『長江のうた 星へのたび』(二)

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三 三峡


 荘厳なる奇岩奇峰が雲雨を突き抜けんばかりに連なる大峡谷であり、長江のちょうど中流にあたる、いわゆる三峡は風光明媚にして景勝の地として中華にあまねく知られている。四海屈指の美観と称されるこの絶景は古くより文人墨客の好むところとなり、その雄大豪壮たる眺望は多くの詩人の麗句にも詠われてきた。一方で、激浪が断崖絶壁を絶えず打ちつける水難の処としても知られている。
 水紋は大渦となってさかまき、激流はほとばしる波濤となって天にも届く水しぶきを打ちあげる。水の下には岩群《いわむろ》が無数に潜み、曲がりくねった江は轟轟たる流水を生じさせ、激流は岩にぶつかり砕け散る。水しぶきの音は途絶えることもなく、ときには雷鳴のごとく轟いてやまぬ。「夏の盛りに峡を下れば、死すとも弔《とむら》わず」といわれ、船が覆ったが最後、旅客は江の下に沈み、浮かびあがることはないと畏れられてきた。
 これほどの危難であるにもかかわらず、古くより多くの旅人が公私の別、めざすもののちがいはありながらも、この難所を通り抜けることに挑んできた。三峡を下ることは一命を賭すにも等しいおこないなのである。
 冬は乾期にあたっていて、水かさが引いており、暗礁は少なくなっている。しかし、川幅は狭くなり、川底もあがっているため、水の流れはきわめて変化に富んでおり、熟練の船頭でなければ、これらの峡谷を下ることはできない。
 蘇家の一行は三峡の第一である瞿塘《くとう》峡の手前でひとまず船を停めた。陳老船頭の指示のもとに水手たちは船を上陸させ、船底から艫綱にいたるまでありとあらゆる点検をなし、補強の直しがおこなわれた。どの顔も真剣そのもので、いつものように軽口や冗談を飛ばすものさえおらず、余計なことはだれも口にせず、ひたすら手を動かしていた。
 陳老船頭はここから三峡を抜けるまでのあいだは長江の水を口にするのはもとより、肌に触れることさえ避けるように、ときびしい語調で命じてきた。この地の水に慣れていないものが触れるとひどい腫れが起き、悪くすれば高熱を発するという。水はすべて備えつけの樽のなかを用いるように。
 天然の脅威を前にして、船上の旅客でしかないかれらがなせるのはただ神の加護を祈るのみである。峡谷の入口には社があり、ここに豚一頭と酒一樽を捧げる。勝手知りたる父の導きのもとに祈禱がおこなわれる。小さな洞内の祠にて、航行の安全を詞に託して朗朗と詠みあげる声が響き渡る。発せられる辞は耳に心地よく、聴くものの胸に深く染みた。この声ならば神の心にも届くであろう。蘇軾は母の顔をも胸に思い描く。隣で弟もきっとそうしている。
 祈禱が終わると、船乗りたちは三日間の安息についた。
 三日目の午、陳老船頭はさらにけわしい表情で告げてくる。「いよいよ明日は瞿塘を越えます。われらも一丸となって、ここを無事に抜けんとするが、あなたがたも心してほしい。難所越えの際には信じがたい光景をまのあたりにするが、われらの腕を信じて軽挙に出ないでほしい。命の危うきを感じても船から飛び降りようとしたり、水手の舵さばきを邪魔したりしないでくれ。まことのところ、われわれでさえ船客の動きにまで心を配っているゆとりはない。ひとりのわずかな舵取りのあやまりが転覆のおそれにつながる。軽はずみな動きを抑えられないようならば、明日ははじめから船室にこもり、布団を頭からかぶって寝ていてくれ」
 船頭の声は次第に割れ鐘のようになってゆく。蘇家の男たちは固く約した。父は落ちつきはらっていたが、いつものように相好は崩さず、なにひとつ口にせずうなずく。蘇軾も弟も気をひきしめる。されど絶景はしかと目におさめるつもりでいる。
