『歓喜の魔王(終) SWASTIKA OPERA.』

『歓喜の魔王(終) SWASTIKA OPERA.』

著/六門イサイ
絵/王椿

原稿用紙換算155枚
前回までのあらすじ
 少女・黒園衣奈の頭の中には、彼女にしか声の聞こえない“お父様”が住んでいる。
 彼の正体は魔王──かつてナチスドイツで『騎士団』を率いた、人の魂喰らう嵐であった。衣奈の祖母、織江・マグダレナの裏切りと、衣奈の母によって滅ぼされた彼は、自らの盟友が築いた魔術の誤爆によって、衣奈の体に封印されているのである。
 いつか現世に復活する事を夢見ながら、娘を愛してやまない魔王のもとへ、かつての臣下にして盟友・ニコラスが現れる。死してのち蘇り、子供の姿になったニコラスは、亡霊となって現世をさまよう魔王の騎士達を集めていた。だがニコラスの予想以上に魔王は無力であり、彼の宿主である衣奈は成すすべなく現れた騎士に殺されてしまう。
 だが、黄金児ニコラスの血潮と、衣奈自身の死によって魔王は一時的に現世に復活し、圧倒的な力で死神の騎士を屠るのだった。
 両親のいない我が家に、衣奈は新たな家族としてニコラスを迎え入れる。“お父様”の実在を証明し、なおかつ寂しい家を暖める存在の出現に喜ぶ衣奈。だが、騎士との過酷な戦いは、彼女の日常を──友人の命をおも奪っていく。
 友の死に傷つきながら、魔王のためには自己犠牲を厭わないニコラスに胸を痛めながら、衣奈は騎士と戦う決意を固めて打って出た。衣奈とニコラスは戦いの中で絆を深め、死霊騎士達も順調に配下に加えていくが、恐るべき騎士・紅い魔女の魔手が伸びようとしていた……。

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■序 開演──Eine Faust-Ouvertuere.

「──ごきげんよう。教授《プロフェッソア》、準備はいい?」
「「あら、シャルラッハ様。ただいま教授はお取り込み中です」」
 レトロなナース服の少女達が同時に応じた。金髪の少女は切断された人間の腕を手に、赤毛の少女は眼球をホルマリンに漬けて。双子と言うよりは同型の人形のように同じ顔立ち、同じ紫の瞳をした彼女らは、纏う衣装もまたお揃いの左右対称。綺麗に巻かれた髪はその巻き数さえぴたりと同一。
 胸元には彼女達の名札がある。金髪の少女は『Bertha - Nummer 82. 』、赤毛の少女は『Brigitta - Nummer 73. 』。
 ベルタは赤いナース服、ブリギッテは白いナース服、共にエプロンは純白。右腕左腕につけた腕章は、片や白地に赤の鉤十字、片や黒地に白の鉤十字。頭にはナースキャップの代わりに、鉤十字つきのカチューシャを載せていた。医療に携わる者の格好をしながら、彼女らが従うものは赤十字ではないらしい。
 その面に浮かぶのは、どこも見ていない眼の虚ろな微笑。
『シャルラッハだねお久しぶり。十全至極に万端は準備だが今第三帝国では忙しい私は。後にしてくれ』
 部屋の奥から、彼女達の主人がシャルラッハを迎えた。様々な機器をごてごてと取りつけた電動車椅子に身を預けている。
 億劫そうに椅子の背にもたれているのは、見るからに多病げな老紳士。いかにも陰気で気難しい容貌を、土気色のしかめっ面で更に強調している。鼻眼鏡の奥の目は落ち窪み、隈さえあったが、重病人のような外見に反して熱い眼光を帯びていた。
 教授と呼ばれたように、医師の白衣を羽織っているが、白衣の下にあるのは黒い軍服。
「黙りなさい。貴方がそこまで自我と霊格を回復できたのは誰のお陰だと思って?」
 つんと小鼻をあげ、傲然と言い放つ紅い少女の姿は、白衣を返り血に染めた“教授”よりなお深い紅《シャルラッハ》。背中と肩を大胆に露出したコルセットドレス。幾重にもフリルをあしらったスカート。つば広の帽子。濃淡様々な紅の中で、一際真紅の艶を魅せるのは、胸元を飾る薔薇の花。紅尽くめの衣装に合わせたように、その瞳も髪も燃えるような緋色。赤白《せきびゃく》のコントラストを一層惹き立てる、漂白された骨のような指を立て、シャルラッハは教授を指し示す。
「かねてよりの計画実行の時よ。永劫機関“アエテルヌム・エクス・マキナ”、元・騎士聖堂第七位《ズィープト》の造屍男爵。機巧少佐。不治の病に苛まれる不死の狂医。かつてはなんであれ、今は私が貴方の魂を所有する。貴方とは趣味が合うけれど、そろそろ私のために働きなさい」
 教授はしばし彼女の指と部屋の奥を見比べた。そこにある手術台には、彼の『趣味』が広がっており、未練がましい視線がちらちらと彷徨う。そして、「ゴパァ」という声とともに胸の奥から吐いた血をその場に撒き散らした。ノーモーションで唐突に行なわれたそれに、従者を務める少女達は即座に対応する。
 口腔内の血をすかさず洗い流し、首筋に注射を打ち、袖口から電極を取り出し電気ショック。最後に点滴を打ち、すとんと車椅子に座り直させ、口にウエハースチョコを突っ込むと、教授は夢から覚めたような顔ではっとなった。ブリギッテに咥えさせられた菓子をパリパリと噛み砕き、飲み下し、改めて指を収めたシャルラッハと血塗れの手術台を見比べる。溜め息をつき、首を上下させ承諾の意を示した。
『もういいそれは、第三帝国ではそこのジューサーにでも余った部分はかけてくれ』
「「かしこまりましたわ」」
 ぺこりと一礼し、ベルタとブリギッテは一番大きな部品である胴体を袋に詰めると、モップや水切りで床に散らばった臓物や肉片を集めだした。ベルタが部品を渡し、ブリギッテがそれを大型ジューサーにかける。頭部はジューサーに入るサイズだが、毛が刃に絡まるので袋行き。分厚い刃と工事にでも使うのかという大出力によって爪も歯も骨も粉砕され、指も手首も紫や黄色や桃色のぷよぷよした内臓も、ハンバーグには少々水っぽい挽き肉にされていった。
 シャルラッハはジューサーに近づき、溢れる血を一滴指に取る。
「さあ──“聖餐式”の始まりよ」
 血よりもなお赤い舌が、白骨のごとき指を舐めた。

