『小国テスタ3』(2)
2
夜明けまであと三時間程度だろうか。
進軍する隊列の、真ん中よりやや後ろの位置で、馬に乗った男は空を仰いだ。まだ空は白んですらいない。進軍速度は順調で、到着は夜明け前で間違いなさそうだ。
男の外見は人間族とほぼ変わりは無い。ただ、額に生えた指ほどの長さの二本の角を除けば。重厚な鎧を着込んでいるが、その動きには重さを感じさせない。筋力が非常に強いのだ。
彼の周りではほとんどの兵が徒歩で移動している。隊の中では、彼は少々立場が上なのだった。
一定の周期で、鮮やかな魔力光が闇夜に煌く。それは放物線を描いてヴァルク国へと飛んでいき、そのどれもが空中で迎撃されていた。まったく遠距離魔術ってのは夜戦に向かないねえ、と彼は小さく呟いた。
その中にひときわ大きな魔力反応を見つけ、彼はすぐさま指示を飛ばす。「おいおい、すこしは加減しろ。あんまりやり過ぎると向こうさんが全滅しちまうだろが」
すみませんでした、と注意された魔術師が身を縮こませる。
「――さあて、あっちがどうでてくるのか、見物ですねえ、隊長?」
男は笑みを浮かべる。年齢は三十前だというのに、無邪気と形容するのが適切な笑顔だった。人懐こい、ともいえるかも知れない。
彼が話しかけたのは、同じように隣を馬に乗って進軍する男だ。
「少数精鋭の迎撃部隊が展開してくる可能性がある。その場合の標的は俺達だ。油断していると寝首を掻かれるぞ、グリフ」
グリフと呼ばれた男は、へいと気の無い返事を返した。
隊長と呼ばれた隣の彼もまた、人間とは違う点がある。彼の特徴は、猫のような紅い瞳孔だ。明るい場所では縦に線のようにすぼまる。それを、グリフは非常に気に入っていた。射殺されそうなその視線が、獣の性質を匂わせるのだった。
「しっかしねえ……、またこれ、めちゃくちゃな指令が下りてきたもんですねえ……」
グリフの愚痴に、しかし隊長は律儀に返答した。
「俺達は軍人だ。命令に疑問や感想を持つな」
そうは言っても、とグリフは思う。
今回の出撃命令。本隊に出された命令を要約すると、このような内容である。
目標国――ヴァルクへ進撃し、抵抗の有無に関わらず、人間族の男性を全滅させる。人間族以外の者、または人間族の女性は、戦う意思がなければ捕虜として捕えるが、抵抗するならば殺害せよ。
まったくむちゃくちゃ言いやがる、とグリフは思うが、それは彼の考え方がキサラギの中でも少々ずれているためである。一見したところ、この命令に反対しているものは少なかった。
「女は子供産ませるために捕まえて、男は殺して、ですか。……蛮族とかいってるが、これじゃまるでこっちの方が……」
「グリフ。それ以上は口にするな」隊長が静かに咎める。
「わかってます。ま、任務遂行を第一に考えましょう」
しかし恐らく彼もまた、この命令に少々否定的な部分があるのだろう、とグリフは想像する。はっきり彼の口から聞いたわけではないが。
解せない点がいくつかある。
グリフはついさっき、隊長にこんな質問をしたのだ。
「もうこの距離から攻撃開始ですかい? 早すぎやしませんか?」
「敵の射程距離外から予め攻撃を行い、敵の戦力を削るのは常套手段だ」
「声明を教える必要、ありますか?」
「布告をしない戦闘はない。これは当然の行為だ」
なぜ彼ははるか遠距離から、すでにヴァルクに対して攻撃を仕掛けるように魔術師どもに命令を下したのか。こんなもの、敵に接近を悟らせているようなものだ。効果だってそれほど大きくない。遠距離魔術は、魔力の大気への拡散率が高くなってしまい、それなりの準備をしないとこの距離では効果はあがらない。最初の数発が通るのがせいぜいだろう。あとは対策を打たれてしまう。費用と効果が釣り合わない。
それに、声明――血による革命を、から始まる文面――を伝えるタイミングも早過ぎる。あんなもの、制圧した後に伝えてやれば良いのだ。どうせ、人間族の男性や抵抗する者は皆殺しにするのだから。
つまり。
……やつらに襲撃を気づかせ、逃がすためだ。
グリフはしかし、彼のその思惑に気付かない振りをした。ヴァルクの国民を取り逃がした、という指揮官としての汚点を背負ってまで彼がやろうとしたことだ。
これで、向こうさんが逃げてなかったりして、ましてや全国民で戦闘を挑んで来たりしたら隊長の苦労も水の泡だな、と思う反面、その場合ならば隊長が負う失点はなくなるな、ともグリフは思う。
