『嘘を食べる猫の話』

『嘘を食べる猫の話』

著/霞 永二

原稿用紙換算枚数15枚

 それは、作太郎が関東近郊のとある温泉へと旅行へ出かけたときのことだった。
 作太郎は知らない町へ来たときには、周辺をいろいろと歩き回るのを楽しみにしている。表通りからすこし別の路地へ入ってみると、まったく異なる風景が広がっていることがあり、しばしば新たな発見をしたりもするからだ。

 そして、町歩きをしているときには、よく猫と出会う。猫たちは、いろいろと面白くも可愛らしいしぐさをするので、それを眺めるのも町歩きの楽しみのひとつであった。
 その町はとりわけ猫が多く、これは散策する甲斐もあるなと思いながら作太郎は歩いていたのである。そして、ある路地を通りがかったところで鳴き声を耳にし、予想通りここでも一匹の猫を見つけたのであった。
 だが、しばらく見ているうちに作太郎は、その猫がとりわけ奇妙な動きをすることに気がついた。なにやら、おかしな踊りをしているふうなのだ。むやみに前脚を振り回していたかと思うと、尾を逆立てたりしている。やがて、ひときわ大きく、フギャーッと叫んだかと思うと、ジャンプして前脚と口とを激しく動かした。

 作太郎は、驚いて目を見開いた。
 着地した猫は、なにもくわえていないように見えたのだが、その口の端からタラリと液体が流れ出したのだ。やけに色が薄いが、どうやら血のようである。
 口か舌の端を噛んだのかとも思ったが、それにしてはその量が多い。それに、口の開き具合は、なにかをくわえているようでもある。
 じっと注視していると、猫がふと作太郎のほうを見た。
 かと思うと、サッと首を路地の反対側に向け、スルスルと駆け出していってしまったのだ。
「あ、待て」
 作太郎は、慌てて猫を追った。奇妙な行動だけならまだしも、血が出たところまで見てしまっては、理由を知らないと後々まで気になってしまうだろう。
 路地を抜け、猫を捜す。すぐに、その後姿がトコトコと駆けていき、ポストが立っている角を右に曲がるのを発見した。作太郎も足を急がせる。
 だが、さすがに猫は素早い。角を曲がってからしばらくはついていけたのだが、やがて山へ入る麓のあたりで姿を見失ってしまった。
 周囲を歩いて捜してみたが、見つからない。しばらくしてから、ふと辺りを見回してみると、いつのまにかけっこうな山道になっていた。場所の見当もまったくつかなくなってしまっている。
 おまけに、すこし離れた場所に金網で仕切りがされており、その奥には入ってはいけなさそうな雰囲気が漂っている。
 作太郎は猫のことがまだすこし気になりながらも、諦めて旅館へ帰ることにして、踵を返しかけた。
 だが、そのときだった。