◆  ◆  ◆

 黒園衣奈が廃遊園地での戦いを終え、ニコラス=ヌンティウスがスパゲッティ作りに苦戦していたころ。
「……間違いない。奴らはここにいる」
 夕暮れの雑踏の中、高架線上の駅ホームを行きかう人々は彼女の呟きを拾う事はなかった。吐き出された言葉は誰にも顧みられる事なく、ざわめきの中に消えていく。少女は酷寒の夜のように、きんとした硬質の双眸で街を睥睨した。いずこかに潜む獲物をあぶりだそうとする、狩人の瞳だ。
 眼下の街は斜陽に灼《や》かれる深紅。燃えると言うよりも、煮えたぎるような赤と橙と金の坩堝の中に、ぽつりぽつりと人々の生活が明かりを灯している。鍋料理に煮込み料理、あるいは炒め物。様々な家庭の匂いが風に乗って届き、鋭敏な嗅覚に平穏を告げていた。
 けれど、その平穏が薄氷の上に座す危ういものでしかない事を、彼女は知っている。
 追う者の瞳で街を見る少女の風貌──雪のように冴え冴えとした肌は静脈の青が目立ち、それに反して唇は血塗れたように赤い。編み上げの黒いシャツとホットパンツから伸びる手足はひどく華奢。陽に晒されれば崩れ落ちそうな、氷像のごとき脆さと頑なさのある立ち姿だった。
 漆黒の髪は作り物めいて見えるほど精緻。均整に作られたボブカットを揺らしながら、やがて少女は颯爽と歩き出す。駅を出ると、目の前のビルに設置されたテレビの大画面が夕方のニュースを流していた。

