『歓喜の魔王(終) SWASTIKA OPERA.』(sechs)

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■七節 決別──I Tego Arcana Dai.


 大聖堂が砕け散って虚無の深淵に消え去り、我々は再び校庭の土を踏んだ。探す必要もなく、目の前にはオクターヴィアが立っている。お前はその傍らに横たえられた星乃嬢を意図的に無視し、杭から解放されたヘルモルトに問うでもなく呟いた。腹の傷も胸の傷も、とうに塞がっている。
「あれが、私のママ?」
「ええ、泥棒と詐欺師と猟奇殺人の神に誓ってそうです。見た目はお嬢様と同じぐらいですが、歳を取りませんからね。スタイルは似てませんが、どうもお嬢様は隔世遺伝? のようで」
 ああ、マグダレナもお前も、胸と腰のふっくら感がよく似ておるよな。ところで貴様は、もう少しましな神に誓え。
「そう」ほーっ、と長く息を吐いて、お前は次の質問を重ねる。「どうして……マナは、私を助けようとしたのかな」
「教室の貼り紙の時点で、お嬢様がアタシらに何らかの関係を持っている事は明白でしたからね。生徒の連中も様子がおかしかったし、アタシら騎士と敵対関係にあると見たのかも。そうでなくとも、情報を得るためには身柄を確保したかったんでしょう。ただ……」
 ヘルモルトはお前を気遣ってか、言葉を選ぶように少し考えた。
「もっと、主観的に述べるなら、あの女の性格としか」
「お人好しなんだ」
 ため息とも微笑ともつかない吐息をお前は漏らした。だが、その表情が心なしか病んで見えるのはなぜか。そして同時に、痛みを──肉体ではなく心痛を堪えるような悲しさがあるのは。二つの心がお前の中でせめぎ合う。柳真奈という少女に対する短い友情、黒園早苗という母親に対する戸惑いと嫌悪が。
「衣奈」
「──その名前を呼ぶなオクターヴィア!」
 ようやく口開いたかの女に、お前は烈火のごとき反発を見せた。そうか、お前はそれを選ぶか、我が娘。
 聞けいオクターヴィア、貴様が探している魔王は、騎士団首領ヘイムスブペルはここだ! 貴様に滅ぼされてその身に宿り、やがて孕んだ赤子に宿り、これまでの雌伏は長かったぞ。だがそれもやがて終わる。我らは再び血の進撃を開始する。嵐の歌唄いは続々と集い、諸人は我らの力を思い知るだろう。そんな事はさせない、か? まあ昔馴染みとしての挨拶はこのくらいにしておこう。私は衣奈の父親として、貴様の申し開きが聞きたい。
「父親? お前が? ふざけるな!」
 ふざけてなどおらん、正真正銘事実を言ったまでの事だ。この娘を今日まで強く、美しく! 逞しく、健やかに! 育て、成長を見守ったのは私だ! お前はただ金を出して、遠くから時折その存在を思っただけだろう!? 十年以上も顔を見せなかった母親が、今更偉そうにするとはまったく噴飯物よ。
「あたしだって、好きでそうした訳じゃない……っ」そう反論する声は弱々しい。しばらく見ない間に脆くなったな。
 それは歳を取らないから、か? それは貴様の怠慢と逃げだろう! 手を尽くせば加齢しているように見せる化粧の方法もあったはずだ。いや、年齢を偽る術の一つや二つ、貴様なら使えたのではないか? なぜそれをしなかった。あるいは、歳を取らない事ぐらいで、なぜ引け目を感じて我が子を捨てた。
「違う! 違う違う違う、あたしは衣奈を捨てたりなんかっ」ああ、もう良い。これ以上貴様の言い訳を聞いても無駄だ。
 衣奈、我が娘。一つ良い事を教えてやろうか。お前は正しくはこの女の娘ではない。ただ、お前を作る材料を提供しただけに過ぎん。直接的には、マグダレナの娘ですらない。マグダレナが生んだ七人の姉妹から作られたツギハギだ。
 マグダレナの粛清後、私は残された娘の処理を騎士達に任せ、結果彼女らは五体を引き裂かれた。そこから彼女を生み出したのが、マグダレナの夫だ。オクターヴィアという名前もな、そもそもラテン語の『八番目』だよ。バラバラ屍体になった七姉妹の体を繋げて作った、八人目の娘だ。
 だが、その体はあくまで屍。発声の関係で呼吸器官は生きている人間とそう変わらぬが、あらゆる新陳代謝と分泌活動は停止し、体温のない体は冷たく、乾燥した肌は非常に燃えやすく、一方で疲労を覚えぬから、肉が朽ちぬ限りは常に性能を全開に出来る。