 ふいに、後から声がした。
「君、猫を探しているのかね?」
 驚いて振り向くと、ひとりの老人が立っていた。老人は、とっさに返事ができないでいる作太郎に、さらに続けた。
「あの猫は、わしが飼っているんだよ」
「その、口から出血していたようなんですが。そのまえにも、なんだかおかしな動きをしていたし」
 ようやく作太郎は、そのように返答した。
「やはり、見られてしまっていたか。このまま帰ってもらってもいいんだが」
 と、老人の足元から、さきほどの猫が顔を出した。
 老人は、目をすがめた。
「ふむ。この場所まで来られてしまったうえ、わしの顔も見られてしまったしな。しかたがない。悪いが、すこし時間をもらえるかな。こちらへ来てくれんか」
 有無を言わせぬ口調でそう告げると、老人は背を向けて歩きだした。どうやら、仕切りのようになっている金網のほうへ向かっているようだ。作太郎は不安も感じたが、好奇心のほうが勝ったので、後に続くことにした。
 老人は金網についていた扉を開け、なおもしばらく歩いたあと、すこし広くなっているところで足を止めた。そして、作太郎のほうに向き直ると、口を開いた。
「ここらへん一帯にはね、『嘘のさなぎ』が埋まっているんだよ」
「嘘のさなぎ?」
 わけがわからず、作太郎は聞き返した。この老人、とつぜんなにを言い出したのだろう。
 その気持ちを読み取ったのだろうか、老人は、作太郎が質問を重ねるのを止めるように、言葉を続けた。
「まあ、聞きなさい。人間は誰しもみな、嘘を言うだろう。そのときに、嘘の塊というか、エッセンスというか、そういうものが空気中に出ていくんだよ。そして、この場所のような『場』にまで漂って来る。この『場』は、日本中、いや世界中にある。霊的な場所と重なっていることも多いな」
 嘘の集まる『場』。そんなものが、本当にあるのだろうか。この話こそ、嘘なのではないか。だが、そんな作太郎の考えにおかまいなく、老人は話を続ける。
「これらの嘘にはあらゆるものが含まれていて、大きな法螺や悪質な詐欺などはもちろん、ちょっとした見栄や、小さな希望などまである。本人が自覚しているかどうかも関係ない」
「もし、それが本当だとしたら、ものすごい量だ……」
「そう、天文学的な数になる。そして、それらの集まってきた嘘のうち、ごく一部が『場』に埋まって、さなぎになるんだ」
 老人はしゃがむと、土の一部を掘り返し、なにかをつまみあげる仕草をした。
 立ち上がった掌の上には、半透明の、ウズラの卵を一回り大きくしたような物体が乗っている。
「これが、そのさなぎだ。天文学的な数の嘘のごく一部と言ったが、それでも膨大な量になる。金網の内側なら、すこし掘ればすぐに見つかるだろう」
 作太郎は呆然としていた。そのさなぎはたしかに、これまでに写真などですら見たことのないものだったからだ。
「このさなぎから、無事に孵化するのはさらに一部になる。埋まっている期間はまちまちだが、短いもので数ヶ月、平均して2、3年といったところかな。なかには、数十年埋まっているものもある。そして、その嘘のさなぎの孵化した姿。それが、聞いたことがあるかな、スカイフィッシュと呼ばれているものだ」
 スカイフィッシュの正体は、なんと孵化した嘘だったのだ。
 驚いている作太郎に、老人は機械を埋め込んだゴーグルのようなものを渡した。
「これは、ある大学の研究室に極秘で作ってもらったものだよ。かけてごらん」
 ゴーグルをかけてみて、作太郎は目を見張った。
 そこには、無数の透明で細長い飛行生物が、ジジジと羽を動かして、ひしめいていたのだ。夕方などに鳥の大群が空を飛んでいることがあるが、その比ではない。なにかの番組で、洞窟から出て来る蝙蝠の群れの映像を見たことがあったが、それが近いかもしれない。   
 だが、スカイフィッシュがひしめき合っているのは、さらにずっと広い範囲だ。ただ、それが半透明なので、現実離れした、幻想的でさえある光景になっている。

「このスカイフィッシュもまた、かなりの数になる。こいつらは、なぜだか稀にカメラに写ってしまうようだがね。その装置は、それを利用したものだ。そして、スカイフィッシュのなかから、さらにごく少数が、もともとその嘘を言った人間のところに辿り着くことができる。すると、その嘘は、現実のことになるんだ」
 ヒョウタンからコマの出る仕組み、というわけだ。
「ときどき驚くような望みが実現することがあるのは、そのせいなのだよ。何事も言ってみるものだ、とよく言うのも、もちろん言語化してみて形になるという面もあるが、本当にそういう仕組みもあるわけだ。だが、スカイフィッシュの命はごく短い。もとの主のところへ戻るための本能はあるんだが、そこまで辿り着くのは難しいんだ。だから、ここでまた淘汰されるわけだな。それに、他にも数を減らす要因がある。スカイフィッシュを食べる動物がいてね。それが、猫なんだよ。よく、猫がわけのわからない不思議な動きをしているだろう。あれは、じつはスカイフィッシュを捕っているんだ」
「じゃあ、さっきのその猫も」
「そう。よく訓練してあるから、ふだんなら血が出るまで噛んだりしないんだが、どうも捕まえるのに手こずったようだな。そこに君がいたのも、間が悪かった」
 あの血は、スカイフィッシュのものだったのだ。
 そのとき、一匹のスカイフィッシュが、老人と猫のほうに飛んできた。 すると、猫が飛び上がって、前脚を使って器用にスカイフィッシュを捕まえると、口にくわえた。
「昼間に路地裏や駐車場に集まっている猫たちも、スカイフィッシュ捕りの集会であることが多いね」
「もしかして、この町に猫が多いのも……」
「ああ、ここに『場』があるからだ。あと、スカイフィッシュを食べていると、どういうわけか熱いものが苦手になるようだね」
「ああ、だから猫は猫舌なんですね」
 猫はスカイフィッシュを飲み込むと、満足げに、にゃあと鳴いた。
 老人は、頷いてから話を続けた。
「その通り。体への悪影響は、他には特にないようだがな。そういえば、さいきん、ネズミを捕る猫が減っただろう? あれは、猫が贅沢になったわけでも、飼いならされて本能が衰えたわけでもない。スカイフィッシュの数が、昔に比べて格段に増えたからなんだ」
 作太郎はもはや、老人の話をほとんど信じてしまっていた。

