『小国テスタ3』

『小国テスタ3』

著/桂 たたら
絵/時磴茶菜々

原稿用紙換算枚数60枚
前回までのあらすじ
 サスフィ大陸のヴァルク王国──人口三千たらずの小国ながらここ数十年、高水準な安全性と経済力を維持し続ける平和な国。
 ヴァルクの保安官クロノは、ある日ふとした事から犬の耳と尻尾を持つヒューマノイド・バスト族の少女ネッツと出会う。ロリコンと呼ばれつつも、身寄りのない彼女を迎え入れ、王宮給仕見習いの職を世話するクロノ。温かな王宮の人々の助けもあって、ネッツは種族の違うヴァルク王国に馴染んでいく。
 ある日、近隣の国家キサラギから、特殊兵器『人形』が贈答品として送られてきた。自らの判断で行動する、人型をした自律人形──それには様々な悪評がついて回っていたが、ヴァルク側としては無下に断る事も出来なかった。
 ところが、その『人形』がヴァルク国内に入る前に消失してしまう。最後に運搬用の馬車に近づいたのは、王国に住むもう一人のバスト族・ダイナ。クロノは大攻撃力を誇る魔術師・人間砲台のカレンと共に、(彼女の歯止め係として)『人形』捜索を命じられるのだった。
 果たしてダイナの自宅で見つけたのは、ミロゥと名づけられた消失したはずの少女人形。それほど騒ぐ事でもないだろうという事で、そのままダイナの元へ彼女を預け、観察と訪問を続ける事でこの件は片付いたかに見えたが──。
 平和なはずのヴァルク王国でにわかに回数の増える軍事演習。ミロゥのプログラムに見られる不審な点。クロノが盗み聞いてしまったヒナ王とヒムロ翁の不穏な会話。温かく居心地のよいこの国に、少しづつ……ゆっくりと、冷たい影が差し込んでいく。
 自らが感じる不安の正体を確かめるため、ダイナの家に深夜訪れたクロノは、そこでキサラギの『人形』──テスタ(試す者)と遭遇し、襲われてしまう。
『血による革命を。神の血を引かぬ、厚顔なりし蛮族に復讐を。神々の末裔は申し出よ、我らは諸君を歓迎する』
 テスタを撃退したものの、直後に現れるキサラギの大軍。
 昨日まで平和だったこの国で、二百年ぶりの戦争が始まる。

→第1話  →第2話(前編)  →第2話(後編)

各章へのショートカット
→(1) →(2) →(3)

 国家ヴァルクは豊かな自然に恵まれた土地だった。
 遠方に聳える山岳から吹き降ろす風が、季節によっては農作物を倒しかねない勢いではあったが、それは種を運び、風車を回し、そして春を運ぶものだった。
 海が近いが、海岸線のほとんどは断崖になっているため、あまり海水浴などは盛んではない。漁師が魚を捕まえるために沖合いまで出ていくのが関の山だった。国の周囲には森があって、そこで捕まえられる動物や植物が、むしろこの国の主な食糧源となっている。
 ヴァルクの東に広がるクライモ平原は、背の低い緑の絨毯のようだった。平原のそこかしこに点在する木々の集まりが、観光名所としてそれなりに知られている。
 ヴァルクは、サスフィ大陸のほぼ中心に存在している。そして、大陸は横倒しにしたひょうたんのような形状をしていた。
 例えば、
 こんな戦争が起こらなかったとしたら、ヴァルクという国は、貿易上における非常に重要な拠点として、人が集まり、賑やかに大きく発展していたはずだ、というのが、後世の歴史家たちの考えだった。

