといわれても、自分を、直しようがありません。
 父は、単身赴任で、遠くに行ってしまいました。学校から帰ると、まっくらです。わたしが電気をつけて、ごはんを作ります。まだ、うまくできません。祖母が作ってくれた、いんげんのごまあえを作ったら、ぐちゃぐちゃになって、ぜんぜん違うものになりました。
 盆地がなつかしいです。今はどんなふうなんだろう。さようなら

吉谷遍


吉谷遍様
 お体にお気をつけて。気をお強くお持ちください。
 こちらは、秋が深まりつつあります。堂の裏手を登っていくと、深い山に入ります。川は、山のあちこちを流れています。岩の隙間で、落ち葉の間で、湧き出し、流れ落ち、苔を湿しています。水の中の苔も紅葉するのですよ。
 水にはいろいろなものが溶けています。空の色、土の色、落ち葉。
 森を分け入り、ぶなの群落の中で、瞑想します。ぶなの、色とりどりの葉が散り敷いた上に座ると、美しさのあまり、シンとした不思議なきもちになります。
 瞑想したまま夜になり、遠く祭囃子を聞きました。村では祭をしていました。
 お元気で。
 追伸 盆地で龍の剣を探したかったということですが、古代に龍の尾から出た剣は持ち去られて、盆地内にはありません。龍のために剣を探すのはおやめなさい。

宇暁


宇暁様
 お返事、ありがとうございました。
 てっきり龍の剣は、黄金といっしょに、盆地内のどこかに埋められていると思っていました。うちの先祖が、龍から剣を盗ったんでしょう? 黄金も。だからうちは昔、すごいお金持ちだったんでしょ?
 話変わって学校のこと。みんな、ふしぎです。少し前までは、友だちだと思っていたし、わたしのことを、好きだという男の子もいました。それなのに、みんな、手のひらを返したみたいに、そろって、わたしのことを、きもち悪い、といいます。わたしにはわかりません。
 龍を呼んだら、みんなに仕返しできてしまうんだろうな、と思います。でも、おふだは、約束どおり、持っています。一日が、長く感じます。
 こんな話、されても困るかもしれないけど、宇暁さんは、死にたいと思ったことがありますか? わたしは、死にたくはないけど、別の場所に行きたいと思います。山の中とか。雲の上とか。
 さようなら

吉谷遍


吉谷遍様
 どうぞお気を強くお持ちください。
 誘惑は一時のものであり、その一時の感情に従ってはなりません。
 私は妻と子を、交通事故で亡くしています。それは、事故だったのか、妻の自殺だったのか、今でもわかりません。私は自分も死にたいと思い、死ぬかわりに、山門を叩きました。
 今、山の上では、初雪がさらさら積もっています。山の奥の、人の入らない所は、とても高くて寒いです。風が、息ができないぐらい強く吹いています。そこに立つと、人間はちっぽけだと感じます。それでも、山を降りて飲んだ水は、美味かった。
 お元気で

宇暁


宇暁様
 心配かけて、すみません。
 学校は、ちょっとは、だいじょうぶになりました。わたしといっしょにいてくれる子たちが、できました。きっと、なかまわれなんだろうけど。その子たちといっしょに、教室移動したり、おひるを食べたり、体育で組みます。
 おくさんと、お子さんのこと、胸が痛いです。
 前はよく見たのに、龍の夢を、最近、まるで見なくなっています。これがこのパワーアップした御札の力?
 龍の剣のこと、まだ探しています。だいぶ調べました。実はわたしが住んでいる町にありますね。熱田神宮の剣がそれですか。でも、もしそれがそうでも、とうてい盗れなさそう。熱田神宮の草薙剣は、七世紀に一度、盗まれたことがあるんですね。犯人が逃げる途中で掴まって、無事に戻されたんだって。盗まれた時に使われた門は、今開かずの門にしているって。いったいどうやって盗んだんだろう。本当にちゃんと戻されたのかな。
 さようなら

吉谷遍


吉谷遍様
 つくつくぼうしが鳴くと、夏は終わりに近づきます。その声さえ聞こえなくなると、本当に夏が終わります。新しい御札を送ります。古い御札を送り返してください。
 追伸 名古屋の熱田神宮から盗まれた剣は、ヤマタノオロチの尾から出た天叢雲剣、またの名を草薙剣ですね。

宇暁


宇暁様
 御札、受け取りました。古い御札を同封します。
 わたしは、中学で、部活に入りました。友だちになった子に、すすめられたので、入りました。合唱部です。練習がけっこう厳しくて、合宿もあります。母は、資格をとる勉強を始めていて、二人とも忙しいです。祖父母は、さみしくなった、と嘆いています。でも、友情がかかっていますので。
 盆地がどんなようすか、想像しています。行かないけれど、緑椀盆地を思っています。
 もしかして宇暁さんは、緑椀の龍の剣がどこにあるか、答を知っている?

