『歓喜の魔王(終) SWASTIKA OPERA.』(zwei)

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■二節 魔女死すべし──Hexe muss sterben.


「ねえ、ニコ。私も魂を喰べたら強くなれる?」
 今朝の衣装についての他愛ない口論を終え、朝食の席でお前はふとそう切り出した。
「何だ、急に」
「いや、私も神曲に組み込まれた騎士の一人なんでしょ? だったら、私が人を殺したら魂を喰べて強くなれるのかなーって」
 ニコラスはすかさず、「それは出来ん」と首を振って否定した。朝の光に揺れる髪が煌めいて、金の輪を描く。
「貴様の神曲における位置は“騎士団首領全権代理執行者”だ。魂喰らいの権能と恩寵、騎士の召喚。それらを一手に引き受けられる座位は、我が君の位ただ一つ。代替といえども、それと同等の恩恵がある訳ではない。制限を外すにしても、魂魄量と私の処理量的に余裕はないからな」
 余裕がないのは致し方ないにしても、どの道、私は魂喰いには賛成しかねるな。
 よいか、同族食いはよくない。食事時に例えるのも何だが、あれは自分の糞を食うようなものだ。そんな雑菌の塊を食えば、誰だって病気になる。共食いが禁忌とされるのは、同種の血肉から直接毒を摂取してしまうからだ。それが魂なら、体ではなく心を壊してしまう。この場合は、毒ではなく業とでも言おうか。
 人が人の魂を喰い続ければ、いつか必ず破滅する。病んで腐れて膿んで爛れて狂い死にだ。そうなりたくなければ、人間をやめるしかない。
「……じゃあ、お父様も、お父様の騎士も人間じゃないって事でしょうか?」
 概ねその通りだ。だから、お前はそうなるべきではない。ほれ、せっかくお前が作ったミートオムレツ、バジルの香りも高く何とも興をそそる。こういう物だけ食べて生きた方がよほど幸せというものだろうさ。冷めないうちに食べてしまおう。
 さて、翌日。
「いッやー! 星乃の莫迦──ッ!」
 いつもより二本遅い通学電車から降りるなり、お前は全速力で駆け出した。規則正しく起床し、朝の家事を済ませ、ニコラスの頬に無理やりキスをして家を出て、そして駅前でずっと足止めを喰らった結果だ。いつもは途中で合流するか、悪くとも駅前で落ち合う星乃嬢が現れなかったためだ。
 ここ数日こうした事が多く、それで日曜日に見舞いに行ったのだが、彼女が復帰したのは二日間で終わったようだ。水曜日の時間割では、一時限目は時間厳守にうるさい中田崎教諭の数学だからな、遅刻はいかん。それでなくとも、教師の心証はここ最近の遅刻と遅刻未遂で悪かろう。
 既に人影もなく、閑散としたHR前の廊下を(足音を立てないよう気をつけながら)駆け抜けると、最後の曲がり角で通せんぼを喰らった。
「今は、教室に行かないほうがいい」ほほう?
 一昨日、転校してきた柳真奈だ。服装はまだ私服のままで、初日からあまり印象もデザインも変わっていない黒服。焦りながら「なんでっ」と訊ねるお前に、柳は平然と簡潔に納得のいかない説明をした。
「危険だからだ」
 何が、という問いには口を濁す。我々は付き合っている暇はないと判断して、華奢な体を押しのけた。何を企んでいるのかしらんが、余計なお世話というものだ! 柳を押しのけた後は教室まで一直線。引き戸を開け、教室に滑り込むと、教師はまだ来ていなかった。
 間に合ったという安堵の代わりに、フラッシュを浴びせられたような注目の視線がお前を迎える。
「お、おはよ……」
 常日頃の条件反射に従って口をついた言葉は、しかし悲しいほど虚しく転がり落ちた。
 何かに追い詰められたような視線を一斉に向ける級友達と、黒板に貼られた紙の群れをお前は同時に視認する。お前がその内容をよく見ようと一歩前に出ると、教室内の全員がびくっと身を震わせ、一つの生き物のようにまとめて後退った。
 不審な反応の答えは張り紙の中に全てあった。
 新聞の切抜きと、A5版に引き延ばされた写真の束。新聞記事の内容は、マサク・マヴディルが引き起こした『開籠駅前大量殺人事件』、ヘルモルトが行なった『壷抜き魔』こと連続猟奇殺人事件についての物だった。
 そして、記事とセットにされた写真は──二つ結びの黒髪から、様々なゴシックパンク衣装まで、あまさず血に染めた黒い少女を写していた。
 少女の傍らには、大量の刃物を手にした黒衣の男や、内臓を持った影法師の姿がある。足元には犠牲者の死体。写真自体の解像度が低いから顔立ちは不鮮明だが、体格や服装は明らかに我が娘を示していた。何より、赤い油性マジックで『黒幕:黒園衣奈』とご丁寧に大書されている。
「なに、これ」
 疑問の言葉が明確な形をもたないままこぼれ、お前は黒板から眼を離した。教室を見回すと、揃いも揃って怯えた反応を返す。だが、皮一枚の恐怖の下には、明確な敵意が感じられた。まるで決壊寸前の表面張力、少しでも刺激があればたちまち中身が溢れ出す。
「黒園っ!」
 鎚のように呼び声が降り、お前を含めた全員が入り口を注視した。閃光のような視線の嵐にも躊躇わず、踏み入ったのは柳真奈。
「黒園、堂々としていろ。お前は関係ないんだろう? 何、こんな写真、誰だってコラで作れる。ホームルームだってもう始ま……」
 柳が擁護を始めると間もなく、担任の藤谷教諭が現れた。出席簿でぺしん、と柳の頭をはたく。
「おーら、お前ら何やってんだ。席つけ、席」
 眠そうな半開きの目に、着崩し気味の背広。いつものだらし無い姿だが、これで一旦は区切りがつくと知ってお前の胸に安堵が滑り込む。だが。
「あ、黒園。お前は立っとけ、魔女裁判すっぞ」

