『ル4』

『ル4』

著/言村律広

原稿用紙換算枚数35枚

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 形状は人力車である。
 視界の空がぐんぐんと、だが遠ざかってゆく。そこへ、地平線がせり上がってきた。美しい速度で重力の位置が前方へと振れてゆくのを感じ、瞬間、視界の中ほどで天地を区分する線が加速した時計の針のように急激に回転する。
「いやっPHOOOOWE!」
 車を引く青年が歓声を上げ、最後は口笛となり、片手を突き上げた。
「っ、いった、ちょっと。もっと丁寧に運んでくださいよ!」
 座席から叫ぶのはハイティーンの少女である。鎖骨のあたりまである黒い髪が、回転の影響で空気中に混ざり込み、晴天を反射する嵐となって顔と車中と構わず跳ね回る。
 慌てて顔の両脇を手で押さえるも、間に合うわけがない。車は回転をやめ、再び上昇してゆく、そう、不思議と眩しくない。上体をきちんと固定されているからこその余裕でもある。
「お客さーん、そんなことしても三半規管は落ち着かないよーっ」
 車夫が叫ぶ。風音が伴奏し、イヤホンが投げられた。片耳分だけ。
「聞いてなっ! 激しくいくぜいっ!」
 客である少女は、前方から伸びてきているイヤホンを受け取ることもなく、苦い顔を髪のジャングルの中から出した。どうせ車夫は背中を向けているのだ。
「な」
「楽しんでるかーい!」
 車夫と目が合った。重力に引かれて垂れてきているイヤホン、風に流されてぶつけられる青年の視線、少女の髪は全て背後へ逃げ去った。
 後ろ向きに、踵で宙を駆けながら、腰で人力車を押してゆく青年、両手がちゃんと引き棒を掴んでいる、いるまま、ままに滑らせて客に接近した。
「いたっ」
 イヤホンが鼻の頭にぶつかり、少女が声を出す。その間にすぐそこ。
「どうよ、空中ドライブは。楽しいだろ?」
「気持ち悪いです」
「なんで?」
「車酔い」
「は? ああ、だって車って言ったのアンタだろ」
「自動車よ」
「何言ってんのさ、あんな鉄の壁。風だよ、風。こっちのが感じれるだろ」
「運転が乱暴」
「ちぇっ。そんだけ言えりゃ大丈夫だぜ、酔ってねえよ」
 肩をすくめる。
「ちょっと、手。何考えてんのよ」
「一緒さ、持ってなくても。どうせ俺のフラッドだぜ? 車も、飛んでるのも」
 顔の横へと流れたイヤホンをコードを手繰って掴む。無言で、投げ返す。
「いたっ」
 重力も、風圧も、投げたイヤホンも、青年から少女に向かって吹き付けていた。笑い声もだ。
「おっもしろいな、アンタ」
 腹を抱えて向きを変え、再び人力車の先端へと戻る青年。そこで、小さくひと呼吸してから、今度は落ち着いた声で言った。
「聞いてごらんよ」
 イヤホンは、再び目の前。風に流されて、小さく音が聞こえる。刻まれる低音はエレキベースだろうか。重なるのは、荘厳な声。声楽の重奏。
「Wellの“bitch's dawn”さ。知ってる?」
 しぶしぶ耳に押し込んだイヤホンの反対側から、青年の紹介が入ってきた。
 途端、視界の青空が雲ひとつなくなり、一瞬だけ太陽が視界を掠める。青年も、見えなくなる。青、ただ。
 暴力的なメロディーだ。しかしそれは低音にしまわれて、囁きかけるような女声の多重コーラスが中音から高音に大きな空間を用意している。そこに、引きずり込まれた。
 視界に青空が戻ってくる。なんて、今日は、とても良い天気。
 広大が鼓膜を叩いて体感させる孤独に、直に浸透してくる低い、突き上げる、鼓動。湧き上がる奮い立つ。
「すごい」
 どれほど呆然としていたのだろう。
「だろ?」
 青年の声が耳元で聞こえた、それに驚いて気がついた、自分はもう車中に居ない。座った姿勢のまま、座席ごと抱きかかえられている。悲鳴を上げる暇もない。
「いくぜ」
 言葉が回転を意味していた。はじめに地平線、対岸、谷、峡谷の町、飛び立った崖、上下が逆の地平線。空に戻るまでに、落ちていく人力車が見えた。
「あ、あ、くるま……」
 まだ半ば呆けたまま。
「大丈夫。あれは俺のフラッドだから、いつでも消せる。それに、あの町は大丈夫」
 下を見る。かろうじて形が判別できなくもない大きさになっている、それが、消えた。
「消したんじゃないぜ? フラッダクシオーネさ」
「なに、それ」
「フラッドを相殺するフラッド、だとかって話。よくは知らねえけどさ」