 蘇軾は晴天を仰ぐ。はるかな蒼穹に白い影をとらえた気がして、またしてもあの鶻かと胸を高ぶらせる。されど、それは陽光のきらめきでしかなかった。
 明くる朝。出帆のとき。まずは天候には恵まれた。婦人ふたりと幼子は船室の奥に寝たまま動かぬように申しわたす。両婦人ともすみやかに同意した。いよいよ船が動きはじめる。父は奥の室への出入口の簾の前に坐す。目を閉ざして動かない。わずかに唇が動くのは念仏を唱えているのであろう。風が吹いている。蘇軾は船縁近くに腰を落ちつける。弟もすぐ脇に坐る。知らぬうちに手に汗を握っていた。
 三峡の西の入口である瞿塘は三つの峡谷のなかではもっとも短い。なにもなければ、この日のうちに越えるだろう。不吉な想像がよぎり、頭を左右に振ってはらう。はるか凌雲寺の巨大な弥勒像を思いだす。加護を祈る。
「まずは瞿塘の石門と呼ばれる両壁があらわれる。そのすぐ先が灔澦堆《えんよたい》という巨岩のそびえるこの峡谷最大の難所だ」父が目をつぶったまま告げてくる。いつになく声が重い。
 流れはきわめて速く、しばしば船は左右に大きく揺れた。なにも口にする気にはなれなかったが父の強いすすめで飯を無理に腹に入れた。
 やがて天を突くようにそびえたつ巨大な屏風のごとき断崖が両岸に並んであらわれる。屹立してそびえる両の険はまさしく石門であった。なるほど「雄偉険峻、瞿塘にあり」か。船は川央を進む。絶壁が迫りくる。ややあたりが暗くなってきた。叩きつける水しぶきの音。雷雨のようにとまらない。いよいよ石門を通り過ぎる。
 前方の流れのまんなかにごつごつと重なりあった黒いかたまりが出現する。またたくうちにそれはとてつもなく巨大な岩とわかる。高くて幅もある。その岩にぶつかって、天に浴びせかける波濤の水しぶきが絶えずあがっている。あれが灔澦堆か。巨岩ぶりと壮絶な水のほとばしりに目が離せなくなる。
 だが、両側から耳をつんざく轟音が響いてきて心奪われる。左右を目にして愕然となる。断崖の淵までおよぶ巨大な渦が深い水紋をなして左右ともにひろがっている。激浪同士がぶつかりあい、水のひしめきはすべてを呑みこまんばかりに激しく渦巻いている。船は両の大渦巻きの狭間をかろうじて通過して進んでいっている。左右どちらかにわずかにずれても渦に巻きこまれ、江の藻屑となるであろう。
 思わず水手たちに目を向けて、これまた背筋が凍る。いずれも死人のように青ざめた顔をしていた。陽によく焼けた男たちの蒼白な表情と口もとを引きしめている光景はこの世のものとも思われぬ。船は奔流を飛ぶがごとくに疾駆してゆく。もはやここは天にすべてをゆだねるしかあるまい。命が預けられた思い。心の臓がこのうえなく脈打っている。
 中央の巨岩はまたたくうちに大きくなってゆく。遠目で見ていたよりもはるかに巨大で、なおも高さも幅も増してゆく。船はまっすぐにその岩をめがけて奔馬のごとくに駆けてゆく。波頭に乗っているというよりもむしろ飛んでいるとあらわすべきか。岩はそびえたつほどにまでなる。両岸が天を突く断崖であるのでそれから比べると小さいが小山然として屹立している。両側は変わらず渦巻く激流。狙いさだめて放たれた一本の征矢のように船は巨岩めがけてまっしぐらに飛んでゆく。もはや左右の渦に気をとめるゆとりさえない。灔澦堆は巨象のように迫りくる。水が高く持ちあがり、岩の正面めがけて船が跳ねあがる。ぶつかる、と覚悟した。腰を浮かせかけるが、厳命が胸によみがえる。そうか老船頭の口にしていた「信じがたい光景」とはこのことか。とはいえ、もう巨岩がすぐ目の前だ。この勢いでぶつかればまちがいなく船もろとも木っ端微塵だ。気づかぬうちに弟の手を握っていた。母の面影が浮かぶ。