『開籠市《かいろうし》中央区の駅前大量殺人事件の続報です。市立開籠病院に安置されていた、この事件の犠牲者の遺体が盗まれるという事件が発生し、遺族間に激震が走りました。警察では、実行犯グループが関係していると見て病院に厳重警戒態勢を敷き……』
 テレビから流れる女性キャスターの声に、私はふと耳をとめた。駅前大量殺人事件、我が元に降る前のマサク・マヴディルが引き起こした事件だ。昼下がりの駅前で交差点を行く人間が一人残らず惨殺され、通報を受けて駆けつけた警官も纏めて死亡。犠牲者数は三桁を数える前代未聞の事件でありながら、現場からは犯人の痕跡はまるで見つからず、開籠市全体に衝撃をもたらした。……それほど大量の死体を、誰かが集めている?
 死体を使いたがる騎士にはいくつか心当たりがある。厭な予感に思いを馳せようとする私の思考を、明るい声が遮った。
「あれっ……。へも介、皿一個足りないけど、あんた食べないの?」
 手際よく衣奈とニコラスの皿にスパゲッティを盛りつけながら、割烹着姿のヘルモルトは軽く流す。
「お構いな~く~」
「やっぱり、死んでいるからお腹空かないとか?」
 頬に手を当て、しばしヘルモルトは言葉を選ぶように考え込んだ。
「別に食べる事それ自体は出来るのよ、実は。でもアタシが出された料理をお嬢様の目の前で平らげても、ほんの一瞬の後には、冷めた料理が盛りつけられた時の姿そのままに、手つかずで置かれているだけになっちゃうの」
「……どうして?」
 ふと心細さのようなものが、お前の胸深くに去来する。死者が生者のごとく振る舞うその欺瞞が、今になって剥がされたような気がした。
「アタシらが物を持ち上げたり壊したりってのは、別に“生き物”でなくても出来る事だからいいんだけどね。食べるってのは生命活動の一環だし、さすがにその辺はどうにもなんないみたいなのよねえ」
 こればかりは、魂が戻っても変わらぬな。現実における主体は我が娘一人だ。
「お父様もそうなの? 騎士を全部集めて、神曲が完成して、復活してもお父様は私の手料理一つ食べられない?」
 否。安堵せよ、我が娘。私が現世に帰還する時、私とお前とは別れて一人一人の存在になる。その時こそ私はお前をこの腕に抱き、父の口づけを与える事が出来るのだ。お前が私のために料理を作ると言うのなら、喜んで食そう。……ただし、辛いものだけは御免被る。
「はーい」ふふ、と笑い混じりに答えるお前の声がひどくいとおしい。
 衣奈は家政婦が黒園邸に来なくなってから、ずっと自炊していた。衣奈が食するものは私が食するものであり、私は常に娘の手料理を食べていた事になる。だが、食卓に座るのは我が娘ただ一人で、その向いには誰も座っていないのだ。ただ、網膜に映る我が虚像のみ。
 この古く、そして広すぎる屋敷の中で、我が娘は長き孤独の時を過ごした。肉体を持たぬ私は、言葉でしか娘を慰める手段を持たず、歯がゆい思いを抱き続けたものだ。だが、我が娘はそれ以上の寂しさを抱えて幼少期を過ごして来た。
 父として、我が娘のためにも必ずや私は現世に立ち返ろう。それを邪魔立てする者は、全て踏み潰し消し去ってくれる。

■一節 神曲──Goetterdaemmerung.


 お前と、星乃嬢の沈黙が、柔らかな暖房を圧して部屋の空気を硬く寒々しいものに変えていた。カップに注がれた紅茶は手をつけられることなく、いたずらに茶渋を作るのみ。凍てついた硝子の中にいるような静寂が、長く流れ続けた。
 悠美花嬢の葬式からとうに一週間が過ぎたが、それ以来星乃嬢は学校を休みがちになっていた。昨日で授業の欠席も連続で三日になり、お前は土日と続けて星乃嬢の自宅へ見舞いに訪れたが、かける言葉さえ碌に見つからない。それは、安易な慰めや励ましが無用であると知っているから、だけではない。
 悠美花嬢を殺したヘルモルトは、今まさにお前の胸の奥に──“神曲”という、魔術の綴れ織りに編み込まれているのだ。彼女の死はお前の罪ではないと充分に自覚しながら、犯人の所在を黙っているという居心地の悪さが、その口を重くする。己が共犯者であるような錯覚の中で、一体何を言えたものか。星乃嬢はお前よりもずっと悠美花嬢と付き合いが古く、二人は十年来の友であった。
 そんな相手に、後ろめたいお前は何を言えばいい? たとえ問われても、それは父の答える事ではない。
「ねえ、星乃」
 普段のお前とはうって変わった、か細い声が口端を開く。
「もし、悠美花を殺した犯人が見つかったら、どうする?」
 ……そのような事を訊いて何とする。ヘルモルトを彼女の目の前に連れてきて、一芝居打とうとでも? それに対する星乃嬢の答えははっきりとしない、歯切れの悪いものだった。そうしたら、とか、その時きっと、とだけ口にして言葉を切り、何を言いたいのか判然としない。ただ、彼女は最後にこう言った。
「なあ、衣奈。魔法が使えたら、ええね」
 魔法なぞ無い。人が御伽噺に夢見るような、この世の憂いも悩みも取り去るような、都合のいい魔法などはな。
 だがお前は、その答えを口にせず、星乃邸を去った。