 ここまで言えば分かるな? 本来なら、子どもなど産めぬ体なのだよ、この女は!
「でも、あたしは確かに産んだぞ!」
 疑問を言いかけたお前の声を圧して、オクターヴィアの悲鳴が響き渡った。
 ああ、そうさ。それは知っておるよ、何しろ私はその一部始終を見ていたのだからな。だが先も言っただろう、お前は衣奈を産んだのではなく、材料になる肉と血を提供しただけに過ぎんのだ。あの時──血潮《ヴィタエ》に満たされ人間らしい分泌活動を一時的に模した貴様の体は、子を宿す事に成功した。だが、その子種が成熟し切るまでには蓄えた血潮は枯渇する。やがてそれは異物としてただ排出される時を待つだけだった。
 それを喰い止めたのは、私だ。神曲の誤爆で貴様の肉体に宿るはめになった時、私はその子種を自分の乗り物として利用する事を即座に考えた。私に残された余力を血潮の代わりに供給し続け、とうとう出産に持ち込んだのだ。そこまで来て私は力を使い果たしたがな。
 あれは奇妙な感覚だったよ。何しろ、私自身のうちに、子を身ごもったような気分だったからな。
 そうして、一度は乗っ取ろうとも考えたはずの体に、魂が宿っていくのを見るうちに、情が芽生えた。初めは力が衰えた故の、手出し出来ない無力さに歯噛みもしたが、何やら本当に自分の子のような気になってしまった。そして生まれてみれば、両親はこの奇跡の子に見向きもしない。
 ならばこの子は、私のものだ。私の子だ。私が産み、私が育んだ、愛しき我が娘。今更貴様などにくれてやるものかよ、オクターヴィア!
「そっか。お父様は、同時に私のお母様だったのね」
 そう呟いて、お前はさえずるような微笑をもらした。そうとも、何ならお母様と呼び改めても良いのだぞ。
「それは遠慮しておきます」はは。
 ひとしきり笑って、お前はオクターヴィアを睨みつけた。その双眸は、狂気にも似た決意と覚悟にきらきらと光る。
「ああ、スッキリした。これで分かったわ、貴様は私の母親でも何でもない。ただの仮宿よ」
 ふ、なんだオクターヴィア。かつて私を殺した女が、そんな傷ついた顔をしようとは。娘を独りきりにした事をこうも悔やむとは、愚かしい限りだな。最初、事情が飲み込めずにいたニコラスも、私と同じくオクターヴィアを冷笑する。カンナビヒの顔には何のさざなみも立たない。
「あんたがつけた名前なんていらない。衣奈なんて呼ばせない」ならば私が新たな名を贈ろう。我が忌み名の最初の名、それを女性形に直し、Erika. と名乗るが良い。「エーリカ……エーリカ、か。するとお父様のファーストネームはごにょごにょ、なのね」うむ。
「くく、ザマぁ」
 歯軋りし、憤怒と屈辱に震えて耐えるオクターヴィアの姿にヘルモルトはほくそ笑む。たまりかねたオクターヴィアが何か怒鳴ろうとしたその寸前、星乃嬢が血の気のない顔を起こした。はっと弾かれたように我々の視線が彼女に集中する。
「衣奈……? ね、ぇ……衣奈。嘘、やろ?」
 夢から覚めたような瞳は茫漠とした黒。シャルラッハの術に操られた影は既に伺えない。力なく彼女は顔を綻ばせた。
「衣奈が、悠美花や私を、殺すはず……ないもんなあ」
「嘘か夢だと思ったら大間違いよ、星乃」
 お前は唯一の友の言葉をはっきりと否定した。
「私、あんた達みんな大嫌いよ。学校もクラスのみんなも先生も、悠美花もあんたも。だって、ほら、見てよ。これみんな私がやったんだよ? 本気出せば凄いの。だからさ、想像してみてよ。こんな事出来るのに、普通に学校通ってバカらしいったら! どいつもこいつも死ねばいいって、いーっつも考えてた!」
 ヘルモルトもニコラスも、何か言いたげにお前の横顔を見つめたが、それには気づかない振りをする。二人はお前の意志を知ったように、何も言わず再び星乃嬢を見た。カンナビヒは興味なさげに、ぼうっと空を見上げている。昼下がりの青空の下には、白々しく屍体とガラクタの群れが広がっていた。
「だから、だからさ。私が悠美花を殺したんだよ、分かる?」
 自虐的に明るい表情を作って、お前は自身と星乃嬢を追い詰めた。
「星乃、今日はあんたを見逃したげる。でも、次会ったら、殺すから。そこんとこ覚えておいてね」
 吐き捨てて、お前はかつての母と友に背を向けた。目指すは校門。教室に残した鞄は、今や気にする必要もないだろう。

