『長江のうた 星へのたび』(三)
四 星客
船は宜昌の南岸の船着場に到着した。嘉州を出帆してからすでにひと月と一旬余が過ぎており、暦は十一月の終わりとなっている。
驚いたことに岸辺は出迎えの村人で満ちていた。下船すると村の長だと名乗る小柄な初老の男が父の手を取り、こちらがとまどうくらい熱烈に無事の到着を祝ってくれた。村人たちの歓声がそれに続く。すぐ近くに祝いと歓迎の宴の席も整えてあるという。三峡下りの出口にあたるこの村では長江を下って無事にたどり着いたものを丁重にもてなすのが古くからのならわしなのだという。
だが、宴の前になさねばならないことがある。村の長もよくわかっていた。三峡のはじまりでそうしたように神に祈りを捧げるのである。社まで案内してくれた。入口と同じくに豚一頭と酒一樽を祭る。父が神に感謝の意を告げる祝文を清澄たる声で詠みあげる。手をあわせ、目をつぶるとこのひと月ほどの、わけてもこの数日の波濤と激流、危難につぐ危難の果てに九死に一生を得た数数の事柄が思いだされてならなかった。いまこうして両の足で地を踏みしめているのが、信じられないくらいである。神の加護であろう。母の顔がよぎる。笑っている。感慨は尽きない。謝辞の意もとめどない。祠の前からいつまでも離れられなかった。
船頭と水手たちにも、牛一頭と酒一樽を贈り、感謝の意を告げる。かれらにも謝意は尽きない。船頭たちの腕がなければ、まちがいなく一家は長江に沈んでいた。命を救われたことは数知れず。父は船頭と水手のひとりひとりの手を取り、それぞれに感謝の念とともに祝儀を手渡した。
さざめきはやまない。船頭と水手七人とともに無事を祝う。兄弟も陳老船頭に対しては、父に向けるのと等しいくらいに恩義を感じ、敬意をおぼえるまでになっていた。老船頭は照れたように笑う。多くのしわを刻んだ笑顔はにぎわいのうちにひときわ輝く。ひとつのことをなし遂げた喜びと充実ぶりが満面にあらわれていた。白い歯を見せて笑う。「この仕事をしていてよかったと心の底から思うのはこうしたときだよ」
村の長に連れられて、宴の場へと向かう。会場である亭《あずまや》の名は「至喜亭」なのだという。蘇軾は手を叩いて笑ってしまう。確かにわれわれは喜びにたどり着いた。
しかしながら、至喜亭に着く途上にて、宜昌の守備兵の隊長という人物が配下のものを六名連れて、祝いの挨拶にあらわれる。この人物もたいそう熱心に祝福してくれた。父の手を取った隊長はいつまでも離そうとせず、祝賀の言葉をくりかえす。熱意に父も感極まったのか、やがてふたりは抱きしめあい、むせび泣くまでにいたった。すでにあたりは夜になっていて、空には星がまたたいている。蘇軾も弟も苦笑がとまらない。会場に着く前にこれでは、宴はどれほどのにぎわいになるのであろうか。
至喜亭での宴は盛大なものだった。料理も酒も大盤振る舞いされ、至れり尽くせりの歓迎ぶりである。もとより酒にあまり強くない蘇軾は疲れもあいまって、すぐに気が遠のいてしまう。いつのまにか一室で横になっていた。掛け布団をいくつも重ねられていて、枕元には水も用意されていた。酒も飲むというほど飲んだわけではないので、酔いは残っていない。ぐっすり眠ったので疲れもとれた。浴場に案内される。
湯からあがり、至喜亭にもどるとなおも宴は続いていた。足を運ぶと、すぐに気がついた村のものが上座へと招いてくれる。一家を探す。父がたいへんなはしゃぎようで、座の中心となって飲んでいた。話に夢中で息子に気がついたようすはない。すっかり顔が赤い。寝ずに飲んでいるのだろうか。陳船頭や水手たちの姿も見受けた。こちらは荒っぽい飲みをしている。弟夫妻や妻はいない。
そのあとも、次から次へとさまざまな村のものが挨拶にやってきた。近隣の村から訪れてきたものもいる。みんな手土産に料理だの酒だのを携えてきてくれた。
ひとなつこい村の農夫の親爺がしきりに長江下りの話を聞きたがった。ほかのものも寄ってくる。いずれの話も好評であったが、ことのほか三峡越えに話がおよぶとだれもが全身を耳にしたかのように聴きいった。ひとしきり話が終わると親爺はしきりと酒をすすめてくる。下戸だとわかると、今度はおいしい茶を整えてくれる。村人たちも大いに酔っ払い、歌うものも踊るものもあらわれた。宴はいつまでもおさまるようすもない。