 船は正面から灔澦堆に激突する寸前のところを巨岩の端のぎりぎりをかすめてすさまじい速度ですり抜けていった。叩きつける水音が果てしなく続く。巨岩を過ぎてもなおもとまらない。
 蘇軾は息継ぎも忘れていた。口のなかが乾ききっている。ものも考えられない。九死に一生。その一言だけが目前に浮かんでいた。恐ろしさのあまり体を動かせない。右手に温かみをおぼえ、弟の手を堅く握っていることに気がついた。こちらの顔も蒼白である。ようやく荒い息を継げるようになった。激流はなおも続いている。
 これが三峡か。息も絶え絶えに思う。長江下りをなしたものはだれもがこの壮絶なる行をみずからの身をもって知っているのか。いにしえの英雄も賢人も、あまたの官僚も旅人もまた。文人墨客の名がいくつも浮かぶ。李賀、李白、杜甫、白居易。いずれもこの大峡谷を詩にしている。
 振りかえる。父は変わらず目をつぶったまま文言を唱えている。いつもより蒼ざめていたものの息は落ちついていた。おもざしをとくと見る。隣で弟もそうしていた。わが子ふたりが見つめていることに気がついてもまぶたひとつ動かさずにいる。
 なるほど父はこれをわれらに見せたかったのか。この難所を知らずして長江を語ることはできず、中華を論じることもあたうまい。まさしく命を賭けただけの得るものがあった。激流はなおもさかまいていたが、このときだけは景色よりも父から目が離せずにいた。
 その父が目を開く。穏やかな声。「はじめの険はこれで抜けた。このままさらに百里進んだところで、今日は船を停める段となろう。そこからが第二の難所、巫峡だ」


 川幅も広くなり、巫山のふもとにて宿する。明日、巫峡を下るかどうかは水の引きを確かめてからだ、と老船頭は断じた。この夜は疲れきっていて、いつのまに眠ってしまったかもわからない。巫峡は瞿塘とは比べものにならないほど長い。この日を上まわる苦難行となろうが、心がそれについて馳せることをかたくなに拒んでいた。
 翌朝になった。水は引いており、出航が決まる。船はすぐさま巫峡へとさしかかる。川幅は狭まり、両岸は絶壁が恐ろしいまでに迫りくる。瞿塘よりもはるかに高き険峻である。両岸の威容に船は押しつぶされてしまいそうだった。あたりは暗くなる。すでに太陽は高く昇っているが、夜明け前のような暗さである。見あげるとはるかな断崖の彼方のはざまに一筋の空がかろうじてうかがえた。あたりは霧がたちこめ、両断崖には奇怪なかたちの岩や巨木がそそりたち、いよいよもって神仙の住まう景色へと転ずる。
 幽明のほとりを下っているような、夜の明けない異境にさまよいこんだ尋常ならざる光景。龍神や仙人があらわれないのがむしろ不思議であった。船は雲煙のさなかをひた進む。霧は次第に濃さを増し、前方の峰群の頂きをも覆い隠す。だが、不意に光明が頭上より射しこんでくる。太陽が中天にかかったのだ。だが、それはほんのわずかなひとときで、すぐにまた霧のさなかに包まれた。頂上さえうかがえぬ両岸の断崖。またしても、流れが速くなる。
 怒濤さかまく灘を越えた。幽深秀麗とあらわされる名高き巫山の十二峰はここからである。父の言によると、十二峰はすべて北側にあり、どの峰も伝説に彩られている。しかし、薄暗い激流のさなかでひとつの峰に心をとどめておくことはとてもできず、加えていえば、厳かなかたちをした奇峰は十二どころではなかった。せめて最もよく知られている神女峰だけは確かめなければ。
 父が身を乗りだしてくる。肩を叩かれる。指ししめす先に雲気がただようひときわ秀麗なる白い峰がごくわずかなあいだだけよぎった。針のように細く、すらりとした婦人のたたずむ姿に似ている。あれが西王母の娘、瑤姫《ようき》の出遊する神女峰か。思いとともに佳景は過ぎゆく。
 雲煙に縁取られた奇峰の群れと絶壁はなおも続く。地図で確かめると百余里にも及んでいる。薄暗さは変らぬままなので、ときの移りがわからぬほどである。