 ……だがしかし、ここから先は。

「戦争が起こる」という運命の、その先の物語が、語られることになる。


「キサラギの目的は依然として不明だ」
 謁見室でヒナ王が声を張る。部屋には五十名ほど人が集まっている。その誰もが、沈痛な面持ちだった。
「現状を少しばかり整理しよう。
 つい先ほど、一時間ほど前に国の外れで作業中の技術者三名が襲撃を受けた。そのうちの二名は死亡、一名は軽症を負った。襲撃者の二名は捕獲したが、一名には逃走を許した。
 それを皮切りに、領土内への突然の攻撃行為が行われた。遠距離からの魔術攻撃である。その発射地点はクライモ平原からだ。距離はおそらく十キロメートル程度。行ったのはキサラギの魔術師たち。その後も無差別攻撃が続けらているが、現在は迎撃によって被害は抑えられている。
 キサラギ軍は、現在も進軍を続けている。このままあの二万の軍勢が、現在の進軍速度を保つなら、ヴァルクへの到達は明け方前になる」
 ヒナ王は、そこまで話して、みなの顔色を覗うように見まわした。
 しかしこの情報自体は、すでに散発的にではあるが国全体へと伝わっている内容ではあるのだが。
「も、目的はなんなんだ……?」
「降伏をした方が良いに決まってる……!」
 室内がにわかにざわめいていく。口々に不安の声が上がる。
「どうなってるの? これから、わたしたち、どうすれば良いの?」ネッツが俺の隣で唖然とした表情で呟いた。「え、べ、別に、怖いこととか、痛いこととか、起こったりしないよね? なにもないよね? ねえ、クロノ?」
「…………」俺はネッツから黙って目を逸らした。
 大丈夫だ、の一言が喉につかえて言えない。俺は少女の一人を安心させてやることすらできないのだ。
「すでに降伏か否かなどという問題ではない」ヒナ王はその一言でみなを黙らせた。「敵国は、宣戦布告もなしに領土へ魔術攻撃を仕掛けてきているのだ。加えて、こちらからの通信は一切遮断してさえいる。目的もわからず、意思疎通も不可能な相手からの攻撃だ。この状況では投降に意味があるかどうか……」
 静まりかえる謁見室に、ヒナ王の声がさらに続く。
「……キサラギの戦力が二万。対し、こちらの全国民が三千弱。正面から戦ったとして勝利など望むべくもない。かといって投降など聞き入れられぬ可能性が高い。となると残される選択肢は――」
 ヒナ王は一拍置き、
「――逃走だ。それも、国全体での」

 ――数分前にさかのぼる。
 謁見室で、ヒナ王に俺が状況報告を行った後、ヒナ王が立てた作戦がそれだった。
「逃走――ですか」ヒムロ翁が唸る。「しかし、国民全員で逃げるとなれば、それは非常に難しいかと。当たり前ですが、こちらには女子供も混ざり移動速度が遅くなります。対して、向こうは軍隊。追い付かれるのは時間の問題でしょう」
 ヒナ王は会議室の中央のテーブルに、近隣の地図を広げた。
「ヴァルクから一番近い国はルノワだ。そこまで逃げれば安全という保証もないが……。ヒムロ。国民全員がルノワまで辿り付くのに必要な時間はどれくらいだ?」
「……」ヒムロ翁は怪訝な顔をしたまま、眉に皺を寄せた。「多く見積もって七時間ほどかと」
「今から国全体に勧告して、みながここを発つのに一時間。ルノワへの到着は朝か……」ヒナ王は一人で呟いている。「で、キサラギ軍が明け方前にここへ到着……。数時間ほど稼げれば良いというわけだな……」
「ヒナ王、まさか」
「まさか、なんだ、クロノ?」ヒナ王はなぜかそこで笑った。「みんな、少し考えがある。聞いてはもらえないか?」
「大体察しはつきましたけれど。まあ、聞きましょうかね」リコが諦めたように肩をすくめる。
 会議室にいるのはほんの十名ほど。その全員が小さく頷いた。
「……血による革命を。神の血を引かぬ、厚顔なりし蛮族に復讐を。神々の末裔は申し出よ、我らは諸君を歓迎する」
 ヒナ王はその一文を暗誦した。
「キサラギはそもそも王族が混血だ。それを彼の国は神の血統と呼ぶ文化がある。考えられるのは、混血が蛮族――人間族に対する復讐を行おうとした、というケース」
「時代錯誤、というか……。いまさらそんな理由で――と感じますね」俺は率直な感想を言った。
「おそらくみながそう思っている。襲撃を受けている全ての国がな。そう思っていないのは――、襲撃する側だけだろう」ヒナ王はわずかに目を伏せた。
「そのような激しい動きや国家理念があれば、すぐに察知できそうなものですが」ヒムロ翁が言った。
「巧妙に隠していたのかも知れぬ。まあ、そのことについてはいま議論すべきことではない。だからそんなキサラギが、人間族がほとんどで構成されたヴァルクへ侵攻してきた場合、あまり考えたくないような事態が起こる可能性が高い」
「いきなり予告なしで武力攻撃してくるくらいですからね」通信士を担う魔術師の一人が首肯する。「ついさきほど、出力が一万を越える魔力波を検知しました。魔術構成の解析によって、領土上空で術解体が成功したため損害はゼロです」
「一万だって……! この屋敷が三つ分は簡単に吹っ飛ぶぞ、そんなの!」
 もうその規模の魔術は戦略級だ。もはや状況は小競り合いなどという甘いものではなく、すでに――、
「――戦争」ホノカが小さく呟いた。
「決定的だな」ヒナ王は鼻から勢い良く息を吐いた。「全部殺したって良い、混血が投降してきたら気まぐれに助けてやろう。……敵はそのくらいの姿勢で戦いに挑んできていると仮定すべきだ。
 ――さて。これから話す内容は、少々酷なものになる――」