たけなわは丸三日続いた。もはや、いつ眠ったのかも、どれほどのときが経ったのかもわからない。村のものは疲れをおもてにあらわす気配もなく、なおもしきりともてなしてくる。料理はあとからあとから出てきて、たずねてくるひとも尽きない。弟と顔を見あわせる。三峡下りを無事に終えた旅客をこの村のものが盛大に祝すのはわからないでもない。もてなしをとてもありがたくも思う。しかし、さすがに三日も続くとなるとただならない思いがしてくる。どうしてここまでしてくるのであろうか。
とまどいを顔に出したつもりはなかったが、察したのであろう。村の長がそばに来る。「少し歩きませんか」丸い顔を寄せてくる。「お見せしたいものがあります」
弟といっしょに長について亭を出る。途中、父と目があった。なおも輪の中心にいて熱を帯びた語らいのさなかであったが、長のあとに続く兄弟を目にすると、杯を持った手を挙げて、白い歯を見せて笑った。心得ている顔つき。行ってこい、と目が告げていた。
長は小高い丘を登ってゆく。小柄な長は弟の胸くらいまでしか背丈がない。慣れた足どり。空は晴れ渡っている。てっぺんに着く。立ちどまる。「あれをご覧ください」
しめされるまでもない。すぐさま目を奪われる。丘からは長江が上流へと伸びている光景を遠望できた。ほかでもない、つい数日前まで自分たちがたどってきた河川である。しかし、その怒濤たる激流は水路などというなまやさしいものではなく、長大な蛇行を見せながらも波濤ほとばしらせてなおも轟く天然の要害であった。信じがたい峻厳たる光景。どこまでも続いている。われわれはあの雄渾なる流れを一葉の船でもって何十日もかけて下ってきたのか。あらためて、よくぞ命があったものである。知らぬうちに足が震えていた。弟も目を見はって呆然としている。
風が吹いて、われに返る。
村の長に呼びかけられる。得意そうに笑っている。「それでは亭にもどりましょう。宴はなおも続きますよ」
「はい」素直に応じていた。弟もゆったりうなずく。
宜昌には七日間も逗留した。一家はふたたび船上の客となる。見送りも盛大なもので、岸辺には村のものが長蛇の列を作り、手を振りさかんに声をあげていた。父もそれにこたえてしきりに手を振りかえす。
水路の到着地である江陵めざして船は進む。もはや急流もなく、危難も比べようもないほどに減っており、平穏な船の旅である。川幅はなおいっそうひろがり、ついには見晴らせども向こう岸が見えないまでに至った。これだけ広大になると湖というよりもむしろ海である。北側の岸辺に沿って船は進んだ。
「兄上、あれを」弟がなにかに気がつく。指さす水面にくすんだ色をした豚ほどの大きさの生きものが群れをなして泳いでいた。魚ではないがとがった背びれがある。江豚《いるか》である。直列に群れをなして、水面のすぐ下を悠然と泳いでいる。大きさも丸みのある体つきも豚に似ていた。一家そろって船縁につどい、この奇妙ながらも愛らしい生きものたちの泳ぐさまを眺めやる。
ここでもさかんに寄り道をした。江岸の旧跡や景勝を一家はあれこれとまわり、そのつど親子は競いあって詩を作った。嘉州を出てから三人が詠んだ詩はまとめて残してある。すでに百にも達する量になっている。
あちこちを訪れる折りに、蘇軾はしばしばこの地に住むひとびとと触れあった。旅人と見てとると、かれらはすぐさま寄ってきて、薪やら野菜やら果物やらをしきりに買ってくれないか、とせがんできた。しつこいくらいにつきまとってくる。柑橘をまとめて買うとたいそう喜んで住まいと思しき茅ぶき屋根のもとへと消えていった。なかからすぐに子供たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。屋根はところどころ茅が抜け落ちていて、壁もひび割れ、穴も開いていた。
ここへ来るまでの道中でも薄汚れた身なりのひとびとをしばしば見受けたが、かれらの暮らしぶりをまのあたりにしたのはこれがはじめてである。
ひとの暮らしとはなんであろうか。三年前に触れた京師のにぎやかさを思いだすと、いま目にしている田舎のひなびようとの違いに驚かされるばかりである。茅ぶき屋根を見つめる。かれらは京師の栄えぶりを知るまい。だが、ひび割れた壁の向こうからは明るく朗らかな笑い声が聞こえてくる。いま、おのれは富貴と名利をもとめて京師をめざしている。土にまみれて自然のうちに生きるかれらと、名声というかたちのないものにとらわれて生きようとするあさましい自分。果たしてどちらがひととしてふさわしい生であろうか。あの家の子供たちといっしょになって自分は笑えるだろうか。土になじむことはできるだろうか。