 前触れもなく浪が大きくうねる。またしても難。上下に大きく揺れる。船室の柱にしがみついてつかまる。波濤を前に船は一葉のごとくに無力で、もてあそばれるばかりである。それでも、なんとか揺れはおさまった。難をひとつ抜けたのだ。されど、この先にこそ巫峡最大の難所たる灘が待ち受けている。
「死魚のるつぼと呼ばれる灘だ。見ろ」父のしめすはるかな前方には奇怪なかたちをした岩石が水面よりいくつも飛びでていた。複数の岩が突出しているため、水路はきわめて細い。あれだけの狭きをこの急流のさなかで無事に抜けられるものだろうか。
 けわしき蛇行にさしかかる。ひしめく急流激湍。ここを曲がりきれるか、それとも岩群に叩きつけられるか。船は勢いよく右横に流される。このままだとまちがいなく前方の岩にぶつかる。今度こそ死を覚悟した。だが、右手の崖より押しかえされてきた大きな波が右の船舷を力強く押して本流へともどしてくれた。間一髪で岩と岩のあいだを船はすり抜ける。
 まともに息ができなかった。なにも考えられない。頭のなかがまっしろである。ようやく息がつけるようになる。水手たちの表情を目で追う。岩群にぶつかると覚悟したとき、押しかえしてきた大波。船頭はあれが生じることを計った上で、ぎりぎりまで船を横に流させたのだ。そうでなければ船がこうして動いていようはずがない。大胆でありながら、細密な操船術。これこそ熟練の技である。蘇軾はふたたび息を吐いたが、それは感嘆の吐息であった。


 巫峡を越え、帰州に着いた。いったん上陸する。船頭の意見により、積み荷もひとたびすべて降ろす。逗留先の寺に運びこむ。身を落ちつけてからも、巫峡の水しぶきの光景と大音が離れずにいた。心情としては命がまだあるのが不思議なくらいである。
 夜になるとすっかり冷えはじめる。やがて降雪がちらつき、更けてくるにつれて吹雪にまでなった。翌日となってもなおやまぬ。朝になり、外に出てみると、一面が雪に覆われていて、吹きすさむ寒風が樹林の梢を揺さぶっていた。
 ここで蘇家の一行は吹雪により、足どめを食らうこととなる。だが、一家のだれもがこのなりゆきを喜んだ。大峡谷の険難をなんとか無事にふたつまで越えて、身も心もすっかり疲れきっていた。またすぐに残す最後の難所に挑む気力はとうてい起きない。船乗りたちもふくめてその日からほぼ丸二日をひたすら寝て体を休めた。あきれるくらいによく眠れた。
 三日が過ぎ、雪はすっかりおさまった。空は快晴である。地のところどころに見受ける白があざやかだった。残《のこ》んの雪が樹木の枝にも漠たる荒野にも散らばっている。
 三峡越えの旅程もいよいよ最後の難所である西陵峡を残すのみである。だが三峡のなかでももっとも長く、百五十里にもおよぶ峡谷は曲がりくねっていて、激流もことのほか荒あらしく、灘も多いという。ここさえ抜ければ、あとはおだやかな水路となる。まさしく最後の難所。
 船が出帆する。これまでのように婦人ふたりと幼子は奥の船室でおとなしくしている。妻は奇勝をじかに目にしたいようすであったが、赤ん坊がいる手前でそうは申しだせず、史氏をひとりにしておくわけにもいかないので、なにもいわずに奥へ消えた。申しわけなく感じた蘇軾だが、こればかりはどうしようもあるまい。船が揺れ、気を引きしめる。この日こそが最後の険難越えである。
 すぐに急流となる。両岸には猛獣を思わせる大きな石が横たわっていた。船のまま洞のなかに入ってゆく。洞内は見あげても天蓋がうかがえぬほどの規模であった。洞を出てさらに船は進む。三十里に達したあたりで西陵峡最大の難所である新灘にさしかかる。この灘では古きにおいて二度山崩れがあり、鋭くとがった岩がごろごろしている。ここはさすがに熟練の技を誇る船頭でもこのまま越えるわけにはゆかず、新しく開通された狭い水路を通る。しかし、その狭い通路でも水かさが低すぎてついに船は岩礁に引っかかり止まってしまった。そのまま身動きが取れなくなる。