吉谷遍


吉谷遍様
 今朝の緑椀は、しっとりした霧に包まれています。今、朝の四時です。朝日が射すと、とたんに霧は晴れてしまいます。盆地に住んではいても、この霧を見ている人間は、多くないでしょう。
 山の奥から、そろそろ紅葉が始まっています。山中に、人に知られていない湖があり、その存在をうまく隠す尾根の間で、神秘的なさざなみを立てていました。この風が吹くと秋です。湖はぶなの森に囲まれていて、ところどころに突き立った倒木が、不思議な形の影を落としています。私は、そこに何かを読み解けそうに思うのですが、なかなか、神秘は明らかにされません。この湖も、川の源泉の一つです。
 また一年が過ぎました。新しい御札を送ります。古い御札を送り返してください。
 追伸 お尋ねの、持ち去られた剣は、どこかで、国の柱として埋められているでしょう。埋められたものは、時代によって、埋め直されることもあります。

宇暁


宇暁様
 御札、これで四枚目かな? 同封します。
 私が十四歳ということは、弟が死んで三年になります。世間ではいろいろと行事があるらしいこと、けれどこの三年間、母が一度も墓参りに行っていないことに、ようやく気がつきました。お墓に行くと、あの子が死んでしまったことを認めるようで、いやなのかもしれません。
 忘れるには、どれぐらい時間がかかるでしょう?
 いつまでも、忘れちゃいけないのかな?
 この前、外で、気分が悪くなって、しゃがみこんで動けなくなりました。通りかかったおばさんが、日陰のベンチに運んでくれました。聞きたくないかもしれないけど、じつは、生理一日目でした。本当に、死ぬかと思うくらい痛かった。どうして、痛いこととか、苦しいこととか、死ぬこととか、あるんだろう? と思いました。行彦が、自分を思い出してよって言ったのかな。あの子が生きていたら、幼稚園なんだと気づきました。
 痛いことといえば、わたしのいとこのお母さんが、いとこの目の前で、自分の手首を切ったそうです。大事には至らなかったようです。一年たって、ようやく、そういうことがあったそうだ、という話が伝わってきました。二人とも、あの夏に会ったきりで、よく知らないんだけど、気になります。いとことしょっちゅう会っている子も、世間にはいるみたいだけど。同い年のいとこの男の子は、どんなきもちだったろう? 叔母さんは、どうしてそんなことをしたんだろう? 人間が謎です。
 あいかわらず、部活の毎日です。予選通過してしまったので、大会に向けて、練習は、秋になっても、まだまだ続きます。
 緑椀は、どうなっていますか。今も、とってもきれいなんだろうなあ。
 そうだ。もしかして龍の剣を売って、大古屋家は、ばくだいな黄金を得たの?


吉谷遍様
 忘れられないということは、まだ忘れなくてもよいのでしょう。逆に、忘れたということは、忘れてもよいのでしょう。私はそう考えています。
 こちらでは、あなたの叔父さんが、大古屋家の長男として、龍王堂が建っている土地を返すよう、求めてきています。この森を過去に寄進したのは間違いだった、と。
 森の水源地を切り拓いて工場を建てたいのでしょう。きれいな水を使う産業が計画されているようです。しかし、こちらとしても三百年の歴史は築いてきた土地ですから、権利はあります。
 ところで、豪族であった大古屋家と大和のミコトの間に、剣の売買があったかどうかは、龍王堂が来る前のことですので、お家の方にお尋ねください。
    秋の谷風吹き上がる中

宇暁


宇暁様
 今年の夏は、きっと行けると思います。そのつもりです。
 中三で、受験生ですけど、夏期講習ばっかりなんて、そんなの、夏休みじゃないですよね。
 風がきもちよかったこと、思い出しています。
 ふと見ると、左手の傷痕、薄れています。


吉谷遍様
 傷痕が薄れたのは、御札の力と時の力が、よい方向に作用した結果です。
 新しい御札を送ります。古い御札を送り返してください。
    緑椀の南東より

宇暁


宇暁様
 昨日のお水は、おいしかったです。ありがとうございました。
 御札が、ぜんぜん送り返されてこないと思っていたでしょう。自分で持って行きたかったから、ごめんなさい。秋の連休に、行けそうだったから。
 金色の田が、きれいでした。くんでいただいたお水も、おいしかったです。いろいろ話せて、よかったです。ありがとうございました。宇暁さんが、わたしのお父さんだったらよかったのに。
 高校受験の勉強が、また始まりました。勉強勉強、勉強ばっかりです。
 わたしは、髪を長く伸ばし始めました。

吉谷遍


吉谷遍様
 緑椀の南端の堂から、朝から夜まで、太陽の運行を眺めています。太陽が沈むと、星々が輝きます。川は背後の山腹から流れ出し、椀の底を流れ過ぎています。
 あなたと飲んだ水は美味かった。
 どうぞ健やかに。

宇暁


前章へ← / →次章へ

この作品をはてなブックマークに追加この作品をはてなブックマークに追加


読み終えましたら、web拍手をお願いします。壁紙をプレゼントさせていただいております。

目次へ戻る