振りかえると弟がいた。父たちが近くで待っている旨を告げに来たのであったが、なにごとかを察したらしい。一歩そばに寄ってくる。なにもいわずに肩に手をあてて、静かにうなずきかけてくる。蘇軾もうなずきかえす。
十二月のはじめに江陵に着いた。嘉州を発してから、ちょうどふた月である。はじめに立てた日程どおりに到着したことになる。
ここで水路は終わり、このあとはひたすら陸路を北上して京師をめざす道のりとなる。到着は二月を見越している。江陵にはいましばらく滞在する心積もりである。
陳老船頭と水手たちが暇《いとま》を乞いにやってきた。ふた月に渡って労苦をともにし、字義どおり波濤をともに越えてきたかれらとも別れのときが来たのである。かれらは、いましばらくこの江陵に留まり、骨休みも兼ねて滞在するそうだが、蘇家のものと行動は別となる。別れの宴が催される。父は三峡越えをなしたときと同じく、陳老船頭の手を取り、丁重に礼のことばを述べた。兄弟もその妻ふたりもうやうやしく謝辞を述べる。まことにかれらは命の恩人であった。
ある夜、逗留先の駅舎にて、父と兄弟はこれまでの道中で作ってきた詩を一冊の本にまとめることに決めた。印刷という技術があらわれておよそ百年あまり、本を著すことはすでに詩作をたしなむもののならわしとなっている。酒席での話しあいであったが、案はすらすら固まってゆく。題は先賢にあやかって「南行集」と決まった。
「この本はおまえたちにとってもはじめての詩集になる。いまだ官吏にも就いていない時分のみずみずしき詩藻をかたちに残すことは将来かけがえのない宝になるだろう」酔いを帯びた語調で熱をこめて語る。父の楽観の言はいつでもまこととなる。酔っていても然りである。兄弟は同じくにうなずく。ふたりは酒を口にしていない。
本の引《まえがき》は蘇軾が記すと決まった。だが、同じ夜、急に近くの道観から父に宴への呼びの声がかかった。本人は大いに乗り気であったが、いささか酒が入っていたため、懸念した弟がつき添いを申しでる。蘇軾はひとり駅舎の一室に残り、机案に向かう。
三人で競作した多くの詩をひととおりあらためて読みかえしていると、おのずからしてこれまでの旅の足跡が、景色が胸によみがえってくる。凌雲寺の巨大な弥勒菩薩座像。江上の船旅。奇岩奇峰の連なり。めぐった古跡の数数。急流。灔澦堆。天にも届く水しぶき。神女峰。激湍。蝦蟇培。盛大な宴。かわいらしい江豚の群れ。土にまみれたひとびとの暮らしぶり。その折りに接したものは詩にあらわされ、情が詠みこまれている。思い出とともに読みかえす。
ほどなくして妻が茶を運んできてくれた。興味深そうに机案のまわりに並べられた詩文を見つめている。「なにをなさっておいでなのです」
「父と僕たち兄弟三人の詩をまとめようと思って。でも、読みかえしてみると、省みさせられる箇所があって恥ずかしいよ。ほら、これなんてそうだ」
「見慣れない語ですわね。なんと読むのですか」
「いや、こんな語はないのだ。韻を踏むために無理にこしらえてしまった語で、読みかえしてみるとじつに不恰好だ。自分の未熟ぶりを思い知らされる」
「手直しされればよいのではないですか」
「それも全体を壊しかねないので、容易にはできないときている」苦笑する。まったくもって無理な作為は作品そのものに悪しき影を落とすものだ。首を左右に振る。「仕方がない。これらの作品は自戒の意をこめてこのまま収めるとするか」
妻はそれには応じず、「本ができあがりましたら、読ませてくださいね」とだけ口にして退室していった。
今宵は風もないのか、外は深閑としている。思いをめぐらすにふさわしいひととき。
父がわれら兄弟の見聞をひろげるために選んでくれた長江の旅路。それだけに、多くの得がたいものをこの目におさめ、胸に刻みつけた。これからはじまる京師での仕官の日日を前にして、この旅路は忘れまい。引を書くために筆を執る。いまならば、心に浮かんだことをそのまま紙にあらわせられる。
文とは技を凝らして作るものではなく、旅や日日の暮らしのなかで得たものや感じたものをそのままあらわすもの。みずからと事象のあいだに生じた一度かぎりの心情を素直に言葉に託す。わずかに船上より垣間見ただけの神女峰。だが、ごく短いあいだにも生じた思いがある。その確かなる心の動きをおのが手でおのが言葉であらわす。それが文、であろうか。思索はとどまらず、筆もとまらない。