 魔法は無いとは思っても、魔術師は身近にいる。お前がその者に魔法の是非を問うたのは、自然な流れだった。
「七の七乗の七乗ある宇宙において、魔法を使うのは人間だけだ」
 水星の魔術師たるニコラスはそう答えた。
「人間の『人間』足りうる条件とは、この『魔法』を使うというその一点のみにある。思考する人間こそが、宇宙の触覚であり自らを観測する目だからだ」
 それはこの父が、お前に魔術の基礎理論として教えた前提でもある。人は太陽と地球の距離を定め、時間の流れを整理し、万物を引力で縛り、死者は生き返らないという事にした。だが、人間が造ったものならば、同じ人間が破壊し、再構築出来ない道理はない。
「だから魔術は、生と死の壁をも越えうる……」
「だが容易くはない。仮初めだろうがなんだろうが、“死”は重いぞ。肉体の死から魂の死までの時差は長いが、真の死から蘇る事だけは神の領域だ」
「でも、騎士は? へも介もマサオも死人なんでしょ」
「あれは仮初めの死の中を、生前からの契約で引き戻し留めた存在だ。自然死者とはそもそもの前提が違う」
「じゃああんたは、ニコ。黄金の子は不死なんでしょ?」
「私は最初から復元される事が決まっているんだよ。百万回死んだ猫と同じ定めだ。尤も、“神曲”共々崩壊した時は本当に死ぬところだったが」
 最近ではコンピューターにもある程度親しんだニコラスの言を借りると、魂とはすなわち世界の記憶容量だ。巨大な魂は巨大な容量であり、魂の“中身”が個々の人格や記憶を形成している。それで言い方が悪いなら、世界に占める存在の割合、とでも言おうか。
 それを最大限利用するために造った『神曲《プサルテリウム》』は、数多あるニコラスの魔術《オプス》の中でも、最高傑作の名にふさわしい物だろう。この世において、もっとも簡単な最強への道は、出来るだけ多くの魂を所有することなのだから。
 主君たる私を主神ヴォータンになぞらえ、配下の騎士を魂の選定者ヴァルキューレに据える。だが騎士に刈り取られた魂が行き着く先はヴァルハラではない。それは騎士の領土であり、死者は煉獄へ落とされ消費し尽くされるのだ。現世での滅びを経て、騎士はヴァルキューレから英霊《アインヘルヤル》となってテンペストゥスに仕える。だが、ヴァルハラの主体である私自身が滅ぼされ、英霊も残さずバラバラになってしまったのがこれまでの経緯。取り戻した騎士の魂も、再度神曲に組み入れるのを待って封印中という有様だ。というところでだ、ニコラス。神曲一二〇〇篇ある詩《プサルム》のうち、修復されたのは如何ほどだ?
「……およそ一五〇篇あまり。微々たる物です」
 言い淀みながらも答えたニコラスに、お前は遠慮なく「そんなに少ないの!?」と驚きを示した。
「申し訳ありません。図書室《ビブリオテーク》が八割がた破壊され、その引き上げにも時間を割いておりますれば」……なぬ。
 ビブリオテークは歳経た魔術師なら誰でも頭の中に持っている、魔術的記憶だ。魔術に必要な知識と、自身が作った、或いは誰かが作った術式の数々の集大成。それが無くなるという事は、俗な言い方をすれば『呪文を忘れた』という処だろう。
「な、なんて言うか、間抜けー」
「仕方なかろう。私とて暫定死から復元されれば、その前後の記憶は多少なりとも失う。それでもビブリオテークは守ってきたが、十年前の復活では死の深淵に限りなく近いところから戻ってきたのだ。正直、今でも傷は浅い方だと考えている。引き揚げにも全力を尽くしているぞ」
 それからニコラスは、ああ、そう言えば、とついでのように言葉を繋いだ。「X《ツェーン》がな、修復が済んだぞ」

