『龍愛づる姫君』 (6)

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6 金

金・銀・銅などの金属の総称。かね。また、金属で作った器具。金属元素の一。元素記号Au原子番号79。原子量197.0。石英鉱脈の中または川の砂中に単体として産し、銅鉱・鉛鉱などにも含まれる。黄色の光輝ある金属。重く柔らかで、延性および展性に富み、空気中で錆びず、普通の酸に侵されず、王水に溶ける。立派な、固い、美しい、貴重な、などの意を表すことば。お金。貨幣。 字形は銅塊を鋳込んだ形。古代の金とは青銅のことであり、また赤金ともいう。


 夏は続いた。遍は祖父母の農作業を手伝い、祖母と料理をし、夜は祖父と数学の勉強をした。電話が鳴ると、親が離婚に結論を出したのかとびくりとした。
 台風が来たら、祖父母の真剣さにつられてテレビの気象情報を一緒に見た。
 御盆には、庭の亀石にろうそくを立てた。全体が亀の形をしていて、表面に文様がくまなく彫り刻まれ、下部は長年の苔にしっとりと覆われた石だ。亀石には名のない死者が集まる、と大古屋では云い伝えられてきた。だから、自分たちの先祖を祀るのとは別に、地を這う名を知らぬ霊たちの供養のため、盂蘭盆には亀石にもろうそくを立てる。
 近隣の人々はみな、村の共同墓地に墓を持っている。
 しかし大古屋は、庭の花とほおずきをありたけ切って、川の上流へ行く。
 旧街道に出て、ワンカップ酒をたくさん載せられた十元岩よりもさらに上に上っていくと、蝉時雨の中、思いがけず小さな真白い滝が現れる。その『魂送りの滝』に花を投げ込んで、それが先祖と弟の墓参りだった。
 ここに弟の行彦を納骨したわけではない。今の法律でそれは許されない。しかし、ここに魂送りをしたので、ここに先祖たちと共にいることになっている。
 滝壷は木々に囲まれ、緑色のガラスが流体になったような深い透明さをたたえていた。水の勢いには牙のような力がある。岩をうがった窪みはいかにも深そうだった。
 飛瀑は空気と混じって白濁し、水蒸気をあたりに漂わせていて、座っていると服も髪もしっとり濡れてきた。落差はそれほどでもないが流量の豊かな流身は、ずっと見ていると、落ちるというよりも、天に昇ろうとしてうごめいているように見えた。一方で、滝壷に投げ込んだ花は、いっこうに浮んでこなかった。
 常に動いている水を見ていると、四年前の夏に、赤ん坊が静止していたその姿が遍の脳裏によみがえった。それがひどく不自然で、あり得ないはずの光景に思えた。
 ――なぜ、人間はああして、ぴたりと動かなくなって、そのままなのか。
 赤ん坊をみすみす死なせてしまったのは、自分のせいだ、という思いが、再び遍に沸いた。それは久しぶりの苦い思いだった。夏の日々のきらめきの中で、弟のことを忘れそうになっていたことに、ひどく後ろめたさを感じた。同じ場にいた自分には何かができたはずだ、という自責の念がよみがえった。
 しかし流れていく水の向きは、いつも一方向に決まっている。どんなに後で思っても、過ぎた時間は戻せない。
 がさりと滝の向こう側の薮が動いて、日焼けした老人の顔が突き出した。
「大古屋さん、この場所は、今はあんたのもんやない。役所のもんや。ここで何かしたら法律違反やで。困るわ、うちとこらの田圃の上流やで、水汚れたら田圃が汚れる」
 そう口を開いた老人のまわりで、がさ、がさ、とまた周囲の薮が動いて、何人もの男が顔を現した。皆、一様に似たような顔つきの、皺の奥まで日焼けした人々だった。
 祖母は威勢よくことばを返した。