「さて、それでは、わしはここでなにをしているのかというとだな。わしの家系は代々、猫と同じでスカイフィッシュを見ることができるんだよ。そのゴーグルは使わなくてもな。そして、なんというか、嘘の微調整をしているわけだ。直接に災害に繋がるような嘘や、多くの人々の生死に関わってくるような、タチの悪いスカイフィッシュもわりと多いんでな。それらが、万が一にも、もとの主のところに戻らないように、退治しているんだ」
「スカイフィッシュを見て、嘘の内容までわかるんですか?」
「いや、さすがに内容まではわからんよ。だが、悪質なものかどうかや規模の大きさは、形と大きさで判断できる」
 老人は、飛び交うスカイフィッシュのほうを見やった。そのなかにも、悪質なものが混じっているのだろうか。視線の先には、ふもとの町並みも見えている。
「まあ、おせっかいといってしまえばそれまでなんだが、わしも人間なんでな、あまりに社会や環境が悪くなるのはごめんこうむりたい。退治するかどうかの線引きは、難しいところではあるんだがね。この猫たちには、それを手伝ってもらっているわけだ」
 老人はここで、作太郎のほうに向き直った。

「さてと、ここまで知ってしまった以上は、君もただでは帰れないものと思ってくれ」 
「えっ、な、なんですか?」
 作太郎は、思わずあとじさった。まさか、危害を加えられるとは思わないが、歓迎できる雰囲気ではなさそうだ。
「はは、大丈夫だよ、乱暴なマネをするつもりはない。ただ、ここまで聞いたらわかると思うんだが、この裏山がそういう場所だと知られてしまうと、ちょっと都合が悪いんだよ。ここに来れば、無数のスカイフィッシュがいるわけだ。となると、かつて自分の口から出た嘘が、現実になる可能性も大きくなるからな。君がそういう行動を取るとは言わないが、君の口からふとした拍子に広まらないとも限らない」
「じゃあ、どうするんですか?」
「うん、ちょっとな、このことを全て忘れるような、暗示をかけさせてもらうよ。ただ、こちらとしても申し訳なくはある。お詫びといってはなんだが、いつか君のスカイフィッシュのなかから、良さそうなのを選んで、こいつに届けさせよう。いちど話をした相手のスカイフィッシュは、わしにはわかるのだよ」
「自分のどのスカイフィッシュにするは、いまは選べないんですね?」
「悪いがな。だいいち、わしにも、嘘の内容まではわからん」
「わかりました、しかたがなさそうですね」
「うむ、すまないがな」
 老人は作太郎の目を閉じさせると、なにかゴニョゴニョと唱えてから、パンと手を叩いた。

 気がつくと作太郎は、町の路地裏にいた。
 キョロキョロと、あたりを見回す。町歩きの途中、さっきまで猫を見ていた覚えがあるのだが、気のせいだったのだろうか。時刻を確かめると、意外なほど遅くなっていたので、驚いた。いつのまにか、ボンヤリとでもしてしまったのだろうか。もう歩き回る気にもなれず、作太郎はまっすぐ旅館に戻り、一泊してから家へと帰った。

 三ヶ月ほど経ったある日のこと。
 作太郎が自宅の部屋で本を読んでいると、窓の外に小さな影が現われた。
 顔を上げてみると、一匹の猫がいた。その顔を見て作太郎は、妙な気分になった。見たことがあるような気がするのだが、いつ、どこでだったのか思い出せない。
 窓を開けて顔を出し、よく確かめようとして、猫と目が合ってしまった。
 猫は口を半開きにしており、なにかをくわえているようなのだが、よく注意してみてもなにもくわえていない。
 すると、猫が口を開けて、また閉じた。
「ん?」
 なにか不思議な感覚がした作太郎は、思わず窓の外へ手を伸ばしたのだが。
 猫はついと身を翻すと、軽く塀の上に飛び上がり、そのまま姿を消してしまった。


了   

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