結局、どう転んでも自分にゃあまり影響がない、と結論が出た。所詮自分は叩き上げだ。責任を取らされることにはなるだろうが、それほど重大な過失ではない。聞いた話では、向こうの王は民衆の心を掴むという点においては秀でた人物らしい(他の素質は知らない)から、まあ上手くまとめてくるだろう。
「どう出てくるか、見物だねえ……」
だから、彼はもう一度だけそう言って、はるか前方の小さな国を眺めた。
ひょこ、とグリフの視界の端に、一人の男が映る。彼はグリフと隊長の馬の間に入って、隊長を見上げ、次いでグリフを見上げた。
彼は見なれた愛想笑いを浮かべた。すると大きな犬歯が口元から覗いた。グリフは彼のその愛想笑いが卑屈に見えて好きではなかった。
「すみません、もうイチド、確認しておきたいのですけれド……」ひょこひょこと歩きながら彼は言った。犬歯のせいなのか知らないが、彼の発音は少々おかしいのだ。
「なんだ」隊長が視線を向けずに答える。
「約束、守っていただけますでしょうネエ……?」
「ああ、分かってる、分かってるって!」グリフは大声で言う。いい加減、彼のしつこさには辟易していた。学者ってのは全部こんなしつこいのか?「例の人物を捕まえたらお前に優先して引き渡す、ってんだろう? 何度も聞いたぜ、ったくよぉ!」
「その人物の名前と顔、覚えてらっしゃいまスカねえ……?」
彼の話法には苛々させられる。早く終わらせるのが吉だ。隊長はすでにグリフに会話を任せているのか、口を開く気配がない。
しかしグリフは、ぐ、と言葉に詰まる。どうせ約束などハナから守る気がなかったから覚えていないのだ。
「あれれ、覚えてらっしゃらなイ? それでは約束を守っていただけルか、心配になってしまいますヨ?」
「リコ・ムーシン」隊長が静かに答える。「了解している。彼女は再優先で拿捕するよう努力しよう。その場合、すぐにお前に預ける。――それで良いか、ノウスト?」
にっこりと犬歯の男――ノウストは満足げに笑った。
「駄目ですよ、間違っても下品な男どもの慰み物なんかにしちゃア。彼女には子供を産ませるよりも大事な仕事があるんデス。大体、妊娠なんてさせて御覧なサイ、仕事効率は落ちるバっかりなんですかラ。彼女が私の下で働くようになれば、素晴らしい成果を残せるに違いアリませんからネ」
「あー、なんだっけ、そいつも技術者なんだよな?」
「そうデす。私ほどではありませンがね。こちらが顔写真になりますから、目を通しておいてクださいね。部下の方々にも、十分注意願いマスヨ?」
「そいつ、こないだ送り込んだ人形にやられっちまってるってことはねえのかよ?」
「ありえまセん」ノウストはきっぱりと断定した。「彼女の専門はハード――それも材料方面とはいえ、ソフト方面はさっぱりというわけではありません。あの程度のコードならば、そう、ちょうどここ数日くらいに解析が終わっているはずです」
話題が変わると急に饒舌になりやがる、とグリフは妙なものでも見るような目でノウストを眺める。
「ソウソウ、ヴァルクの使いの方へ人形をお渡しした件……。その節は私のわがままですみませんでしタ。どうしてモ、私の下へ着いてもらうまえに彼女にソフトの予習をしておいてもらいたくテ」ノウストはそこで声をひそめた。「……まあ、襲撃を事前に告知する、という隊長殿の目的と一致してイたので、一石二鳥だったのデすしネ」
隊長は黙っている。
「隊長殿もお人がヨロシイ。わざわざ逃げるチャンスを与えるなどトハね。……ではでは、私の役目は直接戦うコトではないので、後ろで控えていることにしまス。……ゴ武運を」
ひょこひょこと、妙な足取りでノウストは後ろへと下がった。
グリフはぼんやりとしながら、周囲で打ち上げられる色とりどりの魔力光を、見るでもなく眺めていた。戦闘前の心境じゃねえな、と自分を戒めようとしても、どうしても意識が戦闘へと向かない。もともと勝利の決まった戦いなのだから無理もなかった。
「グリフ」
「は、はい!? なんでしょ?」
隊長からの突然の呼びかけにびくりとしながら答える。ぼんやりした態度が悪かったのかも知れない。
「今後……、どうなっていくと思う」
「はい? ……ちょっと質問の意味が……」とりあえず態度を注意されるのではなさそうなので安堵。
「主に俺達のような混血で構成された大陸東部と、人間族で構成された大陸西部。おそらく、今では大陸西部全土で戦闘が行われているはずだ。突然現れた混血が、人間族へと戦闘を仕掛ける形で」