◆  ◆  ◆

 ありとあらゆる猫じゃらしで遊んでもらい、疲れたザミーはころんと床に転がって、胴を伸ばした。神曲修復作業から休憩に入っていたニコラスは、自らも猫にならって寝っ転がる。髪の毛先は軽く、天上の蜜を撒くように広がり、ニコラスのかんばせを浸した。
「おいで、我が愛し仔」
 ニコラスは微笑んで愛猫を呼んだ。見る者の脳髄に否応なく稲妻を叩きつけ、快楽中枢から脳内麻薬を大量出血させるがごとき凶器の笑み。
 ザミーは主人の懐に潜り込み、主従は小さな天使となって、幻想のお花畑をコロっコロころッころ転げまわった。満面の笑みは、次第ににへらっと締まりのない物に変わり、ふわふわと柔らかい命がもたらす幸せを噛み締める。背をぐねぐねと震わし、ついに感極まった声をあげようとする刹那──、
「む?」と、ニコラスの小鼻と眉が、ぴくりと動いた。
 居間の窓から差し込む陽光は、斜陽の緋色。だが、時刻はまだ午前九時過ぎだ。緋色は不自然なまでに鮮やかで、粘つきを感じさせるほど濃く、一見して自然界の光ではない事が知れた。ザミーも警戒心を露わに背を弓なりにそらし、鬣のように毛を逆立てる。
 居間の戸の遥か向こう、玄関口で扉の開く音がした。施錠していたのだが、それを外した音はない。コツコツと気取ったような足音と、廊下の軋みがそれに続いた。耳を澄まし、全身の感覚を尖らせながら、ニコラスは猫を抱いて立ち上がる。
 その侵入者の出現は、戸の向こうに赤い花が咲いたように見えた。
「あら。あら、あら、あらぁ? 長らくご無沙汰している間に、随分可愛らしくなってしまわれたのですね、閣下」
 輝くような白さのブラウスに、黒いワンピース。尻の部分には猫の尻尾を模した飾りがつき、胸元の白いリボンには笑う猫のプリントがあしらわれている。猫が好きだからと、衣奈が選んだ衣装だった。下着も、例によって(仕方なく)女物を使っている。
 現れた紅い少女の言に反論のしようもなく、ニコラスは唇を噛んだ。年恰好も変わって、今は子供の姿であるのが、また痛い。
「素敵! とても似合ってらっしゃいますわ、閣下」大仰な仕草で手を併せ、褒めるが、その口調は馬鹿にしたような猫なで声。「ひとつ、洋梨《クヴァールビルネ》でもお召し上がりになりません?」
 主に女性に対して使われた拷問具の名を出され、心臓を引っ掻かれたような苛立ちと不快感があった。以前であれば、面と向かってまともに口もきけなかった女が、今は慇懃無礼な無駄口を叩く。つくづく自分も零《お》ちたものだと、今更ながらニコラスは実感した。
 もとより入団以前から魔道に携わっていた魔使い女。神曲と魔王の崩壊後も、自我を保ってここまで来たのだろう。だが、その目的には不穏なものしか感じない。少なくとも遊園地跡でVIII《アハト》をけしかけたのはこの女に間違いないのだ。
「その類いの戯言は聞き飽きた。無用な座興で私を煩わせるな。用件を済ませろ」
 紅い少女──XI《エルフ》・紅天蛾《べにすずめ》“ブルート・シャルラッハ・シュテルン”は、スカートの端をつまみあげてお辞儀した。