「起っきなさーい、マサオッ!」
 早速無事を確認しようとお前が呼び出すと、死神の騎士はいつもと様子が違った。お前に背を向けて座り込んだ姿勢で現れ、両の腕と足を組み、目を閉じた面に静かな拒絶を湛えている。
「うわ、ついに名前に対して断固拒否の意志を示した!?」
 おやおや、そこまでマサオという名前が嫌か。
「ぬぅわシャ──ッ!」あっそんな、足蹴なんて惨い。「ちょっとあんた、そこに直りなさい、正座で! 鎌も置いて帽子を取る! 背筋を伸ばしてこっち真っ直ぐ見なさいっ。私がいつまでもあんたのワガママ通してやると思ってんじゃないわよっ。今日という今日は勘弁ならないんだから!」
 お前は腕を組み、命じた通りの姿勢を取らせたマサクを憤然と見下ろした。やれやれ、主従共に頑固なものだ。
「いい? これからあんたの名前を呼ぶから、Tes.、でもはい、でもJa, でもいいからちゃんと返事するのよ。マサオ!」
「……」
「そっぽを向くなぁっ!」体育会系指導的ビンタの音が天井高く響く。
 たっぷり小一時間、お前の不毛な説教は続けられた。繰り返される無言の抗議と、それを叱責する平手打ちの音をBGMに、ニコラスはザミーを抱いてうつらうつらうたた寝を始める。お前は喚き続け、それに疲れてついに泣き落しが入るが、それでも、マサクは頑として仏頂面を崩さなかった。
「何よ、もう! このあたしが泣いて頼んだっていうのに……っ」
「嘘泣きじゃねーですか」座布団に黒衣の軍服という、シュールな湯飲みスタイルで見物していたヘルモルトが突っ込む。
「真珠よりも重い乙女の涙に嘘も偽もないわよ。いや、むしろ世界で一番優しい嘘ね」
「世界の半分は女ですけどね」
「そのうち若くて可愛い乙女は何割だと思ってんの。いい? 女の子は賞味期限があるのよ、一番綺麗な乙女の時期は、すぐに捻れて曲がって老けて汚れて劣化するの。それは長い人生の中で一瞬の輝きなのよ、それが乙女なの。涙はいわば乙女の最終兵器なのよ、喰らわば死すべしなんだから!」
「殺してどーすんですか」
「上に悩がつくわ」
 悩殺? 不埒な事を口にするでない。一方、マサクはやっと終わったかなという調子で、のっそりと立ち上がって伸びを始めた。
「まだ立つな、正座!」マサオは再三張り倒され、額を床板に打ちつける。
 しかし、この話題もよく飽きんものだな。面倒だから、もうマサオの自我を調整しなおして……。
 ありゃ?
「あ」「う」「……!」
 あ、ははははは。しまった、間違えた。いやーだってほら、たった一文字違いだからなあ、これはもう、むしろ今まで間違えなかった事の方が偉いんじゃないかと。はははははは。だが実際繰り返し言っていると本当に間違えるぞ、うん。続けて全部言うとさすがに間違えんが省略形だと、なあ。
「旦那、旦那。気を落とさないで、アタシは旦那のミ・カ、ぎょぼッ!?」ヘルモルトの喉仏が手刀で二つに裂けた。
 脊髄反射かただの八つ当たりか、いつも通り同胞を血に沈め、それから、マサク・マヴディルはがくりと崩れ落ちた。両の手と膝をつき、深く重くうな垂れる。しまいにそこでうずくまり、放っておくと地面にのの字でも書き始めそうな雰囲気を醸し出し始めた。ぬう、鬱陶しい事に。
「ねえ、へも介」疲労感に肩を落としながら、即座に復活した道化にお前は問いを投げた。「あんたの本名教えてよ」
「教えてあーげない」ヘルモルトはからからと笑いながら断った。「死人の名前を呼ぶもんじゃないわ、お嬢様」
 それに、今更自分の本名なんて分からないし。などと言って更に笑う。
「だからアタシは、へも介でいいの。貴方がつけた名前じゃない」
 死人か。貴様を死人とするならそうだろうな。もっとも、魂ある貴様には名を名乗る権利があるのだが。