■附 終幕──Einsatz.


 時々、思う。動物から性を去勢するように、我が娘の心から、一切の悲しみや苦しみを取り除いてしまえたら、どんなに楽であろうかと。この娘が生きやすいように、心に手を入れてしまえたらと。だが、それは出来ない。私は私の愛する者の心を作り物にしてしまうのが怖い。
 涙を流せば、悲しみが癒せる。泣かないよりは、泣いた方が、その苦しさを忘れられる。そうかもしれない。だが、購うのは涙《みず》ではない。水《なみだ》よりも濃い物、血でなくてはならぬ。悲しみを消すには怒りと憎しみだ。取り除けない悲しみならば、購いを。
 復讐は何も生まないという通言は、私に言わせれば可笑しい限りだ。
 それは元々0を+にする行為ではなく、-を0に取り戻すための行為なのだから。癒しではなく購いと報いなのだから。嵐の中心はいつも凪だ。嵐招くものである私は、我が娘の平穏のためならばその周囲に永劫、嵐が吹き荒んでも構わない。
「……そういえば、ポチは?」ああ、あれはな。シャルラッハの後始末を任せてある。「ふぅん」
 黒園邸に帰りきて、我々はニコラスだけ休ませ、騎士を総動員して大掃除と荷造りを始めた。母に絶縁を申し込んだ以上、この家に住まう義理も権利もない。旅に出るのだ、彷徨う騎士を迎え撃ち、今だ行方知れぬ騎士を探すために。いずれはかつての居城、我らが聖餐城《エウカリストスブルク》にも辿り着こう。
 休めばいいのに、ニコラスは熱心に猫用品を荷造りする。周りをうろちょろするザミーと遊びたい衝動を堪えながら黙々と作業して、お前はふとある事を思い出した。ゴミ袋に不用品を詰め込むカンナビヒを呼び寄せる。
「アダムって言うんだ、あんた」お前はカンナビヒの両頬を掌で挟むと、しっかりと押さえた。「こうしてちゃんと見ると、あんたも結構いい男よね」
 言ってから、ついそっぽを向く。むーん、照れるなら黙っておればいいものを。というかそいつはやめておけ、ほら、碌でもないから。
「……あのさ。お父様の命令だったって言っても、あんたは私がバカ淫獣に襲われている時、最後まで見捨てなかったよね。ほんとは、こないだ傷が直った時に言うつもりだったんだけど。嬉しかったのよ、私」
 あっ、無視されたっ。お父さん無視されたっ。
「ありがとう、マサオ」
 お。お。をぉっ。……へ、ヘルモルト、貴様想い人を横取りされるぞ!
「私、凄く嬉しかったの。あんたが滅茶苦茶になったのも申し訳なくて堪らないけど、でも、やっぱり嬉しい」
 私の忠告をさらりと無視し、ヘルモルトは作業を続けた。それを背景に、お前はカンナビヒの前髪をかきあげ、軽くキスをする。──まあ……、額ぐらいならいいか。んー、だがなー、この朴念仁はまだしも、世の男性にそういう態度はなー。勘違いの元というか心臓に悪いと言うか、うむ。
 カンナビヒは途惑ったように目をしばたき、軽く頭を掻いて、ぽつりと呟いた。
「私の名前は、マサオではない」
 お前は往復ビンタを返事にかえた。