「はいはい、もう去ぬところですわな。自治会の偉いさんたちが、揃って、何ですかな、見まわりですかな、そらお疲れ様な、自分らから進んで水守用心とは、全くもって、ご苦労さまでございますわ、水を護る龍の古姫に意見しようなんざ、時代もえらい変わったもんや。かび臭い迷信なんてもう古い、現代の、今の世の中ですからなあ」
 丁寧さに隠れて揶揄しながら、祖母は遍を引き寄せて立ち上がり、しゃべりながら人々に背を向けて歩き出した。祖母の腕の力は思いのほか強かった。肩の高さにある祖母の顔を見下ろして、バアチャンは緊張している、と遍は思い、ふと背後を振り返った。
 二人を見送る村人たちのほうが、祖母よりももっと緊張した顔をして、それぞれの手にぎらりと光る鎌を握り締めていた。

 午後、車のタイヤが砂利を踏む音がした。
 庭に出ると、曲線が光をやけに反射する、見慣れない高級車が止まっていた。ドアが開き、降りてきたのは、ずいぶん太った豊彦叔父、四年前とまるで変わらない髪形の利子叔母、ほっそりとしたおとなしそうな色白の青年になったいとこの鉄彦だった。
「あれ、まあ、珍しい」
 割烹着姿の祖母は、庭石を二つ踏んで立ち止まった。
「忙しいけど来たったんや。町会議員さんが、わざわざ、こんな村八分の嫌われ者の家へ、お忍びで」
 お金のかかっていそうな、派手な身なりの豊彦叔父がいばった。
 祖母がきっぱりと返した。
「よう云うわ。そう遠くもない所に住んどりながら、親のこと、ずうっとほったらかしにして。大古屋の名前を都合よう使えるとこでは使うて、はったり利かせとるくせに」
 叱られて叔父は気持ちよさそうに笑った。

 叔父は台所のテーブルにつき、お金の話を始めた。――今度の選挙戦で、またお金がいる。再選して議員になったら、いろんな情報をいちはやく知ることができる。絶対に損はしない方法で、お金を増やして、返すことができる。だから。
 祖母が返す。――うちには農協さんに借金があるの知っとるやろ、貸すお金なんかないで。
 叔父が笑う。――違う違う、お金を借りに来たんやない、お金を増やしてやりに来たんや。ええ方法知っとるんや。ちょっとでもええ、へそくりでもなんかないんか、わしに預けてみんか。
 ――そんなこと云うたかて、ないもんはどっからも出んわな。
 ――あるやろ、いくらなんでも、へそくりの十万や二十万。
 熱心にやりとりしている大人たちを置いて、鉄彦が廊下に出た。遍はふとその後を追った。
 廊下の半ばで、くるりと鉄彦が振り返った。
「遍。カインの印は、もう消えた?」
「カインの印?」
 鉄彦は遍の左手を取った。鉄彦の手は真夏のさなかにもひやりとしていた。遍の左手のひらの、かつての傷は、痕も残さずきれいに癒えている。
 鉄彦はきれいになってしまっている遍の手をすぐに離し、口早に説明した。
 カインの印――創世記の中の、きょうだい殺しの話だ。弟のアベルを殺したカインは、神に罰されたのではなかった。逆に、誰からも撃たれないように、神から印をつけられて護られた。
 そして創世記には、さらに金と水にまつわる続きがある。カインの息子はエノク、エノクは予言者で錬金術師の祖であり、ノアの曽祖父。エノクの息子はメトシェラ、メトシェラが死んだ直後、ノアの大洪水が起きた。
「遍、凡人になったんだ」
 鉄彦は見下すように云った。
「……御札を持ってるから」
 答えながら遍は、自分が卑怯者であるような気がした。
 鉄彦は首を振り、逆に勇気づけようとしてくれるようだった。
「だけども呪符を破って、魚が来たんだって? 知ってるよ。遍は本当は、龍王堂のがちがちの奴らなんかより、ずっと高い能力がある。もったいないな。自分に気づけよ。魚は、錬金術ではこの世の王にして救い主の象徴」
 遍がけげんそうに鉄彦を見ると、鉄彦は爽やかな笑顔になった。
「自由研究はもう決まった? 遍もいっしょに、我が家の、郷土の歴史を勉強してみない?」