「今日は親子丼にするわよ、親子丼」
 マサクが目一杯矜持を叩き折られたその夜。エプロンを締め、夕飯の用意を始めるお前にヘルモルトが妙な茶々を入れる。
「そりゃ料理のほうですか。料理じゃないほうですか」
 いつもは回遊魚のようにあたりを漂う雑音達が、一斉に部屋の底へと沈み込んだ。重たい沈黙。
 積もり積もって山をなす、音の屍を吹き散らして問いながら、お前は首を傾げる。
「料理じゃない親子丼って、何?」我が娘、こやつを殴れ。「え、急にどうしたんですか」
 いいから殴れ! 力一杯! 殺すつもりで! ……ええいまだるっこしい、私が殴る!
 原質《アツィルト》から物質《アッシャー》へ。青の火と共に黒い死神を呼び出し、ヘルモルトの首をへし折らせる(ぶん殴らせなかったのは、衣奈ではなくこやつがやると、本当に屋根が落ちかねなかったからだ)。ヘルモルトが血を吐いたのを確認して、私は手足代わりのマサクを帰した。
「お父様……どうして親子丼でそんなに怒ってるんですか?」ああ、その不思議そうな顔っ。なんと無垢極まりない!
 だからお前は知らんでいい! まあ、説明せんまま押しつけるのは理不尽と私も承知してはいるが、説明する訳にはいかんのだ。我が娘もそこら辺を察してくれたのか、それ以上訊く事無く、ふむふむと頷いてこの件はしまいにした。しかしヘルモルトがいると、余計な事を吹き込んでいかんな。
 親子丼は問題なく出来た。うむ、この柔らかな卵に割り下のほどよい甘さとダシが染み込んで……タマネギと肉の柔らかさが……何かヘルモルトが「親子丼ってのはね、あれですよ。同じ馬主の馬が一着と二着を占める競馬用語で~」とかなんとか取り繕ってうるさいのでもう一度殺しておいたが。
「一番の問題は、何でシモネタのほうの意味を閣下が知っているかって事だと思いますが~」やかましい、三度死ね。
 ふっとニコラスが匙を繰る手を止めた(箸で丼を食べるのを諦めたのだ)。
「IV《フィーア》、ザミーが起きる。これ以上我が君と我が愛し仔を煩わせるな」
 黒い仔猫はソファーの一角で丸くなり、すぅすぅと小さな寝息に毛皮を上下させていた。その背景も温かな食卓に、先ほどの沈黙とは別種の、凍りつくような静寂が降りる。ニコラスの言葉は短かったが、その口に宿る冷気に打たれて、ヘルモルトは背筋を硬直させた。
 口中の割り下と鶏肉の風味が不意に味気を失う。傍で見ているだけで、ひょろりとした男の紛れも無い恐怖が場の空気に滲み出し、こちらにまで伝わってくるのが分かった。その卵形の白い顔を、吹き出した汗がみるみる濡らし、血の気の引いた面は今にも歯の根を鳴らさんばかりだ。
 お前が両者の突然の変化に途惑っているうちに、ニコラスは丼を平らげた。
「茶を」
 素っ気ないその物言いさえ極低温ながら、ヘルモルトはそれに抗うように凍りついた背筋を震わせ、冷や汗を拭った。日本茶を即座に差し出す手際のよさは、もはやいつもどおり。お前も気を取り直して、雰囲気を復元するように、丼の残りを口に運び出す。
 食後、ニコラスが起きたザミーをじゃらし始めたのを見計らって、お前はヘルモルトに先ほどの反応を問いただした。
「いや、昔を思い出しただけですよ。今更……今更ですけどね。ええ、自分でも嘘みたいですが、アタシゃさっきまで、あの方が本当は何者だったのか、忘れていたんです。あのラインの黄金を……はは、いやもうお笑い種ですよ! 最初にあんな子供になっていると知った時は、笑いが止まらない気分でしたが、ああ! やっぱり何も変わっちゃいない、あの化け物は、やっぱり爛々とした光の狂気なんですよ」
「へも介?」
「……ぶっちゃけ言いますとね、アタシら騎士が畏れているのは、首領閣下よりもむしろ、副首領閣下なんです」
 どこかうわずった声でまくし立てるヘルモルトは、未だ青ざめた顔で、その眼はお前ではなく遠い過去を見つめていた。
「閣下はまだいい、アタシらと普通に口をきいてくれて、気さくなくらいだ。でも副首領閣下は、滅多に閣下以外とは会わなかったし、アタシらもそれを喜んでいた……。お嬢様、世の中にはね、会うだけで覚悟のいる相手ってのがいるんです」
「ニコがそうだって?」
「アタシゃビビリ屋ですからねえ。出来ることならお会いしたくねぇんですけど、今は事情も違う。前よりマシだ、と言い聞かせるしかありませんや」
 陽気な道化の仮面は完全に剥がれ落ち、白目がちの釣り目には、深く深く怖気が突き刺さる。臓腑から寒気に襲われたような、お前が普段知るヘルモルトからは想像だにしなかった反応に、やはり戸惑いは隠せない。だが、これが騎士の常態なのだ。
 私とて、ニコラスが配下にどう思われていたか、知らぬ訳ではない。誰であれ、あの霊威ある黄金を前にしては、正気を保てんのだ。……今の姿からは信じられんかもしれんがな。その片鱗は健在という事だ、何とも頼もしいではないか。