 歌が聞こえてきていた。
「お。今日もそんな時間か」
 呟いたのは、初老の女だ。そっと傍らの座席を撫でて、消す。
「ひとやすみにするかな。あれも、そろそろ着地するだろう」
 見上げた先には、楽しそうに空中を駆ける二人がいる。日光に目を細め、老女は肩にかけた手ぬぐいで額の汗をぬぐった。対岸には同業者が休憩する様子が遠く、見える。大峡谷ドネルブ・ドロッグを飛び越える運送屋、それが彼女たちの仕事だ。カラッポを使い、人を運ぶなら座席、荷物を運ぶならコンテナなど、適した形を自身のフラッドで作る、そうして宙を蹴る。
「着いたか」
 対岸向きから、片足を軸に回転して着地点を正面とする。そこに静かに座席を抱えた青年が降り立った。二歩先。踏み出す老女の一歩。青年が息をつく。晴れやかな表情を掲げ。老女の二歩目。笑顔に袖口で額を拭ったところを、叩かれた。
「ちゃんと仕事をせんか」
「いってえ。ちょっと、師匠、いきなり、またですか」
「また、というなら、改めんかっ」
 ため息が聞こえた。座席からだ。ハイティーンの少女が耳からイヤホンをとり、青年を見る。
「外してくれる?」
 座席に客を固定するベルトのことだ。客が勝手に外せないようになっている。
「あ、おうおう。ってえ」
 二つ返事で客に向いた顔に、イヤホンが投げられていた。咄嗟に閉じた目を開けると、少女が舌を出している。
「すまないね、お嬢さん」
「ちょっと師匠、俺の客だぜ」
 師弟が続けて言ったところで、ベルトが外れた。
「もういいですよ、いくらですか?」
 座席から降り、少女は老女を初めて視界に入れた。青年の陰から現れた師匠の格好は、駱駝色の作業ズボンにノースリーブの白いシャツ、それに白い手ぬぐい。とても小柄だ。頭髪の残り少ない灰色が大峡谷を渡る風にもつれている。女性とわかるのは、汗に濡れたシャツから透けて見える、乳房だ。日焼けした飴色。
「ち、ちょっと!」
 少女と並んで師匠に向き直った青年と、彼の視線を叩き斬るつもりで、師弟の間に入った。
「師匠、いくらになる?」
 少女に、まるで構いなく青年は、黒髪越しの空間にたずねた。
「そうさな。半額といったところか」
「ええーっ! そりゃねえぜ、ちゃんと日光の入射も風向きも計算できてたろ?」
「バッカもん。できて当たり前だ。いいかげん、その乱暴な運搬をやめろ」
「そんなの、いいからっ!」
 大声で吹き飛ばされたように、青年が少女に向きを反転させられた。そして背中を突かれる。数歩のたたらが踏まれる間に、少女は老女に囁いた。
「透けてますよ」
 指差された先を見て、事を理解し、視線を戻して、実に邪気の無い笑顔を師匠は見せた。
「おい、何すんだよっ」
 青年が振り向きざま上げた抗議に、歯の少ない口を大きく開けた哄笑が重なる。呆然。
「え、あの」
 少女の戸惑いで、笑いは収まった。息を整えている老女から青年に目を移し、呆れられている視線にむっとしながらも、耳にはずっと聞こえていた歌が認識されていた。
「師匠はずっとこうなの。ここらのはみんな、慣れちゃってるからな」
 青年の説明は、聞こえていたが、聞いていたのは歌だった。見上げると、まだ高いと思っていた陽が案外と傾き始めていた。
「女の子?」
 綺麗な、だけど細い声だった。儚いと感じるが、そう断定するには少し自信が足りない。
「せー坊だよ」
 息継ぎから戻ってきた老女が答えた。
「男の子な」
 青年が補足する。
「なんか、悲しい感じ」
「ここらは、谷を通る風が吹き上がってくるからな。街頭唱士の声が聞こえるんだ」
「せー坊はいつも、この時間になると歌うのさ。ちょっと降りたそこに居るよ。行ってみるかい?」
 せっかく運んでもらって飛び越えたのに、と思う一方で、気になった。
「父は何処、母は誰」
 聞こえるままに口ずさんでみる。青年が唱和する。
「友は居なくなる、風は果てなく。病に似た疼き、閉塞された嵐」
 見ると、悲しそうな顔をしている。振り返って師匠の顔、優しい笑顔だった。
「連れてってやんな、ル4」
「空に歌う、涙色の灯」
 歌いながら師匠にうなづき、青年は歩き出した。少女に一度、視線を合わせてから。
「ル4?」
 慌てて追いかけながら、問うた。
「うん、そう。俺、シルル・ルルム。ル4でいいよ」
 答えながら、青年は空中にノ、レ、4と指で書いた。
「おまえは?」
「真唯」
 歌は、徐々にはっきりと聞こえるようになり、二人は鼻歌でそれを追いかけていく。