 列車が動き出す。車窓に見える開籠市の町並みはゆっくりと遠ざかり、やがて遥か遠くへ置き去りにして、我々を運んだ。
 オクターヴィアは必ず我々を追ってくる、いずれまた出会うだろう。その時お前はどうするのか。本当にこれで良かったのか。だが、他に選択肢などなかったのだろう。悠美花嬢の死と、教授との戦いで犠牲にした無関係な学園生徒の死と、お前の責任の重さは大して変わらなかっただろうから。お前の迷いは消えないが、私はだからこそお前の選択と決断を見守りたい。
 エーリカ。我が娘。騎士を狩りに行こう、いつの日にか私が復活するために。我が腕にお前を抱きしめるために。父の務めとして、願いとして。私はお前を離さない、私がある限りお前に死はなく、ニコラスが我々の傍を離れることもない。
「……ニコ」
 朝の出勤ラッシュを過ぎた車内は人の姿もまばらで、お前がニコラスと向き合うボックス席に視線を向ける者もない。
 その事を確認して、お前は口を開いた。
「私の騎士になりなさい」
 それは半分は本心で、半分は照れ隠しの言葉。ザミーを入れたキャリーケースを膝に抱え、トランプ柄のジャンパースカート姿のニコラスは、きょとんと呆気にとられた顔になる。自分の言葉を理解していないような反応に苛立つやら焦るやら、慌てて言葉を繋ぐ。
「ほら、私首領代行でしょ。で、あんたは副首領でさ、でも一応お父様の騎士の一人なのよね? 違う? だったら、私の騎士になってもいいんじゃないかってああ──もう! とにかく、あんたは私の下僕兼わんわんの人間以下なところを超絶格上げしてあげてんのよ! 分かったらあんたを構成する六〇億の細胞まるごと使って感謝なさい、カロリーを感動に変換して死蝋を燃焼するのよ、目指せ低燃費効率!」落ち着け、意味が行方不明になっておる。
「何を今更」ニコラスはあっさりとお前の惑乱を流した。「私も確かに我が君の騎士が一人。エーリカ。お前にはそのついでに、仕えてやる」
「だったら様ぐらいつけなさいよ……」
 お前は弱々しく抗議したが、ニコラスはそ知らぬ顔で荷物から小箱を取り出した。そこから、金無垢の指輪を取り出す。
「ニーベルングの指輪だ。私の髪を鋳して造った魔術の品でな、これから先、神曲の制御に役立つ。カンナビヒは己が魂を取り戻し、今支配下に取り戻した騎士も数を増やしている。いずれ制御を外れる可能性もあるから、肌身離さずこれをつけろ」
「へえ。婚約指輪ね」
「話を聞け曲解するな真面目にやれ! いいか、これは契約の印だ。我らが名誉は忠誠なり。私は我が君にしか仕えなかったが、お前もまた代理ではなく、我があるじとして認めよう。受け取るがいい」
「……うん!」
 電車の振動に揺られながら、車窓から差し込む陽光に照らされながら、お前は微笑んで手を差し出す。
 ニコラスはその甲にそっと口づけて、恭しく指輪を嵌めた。
「エーリカ。シャルラッハは“釘”を持ち、更にはザロモニスの弟子であるテリオンを従えていた。これからの道行きには、騎士団書記官が我らの敵として立ちはだかるだろう。辛い戦いになるぞ」
「分かってる。けど、あたしは大丈夫。あんたがいて、お父様がいて、マサオもへも介もポチもいるもの」
 新たなる契約は旅立ちにふさわしい。この旅は我ら新生騎士団が最初に行う血の進撃。我らと騎士が訪れる地は、修羅の巷になるのを免れ得ない。そこには鉄風雷火の嵐が吹き荒れる。我は嵐、嵐を招くものヘイムスブペル。──さあ、征こう《アインザッツ》。


(das Ende. )

 作中の一部にて、以下の作品を参考にさせていただきました。
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作『レクイエム』
 ポール・フェバール著『罰あたりっ子』

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