「不肖、このド・ミラマール。騎士聖堂十一位《エルフト》、星のアルカナ、承認の権能《アンエアケヌング》。今よりその地位と名、返上仕りますわ」
 花びらのようなスカートが翻り、風が起こった。いや、空気の波ではなく、空間の波をニコラスは風と誤認した。波動は居間内の空間を吹き飛ばし、かさぶたが捲れるように深紅を迸らせる。シャルラッハが現れる直前、窓から差し込んだあの不自然な斜陽の緋と同じ物だった。
 一瞬後、太陽のない茜の空にニコラスは投げ出されていた。
「おいで、我が愛し仔」
 落下する寸前の浮遊感に揺られながら、ニコラスは冷静に仔猫を呼び寄せる。虚空でもがいていたザミーは、応じてまっすぐ主人の胸に飛び込んだ。主従は宙で一回転し、水面に浮かぶようにぷかりと落下を停止させる。
「魔術師の住処に押しかけておきながら、自身の領域に招待か。無粋な上に、礼も典雅さもない」
 シャルラッハの魔術に感想を述べていると、当の術者が装甲箒『紅乙一号』《ロートシュヴァルベ・アイン》に腰かけて、目の前に下りてきた。
「それは失礼しました。ですけれど、私はここの色彩を好んでいますの」
「私の趣味ではないな」鼻を鳴らし、睨みつける。「XI、我が君が傍にいないとはいえ、今の我が魔術《オプス》で反逆者ひとり葬れんと思うか?」
「思っていますわよ。怖い、怖ぁい……。でも、こちらも準備はしてきたんですの。その霊妙なる黄金の血肉、貰い受けます」
 シャルラッハは小馬鹿にしたような笑いを含んで言った。実際、ニコラスの戦力は少なく、使える魔術もそう潤沢な状況ではない。ビブリオテークから失われた術式は、魔術を最も効率よく発動させる手続きであり、協力を取り付けた神名のたぐいも破棄されてしまっている。
「そうそう、閣下の大事な首領様と、その憑り代の娘には、教授がおもてなししてますわ。久しぶりに機械動物園が見られますわよ」
 驚きはない。やはりか、という納得に胸中頷く。VIIIを先遣の手駒にしたように、他の騎士を刺客に差し向けて各個撃破ぐらいやるだろう。X《ツェーン》の他にVIIIが召喚可能になったが、あちらの状況を考えると、衣奈の戦力を減らすのは得策ではない。
 先日使用した炎衣の術は、元来白兵戦向けの高速機動術であり、ニコラスの好むところではない。第一、使っている最中は火焙りに遭っているような苦痛が伴う。かといって、相手も精強なる騎士の一人、生半可な小手先の術では通用しない。ならばニコラスが取る策は一つだった。
「名誉に思え、XI」ふいにニコラスの声が低く変じた。「私直々に貴様を処刑し、我が君への供物に捧げてやる。せいぜい醜く死ぬ事だ」
 少年の柔らかく軽やかなソプラノではなく、甘くしかし張りのあるバリトン、明らかに成人男性の声。華やかであるが暗い冷たさのあるその音色に、シャルラッハはひんやりと蛇が体を這う錯覚を受けた。懐かしく、しかし思い出したくはない存在の顕現が告げられる。
 この世の何よりも華麗に、鮮烈に、おぞましさに身震いするほどの美を誇って。