 拡声器で増幅されたヒナ王の声が、国土全域に響く。音源の発生地点は全部で四箇所、効果範囲は領土を全て覆うように配置されている。
「……以上が現状を簡便にまとめたものである。現状は一刻を争う、直ちに最低限の荷物をまとめて、西方――ルノワ方面へと移動を開始して欲しい」
 空は曇天。時刻は深夜。本来であれば人の寝静まった静寂のはずの暗闇に、ざわめきと焦りと、避難を促す怒号が混じる。
「怪我人には手を貸してやってくれ。老人には若い者が付き添ってやってくれ。一人でも多くのものが助かるように尽力してほしい。……これは、命令だ」
 数瞬の間。
「……ここから先は、私の依頼になる。聞くも聞かぬも自由だ。現在のキサラギ軍の進軍速度を考えると、今からここを発つみながルノワへ辿り付く前にキサラギ軍に追い付かれてしまう。進軍を止めるための戦力が必要だ」また数秒間の間が空いた。「敵軍は私が止める。だが、絶対だとは言いきれない。……もし、協力してくれる者がいるのならば、屋敷へと来てもらえると、非常に助かる。
 以上で放送を終わる。……国民全員の無事を祈っている」
 わずかなノイズを散らし、放送はそこで終了した。

 さきほどのヒナ王の説明では簡便すぎるのではないか。
 慌しく駆けずり回る職員達の間を抜けて、会議室へと向かいながら俺は思った。
 会議室の扉を開けると、そこには見なれた顔がいくつか並んでいる。ヒムロ翁を始め、家老が顔を並べている。会議室は大きな部屋ではなく、せいぜい十五名程度入るのが限界だ。いまはほぼその上限いっぱいに人が入っている。
 失礼します、と俺は頭を下げつつ、なぜ自分がここに呼ばれたのかと考える。自分はここでの会議に参加せず、外で避難の手伝いをしているべきだ。
 まあ座れ、とヒムロ翁に薦められるままに俺は椅子に腰掛ける。
「クロノを呼んだのは私です」リコが少し大きな声で言った。会議室にいる全員に聞かせるためだ。彼女はこの部屋の平均年齢を大きく下げている。「いまやミロゥ――キサラギから貰いうけた人形ですら戦力として数えなければなりません。彼には一度だけミロゥを操ったというアドバンテージがあります。いまから他人にその契約を譲渡するよりは、彼にそのまま使ってもらった方が効率が良いでしょう。のちほど、私からクロノへ操作方法の説明を行います」
「彼にはここに残ってもらったことについて、礼を言わなければならないな」ヒナ王は言った。「もちろん、ここに残ってもらったみなにもだ」
「自分は――こんなときのために、ここにいたのですから」俺は率直な本心を話す。
 ここにいるみなが、それに小さく頷いた。それだけで、心の震えが治まった。
「それで結局――、どの程度の人が集まったのですか?」
 俺の問いに、ヒナ王は視線を外しながら答えた。
「ここにいる十三名のほかに、外で迎撃に当たってくれているものを入れて四十名」
 少しだけ沈黙が落ちる。
 ……二万を相手にするには、致命的に少ない。
「カレン・ヘートマン補佐との連絡は?」既に戦闘衣装に身を包んだ体格の良い老人が口を開く。彼はヴァルクの魔術師団の団長である。
 さきほど謁見室で一緒に居た、俺より一回りほど年上の通信士が、音信不通ですと答えた。
「居ない者をとやかく言っても仕方があるまい。思考を切りかえろ。……目的は敵軍の足止めだ。最低二時間、できれば四時間、敵軍の足止めを行う。我が方の勝利条件がそれだ。正面からぶつかるには人が足りなさ過ぎるため、ここは兵法の基本、敵の頭を叩く作戦を取る。幸い、クライモ平原はそんなゲリラ戦にお誂え向きの地形だ」