「――ええ」
「この戦争の行方と――、今後の世界の在り方が、どうなっていくのか」
珍しいこともあるものだ、とグリフは内心で非常に驚いていた。彼が政治などの業務以外で他人の考えを聞く、というのは、少なくともグリフは見たことがない。
「そうですね……」グリフは少し考える。「潜伏からの奇襲、という方法で先手は取りましたが、いずれはジリ貧でしょう。なにせ絶対数が違います。まあ、希望といえば、こちらの方が士気は圧倒的に高いということですね。人間族からの不当な扱いに不満を感じているヤツは多い」
隊長は聞いているのかいないのか、厳しい視線で前を見つめている。
「そして、しばらくはこの禍根が残ります。戦争による禍根がね。それが両者の歩み寄りを邪魔するに違いない。完全なすみわけ、又は共存がなされるまでに……、まあ、十年くらいはかかるんじゃないですかね」
隊長からの返答はない。相変わらず何を考えているのか分からないねえ、とグリフはため息を吐きたくなった。
「――お、もうすぐ夜が明けますぜ」
空が白み始めていた。夜明けが近いようだ。
3
木立群への潜伏は、より密に密生している場所――比較的、国に近い位置で行われることになった。
扇状に広く展開した小隊が、あと数時間もすればキサラギ軍を包囲する形になるように配置されることになる。
また、それとは別に、敵軍を正面からかく乱するための部隊が、ヴァルク国の正門付近に待機する。ここに割かれる人員はわずか二百名。この人数で前線を維持するなど最初から無茶な話であるため、これは完全な囮ということになる。
その囮に配置されたのは、俺、リコ、ネッツ、そしてヒナ王を始めとした面々だ。
「最後に一度だけキサラギ軍と交渉を行う。それが決裂した場合、私の合図で攻撃開始だ。私が先陣を切る。みなはそれに続け。そして、周囲に配置した部隊は、戦況次第で戦闘開始。その辺りは、ホノカたち司令室に居る者の判断に委ねる」
暗い鶯通りで整然と並ぶ人々に、ヒナ王が説明を行う。
「以上だ。……キサラギ軍の到着予想時刻まで、まだ少々時間がある。各自、自由な方法で時間を過ごすと良い」
*
がさ、と草を踏み分ける音で、小さな人影がこちらに振りかえる。
「どうした。こんなところに居たら危ないぞ」
「――そっちこそ」
国から一番近い、森の中。
月明かりも差さない暗闇で、人ではない少女が笑った。
「……まあ、ネッツにとっては、ここは庭みたいなものか……」
「うん。夜目も利くしね。危ないことなんてないよ」
なにせ彼女が育った場所なのだ。
彼女は俺に背を向けて、またさきほどと同じ場所へと視線を向ける。
大木があった。枝の一本一本が太く、高さもある立派な樹だ。
見覚えがある。ここは彼女の粗末な家があった場所で、俺と彼女が初めて――、
「なんでここに来たの?」突然、ネッツが問う。
「お前がここにいるような気がしたから」
沈黙が落ちる。彼女は樹上を見上げたまま動かない。
鈴がなるような音がする。虫が鳴いている。
「ネッツ。今からでもお前は逃げろ」
途端、ネッツが勢い良くこちらを睨み付けた。
「なんで。もう決めたんだ、私も戦うって」
輝く黄金色の視線が俺を射抜く。
威嚇するように大きく見開かれた瞳。
彼女は――人ではないのだ。
「ネッツならば……、投降しても聞き入れられる可能性がある。この国で、お前だけは種族が違うからだ」
「…………」
彼女は少しの間、呆然とした後、視線を落とした。
「さっき、クロノは泣いていた。私も、今、すごく泣きたいよ。涙の意味が同じかどうかは分からないけれど」
俺には、ネッツが泣きたいという理由がわからない。
――どうすれば彼女を無事に生き延びさせることが出来るのか。
それだけを俺は考えている。
「一つ分かったことがあるんだ。頑固なクロノを納得させる方法。……この数ヶ月の間にね」
「納得させる方法?」
「ろんりてきであれば良い。つまりはそういうこと」
俺から見て斜になる彼女の身体。
空を見上げていたその横顔――、
突然、彼女の目だけがこちらを向いた。
――瞬間、
彼女の姿が掻き消える。
頬に風を感じ、咄嗟に上半身を捩る。
数瞬前まで、俺の顔があった場所を、いつのまにか俺の側面に回り込んでいたネッツの右腕が通過した。
「良い反応――! 模擬戦の成果かな!」