 成長したいとこは、黒いシャツとベストを細身に着こなし、四年前に会った存在感の薄いこどもとはまるで別人に見えた。銀の蛇が絡みついた青い石の十字のペンダントが、厭味なく似合っていた。
 二人は南面した奥座敷へ入った。障子は開け放たれ、庭の緑が反射して、鴨居の上の霧田津比女の額も、壁に掛けられた鉄の槍も、穂先の錆の細かな凹凸が見えるほど明るかった。
「龍金。仏教説話に、使ってもなくならない金塊を龍からもらった、という話があるんだよ。そこに龍金ということばが出てくる。
 使ってもなくならない金、というのは現実にはありえないから、きっと比喩的に、莫大な金、とでもいう意味だろうと、ぼくは思うね。
 解釈すれば、川で砂金をたくさん見つけた、ということになるかな。
 西洋でも、龍は黄金や川と結びついて語られることが多いんだ。有名なニーベルンゲンの腕輪の話もその一つ。川にまつわる呪われた金」
「呪われた金、だなんて」
「なんで遍がむっとするの?」
「だって、大古屋を、悪く云われているみたい」
「そうだよね、金は金だよね。
 大古屋には、畳一畳の金の延べ板があった、という言い伝えがあってね。その作業に村人が従事させられたとかね。庄屋の命令で、目隠しされて重い物を運ばされたとか。
 えーと金の値段はね、遍、相場の変動はあるけど、だいたい一キロで百五十万円だよ」
「一キロって……」
 遍は砂糖袋を思い浮かべた。あれが一キロだ。あれが百五十万円。
 祖母は、借金がなかなか返せない、とこぼす。――はよ借金をきれいに清算して、旅行にでもゆっくり行きたいわ、ジイチャンはいつまで仕事を続けるつもりやろ。でも借金があるかぎり、仕事はやめられん。大古屋が昔からの名家で、村一番の金持ちやったんは、こんなに落ちぶれちゃあ、皮肉な昔話や。
「ただし、昔の金には不純物も多いんだよね。延べ棒の厚さもまちまちで、一概には云えないんだけど、たとえば江戸時代に造られた金の延べ棒には、三百キロっていうのがあって、長さが肩幅ぐらいで、それは時価二億三千万円。畳一畳の延べ板っていうと、だいたいその十倍ぐらいだと仮定すれば、ざっと二十億ぐらいかな」
 話が大きくなりすぎて、遍はかえってきょとんとした。
「すごいよね遍、なにしろ、一キロあれば百五十万円なんだから」
 遍は再び砂糖袋を想像し直した。
 ――そこまですごくなくても、石ころ程度の金塊を掘り出すだけでも、祖父母の借金の返済のたしになるだろう。純度が高ければ、仕事を畳んだ後の旅行費用まであるかもしれない。
「ねえ遍、何か感じる? あのへんに、金が埋まってるんじゃないかなあ、とか」
 鉄彦が遍の表情を伺った。鉄彦がつけているらしいライム系のコロンがかすかに香った。
 遍は周囲を見回し、網戸を越えて、庭の中央にある石に目を止めた。視線の先を、鉄彦がすぐに察した。
「亀石灯籠か。あれは古いものだよな」
 三人は南座敷を後にした。玄関脇の台所では、まだ真剣なお金の話が続いていた。
 外に出て、直射日光で焼けている車の横を通り抜け、庭の中ほどへ進んだ。生い茂った庭木と苔の発する、水気を含んだ濃密な匂い。光線は若干傾き、夕方を準備していた。
 鉄彦は携行したバッグからカメラを取り出し、亀石を写真に収めた。
 遍はしゃがみ込み、風雨に晒されて磨耗した石の表面を指でなぞった。長年、灯籠で覆われていた上部の方は、彫り刻まれた模様も鮮やかに、黒っぽい艶を木陰に投げかけていた。
 鉄彦が口を開いた。
「この亀石の顔、奈良県の明日香村の亀石と、よく似てる。あっちはもっと何倍も大きいけど。その亀石は、顔を向ける方角を時代によって変えてきて、今度顔を西へ向けたら、大和盆地が水に没する、という伝承があるんだよね。この大古屋の小亀石はどうかな。この顔は、今、南向きだね」