「乱立した木立を利用する、と」家老の一人が言った。
「そうだ。敵軍の針路上の木立へと身を潜ませ、司令官を叩く」
 ヒナ王はあえて口にしないが、この作戦ともいえないほど粗末な戦法には致命的な欠陥があった。
 それは、こちらが不意をついて頭を叩いた後のことで――
 考えても仕方がない。俺は恐ろしい想像を振り払う。
「しかし――、仕掛ける好機を逃さずに攻撃できるものか。木立に身を潜ませるというのならば、相手も眠った猫ではない、完全に気配を断つ必要がある。そこから相手の挙動を察知するなど――、」
「ああ、そこでこいつの出番です」
 扉を開けて会議室へと入ってきたのは両手いっぱいに抱えるほどの荷物を持ったゴトーさんだ。
 彼はどっこいしょと透明な半球状の荷物を、会議室の机の真ん中に置いた。
「ここが指令塔でいいんでしょう? おらリコ、さっさと配線を手伝え」
「ゴ、トーさん……」リコは大きく目を見開いて呟いた。「に――、逃げたんじゃなかったんですか!?」
「あにいってやがんだ。俺が作ったコイツの初実戦だ。この目でみねえわけにはいかねえだろうが」
 リコは少しだけ嬉しそうに表情を輝かせ、すぐに不機嫌そうに唇を尖らせた。「ゴトーさんではなく、作ったのは私です。手柄を横取りしよーなどとはずるいですね」
「んだとこの」言いながらもゴトーさんは楽しそうに笑っている。
「……すみません。前言撤回します。うちの工房のみんなで作った、と訂正します。その方が正確でした」
 突然しおらしくなったリコに、ゴトーさんは目を白黒させていた。
「これは一体?」ヒムロ翁が運び込まれた装置を見て言った。
「あ、それは……、百聞は一見に、です」言いつつ、リコは俺に手招きをした。
「なんだよ?」
「大人しくしててくださいねー」リコはてきぱきと俺の首筋、手首とコードを繋いでいく。そんな作業中には相変わらずリボンがぴょこぴょこと揺れていた。「これは魔力波のエコーを拾って立体映像として再現する装置です。演算素子はダイナ氏の家にあるものをお借りしました。あの家は異世界と繋がっていますよ、これは比喩ではなく」
 よし、とリコが俺の背中を叩く。
「いきますよっ! システム・クレアボヤンス――起動!」
 リコが透明の半球状の装置を弄ると、途端、その中心が淡く輝いた。
 最初はぼんやりした光だったが、徐々に光の輪郭ははっきりとしてきた。同時に鮮やかな色彩が彩られていく。
 まず最初に見えたのはこの屋敷だった。半球の装置の中心に、この屋敷を真上から俯瞰した光景が、指先ほどの大きさで再現されている。次いで屋敷を中心にしてその周囲が輪郭どられていく。それは小さいながらもはっきりとした輪郭をもって再現されていた。小さな通りまでしっかり見える。
 国内の再現が終わると、勢いを増しつつ、まるで水面に落とした石が波紋を広げるように遥か彼方まで再現していく。クライモ平原、断崖の海岸線、木立群、森林。
 そして、クライモ平原の中ほどでこちらへと歩を進めるキサラギ軍までもがはっきりと見えた。その軍勢は、ここから望遠したものと差異のないものだった。
「これで敵軍の動きは手に取るように分かります。折角、こちらの陣地で戦うんだ、これくらいのリードはないと損でしょう?」リコがその薄い胸を得意げに張った。