◆  ◆  ◆

「え、何て言いました? 裁判? 誰を。魔女? 私が!?」
 戸惑う声に耳を傾ける者はなく、級友達はお前を取り囲むように机を動かし、教室の真ん中に空間を用意した。突き飛ばされるように教壇の前に出され、開廷の旨を告げられる。柳だけがただ一人、異議を申し立てていた。
「先生、こんなのはタチの悪いイタズラだろ。どうしてホームルームを潰してまで、生徒をよってたかって責める必要がある。黒園が何をした!」
 お前と柳の訴えを無視して、藤谷教諭は淡々と出席を取る。星乃嬢の名前が呼ばれると、それに答えて声があがった。
「星乃、来てたの!? ちょっと、どうして……」
 これはしたり、色々ありすぎて今の今まで気づかなかったようだ。だが奇妙にも、星乃嬢はまるでお前をいない者のように無視した。見慣れたその面には、今は酷薄とさえ言える色が浮かび、その瞳にあるのは無関心を装った冷たい何か。何だ、この掌返しは?
「なあ、黒園。知っているか、うちの兄貴」
 出席簿を閉じて、藤谷教諭は語りかけた。
「俺、よく自慢してたよな。刑事だからな。でも、こないだの駅前殺人事件、あれで殉職しちまったんだわ。自慢の兄貴だったんだけどなあ。あーあ」
 その話は、藤谷教諭が何度も生徒に聞かせた話だ。生徒の前で恥も外聞もなく泣き崩れていたのを覚えている。葬式に出るため、しばらく休暇も取った。だが、今その事実を再度語る口調は、いやに情感のこもらないものだった。淡白で平坦な、白々しい声。
「で、俺としては兄貴の仇はとってやりたいんだよな。なあ、黒園。お前がやったんだろ? その、何だ、一緒に写真に写っている連中。騎士っつったかなー。ナイトじゃなくてリッター。鎧も着てないし剣も持ってないけど、確かそーゆー連中。お前がそいつらにやらせたんだろ? んっ、何か違うか? 違わないだろ。こいつらが殺したんだろが。なあ。なあ、どうなんだよ。──何とか言えよこの魔女!」
 教室中で「この魔女め!」という罵倒の大合唱があがった。逃げろ、衣奈。あの写真からしてそうだが、我らの事を知っている者──騎士か、騎士に操られた何者かがこの件に関わっている。でなければこの教師がこんな事を知っているはずがない!
「言いがかりだ」
 机の囲いをかき分けて、柳がお前と教師の間に立ち塞がった。
「騎士がどうのと訳の分からない事を! 警察がそんな話を相手にする訳ないだろ、あんたそれでもッ教師かよ!」
「柳、お前ちょっと黙ってろ」
 犬猫を追い払うように藤谷教諭が手を振ると、男子生徒がデッキブラシを大きく振りかぶった。軽々と柳はそれを避けたが、生徒達はホウキやモップ、はては椅子を手に手に素早く襲いかかる。柳を助けるべきか、このまま一目散に逃げるべきか、お前が律儀に葛藤していると、肩を掴まれた。
「逃げるなよ、魔女」
 藤谷教諭が、血走った目でお前を見下していた。ごく自然な動作でお前の頭に手を起き、髪の毛を掴んで乱暴に引っ張る。
「痛っ!」
 我らの怒りは同時に頂点に達した。足払いから一本背負いへ。重量差はざっと二〇キロ以上あるが、何、こんな物はバランスの問題だ。手加減抜きで頭頂を教室の床に叩きつけ、首までくまなく衝撃を染み込ませる。
 邪魔な教師を片付け、お前は柳と級友達がもみ合う渦中に飛び蹴りで突っ込んだ。誰かの歯が飛ぶのを流し見ながら、柳の手を掴む。ま、助けるなら反対はせんさ、恩は恩だ。だがその女には心を許さぬようにせよ。なぜだと? 信用ならんからだ。
「逃げるよ、真奈! 名字呼びめんどいしゴメンねっ」