 黒園家・朝の恒例行事の締めくくりは、居候二名への挨拶だ。
「ざみ、ざみ。おねーちゃんは学校に行ってくるけど、またすぐ帰ってきますからね~。ちゃんとお留守番しててね~」
 みぃーん、と鳴き声をあげてこちらを見上げる小さな頭に、指先を乗せて撫でる。お前は華奢な胴体を抱きあげ、頬擦りしてもう一度挨拶した。
「まさに猫撫で声だな」
 ザミーの後から現れてニコラスは憎まれ口を叩いた。仔猫を渡して、お前はふと昨夜のヘルモルトとのやり取りを思い返す。ザミーを抱いて笑む姿には、光の狂気だの黄金がどうのと言う名はまるで似合っていない。それよりは、愛くるしいと形容したほうがよほど的確だろう。
 隙を突くようにニコラスの頬にキスをして、お前は通学路を走った。その道中、駅の手前で星乃嬢と合流する。
「……おはよ、星乃!」
 大丈夫とも言わないし、行くのとも訊かなかったが、それだけで充分だった。互いに挨拶と笑顔をかわし、時間通りに電車に乗り込む。そこにただ一人が欠けている事を除けば、かつてとまるで変わらない、いつも通りの日常が進行した。
 そう、何も変わりはしない。騎士が起こした事件の余波で、この学園でも何人かが死に、あるいは親戚が死に、それを理由にいまだ欠席・欠勤する者はいるが、無視してしまえるほど小さな変化。あくまで学園は平和と日常の象徴として、お前の中に在り続ける。
 開籠市最大の犠牲者数を誇り、今もなお報道の絶えない『駅前大量殺人事件』というマサクの殺戮も。
 鶏を捌く際に、内臓を取る事を『壷抜き』と言う事から、俗に『壷抜き魔事件』と称されたヘルモルトの凶行も。
 学園内に依然と横たわる平穏を崩すには至らない。殆んどの者にとっては、同じ街で起こったという身近さにありながら、結局自身には何も害をもたらさないイベントの一つとして過ぎ去っていく。お前には常々、それが不思議でたまらない。なぜ、皆はもっと危機意識を持たないのか。どうして、自分だけは大丈夫だなどと無根拠に思えるのか。お前が特別心配性なのではなく、客観的に見て級友達や教師達が『平和呆け』している様が歯がゆい。
(どいつも、こいつも、みんなみんな。バッカじゃないの……!?)
 穏やか過ぎる温室の外では、嵐のように悪意と恐怖が荒れ狂い、人と人が殺しあう。憎しみで、愛欲で、哀しさで、金銭で、思想で、信念で、血筋で、名誉で、ありとあらゆる理由で、いや、争わない理由などないのだと言わんばかりに。それをガラス一枚隔てて見ているだけで、自分達は観客に過ぎないのだと勝手に思い込んでいる。その愚かさが腹立たしく、学園の皆が時々酷く憎たらしい。
 死が己から遠いと物と思い違いをした輩ほど、軽々しく死を口にする。それでも、お前はお前の学び舎が好きだ。教師も生徒も好きだ、馬鹿だと思っても、愚物と思っても、見下す気にはなれない。けれどその多勢の中、唯一違うのは星乃嬢だった。彼女は平穏から逸脱して死と危険を自覚し、悲しみに暮れている。
 星乃嬢の変化は、変わらぬ安寧を貪るこの空間では異物にも等しい。だが、時季外れの転校生という存在が、その異物が本来受けるべき注目を代わって引き受けてくれた。春休み前か後であれば中途半端な感もないものをと思うが、何にせよお前はその事に少し安堵を覚える。
「柳真奈《やなぎ・まな》です。よろしく。まだ制服がないので、しばらくはこの格好で失礼します」
「うっわ、凄い服……。どこの制服かしら」
 転校生のそれは、おそらく制服ではなく私服なのだろう。でなければ、蝙蝠をモチーフにしたような、尖ったデザインのブレザーがゴスパンと名高い、この学園の制服など目ではない。付け袖の黒いシャツにえんじのタイ、初春の季節にも関わらず太腿をむき出しにしたホットパンツ。シャツの襟と袖には十字架のプリントがあしらわれ、黒いパンツはボンテージチックにベルトが巻かれていた。足下もまた五連ベルトの黒ブーツ。
「なあ、あの転校生、ちょっと衣奈に似とらへん?」
「似てへん似てへん」
 隣席に座る星乃嬢の指摘に、ひらひらと手を振って否定。「でも、服のセンスはシンパシーを感じるわ」とお前は一部を肯定した。
 転校してきた少女は、しかし実際お前によく似ていた。瓜二つと言っても差し支えなかろうが、ぱっと見、そのような印象を与えないのは、彼女の病弱そうな外見のせいだろう。お前の肌の白さが健康的で滑らかな絹を思わせるとすれば、あの娘のそれは静脈の浮く蒼ざめた白。それでいて唇の鮮烈な赤さは、いっそ毒々しささえ感じる。儚い容姿と派手な服装の釣り合いが取れていないように思えるが、それが却って少女の印象を決定づけ、そのように作られた人形のように見せていた。美しいかもしれないが、非人間的な印象を多分に含んだ類いの、そんな容姿だ。ひどく目立つ。
「むう……ゴシック的には中々レベルが高いわ。気合入ってるわね」
「天然ものっぽそうやけどね。それに、男子もなんか近寄りにくそうにしとらへん? 引いてるっちゅーか」
 お前と言葉を交わす星乃嬢には、昨日彼女の自宅で見た影は感じられない。しかし、その会話に加わるべきただ一人が欠けているというだけで、以前の精彩とテンポを欠いていた。かつては二度と戻らない。だが、かつてのような時を再び過ごす事もいつか出来よう。お前はそれを信じるしかない。