 すごいな、とその場にいるみなが淡く光る半球状の装置に見入る。
「兵士一人の動きまで分かるぞ……! この装置なら……」
「クレアボヤンス・システム」リコが言った。「便宜的に名称があったほうが便利でしょう」
「くれあぼ……?」ヒナ王が首を傾げる。「ええい、面倒だ、クレアとでも呼んでおけ」
「……でも、使用に際して、一つ、欠点がありまして」リコは申し訳なさそうに言った。「稼動に必要な魔力、この装置って結構大きいんです。平均程度の魔力容量では、一時間ほどしか持ちません。だから、使用するなら、交代で使うか、誰か魔力容量に優れた人に使ってもらうか……。本来であれば、これはカレンさんに使ってもらうことを考えていたのですけれど……」
 それは実際に使っている俺が一番実感している。ミロゥを操ったときほどではないにしろ、使用中に襲ってくる脱力感はかなり大きい。
「では、ここで全軍に指示を飛ばしてもらうのが一人」ヒナ王の視線を受けて、通信士の彼が頷いた。「そして、この装置――クレア・システムの稼動のために残ってもらうのが……、三名――いや二名か」
 俺がここに残る――というわけにもいかないのか。ミロゥを扱うのは既に俺で決定しているわけだしな。
 しかし、クレア・システム――呼び方はヒナ王に倣おう――を使うとなると、ただでさえ少ない戦力を、さらに分割する必要がでてくる、ということだ。
「――私がやります」
 突然の声に全員が振りかえる。
 部屋の入り口に立っていたのは、青ざめた顔をしたホノカだった。
 国同士の戦争になることが分かってから、ずっと呆然として受け答えもまともにできなかった彼女を、国の外まで連れ出すようにと押し付けるように顔見知りに頼んだのがついさっきのことだ。
「魔力容量なら、この場にいる誰よりも私が大きいはずです。カレン先輩ほどではありませんけれど、私一人で足りるかも知れません」
「ホノカ……。では、頼めるか?」
 ヒナ王の言葉に、ホノカが小さく頷いた。
「ホノカ、無理をすることはない。前線じゃないからといって、ここも危険であることには変わりない」
「ありがとう、クロノ。でも平気だよ。ここで逃げちゃったらさ、なんのために何度も戦闘演習やったのか分からないじゃない? 大丈夫。覚悟は、もうできてるから」
 彼女は気丈に笑う。
 争い事を嫌い、人との衝突をできるだけ避けてきたホノカだから、ここに戻ってくるのにどれだけの心の力が必要だったか知れない。
「それに、人は一人でも多い方が良いんでしょ? それだけ、避難してるみんなが無事でいられる可能性が高くなるってことなんだから。無駄じゃないし、足止めだって無理じゃない。……こっちには、戦いの女神様がついているんだからさ」
 ホノカの視線につられて、俺も視線を移す。
 次々と連鎖するように、その場の全員の視線が、我国の王――誇るべき、親愛なる統治者へと集まった。
 ヒナ王は何かを喋ろうとして、口をつぐみ、それを数度繰り返してから、小さく嘆息した。
「……すまない。気の利いた言葉が思い浮かばない。ここは士気を上げるために鼓舞するような言葉を言うべきなのだろうが……。私のこの策は、大勢を救うために少数に犠牲になってもらうやり方だ。その少数になってもらった君たちに、最大の敬意と、称賛を与えたい。……願わくば、この中から一人でも多くの命が助からんことを――」