◆  ◆  ◆

 未来永劫、夕暮と破暁が同時に交差する夕闇。シャルラッハが魔術で創りあげた、彼女のための彼女の世界が、悲鳴をあげていた。爛々と輝く黄金の闇が、斜陽の緋も茜の朱金もその存在感で圧迫し、今にも全てを砕きそうに屹立している。酷く、喉が震えた。
「は、ははは……っは。あははははははッ」
 自らの世界が光輝に喰い荒らされる様を見ながら、シャルラッハは誰かが笑うのを聞いた。己を嘲弄する悪夢のような現実に、もはや彼女自身も無意識に笑い返すしかなかったからだ。揺れる籠のように無辺の天地が軋み、ついにシャルラッハの領域は弾け飛ぶ。
 砕け散る緋色の破片の下から、古い皮を脱ぎ捨てるように押し寄せたのは、鮮やかに彩られたステンドグラスの空間。広大にして壮麗なる大聖堂だった。ゴシック様式の建築物は、バロックとルネサンスの要素を取り込みながら、調和の取れた荘厳な空気を醸し出す。
 聖堂内の複雑精緻なステンドグラスは濃淡も様々に、見る者を飽きさせる事のない見事な色使い。イエス・キリストと聖母マリア、聖キュリロスと聖メソディウス、その他にも多数の天使と聖人が描かれ、シャルトルやノートルダム・ド・パリと比べても遜色ない。
 紅玉の瞳が驚嘆も露わに見開かれた。変容に対する驚きが僅かな間、彼女の呼吸に平静さを取り戻させ、言葉を紡ぐ事を許す。
「これは、『聖餐城』の大聖堂!」
「そうだ」
 玲瓏たる声が高らかに宣言し、甘く苦しい眩暈がシャルラッハを揺さぶった。
「懐かしき我らが本拠、『エウカリスト城』だ。果てし無き渇望を癒す、晩餐の円卓。もはやそこに座る資格は、貴様には無い!」
 聖堂正面奥──三面窓の絵硝子に透ける黎明の陽を浴びて、光の柱のごとく黄金がそびえ立っていた。純白のSS軍服に黒い外套を羽織り、ルーン文字を刺繍した肩帯を首から垂らす在りし日の姿で。艶めく金色の煌めきを纏って立つ『彼』は、壮絶な光輝を背負って、シャルラッハを睥睨した。
 磁力さえ感じる視線に、紅い魔女の意識は焼けついていく。
 錬金術の実践は物質同様に心身をも変成するものだ。基礎金属たる人体から完全物質への変成に到達した時、その肉体は老いや病に免疫を持つ神の躰《からだ》になる。そのような魔術的に完璧とされる肉体を黄金律《ゴルディヒ》と呼び、黄金律の人間を俗に『黄金の子』と言った。
『鉤十字騎士団《スワスティカ・クルセード・オルディン》』副首領ニコラス=ヌンティウス=リリエンタール。それが人類史上、恐らく最高位であろう黄金律の名前だった。それはまさしく生きている彫像、微笑みを浮かべた魔性の宝石。“ラインの黄金”に他ならない。
 その優美な背を流れ落ちる髪も、気高い意志を燃やす瞳も、黄金と呼ぶほかのない色彩。神と言うよりも、悪魔の祝福を受けた姿色《ししょく》は、美形と言うよりも異形のものだ。眼を奪われるほど典雅な容姿であるにも関わらず、人がそれに抱くのは欲情でも思慕でもなく、凄絶な畏怖。
「さあ、XI。この上まだ、申し開きはあるか」
 人は美し過ぎるものを前にすると恐怖を抱く。平時であれば妄言とも思えるそれが、今この場ではまがう事なき真実だった。
「──ば、罵迦にして……。私を、罵迦にしてっ」喉が潰されそうな息苦しさから搾り出した声は、酷く情けない。
 眩暈と耳鳴りと悪寒がシャルラッハの精神を翻弄するが、それは不快なのではなく快感と陶酔が擬態したものに思えた。
「闇の覆いよ、防御の式文よ! 我は今、宣言する。闇の覆いの基にして器なるもの確立されんことを宣言する。その器、青き卵にして、我が肉体を包むものなり。夜の覆いよ、我が形を汝の実体たる夜の中で覆うべし。我をつつむべし、かくすべし。かくして我は汝を満たす!」
 シャルラッハは戦慄しながら、知りうる限りの防御を張り巡らした。指先から噴き出す血で描く守護円、聖三角の防護陣《TRIMACHT. 》、燃える星の印形、天使の名前、星辰の名前、神の名前、それらを秘密の言語に変換した図形の数々。たちまちのうちに城砦のような魔術的防衛網《パルマ・マギカ》が完成する。
 そこまでしても、まだシャルラッハには充分とは思えなかった。黄金の闇に直面するとは、太陽を間近に見るようなものだ。
(嘘だ、嘘だ、まやかしだ。いかに彼が黄金だろうと、道理を無視してこんなっ、都合のよい変化が許されるの!?)
 死して後より、新たに生まれ変わった彼が、再び過去の姿を取り戻すなど理屈に合わない。自分が知るかつての副首領とは、いわば前世のようなものだ。過去世の魂を蘇らせ、それを現世の肉体に再現するような魔術も存在するが、それは大掛かりな儀式を必要とする複雑高度な代物。全盛期の副首領であっても、こんな短時間でそれを成し遂げるのは不可能だろう。だから──こんな事が起こり得るはずはないのだ。
 頭は必死で否定したが、魂は蜜を塗られたように弛緩し、早鐘のような心臓はただ鼓動に身を委ね、もつれた糸のように思考が定まらなくなっていた。呼吸はもはや言葉を形作れず、いたずらに出入りを繰り返して、酸素が希釈されていく。
 ひれ伏し、その足に熱烈な接吻を捧げたくなる欲求を必死に抑えながら、シャルラッハは歯噛みした。

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