◆  ◆  ◆

 学校の帰り、衣奈と別れたと思ったら、わたしは占い師のセールストークに乗せられて、長々と話し込んでしまった。最近、よく女子の間で噂になっていた占い師だ。どうしてこんな所にいるのかと思ったけど、知る人ぞ知る穴場で商売しているほうが、噂には上りやすいかもしれない
「あらぁ。貴女、最近お友達を亡くしたのね。幼稚園からずっと一緒? まあ、幼馴染みだったの……。事故ならまだしも、殺されたなんて……浮かばれないでしょうね。その人も、あなたも。犯人はまだ見つかっていない……。ふぅん。ねえ貴女、犯人が見つかったら、どうしたい?」
 どうしたいって、何? ああ、つい最近も同じ事、衣奈に訊かれたっけ。あの時は、そう……。
『もし、そうしたら。私はその時きっと、人を、殺せるよ』
 そう言おうとして、結局言えんかった。でも、きっとそれがわたしの本音だ。ああ、どうしてだろう。何もかも見透かされているような気がしてきた。でも、この占い師には、何でも話してもいいような気がする。口で稼ぐ人はやっぱりうまいなあ。
 ああ、そう、悠美花は殺された。なのに、どうして犯人は生きてていいん? 仇討ちサイコー、今の日本おかしいやん。
「殺したい?」
 殺れるもんなら殺ったるわ。わたしは非力な女で、子供で、銃の撃ち方も知らへん、けど──。
「大丈夫、人間を殺すなんて簡単よ。結構、弱い生き物だから。ただね、覚悟のほうが問題なの。咄嗟の出来事、ものの弾み、単なる事故。そんなもので死んじゃうくらい人間は脆い。でも、殺すって決めても、いざそれを実行するとなると、物凄い精神力を伴う物なのよ。……でも、貴女は覚悟があるわ」
 そんな格好いいもん違う。わたしは、ただ、取り立てたいんよ。わたしの人生から不足した物を、犯人から取り立てるん。
「復讐ってことね。いいわ、じゃあイイコト教えてあげましょうか。貴女のお友達を殺した犯人」
 え。
「でも、これを聞くのってとっても辛いわよ。だって、貴女今まで騙されていたって事になるんですもの」
 いい! 騙されていたんなら余計許せへん、教えて。そいつ教えてくれへんと殺せへん!
「ふふ、じゃあ、これ持っていきなさい。大丈夫、とびっきりのおまじないをかけたナイフよ。きっと貴女の望みをかなえてくれるわ」
 これで……刺せってか。うん。ええわ。覚悟キメたる。そんで、わたしを騙して、悠美花を殺した犯人って誰や?
「ええ。よく聞きなさい。その犯人の名前は──」

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