 そのときだった。
 一番最初に気付いたのはヒナ王だった。
 俯きがちだった顔を上げて、遠くから聞こえる音に耳を澄ましている。
 どうかしましたか、と尋ねる軍師の一人の言葉を遮って、ヒナ王は会議室から駆け出して行った。
 その場に残った面々は顔を見合わせて首を捻る。その後に俺が続き、うしろから数名も追ってきた。
 会議室から渡り廊下を抜けて、謁見室を通って屋敷の外へ出ていくヒナ王を追う。
 その頃になると俺にも分かった。彼女が駆けている理由が。
 彼女は履物も変えずに外へと飛び出していく。
 屋敷の外が騒がしかった。
 本来であれば、もうほとんど国内に人は残っていないはずだった。もう避難勧告から一時間が経過している。
 だというのに。
 屋敷の正面。
 国内で最も大きな通り。
 そこに、大勢の人影があった。
 手に手に武器を持った男達が、荒々しく雄たけびを上げている。
 ――それは、避難したと思われた、ヴァルクの国民達だった。
 彼らが、再び戻ってきて、国のために戦う意思を示しているのだ。
「…………」
 ヒナ王は彼らを呆然と見渡した。驚いた表情のヒナ王というのも新鮮だ。
 彼らは猛る。
「すみません、遅くなりましたっ! 家内と子供を国の外まで送っていたもので――」
「俺達も戦います、何をすればよいのか、指示を!」
 俺もだ、という声が幾重にも重なっていく。
「さあ――ヒナ王。彼らにお言葉を。指示を」
 ヒナ王はこちらへと振りかえる。まだ目の前の光景を信じられない、という表情をしていた。
「そなたは――クロノは、知っていたのか?」
「いいえ」
「ではなぜ、それほど驚いた様子がないのだ」
「まあ、その……なんとなく、ですよ」
 こうなることに、ほとんど確信めいたものすらあったが、俺はそれを正直に言うことはしない。多分、言葉にすることに意味はない。
 もう一度だけ、ヒナ王は全員を見まわして、
「この場にいるものたちは、みな、戦いの意思を持つと解釈して良いのか!」
 ヒナ王の言葉に怒号が答える。
「心得た! ならば約束しよう! この場にいるそなたたちの勇気ある行動によって、必ずや避難した民たちの無事を確保すると!」
 彼女の言葉に答えるように、怒号に怒号が重なっていく。
 吼えることで、死の恐怖を誤魔化そうとしているのだ、と俺は静かにそう思った。
 トントン、と俺の肩が叩かれる。
 振り向くと、そこには見なれた、柔らかな毛で覆われた二つの三角形――。
「ネッツ――」
 そこに居たのは、小柄なバスト族の少女。
 続く俺の言葉を、彼女はその小さな手のひらでさえぎった。
「待って。なにもいわないで。分かってるから。戻れっていうんでしょう」
「当たり前だ」
「どうしても駄目?」
「駄目だ」
「でもそれっておかしくない?」彼女はにこりと笑う。「ホノカもリコも良くって、なんで私には戻れっていうのかな?」
「お、――お前は軍属じゃない」
「バカにして。私も勉強した。この国、別に軍とかないじゃない。危険なときはみんなが一緒に戦うんだ。そうなんでしょう?」
「――そうだな。彼女の言う通りだ」
 後ろからヒナ王が口を挟んできた。集まった群衆への細かい指示は、すでに家老たちに任せているようだ。
「この戦いに参加すれば、ほぼ死ぬぞ? 分かっているな?」
 ヒナ王の厳しい言葉に、ネッツは黙って頷いた。
「戦う意思と理由があれば、女だろうが子供だろうが、みな戦士だ。そなたの活躍に期待する」
 言い残し、ヒナ王は屋敷の中へと戻っていく。それを見送った後、
「……なぜ、」
 言いかけ、言葉が喉に詰まっていることに気がついた。なんでだ……?
「え? わっ! な、何で泣いてるの!?」ネッツが驚いていった。
「なっ、――泣いてなんかねーよ! 泣くわけねー!」
 でも視界はかすんでいた。ほんとに泣いてるし。
「うそだよ、目ぇ潤んでるじゃん! 痛いの? 怖いの? えっと、どうしよう!」
「騒ぐなって! ほんと、頼むから!」
 不安に思い周囲を見る。そのとき、ちょうどこちらの様子をちらちらと見ていたリコと目が合ってしまった。彼女は怪訝な顔でこちらに近づいてきた。
 ――まずい。リコなんかに今の俺の様子を見られたら絶対にバカにされる。
「……そ、そうだ、人数が増えたから、装備の点検を手伝わないと。なにかあれば、謁見室まで呼びに来てくれ」
 俺はそう言い残してそそくさと踵を返す。呼びとめるリコとネッツの声が聞こえない振りをしながら。

→次章へ

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