 ドネルブ・ドロッグは、巨大な峡谷の名前であると同時に、そこにある町をも指す。言い伝えに、巨大なフラッドが通った跡にできた大地の裂け目であるという。切り立った崖を這い伝うように背の低い家が密集している。階段だらけの町だ。梯子も多い。
 真唯にとって意外なことに、公園も多かった。公園というより広場といった方が適切かもしれない。それも意図して作られたものではなく、地形と家々の配置から偶然に生まれた生活の隙間があちこちにあり、それが一休みの公共の場として機能しているのだ。
 広場のひとつ、そこに歌があった。地面は崖に沿って傾いでおり、低い側にベンチがあり、聴衆が体に染み込む時の流れを想っている、高い側、少年がメロディーに陶酔し、流れはそのままドネルブ・ドロッグから溢れ、天を目指すように続いている。
 徐々に、時が止まろうとしていた。
 羽毛の着地のようにテンポが伸びてゆき、ため息の終わりのように流れは途切れた。
 散らばった拍手のひとつが、自分の手元にあることに気付いたとき、ル4が少年に声をかけた。
「よっ」
「やあ」
 少年は笑顔を見せた。明るさがほろほろとこぼれた。真唯は、それに少しだけ嫌な感じを抱いた。なぜだろう。
「こんにちは」とりあえず声をかける。初対面ということを除いても、何か引っかかるものがあって、少年に近寄りきれない。
「こんにちは」
 応えて「お客さん?」とル4を見る。
「おう。真唯だ。お前の歌が気に入ったらしいから案内してきたんだ」
「真唯さん、ありがとうございます。僕は晩成といいます。晩が苗字で成が名前です」
 それをこちらに向けるな。
「真唯です。綺麗な歌ですね」笑うのをやめろ、晩成。
「両親が教えてくれた歌なんですよ」
「あれ、お前、親いないんじゃなかったっけ?」
 真唯はル4を睨み付けた。軽々しくそんなこと言っていいのか、と視線に意思を込めるが、ただル4は意外そうな顔をしただけだった。
「まあ、いないと言えばいないし、いると言えばいるかな。変わった親なんだ」
 笑顔に少しだけ、悲しい色が混じる。ほくそ笑んだ自覚が、真唯を突き落とした。何をやっている、何を考えている、どうしてこんなことを思うのか、一瞬呆けて。
「ところで真唯さんは、何か用事があってここに?」
「あ、父親を探しに」
 つい言うつもりのなかったことを、口にした。
「でも、ここに居るって決まったわけじゃないんですけど」慌てて言い添える。
「へえ、どんな人?」
「ル4なら顔広いから、この町に居るか知ってるかもね」
 二人に言われ、しばし黙り込んだ。父を思い出す、母に逃げられた男、仕事もせずに居た父、勝手に数日間居なくなることもあった、そしてシキイのフラッドに連れて行かれた。
 父がこんなところに普通に居るわけはない。どうでもいい男。
「健二っていう名前。ソードマスターやってるって」
 聞いた二人は顔を見合わせた。

