『勝鬨』

『勝鬨』

著/雨下 雫

原稿用紙換算枚数5枚


※本作品はメールマガジン『雲上』に掲載された同名の作品を加筆修正したものです。


 ――疾。
 大地を弾む。
 脈動。
 熱が形を帯びる。
 胎動。
 末脚と、終いに賭ける覚悟を溜める。
 鳴動。
 息遣いと、歓声と。
 怒涛。
 渦になる。
 熱狂が、轟音が、光景が、馬群が、意識が。
 さあ。
 行くぞ。
 行ってしまうぞ。
 お前の脚は持つのか、俺の腕は持つのか。
 俺達の、息は持つのか。
 分からない。
 分かるものか。
 分からぬからといって、行かないわけにはゆかぬのだ。
 俺は、明日の飯を食うために。
 お前は、明日の命を永らえるために。
 走らぬ競走馬の行く末に辿り着かぬために。
 勝てない騎手の末路に行き着かぬために。
 さあ。
 直線。
 長い。
 先頭のやつはそろそろたれて来る頃合だ。
 爆発。
 歓声。
 怒涛。
 馬群が一気に膨らんだ。
 勝負処だ。
 此処だ。
 行け。
 内を突け。
 必ず空く。
 後退する先行集団を捌くために、俺達の前の連中は外に膨らむ。
 その隙間を突け。
 其処しかない空間を。
 突き抜けろ。
 炸裂。
 意思も。
 馬群も。
 景色も。
 轟音も。
 一瞬、静止した。
 灼熱を孕んだ獣の肉が、その静止した世界で唯一つ、爆ぜた。
 今まさに追い出そうと懸命に手綱を扱き、鞭を振り上げ、拍車を掛ける集団を抜き去った。
 ――あと三十三秒。
 完全に空白となった埒沿いの芝を、根こそぎ抉り取る。
 斬り裂く。
 風を。
 ターフを。
 馬群を。
 それは、お前の身体と脚と心臓に任せた。
 俺は、俺の仕事をやってのける。
 より巧く。
 より速く。
 お前が一番疾り易いところを選んでやる。
 お前を、誰より何より疾く気持ちよく駆けさせてやる。
 五十七キログラムの重りを背負わすのだから、それくらいのことをしてやらなければ罰が当たる。
 腕が千切れようが、腿の感覚が失せてしまおうが知ったことか。
 勝たせてやる。
 勝ちたいんだ。
 ――あと二十二秒。
 来た。
 邪魔だ。
 そろそろ脚も一杯になったという具合で、前の連中が下がってきた。
 もう内は空かない。
 だが空かないからといって外に持ち出していたのでは、今抜き去った連中に追いつかれてしまう。
 どうするか。
 どうしてやろうか。
 考えなど要らない。
 加速。
 この速度、この馬格、加えて、前の奴の手前が右になっているというこの状況。
 こじ開けてやれないことは無い。
 行くぞ。
 勝利に、征くぞ。
 ぐい、と一押し。
 一気に沈み込んだ。
 地を這うように、速度は一層に増してゆく。
 ――あと十一秒。
 弾き飛ばした。
 軽々と、とは行かなかったが、大した怪我を負うでも負わせるでもなく、吹っ飛ばした。
 はは。
 とんでもねえ面でこっちを見てやがる。
 若造が、憎たらしいのか脅えてるのか、どっちかにしやがれ。
 さあ。
 もう、何も無い。
 今、この瞬間だけが有る。
 疾。
 大地が弾む。
 鳴。
 世界が弾む。
 渦が、

 ――そして、突き抜けた。

 俺達は。
 先頭で駆け抜けた。
「おう、お疲れさん」
 相棒の首を、ぽん、と叩いてやる。
 それを合図に、速度は徐々に落ちていった。
 いつものことだ。
 こうして最後方から勝負を運び、直線で掻っ攫う。
 それを、やってのけた。
 何時ものように。
 何時もの大舞台で。
 俺達は、今日も勝利をもぎ取った。
 重圧と、誇りと、宿願を背負い、それでもなお王者の貫禄を見せ付けるように。
 この府中で、五度目のウイニングランを。
 五度に渡る勝鬨を。
 五つ目のGIを、俺達は掴み取った。

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