 ややあって、陳老船頭が苦い表情で船室に入ってくる。奥の室からも妻と史氏も不安げな顔で出てくる。
「船が座礁に乗りあがってしまった。悪くすれば、船底に穴が開いて水が入ってくる。ここは水手たちの力で船を引きあげるしかない。ついては頼みがある」
「われわれにいったん船を降りろというのですね」父はいつものごとくであった。
「ああ。荷までは持たなくても済むと思う。まずはやってみる」
 一同は船窓より外を見る。変わらず断崖だが、岸辺には広くて平らな岩場がある。短いあいだならば、そこに身を寄せていることもできよう。
 水手の三人が細長い戸板を組みあわせて、船縁から平らな岩場までの橋を架けた。橋の下は流れである。蘇軾が王氏の手を引いて渡り、続いて弟が史氏とともに、最後に父が孫を抱いてあがる。岩場の水際はすっかり水浸しになっている。
「滑るぞ。気をつけろ。すぐに奥へゆくのだ」父が呼びかける。幼子と五人は断崖沿いまで移る。そのまま動かない。
 船頭の掛け声のもとに、要所のいくつかに綱がかけられる。水しぶきをさかんに浴びながらも水手たちは息をあわせて引きあげる。船は動き、さらに安全な際まで引っぱられる。艫綱をもやいで固定させる。急流のさなかでも停めるすべをかれらは心得ていた。
 ふたたび船上の客となる。婦人たちは奥の室にもどった。妻もごくわずかなあいだだけでも絶景に触れたおかげでいくらかは気が満たされたらしい。「やはりおとなしくしています」と小声でささやいてきた。しばらくしてから船は動きはじめた。
 八十里。黄色い牛のかたちをした山が水平の向こうにあらわれる。黄牛山である。この黄色い牛を引くようにそびえる黒い岩があたかも刀を背負った牛飼いのように見える。青天を背景に目にしていると、屏風画を眺めている心持ちがしてくる。父が教えてくれる。このあたりはひとが地にあらわれるはるかな昔は海の底であり、往時の地層がここではむきだしになっているのだと。それゆえの黄土である。またこの一帯は暗礁の多いところでもあるが、わずかに増水しているためにさしたる労苦もなく通り抜けられた。過ぎし三日間の降雪は思わぬかたちで一行に幸をもたらせたのである。黄牛山もまたたくまに過ぎてゆく。両岸は断崖から大きめの岩の連なりに変わってゆく。奇妙なかたちをした岩群が岸辺に続く。
 ここまで来れば三峡も危うい水域のほとんどは越えた。船は急流に乗りつつも軽快に水音立ててひた走る。蝦蟇培《がまばい》と呼ばれる蛙によく似た大石を岸辺に見受けた。蛙の口と思しきくぼみからは水が滴っている。そうした細かいところが見て取れるほどに、すでに流れはいくらか緩やかになっており、船客も気持ちにゆとりがあらわれはじめていた。
 ほどなくして川幅が一転してひろがる。まるで河から湖に出たかのようである。流れも一変して穏やかとなり、水しぶきも激流の音も一切聞こえず、静まりかえっている。吹きつける風もやわらかなものに変わっていた。岸辺の向こうには田野が伸びており、農家も多く見受けられる。ついに大難続きであった三峡をすべて越えて、人里にまでたどり着いたのだ。ちょうど日暮れどきであり、茜色の夕映えが平らかな水面にきらめいていた。蘇軾は船縁に出た。父も弟も、手招かれて妻も史氏もあらわれる。水夫たちもそろってにこやかな顔をしていた。かれらのすがたも夕焼けに染まっている。陽光までもが、われらが旅の無事を祝してくれている。一家は手を取りあった。

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