 あの男の、どこがそんなに良いのか真唯には全く分からない。だが夕日の中、ル4と晩成はひどく嬉しそうにソードマスター健二について話している。それに気の無い相槌を打ちながら、赤の反射に焼き尽くされた大峡谷を底へと歩いてゆく。
「そうそう、あれ。あのー。有限のシナプスロードの葬送、あれもすげーよな」
「ああ、滅びゆく領主の迸るフラッドの形を完璧に残したってやつでしょ? 初めて聞いたときは信じられなかったよ」
「へえ」
 わけがわからない。まあ、どうでもいい話だと思う。急勾配をゆっくりと降りる、気をつけないと滑り落ちそうだ。足元からずっと道の先まで、家々の屋根がみっしり連なり、モザイク画のよう。それが、赤にどっぷりディップしている。
「でも、僕はラッパの原っぱ伝説も好きだなあ」
「あれか? うーん、俺はあれ、むしろあんな事でも引き受けるところがすげーと思うぜ」
「ふーん」
 まともに話す気はなくとも、とりあえず空気は読んでおくべきだろう。だから、ちらりちらりと二人の様子に視線を投げる。視線の届かないずっと向こう、左右には赤の薄膜に包まれた空を背景に、ドネルブ・ドロッグに貼り付く建物群、まるで浮動家屋だ。
「もっと昔の、あの、空気民の浮動家屋を渡宙させた話、あんじゃん? あれ俺、最初はファンタジー小説だと思ってたもんな」
「え、あれ、ホントの話?」
「だよな、思うよなあ。大気圏上層部に住む民族を宇宙の向こうまで送り届けるなんてさ。でも実話らしいんだよ」
「うそ? 僕、ちょっと信じられないよ」
「そうなんだー」
 まったく、どうしてこんな下らないことを、そこまで楽しそうに話せるのか。男の子ってのは、本当に訳が分からない。なんか、もう、ほんと、ウザい。
 こっそりの溜め息と同時に水平方向、正面を眺める。顔を上げると、ちょうど、その方向になる、そこには大峡谷の対岸がある。何百階もある建物のようだ、家々。
 しかし赤いなあ。
「夕日ってこんな色だっけ?」
 もういいかげん、あの薄情な最低男のことは聞きたくなくて、とりあえず別の話題を出してみる。無駄にならないといいけど。
「ああ、地質かなんかみたいでさ」
「赤土よりもちょっと濃い色なんですよね」
「そそそ。だからさ、ただでさえ赤い光が、両岸に反射することで、さらに赤くなるってわけ」
「ちなみに、この地質がフラッドと相性が良いことを発見したのも健二さんなんですよ」
 また、そいつの話かよ晩成。やめてほしい、ほんと、もう。
「まあ実用化したのは成のカアちゃんだけどな」
「ええ、そこからフラッダクシオーネ開発に到るところで、健二さんにお世話になったって、いつも聞いてます。すごく感謝してるんですよ」
 だっめ、だ。
 我慢しきれず、ついに大きな溜め息をついてしまった。
「もうその話はいいよ、晩くんの家までってまだ遠いの?」
「あ、疲れましたか、そうですよね。旅をしてきたんですもんね。すみません、もうすぐそこの角を曲がったところですよ」
 真唯の態度など気にした様子もなく、すごく笑顔。ムカつくガキだなあ。

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