空振りしたネッツが態勢を立て直すための時間を、俺も同様に態勢を立て直すために使う。彼女を視界に収め、反射的に半身に構えた。
彼女は地面を蹴って、真っ直ぐに俺の懐へと飛び込もうとする。
速い――が、対応しきれない速度じゃない。
突進に合わせて突き出した俺の掌底を、彼女は避けるべく地面を踏み込んで減速した。
予測通りだった。こちらの掌底にネッツが反応することは折り込み済みだ。俺は止まりかけた彼女の身体を掴もうと手を伸ばし――、
――また、ネッツを視界から喪失した。
まばたきの間に地面が目の前にあった。
右腕が背中に回されて動かせない。彼女の膝が、俺の腰を押さえている。
地面に押さえつけられて、完全に身動きの出来ない状態だった。
「――いつかの、お祭りの日の大会。私と一緒なら、もっと簡単に優勝していたかも知れないね。そうは思わない?」
彼女は俺の身体を固定しながらいう。
「ああ、……その可能性は高かったかもな」
「そうだよねー」
くすくす笑いながら、彼女はいたずらに俺の肘をねじり上げた。痛みに思わずうめき声があがりそうになるが、歯を食いしばってこらえる。
わずかに、ネッツの呼吸が荒くなる。熱っぽく、少しだけ上ずった声で言う。
「前にリコが言ってた。私の方が力あるから、クロノを押し倒すのも良い、って。もっと早くこうしていれば良かったかな。どう思う?」
「どう、思うって……、遠慮、してくれると助かる、ぞ……」
「――さっきのは、少しフェイント入れただけ。クロノの目の前でステップ踏んで、緩急つけたの。たったそれだけ。……でも、それだけのことに、クロノは反応できていない」
「そいつは……悪かったな」捻られた肘と、膝を置かれた肩の痛みで脂汗が浮いてくる。
「私にはあなたの方が心配。戦うのなら、私の方が向いている。それがわからないわけじゃないでしょう? ううん、クロノなんて、魔術だってあんまり優秀じゃないんだから、国のみんなよりも、もっと戦えない」
「そのためにリコからミロゥを――戦う術を譲りうけた。これで少しは役に立てるはずだ」
「――――」
ネッツが言葉を飲み込む気配がして、俺の身体の拘束を解いた。俺は身を起こして、軽く肩を回したりして体の調子を確認した。
「ごめんなさい……。痛い場所はない?」
「ああ、気にするな。……だがな、一ついわせてくれ」
びくりと彼女が怯えたように身をすくませる。怒られると思っているのだろうか、観念するように瞳を伏せた。
「納得、していないぞ、俺は」
「……え?」
「論理的に納得させるんだろう」
「……だから、私の方が強いんだから、クロノに心配されることはない、ってことを、」
「そこが根本的に違うんだ」俺は彼女に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。「俺が、お前に戦うなといっているのは、お前が弱いからじゃない。役に立たないからじゃない。お前には傷ついてほしくないからだ。分かってくれるか?」
「…………」
「たしかに、お前が戦列に加われば、敵軍の足に大きな時間を食わせることができるだろう。成功率もあがる」俺は迷った末に、ため息と共に本音を吐くことを決めた。「こういういい方は問題があるのかも知れないけど……、例えば、お前が戦線を離れて、そのせいで逃げた人達が敵軍に追いつかれたとしても、俺は構わないと思っている」
ネッツは俺の言葉に驚いたようだった。目をまんまるにして、頭一つ分は高い俺の顔を見上げている。
「そんなこといって……。他の人に聞かれたら、大変なことになっちゃうよ」ネッツは仕方がないなとでもいうように苦笑を浮かべた。「でもそれじゃ駄目なんだ。翠屋のおじさんのケーキも、楠屋のお姉さんの氷菓も、それじゃもう食べられなくなるからね」
「ネッツ――」
「この国は、私にとって、とても大事なものになっていたんだ――知らないうちに」
彼女は、国のある方向へと視線を向けていう。
――分かっていたことなのだ。
さっき、彼女が戻ってきたときから。
彼女に逃げる意思など、少しもありはしないということに。
彼女はまるで踊るようにくるりと振りかえって、花のような笑顔で言った。
「もしここで死ななかったらさ! またどこかで一緒に暮らせると良いね!」
そして彼女は、先に戻るから、と去り際に言い残して駆けて行った。
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