 遍は亀の顔についた苔を剥がした。亀の顔は笑っているように見えた。亀甲の一つ一つには、様式化された何かのパターンが彫り込まれていた。鉄彦はその模様にいたく興味を惹かれたようだった。
「こんな文字は明日香石にはないな。亀甲文字、いやまるで北欧のルーンみたいな。待てよ、この模様の入り方、遠目に見ると、蛇が亀の甲に巻きついてるみたいだな。亀といえば中国では卜、亀は予知能力に優れていて、冬の季節には宇宙的な聖婚を蛇と行なって、世界の復活をもたらすと云われている……」
 独り言に入っていきながら、鉄彦はバックの底のほうを探り、表面はプラスチックの、四角い棒を取り出した。それで亀石をなでるようにすると、ピーピーと電子音が鳴った。
「へえ。亀石を割ったら、中から黄金が現れるかも。いや、この岩石に金属の含有量が多いのか」
 鉄彦は周囲の地面にもその棒を水平に当てた。今度は、音はしなかった。
「どっちみち、これじゃ深い所にある金属は探知できないから、何もわからないのと同じだな。やっぱり、かさばってもかまわないから、一番高いのを買ってもらうべきだった」
 いとこのしていることを珍しそうに見ている遍を、鉄彦がちらりと振り返った。
「遍、何か感じる?」
「何が?」
「この金属探知機程度じゃ、たかが知れてる。遍は、ダウンジングしてよ。ぼやぼやしてるなよ」
「ダウンジング? どうやるの?」
「そんなことも知らないのか」
 鉄彦は着ていた黒いベストの内側に手を入れた。ベストの裏には、ポケットがずらりとついていた。そのポケットの一つずつにいろいろな道具が入っているようだった。鉄彦は紐のついた重い円錐を取り出し、遍に手渡した。云われるままに遍はそれを手に提げた。
「変わった揺れ方だな、と思ったら云ってよ。どう、何か感じる?」
「特別なことはないみたい」
「ちゃんとやれよ」
 鉄彦は失望したようだった。
 遍は立ち上がった。
「黄金はたぶん、亀石の下にはないと思う。いかにもそれっぽく見えるけど、庭の真ん中にあるし。こんな目立つ所には、隠さないんじゃないかな。もしわたしが金を埋めるとしたら……」
 二人は広い庭を歩き始めた。鉄彦はハンディタイプの金属探知機を持ち、遍はダウンジングもどきをあちこちで試みた。
 何も見つからないので、遍は飽き始めた。
 と、家から利子叔母が出てきた。そのとたん鉄彦は遍の手から器具をひったくるように取り、母親のそばに駆け寄った。
「ママ」
「何してたの、ここで」
「庭を見てたよ」
「そう、楽しかった? 鉄彦ちゃん、もう少しいる?」
「ママが帰るんだったら、帰るよ」
「それじゃ、パパが帰るときに、いっしょに帰りましょう。このお庭、お花がたくさんあって、きれいねえ」
「きれいだね」
 利子は鉄彦を伴い、庭をそぞろ歩いた。その後ろに鉄彦はひどく従順な顔で従った。利子の指にはよく光る指輪が嵌められていた。利子は遍の視線を意識した。
「あら、これね? ダイヤモンド、一カラットあるのよ。今頃になって、あの人が買ってくれてね、年甲斐もなく感激してしまったわ。遍ちゃんのパパとママは、元気なの? 仲良くしてる? ふふ困るわよね、『龍の女』は男と衝突するらしいから、いくらきれいな人でもそれではね、どうかしらと思うわね」
 遍は心の奥底に常に引っかかっていた両親の諍いを、こんな形で思い出させられて、眉を寄せた。
「帰るぞ」
 玄関の戸が勢いよく開き、満足そうな表情の豊彦叔父が太った躯を揺らして出てきた。車は三人を乗せ、バックしてコスモスの蕾を踏みつけ、走り去った。
 その三十分後、祖父が仕事から帰ってきた。祖母は祖父にはお金の話はしなかった。

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