ひとしきり筆を動かしたあと、手をとめて顔をあげる。まわりには書いたものが散らばっていた。あたりは変わらず静まりかえっている。窓の外に目をやる。なにかに呼ばれた信があり、筆を置き、綿入れを羽織って立ちあがる。中庭に出た。
夜空を仰いで目を見はる。天を埋め尽くす無数の光。今宵は月も見えない。凍える寒空に冬の群星がひしめきあい、きらめいていた。
中庭には樹木も植えこみの草花もない。白い砂地がひろがるばかりである。空を仰いだ姿勢のまま、砂地をひとしきり歩いてみる。ふんだんに砂が撒かれており、履をとおしても粒のきめ細かさが伝わってくる。腕を組んで立ちどまる。星が夜気とぶつかり、きらびやかな音を立てて降り注いでくるようだった。そうしたまま夜空を眺めている。光を一身に浴びる。輝く大きな星。うっすらまたたく小さな星。ともに見つめていると次第に遠近がぼやけてきて、幻惑されそうになる。身が軽くなる思いがして、背伸びをしてみる。ふわりと浮かびあがる。おや、すでに幻のうちなのか。ひやりとした気に包まれてさらなる高みへと舞いあがる。どうしたことであろうか。そのまま宙をただよい、星のあいだをひとしきりさまよう。天を散歩している。まばゆい光の渦。だが、不意になだれこんでくる星の洪水。流れに足をすくわれて、身が重さを取りもどす。夜空から急速に落下。まっすぐに。終わらない墜落のさなかにおびただしい数の光があちこちから射しこんできて、身をかすめてくる。無数の星の歌声を浴びてすべてが白くなる。
砂地に舞いもどる。勢いあまって両膝をつく。夢からさめて天に打たれた心持ち。そのとき、詩が舞い降りてきた。見まわす。筆もなければ小枝も転がっていない。星天と白砂の茫たるはざまにただひとり。天と地のあいだにわれと詩だけがあった。ひとさし指を砂地に走らせる。「夜行觀星」と題す。湧きあがってくる句をせわしく指を動かして、詞にあらわす。
天高 夜氣嚴
列宿 森就位
大星 光相射
小星 鬧若沸
天は高く冷たい夜気が澄みわたり
星たちはおのおののあるべきところにある
大きな輝く星は射すような強い光を放っている
小さな瞬く星は湧いたあぶくのように淡くきらめく
天人 不相干
嗟彼 本何事
世俗 強指摘
一一 立名宇
いにしえのひとは天と地のあいだに縁《えにし》があると説いたけれども
この果てしない夜空がほんとうにそれだけのものだろうか
世のひとはえてして
星のひとつひとつに名をつけたがる
南箕 與北斗
乃是 家人器
天亦 豈有之
無乃 遂自謂
あれは南の箕《みの》 あれは北の斗《ひしゃく》というように
でもそれはどこの家にもある器《どうぐ》で
天にそのようなものがあろうはずもない
ひとが呼びやすいように名づけただけである
迫觀 知何如
遠想 偶有似
茫茫 不可曉
使我 長歎喟
天に昇り 近くで見てみれば どうなっているものかわかりはしない
遠くからの想いが 星の並びを似ている身近なものに結びつけてしまうのだ
ともあれ ひとの想いなどつゆも知らず 空はどこまでもひろがっていて
僕は尽きることのないため息をついてしまう
まことに長嘆息とともに最後の句を記した。冬の寒空のもとであるにもかかわらず、汗をかいていた。両膝と手をついた格好のまま空を見あげる。音をたてて降り注いでくる星空。どこまでも果てしない。おのが将来もこうであるだろうか。
やがて、膝を起こし、立ちあがる。足下の詩句を眺める。風のない晩であるにもかかわらず、すでに出だしのあたりは細かいところが削げはじめている。それでも、今宵はこのままにしておこう。運がよければ夜明けまで残っていよう。きびすを返して駅舎の室へと歩きはじめる。夜気がなおいっそうきびしい。まもなく年も終わる。北東の空を見つめる。あの先にめざす京師がある。わがゆく先もまた。
朝まだき。夜気をあましたうすら寒い庭をたどりつつ、詩をあらわした砂地のもとへと赴く。足どりは急ぐというほどではない。このあたりと思しける地にたたずむ。目を落とす。なにもない。かすかな落胆とそうであろうという思いがともに去来してくる。されど、詩はまた作ればよいだけである。京師までの道のりはあとふた月もある。冬の満天の夜空はまたすぐにめぐりくる。きっとさらにすぐれた観星の詩をなせるであろう。
頭上を悠然たる影がよぎる。見あげると、天の高くを白い鶻が舞っていた。
(了)
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